罰
こちら
を覗いて見てください。
これで学校の先生は授業が出来るのでしょうか。
「立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる」これが新たに体罰ではないとされたということですがと言う事は今まではこれを体罰として扱っていたということですよね。
それで「授業崩壊」って当たり前じゃないですか。
また、携帯電話に関しても「授業中にメール等を行い、学校の教育活動全体に悪影響を及ぼすような場合、保護者等と連携を図り、一時的にこれを預かり置くことは、教育上必要な措置として差し支えない」とした。
一々保護者と連携を図らないと取り上げることも出来ない。これが教育現場なのでしょうか。
塾なら叱って当たり前。
やる気が無いなら教室から出します。
これじゃ学校の先生が辞めていくのが当たり前です。
もっと酷いのが「児童生徒から教員等に対する暴力行為、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為を避けるための有形力(目に見える物理的な力)の行使も「正当な行為」として位置付けられた。」という1文。今までは暴力行為に対してこちらが力を使うとそれは体罰とされていたって事でしょうか。(-_-メ)
体罰という一括りで罰を与える事は悪という前提で論議されていることが多くσ(^_^)は矛盾を感じます。
σ(^_^)は罰を与える事は暴力とは違うと思っております。
本来、罰とは誰から見ても必要なときだけ行われるべきことだという前提ですが。
もちろん怪我をさせるようなものは問題外です。心の傷も与えてはいけない。
その上でこんなことを考えました。
大人社会には究極の罰則が必要だから法律としてそれが存在します。口で言って判らないものには懲役刑や死刑が存在します。
もちろん懲役刑は罰でしょう。
死刑は究極の罰でしょう。
大人でさえ口で言って判らないなら罰が必要だとして、どの国も認めているのです。
殺人犯に「人を殺してはいけません」と口で諭して説得しますか。
殺してはいけないことは判っているのです。
もっと酷いのは「何で殺してはいけない」というものです。
殺すことに罪の意識が無いもの反省が見られないものを、そのまま社会に戻しますか。
子供の社会というのは大人社会と全く同じです。
特に理屈ではなく「騒ぎたいから騒ぐ」「面白いから虐める」というような論理できて怒られたり罰せられたりしないことが規則は守らなくても良いという意識を植え付けます。
以前も書きましたが「歩行者信号を守らない大人」、「火のついたタバコを道端に捨てる大人」とおなじで、規則を守らなくても良いんだという教育をしているようなものです。
成人式で騒いで逮捕される若者。
この時初めて罰を受けます。
でも、今まで何をしても罰を受けなかった者が突然罰を受ける。
彼らはこれを「理不尽だ」と受け止めるのかもしれません。
学校現場での先ほど書いたような状況。
これでは教育は出来ません。
というより正しいことをした者が罰を受けるという逆教育の極地です。
塾でも宿題をやって来なかった者を叱ると「体罰だ」と喚く子供がいます。
つまり「怒られることを「理不尽」と受け取っているのです。
決まりを守らない者は罰を受けるのが当たり前の社会が必要です。
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