2004年から公開された「少年ランブレッタ」の日記、ニュース、BBS。
その一部を順々紹介していきたい。
ちょっと懐かしいなぁ~とか、こんなことがあったの!とかね、。
う~ん回想録みたいなもんか。
今までは前しか見てなかったのにね。
気持ちに余裕が出てきたのかな(笑)。
(赤字は現在の少年ランブレッタのコメントぜよ)

「繋がってる不思議。」全6話一挙公開!
 
二十歳位のときだったかな、ヒデオさん(ベスパファイルP84の160GS参照)にランブレッタが欲しいと相談したことがあった。
「車種は何がいいの?」って聞かれて
「もうランブレッタだったら何でもいい」と答えた。
師匠 ( この頃はまだ 「近藤さん」 かな? ) と同じでいつも俺に優しくしてくれたヒデオさんが真顔でこう言ったんだな~。
「村上君さぁ、何でもいいって言うくらいならランブレッタは乗らないほうがいいよ。」
正直グサッときたんだな、これが。
 
その日から青年はモンモンとした日々をすごすことになるの。
 
ある日近藤さん一枚のイエローオーカーのランブレッタのポラロイドを見せてくれた、綺麗なオリジナルペイントの1969年製200dl。
この写真のdlは近藤さんので近いうちにイギリスから船便で到着するという。
近藤さんが目をキラキラさせて言った。
「dlってあんまり日本では人気ないけど本国での人気は凄いよ、俺はこれが一番かっこいいと思う、だってデザインも性能もずば抜けてる。」
俺はGP系はSIL(スクーターインディアリミテッド)のイメージしかなかったから「乗ってるだけで馬鹿にされる、あの悪名高いインジー」の原型が一番かっこいいって言ったり、
昔からドロップハンドルのベスパに乗ってたり、不人気車種のPKをカスタムしたり、な~んて不思議な人なんだ」と思っていた(笑)。
 
 
時はスクーターバブル前夜。
ベスパビバーチェなる雑誌も現われたくらいだ。
近藤さんの勤め先の入荷車両を見てもvegaからTV200まで選び放題の時代だった・・・お金があればね(爆)。
Liに関してはゴロゴロしてて一番売れていた、毎日のように何台も。
 
そんな車両群の中、俺が一番に憧れたのは3桁プライスのSX200、下品と上品紙一重なメタリックバイオレットとホワイトのツートンの車体。
「いつかはランブレッタ、男は黙ってランブレッタ」 と心に誓った。
 
 
程なく近藤さんは仕事が終わってから深夜までdlのオーバーホールをする生活に突入していた。
自分の車両を自分で作っている、なんて素敵なことなんだろう。
そう思いながら作業を見ていると普段雑誌やショールームで見てるランブレッタとはまた違う見え方がしてくる。
 
そしてそのdlと近藤さんの姿が凄く素敵に見えた。
 
 
ある日、近藤さんの留守中にヒデオさんの友人の「東京のモッズグループ」の人が店に寄った。
帰り際スタッフオンリーの工場のバックヤードを勝手に覗いてボソっと言った。
「えっ、dl?、あっ本物だ、うわ~ま~たマニアック車両だな~、これ売り物なの?」
 
ベスパ買ったあたりの俺ならこう思っただろう。
「近藤さ~ん、この人ひいてるよ~、やっぱdlは一般的には駄目なんですってば~、パネルのストライプが安っぽいんですってば~」(爆)
 
しかし、もうその頃には
「あっち行け!シッ(ト)、おまえにこのdlの何がわかる!このネオおカマ!」
 
 
カスタムPKに替わり、近藤さんは200dlが毎日の足になった。
 
一緒に走れるのは嬉しかったが、そのスピードについて行けなくて無理して思いっ切りコケた夜もあった。
擦り剥け出血したお尻さすりながら思った。
それは、
「いつかはランブレッタ、男は黙ってランブレッタ。」
ではなく、
「いつかは角目のランブレッタ、男なら角目のランブレッタのみっ!」と。
 
 
正式に近藤さんにランブレッタ購入へ向けての相談をした。
やはりdlは高嶺の花、貧乏学生には厳しい現実。
どんなに勇気を振り絞ってローンを組んでもLiが限界。
でも角目じゃなきゃ意味がない、どうしてもdl/GPに乗りたいんだ。
スクーター乗りの友達は「角目ダセ~よ、Liカッコいいじゃん」
そんな意見を頑に拒むと
「なんなのお前、自分がないね~、結局近藤さんになりたいだけなんじゃないの?」とまで言われた。
しかし、外野がどうこう言おうが俺の知ったこっちゃない、俺には角目以外は考えられなかった。
(後にその外野は高額なイノチェンティGPをハードローンで購入する、俺になりたかったのか?爆)
 
近藤さんは真剣に考えてくれた、予算に近いランブレッタの見積りを照らしながら説明してくれた、フルレストアとランニングコンディションの違いと、
今後必要なるであろうメンテナンスや維持費まで含め色々教えてくれた。
そして、
「ほんとはやりたくないけど・・・そんなにGPが好きなら」
とインドGPでイノチェンティGPのレプリカを作る計画を提案してくれた。
 
俺は一瞬、耳を疑った、インドGP?!
 
一般的に考えたら、そんな話笑ってごまかし、Liを購入することだろう。
しかし俺は近藤さんのまじめに話す姿を見て確信した。
これはインドではなく、間違いなくメイド・イン・トーキョーになると。
 
ランブレッタの製作を正式にお願いした。
運良くベースとなるインジーもすぐ見つけてくれた、う~ん今にも土に返りそうなインジー(笑)。
注文書に車種の欄に「インドGP、水色」と書きながら近藤さんはこう言った。
「安くあげたいなら、明日から毎日おいで、手伝えるとこなんていっぱいあるんだから」
 
それは俺の中で近藤さんが師匠に変わった瞬間であった。
 
塗装前のペーパーがけを手伝ったくらいだったが楽しい日々が続いた。
先に届いたバッチ類のパーツを預かり毎日眺めて暮らした。
俺の誕生石と同じターコイズカラーのGPが近藤師匠のdlと並んで走る姿を毎日夢見て眠った。
 
 
ヒデオさんが製作中のLiカスタムのエンジンをTS1の200にするため200㏄用のケースを探していた。
ある日電話口で「村上君の200のエンジンとLiについてるカスタムエンジン、トレードしない?」と言われた、即答でOKした。
うお~エンジンがイノチェンティになっちゃった!しかも175㏄のステージ4.。
いきなりレーシーな船出になりそうだ(笑)。
 
バックヤードにはバラバラになったGPのボディパーツが積んであった。
たぶんまだまだ時間はかかりそうだなぁ、近藤師匠も「さすがに納期はわかんない」と言っている。
もちろん俺のわがままばかりなんだから、手があいた時にお願いしますと伝え、
当時姉が経営していた会社でバイトする為函館に帰る。
 
2週間位で東京に戻ったんだっけな?
部屋に入り留守電をチェックしようとすると一枚のFAXが目に飛び込んできた!
 
俺は叫んだ!声にならない声で叫んだ!
 
FAXに写し出されていたのはGPのポラロイド写真、それは師匠が俺に見せてくれたdlのポラロイド写真と重なった。
 
バックをベットに放り投げ、部屋を飛び出し電車に飛び乗った。
そして近藤師匠とヒデオさんの待つ店へと向かった。
 
「俺のランブレッタ」の待つ店へと向かった。
 
つづく
 
2007.8.3
 

ちゃんと乗換えをしたのかすら、なにも憶えていない電車を飛び降りた。
 
昔師匠がドロップバー&スケベシートのベスパで転倒したという、伝説の東中神駅前くじらロードなる商店街を、
全速力で駆け抜けた。
 
そして鯨の胃の中から吐き出された俺の目の前には光り輝くターコイズのGP。
 
師匠は俺の服装に大爆笑しながらGPのキーを渡してくれた。
そう、ハードロッカーな俺だけど、空港で見送る田舎の親には心配させないよう綺麗目なブレザー姿で東京に戻ったのである。
着替えもしないで部屋を飛び出し、スクーターに跨がりにきたのだから、これは仕方がない(笑)。
 
「一周しといでよ!」
 
待ってましたとばかりにランブレッタのキックに足をかけた。
 
美しく湾曲したキックの感触を味わいながら・・・・・・・・・踏み下ろす。
 
 
 
・・・・・振動の瞬間を見た。
 
スタンドを跳ねあげ、跨がるとテトリスシートのステッチ、ハンドルのグリップのラバー、フットボードのレール、
接触している全てから全身にそれが広がる。
 
鼓動が、振動が、一体になる。
 
 
そして師匠が手渡してくれたのは憧れていたシンプソン・スーパーバンディット。
師匠とお揃いのシンプソン。
AF、エレクトロニック、GPチェッカーのデカールで飾られ、ターコイズにペイントされたシンプソン。
こんな高価なメットを「記念だ受け取れ」と・・・。
クソガキの俺に。
 
 
涙が吹き出る前にランブレッタは走り出した。
 
「ならし」とわかっている。
しかしターコイズのGPは加速する。
フルスロットルにしなくてもメーター読みで軽く70マイルを超えた。
東中神の駅前を抜け、
立川を越え、
国立の「ある場所」でエンジンを切った。
 
 
ここは俺が師匠の200dlに追い着くため無理してコケたカーブ。
造成中の道路の終着点。
砂利がまばらに散らばっていた。
 
 
煙草を一本深呼吸で吸いこむ。
まだドキドキしている。
 
再びキックを踏み、アクセルを開ける。
甲高いレーシングマフラーの爆音と同時に車体が沈みこむ感じがした。
 
俺とGPが一体になった気がした、
いや、なってる。
 
外注には出さず、ヒデオさんがウレタンで調子を悪くしてでも全塗装してくれたGP。
 
師匠のイメージ、それが俺への真摯なメッセージ。師匠の手によって組上げられたGP。
 
誰のためでもない、間違いなく俺のためだけに造られた車輌。
 
 
その全てが「しっくり」きた瞬間である。
1996年春、
少年ランブレッタ誕生である。
 
 
つづく
2007.8.6
 
 

ターコイズGPが納車されてから毎日の足になったことはもちろん。
雨の日も、風の日も。
自然と生活の一部となっていった。
 
このランブレッタとの数々のエピソードは、リニューアル前のnewsでも紹介してきた。
そのうち機会があればアーカイブにて再アップしますし、これからもお伝えしたい。
 
当時の取巻きのスクーター好きも「おしゃれアイテム」としてではなく「乗り物としてのスタイル」に移行して行ったのは、
師匠の影響を除けば少なくても俺とGPの影響があったのだろうとも思う。
女子以外は全員フルフェイスだったしね(爆)。
まぁ、俺自体が師匠の影響大だから微妙な表現なんだけどね(笑)。
でも、思い入れとか思い込みは俺独自のものだったから、魅力的だと思ってくれる人もいたはずなんだよ。
それがオレンジエードと搾りカスという精神論のハシリなのかな?
 
昔、一度だけマニアックで世間の狭い業界の方に
「なんだ、このインドは」
と、聞こえるようにイヤミを言われてことがあった。
もちろん嫌な気分にはなるけどさ、一度も自分のGPがSILと言うことで惨めな気持ちにならなかったのは、師匠のお陰だな。
 
だってさ、それはフレームの番号だけの問題でしょ?
別にヴィンテージの価値を非難してるわけじゃないよ。
ただ問題は中身だ!ってことを言いたいのさ。
もちろんそれはカスタムやオリジナルに関係なくね。
いいものはいいのさ。
 
もちろん旧車乗りの中にはすごい情熱を持ってる人がいるからね、もちろんそれには費用もかかるし、専門的な知識も必要になってくる、
そして信用できるショップとの巡り合わせだってあるんだから、スクーターオーナー個人の人柄だって重要だよね。
 
それを一般的にみんなが気にし出したのってここ数年のように感じる。
 
だってくだらないこと言ってたら俺のみたいなカスタム車両なんかなくなっちゃうし、
今にも土に返りそうな程度の悪い旧車しか街にいなくなっちゃうよ。
 
偉そうかい?んなこたないよ(By タモリ)
 
俺がランブレッタクラブに入会できないって話も(笑)、
整備されたインドよりヤフオクで買ったようなフレームのずれてる不動のイノチェンティのほうが市民権があるって話だよね。
まぁ規約なんだろうけどSX買った頃にはそういうのに入りたいとか入りたくないだの頭の片隅にもなかったけどな(笑)。
 
 
アランチャータ立ち上げの準備をしていた師匠にGPをTS1‐225、油圧のインボードディスクにするため預け、生活の基盤を函館に移した。
それがちょうど10年前。
 
中学までの友達しかいない故郷、ましてやスクーターへの理解など微塵もない街に困惑した。
 
完成した念願のGP225、喜びと興奮の中で暮らした。
しかし休みも少なく拘束時間の長い勤務のせいか走るのはきまって深夜、
だいたい信号待ちで無限シビックのガキやシーマに乗ったチンピラに勝負や喧嘩を申し込まれたりするレベル。
そんな中だから、かなり荒い扱いをする。するととんでもない壊れ方をしてしまう。
 
何度も修理に挑戦しようと電話の子機をスピーカーホンにし、リアルタイムで師匠にオペレートしてもらう。
しかし自分では歯が立たないものばかりで原因すらつかむ事ができなかった。
その度に遠方の師匠に迷惑をかけた。
 
そして、そのやるせなさと独りぼっちの寂しさが俺のスクーター熱を急激に冷ましていった。
 
ある日、俺はガレージのGPとSXにバイクカバーをかけた・・・・・・自分に目隠しするように。
 
部屋の棚の上にはシンプソンが、ただ飾られているだけだった。
 
 
そしてランブレッタのことを忘れた生活が淡々と過ぎて行った。
毎日のように話す師匠との電話でも次第にスクーターの話題は上らなくなって行った。
 
自分でもそんなの想像してもなかったよ。そんな虚しいこと・・・・。
 
つづく
2007.8.8
 
俺以外のこの二人はすでにスクーターとは無縁の生活を送っているらしい。
でも毎日燃え尽きるまで遊んだ1996年。  

師匠と俺がスクーターの話をしなくなって2年くらいが経ったかな。
 
だからと言って普段からスクーターの話はあまりしないから(爆)、沈黙の続くようなことなんてないんだけどさ、ふと虚しさに襲われる。
だって自分が味わってきたような素晴らしいエピソードがアランチャータのまわりには沢山あるんだからね。
 
でも師匠やザッキ☆との想い出を懐かしむだけで、ただただ、俺は独りで燻っているだけ。
 
なぜだろ?
今でも記憶喪失みたいに思い出せない。
 
その後、再びガレージでバイクカバーを外した。
それは復活のためではない。
スモークのページにあるような格好のいい言い訳なんかなく、
ただ単にSXを現金化するためだった。
 
陸送屋の引き取り数日前SXを綺麗に洗車した。無言でね。
 
小学生になったばかりの甥のカズキがその様子を見ながら
「宝物って言ってたのに売っちゃうなんて不思議だね~、ゆ~?、水色のはカズキが乗るんだからどっかにもってっちゃやだよ~」と・・・・・
 
最後に乗せてとせがまれキックに足をかける。
一発で小気味好い排気音を奏でる。
シシーバーにもたれかかる甥っ子の笑顔と、真っ赤なエキパイと濡れたアスファルトのコントラストが強烈だった。
 
排気の香りを吸い込んだ瞬間、胸が張り裂けそうになった。
 
状況がどうであれ、今でも後悔している。
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数ヶ月後、福島に帰ってから独りでもスクーターを乗り続けているザッキ☆がワイフを迎えることになった。
 
披露宴前日アランチャータ入りをした。
せっかくだからと師匠がUFOに連れてってくれた、そのおかげで久し振りに足となっているスクーターを眺めることができた。
イベント自体もすごくよかったし、楽しんだ。
深夜、そろそろ早朝の新幹線の時間が気になり出す頃師匠と表に出た、
数台のランブレッタとベスパを眺めた。
楽しいんだけど微妙な気持ちになった。
 
GP225に跨がったヒラサワ君が「ユキちゃんまたね~」と言って、クリチェン氏のSXとともに走り去る。
 
その後ろ姿
 
なんか見覚えがあった、凄く懐かしい。
なんだろう・・・・。
知ってる光景。
 
その後ちょっと事件があったんだけど(笑)、帰り道師匠が「それなりスクーターも見れてよかったね。」としんみり言った。
 
数時間後、林さんに叩き起こされ新幹線に飛び乗った。
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福島県猪苗代にある裏磐梯ロイヤルホテルにてザッキ☆とジュンコちゃんの結婚式・披露宴が盛大におこなわれた。
余興でザキオ☆の上司が松山千春のモノマネで登場したのが酷くて失笑したが、
最後のお色直し・・・・・・・ステージの緞帳が上がると・・・・・・・
そこには、師匠の意思を引き継いだイエローオーカーの200DLに跨る新郎新婦の姿。
 
俺は忘れていた何かを一瞬で取り戻した。
会場にはB級ソングライター、ポール・ウェスターバーグの曲が流れていた。
学生時代オーセンティークなもの以外はイギリスの曲しか聞かなかった男、
その男が自分の節目に選曲したBGMにはアメリカ人の曲が随分とまぎれていた。
 
時代時代に片意地張らず、変化を楽しんでいる。
どうせスクーター乗りなんぞこだわりの塊、でも、それプラス「柔軟さ」をザキオ☆は楽しんでる。
時代は確実に動いている。
 
俺は自分のくだらない部分に気付いた。
ヒラサワ君のGPで走る姿。
ザキオ☆のDLを愛する姿勢。
全部俺の中にあるじゃねーか!
 
それはまだ死んでない。
 
俺はランブレッタが好きで好きでしょうがない。
好きすぎて、どうしようもないんだ。
 
 
つづく
2007.8.13
 
ザキオ☆&ジュンコ 平和の意味を込め 2004.9.11 に挙式

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