社会学演習2課題レポート
環境問題を考える際に誰もが思い付くのは、「宇宙船地球号」としての環境問題解決法である。すなわち、政治・経済など、我々の生活を支えるシステムがグローバル化するにつれて地球規模の環境問題が深刻になりつつある昨今、環境問題の原因・解決法を地球規模で考える手法である。確かに人類、そして地球の生命の存続を脅かす環境破壊が進行しているのは誰もが認めるところだが、それよりももっとミクロな環境問題も少なからず存在している。そのようなミクロ環境問題はマクロ環境問題に比べてより私たちの身近に存在し、それらの影響は私たちの気がつくレベルで進行している。実感がある分、それらの環境問題のほうがより認知されやすい。
本稿では、そのような「より身近に存在している」環境問題を、第5セメスターの課題レポートで取り扱った「受益・重苦」という2項関係を中心に据えて分析していく。特に注目したいのが、「そのような受苦が受苦者たちにとっては日常であり、同時に受益者たちの非日常である」という事例を考えていくことにしたい。もちろん、これらは何らかの形で常に存在している関係(受益者たちの日常として不適切なものをどこか他の場所で処理するという産業廃棄物の不法投棄問題でも、それによる大型車の交通の増加がもたらす騒音が日常化している…など、枚挙に暇がない)であるが、受苦の日常化はすなわち住民たちがそれを受け入れざるをえない状況が外部によってできあがり、そしてそれに対する視野を奪うことになる。住民たちはそれを当たり前と考え、その結果として運動が起こりにくくなる……という悪循環が発生し、結果としてそれが放置され、固定的な状況として扱われるようになってしまう。どこかでこのような受苦の増幅という悪循環を断ち切るための第一声を、誰かがあげなければ始まらない…それが環境問題の特性ではないだろうか。
以下に、そのような受益・受苦の関係が日常化しつつある事例を挙げていき、それらについて各々考察していこう。特に、そのような光景が顕在化しやすい公共事業としての大規模開発や、中央の大資本による開発などを中心にしていくことにしよう。また、それらを踏まえた上で、今日の環境問題のスペシャリストたるNGO/NPOについてのコメントも交えながら、議論を展開していく。
まず、鵜飼の報告した「観光地としての沖縄」、そして「米軍基地の存在している沖縄」についての検証を始めよう。沖縄は私たちの住む本土とは気候のみならずその歴史的背景も異なり(特に、沖縄が琉球王朝による独立国家であったことに注目しなければならない)、また、本土以上に長い間アメリカの占領政策を受けていたこともあり、開発、そしてそれによる環境破壊は複雑な経緯を持っている。
環境問題考える際に、それが近代化の一翼としての産業化(工業化)にその端を発しているというのはもはや自明のことであり、無論日本も、そして沖縄もその例外ではない。それまで独立国であった沖縄も、日本の近代化が起こった明治初期に日本に併合される。その後日清戦争で日本が勝利し、その結果台湾が新たな日本の領土として成立することとなったが、その後の沖縄は植民地である台湾以下の扱いを受けることになる。農業開発・研究を行う機関もなく(師範学校が置かれたのみ)、その独自性を活かすことが出来ないままであった。しかも、その後の第二次世界大戦による想像を絶する人的・物的被害により、またさらに占領政策による基地建設・農産物のモノカルチャー化(パイナップル・サトウキビ栽培)による自然破壊が発生し、それが沖縄の現在の姿であると、私たちには認識されているのではないだろうか。いわば沖縄は長い間(そしてある意味現在でも)植民地としての性格を脱却できずにいる。
そのような沖縄において行われる開発は、本土のカネが膨大に流れこむものである。それはいわば、自分たちのいいように沖縄を作ってしまうおうという姿であろう。新石垣空港然り、基地建設――先日も名護市長選挙が行われ、現職の基地推進派の市長が当選したが――然りである。本土で反対運動が展開されているような公共事業を、経済的な潤いを餌に沖縄で実施してしまおうという、ある種の優越感――本土が主体で、沖縄はそれを叶える従属的な立場であるとする考え――がそこから感じ取れる。
ここで問題になるのは、それが単なる「受益⇔受苦」という関係を越え、「受益⇔搾取」という形になっていることであろう。近代社会は沖縄の姿を「遅延」とみなし、その自然を省みることなく本土の中央集権的な力によって従属させ、その結果として沖縄の本土にない特有の豊かな自然を破壊し、一元的な姿に変化させていくという姿がある。近代産業社会――特に日本の場合はそれが顕著である――に特有の「一元化(画一化)」という姿を、沖縄の環境問題に見て取ることが出来る。「皆同じ」という形をもってよしとする構造が、環境問題にも少なからず現れている。
その極みとして、リゾート開発(「沖縄トロピカルリゾート構想」など)が挙げられる。沖縄を観光目的で訪れる人々にとって、かの地は「日常を脱却して羽を伸ばすための、南国の楽園」として考えられる。しかし、その実態は日本全国どこにでもあるようなリゾートホテル、ゴルフ場、ビーチなど、画一的なものが並んでいる。いずれも返還直後に実施された「海洋博」で本土に与えたリゾート先進地としてのイメージに加えて、沖縄が近代工業の発展から取り残され、さらに1985年のプラザ合意によって企業がより安い労働力で雇用が可能になる海外に進出していくこととなり(沖縄は日本の中でも労働賃金は安かったが、それでも世界的に見れば高い)、言うなれば工業化という意味での近代化に沖縄は取り残されていくことになる。モノカルチャー化による表土流出問題や補助金制度もあり、農業での生計を立てることが困難な以上、沖縄は観光によるアピールを選択するしかなくなってしまう(もちろん、沖縄の本来の環境を考えるとそれが適切ではあるが)。1987年のリゾート法・1990年の「沖縄トロピカルリゾート構想」により、恩納村のように先駆的に地元資本によって運営されてきたリゾートのみならず、本土資本による大規模なリゾート開発が行われることになるわけだが、そのようなリゾート地には少なからざる深刻な問題がある。一つは水不足の問題で、大樹規模なリゾート地を維持するためには安定した上水道の確保が必要となるが、大きな水源を確保するためのダム建設による山間部の森林破壊(そして村野かに水源の破壊)を引き起こし、その結果として水源の弱体化を巻き起こすという逆転現象が発生してしまう。山間部の少ない沖縄の人々にとって水源の確保は重要な問題であるが、その水源を破壊し、住民たちの生活を脅かすことになる。つまり、「息吹を感じられないリゾート地」ができあがってしまう。すなわち、住民の意思とは無関係に肥大してしまったリゾートが、やがてその地域を荒廃させてしまう恐れがあるということである。沖縄の経済が外部資本(その中には米軍基地によるものも含まれる)に頼らなければ維持できないほどに脆弱であることを考えれば、リゾート開発は本来住民に経済的な潤いを与えるべきものになるはずだが、経済的な潤いと引き換えに自分たちの生活の場を破壊されてしまうことになってしまう――そこにこそ、リゾート開発による環境破壊の本質がある。さらに、ホテルなどの高層建築物による日照権侵害、消防などの地元負担の増大など、様々な形でそれらのしわ寄せが地元に加わることを考えれば、これらのリゾート開発は地元住民にとっては受け入れがたいものになるといえるのではないだろうか。
これらの開発には、工業化できなかった沖縄においての、住民本位ではなく「近代化」本位という図式が歪んで現れた行政側のあり方が問われることになる。誰のためのリゾート開発か、そしてそれによる住民へ(そして環境へ)の影響を考えられないという、短期的な視点を持つある種の「利己性」がこの問題の根底にあるのではないだろうか。住民の生活を脅かすような開発は、ゆくゆくはそこにあるもの全てを破壊するまでにいたり、そのつけは我々に全て降りかかることになるだろう。従属的な土地の一方的な搾取がもたらす影響は、そこから収奪していたものにも多大な影響を与えることになる、いわば開発は「共倒れの危機」を根にはらんでいる。
ここでもう一つ、レジャーという形での(おもに農山村の)環境破壊――すなわち、地元民にとっての開発の意義が定かではなく、その結果として山村の意思が伝わらずに開発が強行された挙句、結果として環境が破壊されていた――の例を考えてみることにしよう。このような例として考えられるのが、豊かな森林に囲まれた過疎の村のレジャー地域・観光地としての開発であり、その下地にあるのが森林保全の問題である。
現代日本における森林破壊は、林業の壊滅に根底があるといっても過言ではない。日本の森林が何らかの形で人の手が入っている以上、それを保護するためには人の手をかけ続けなければならないが、過疎による森林保全を担うものの高齢化、そしてそれに伴う森林の放置が原因で、その役目をますます失っていく森林の姿が現状となりつつある。かつての森林の意識といえは、それ自体が一家の財産であり、また様々な形で恵みをもたらす、まさに「宝の山」であるという形で、世帯維持のための経済行為が森林保全と密接に繋がっていた(つまり、森林の恵みを持続的に採集するために枝打ちなどの作業を人為的に行い、それで落とした枝や間伐材などを薪として利用し、その結果として地面が整然となり、新たな恵みを得るための下地が人為的に出来上がっていた)が、それが行われなくなった背景としては、「輸入材のコストの低さゆえに国産木材の需要が落ち込み、もはや林業が生活の基盤として成り立たなくなっていること」「森林を維持する者の高齢化・村落の過疎化」による森林管理の困難さが考えられる。つまり、里山が生活の基盤から外れてしまっているということである。
しかし、そのような退廃的な状況において一縷の光となる運動が興った。そのようなコスト的問題に端を発する木材自給率の低下にも拘らず行われる林道開発に対する抵抗運動である。当初のそれはと市民(もちろん当該地域社会とのつながりはほとんどない)を中心としている情緒的な運動であったこともあり、またそれ自体が村落と森林の関係を見落としているものであったことや、抵抗型運動という性格上、一般(特に当該山村の住民)には浸透することはなかった。一方、その後登場した原生林保護運動では地元の人々の生活に立脚(森林を自分たちの生活環境を支えると同時に身近なものであると認識している点で、かつての運動と異なる)している点が、より強いリアリティを持たせているのだろう。
その一方で、新しい形での森林とのふれあいも生まれてきている。森林保全のために実際に現地に赴き、そこで「レクリエーション的性格」を持った上での森林保全作業を行うというものである。いわば、実際に何をやっているかということから森林についての様々な保全を実際に体験し、そこから森林の持つ意味を考えていくものである。私はこのような実際に何が起こっているのかを体験する試みが、環境問題において非常に重要な意味を持つことになると考える。後述の「環境問題の報道」に関する議論の節でもでも述べることだが、環境問題にはリアリティがない面とある面とが存在し、リアリティが実感されるのはこのような実際に「自然と触れ合うこと」体験することによるのがもっとも正確な事実を把握できるだろう。
もっとも、「同じ自然と触れ合う」といっても、ブラックバス・フィッシングのような生態系を人工的に作り変えたものや、あるいは人工的な空間が形成されているリゾート(ゴルフやスキーなど)は、果たして自然とのふれあいといえるのだろうか。私はそのように考えない。そもそもリゾート開発というものが「自然と切り離された」大都市圏の人々の癒しのために存在しているものであり、地元住民には何のメリットも及ぼさない(せいぜい雇用などで終わってしまうことだが、それも過疎の村の場合若年層が流出しているために困難である)――それどころかゴルフ場の農薬や、スキー場の騒音公害、バス釣りのポイントの漁業被害などをもたらす――こと、そして資本が外部企業であるゆえに所得が地元に還元されず(その多くが域外に還元される)、また土地や水源を奪われることによる農林漁業の解体などを引き起こすことを考えると、リゾート開発はまさに地元を考えない開発であり、それは該当地域を破滅に追い込むものである。
本文中で出てきた猪苗代・磐梯山周辺の開発を見てみると、その開発は産業界のみならず国是として行われてきた、いわば中央の意思をそのまま反映した形でのリゾート地となっている。その証拠の一つが高速道路(磐越自動車道)の開通である。磐越道は現在いわき――新潟間が全通しているが、開通時期はまちまちで、まず磐梯熱海(1992年)まで、次に猪苗代・磐梯高原まで(1993年)という具合に段階を経てきた。この順番が問題で、猪苗代・磐梯高原は東北自動車道から高速道路を降りずに直通で入ることが出来るようになったのが、磐越道の開通の歴史から見れば初期になる。つまり、何らかの形で磐梯山開発に政府・行政の意思が絡んでいることがわかる。
ところが、それによって呼び込んだ観光客が増えるにしたがって、建設の土砂や、あるいは観光客が宿泊施設などで出した汚水が裏磐梯の湖沼に流入し(=結果として観光の目玉である湖沼を汚染することになる)たりという形で、観光開発が逆に観光地を破壊するという現象が発生してしまう。観光業者も観光客も、自分たちが観光地を失う行為に荷担していることには気がつかないまま、裏磐梯はその観光地としての性格を失っていくことになってしまうのではないだろうか。観光産業の背景には、このような自己破壊という形が少なからず見られる。生活のため以上に環境に手をかけ、それをもって自然とのふれあいという「環境共存」と銘打つ行為は、実際は環境に過剰な負担を強いることになり、それは己の首を締めることになってしまう。いわば、開発の副作用が強く出てしまった形である。
市民活動のみならず、環境問題や民族問題など、「人々のいざこざ」が絡む問題におけるNGO/NPOの役割は、切り離すことの出来ないものとなりつつある。先日のアフガニスタン難民問題でも国家以上に積極的な役割を演じていたのがNPO/NGO組織である。
しかし、これらの組織にも必ずしも問題がないわけではない。これらの組織は何らかの形で「受苦」を経験している人々を支援する――そのために様々な形で「法人」としての制度的優遇を受けることができる――というのがそもそものNPO/NGOである。法人としての形をとるには、要するに国家に対する発言権の確保である。そして、国の垣根を越えた活動と「ネットワーキング」を通じ、今や世界の社会変革性を担うものとしての役割が確固たるものになろうとしている。
しかし、ここで一つ問題が生じてくる。それは、「NPO/NGOの真理性」である。各国政府や国連の決議を監視し、それに様々な形で圧力をかけるのがNPO/NGOの役割ではあるが、その一方でNPO/NGOの活動に対する監視は一体誰が行うべきなのだろうか。もちろん各国政府や国連が待ったをかけるということになるわけだが、組織性に反してNPO/NGOの方が現在は社会的に受け入れられやすい状況となっていることを考えると、NPO/NGOを支持する人々は圧倒的に多い。日本はまだNPO/NGOがいわば発展途上の段階であるが漸く認識され始めている。ところが、そのようなNPO/NGOが力を持つことで、政府以上の圧力を持ち始めることで、彼らの活動が私たちから切り離されることになりはしないかという懸念がある。このような現象を、私は「ウルトラマンの逆理」と名づけている。ウルトラマン(NPO・NGOの比喩)は凶悪な怪獣(各国政府や国連の比喩)と戦い、そして勝つのだが、その時に怪獣の出す被害だけを問題にしてはならない。ウルトラマンも被害を少なからず出している。つまり、NPO・NGOの圧力運動や規制運動によって生活に支障が出る人も少なからずいるということを忘れてはならない。5セメスターのレポートで取り上げた捕鯨問題などがその例であり、世界の多数の基準で少数の意見を封じてしまうという姿勢がNPOに感じられることがある。環境問題にとどまらず、NPO/NGOには意見を積極的に提起する強さと同時に、そのような少数の意見にも耳を傾ける謙虚さが欲しいと私は考える。
この項で取り上げるのは、松村の「『サービス』として消費されるレジャー」の視点における大衆文化としてのメディアの問題だけにとどまらず、環境問題の報道に関してのメディアの姿勢についても取り上げていくことにしたい。
ゴルフやスキーなどの「雄大な自然」に囲まれて行うスポーツのイメージが格好いいというのは、テレビのコマーシャルなどがそのようなイメージを一般に伝えたのが始まりである。その下地には当時の通産省の「スポーツ産業研究会」がスポーツ振興のための政策立案を目指したことがあった。当時のスポーツ消費の伸びを利用し、内需を拡大するために消費を煽ることを「スタイル」という形と共に定着させることで、産業の活性化を図ろうとしている姿を見て取れる。いわば、記号としての自然を消費することが美徳とされるのがリゾート開発であり、レジャーである。
その一方で、本来の意味での環境問題には目を向けてこなかった歴史がある。環境問題をメディアが報じたのは明治期の足尾鉱毒事件までさかのぼる。それとて、事件が発覚してから20年が経ってから――その時には既に公害が深刻化していた――のことであり、決して素早い報道とは言えない。戦後の高度成長期にも、当時の世相を反映してか、公害問題がマスメディアに登場することはほとんどなく、その結果として公害問題に対する視点を提示することなく、深刻化させてしまった。1960年代からの4大公害で漸くメディアの側もそれを認識し始めるに至ったわけだが、その後の地球温暖化に関する認識が学会で一般化したことをきっかけにして、メディアが環境問題を取り上げるようになる。
いずれにせよ、私たちの環境保全の認識において重要な働きを持つものがメディアであり、それは三上らの調査によって明らかになっている(三上 [2001])。そのようなメディアと共生関係にあるのが先に述べた「グリーンピース」などの環境NPO/NGOである。マスメディアの情報は彼らに依存していると同時に、環境NPO/NGOにとっては自分たちの活動をアピールするためにマスメディアを利用するという状態がほぼ完成されているといえよう。しかし、ここでも第3節で述べたような「NPO/NGOの信憑性」の問題が考えられる。確かに環境問題の専門家が集まっている環境保護団体も多く存在することは事実であるが、それでもなお主張が正しいとは限らず、何らかの形で間違ったデータが使われるなどの誤謬が見られないとは限らない。それゆえ、何らかの形で追調査を施し、「まことに正確な」情報を提供する必要がある。もちろん逆もまた然りで、政府側の情報だけを報道するのでは間違いが起こる可能性が往々にしてある。「所沢ダイオキシン問題」を、ちゃんとした形で報道なかったテレビ朝日「ニュースステーション」は、その点で「葉っぱもの野菜」などの曖昧な報道をせず、正確な品目を挙げて対処すべきだったのではなかろうか。