98/5/31更新
9月6日
辛抱にも限界というものがある。
この雨はいったい何なんだ!
ぼくは海の底をバイクで走っているような錯覚に襲われた。
オープンフェイスのヘルメットはシールドをはずしてある。
あまりの雨でシールドをつけていると前が見えないのだ。
だが、今度は鼻、口に飛び込んでくる雨のため、溺れ死にそうな気配だ。
しかたなくスピードを落として呼吸を確保するが、今度はぼくを追い抜いていく車の跳ね上げるしぶきが怖ろしい。
どこか雨をしのげる場所が在れば...そう思いつつ、ぼくはバイクを走らせていた。
前方にドライブインが見えてきた。
『白糸の滝』と書いてある看板が見える。
ぼくは国道からそれて『白糸の滝』観光街へとバイクを向けた。
ほどなく土産物が並ぶアーケード街になった。
今日はここで雨をしのごう。
ぼくはアーケードにバイクを止めると、行き交う観光客の目を気にしながら、濡れた服を脱いだ。
バックの中から乾いた服を出して身につける。
これでやっと一息つけた。そとは凄まじい豪雨。
白糸の滝の地響きのような音と雨の音であたりは耳をつんざくばかりの喧しさだ。
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夜のとばりが降りる頃になると観光客の姿は消え、土産物屋も次々とシャッターを下ろす。
薄暗いアーケード街を、一人所在なくぶらぶら歩く。
標高が高いせいかかなり寒い。ぼくはスキーウエアを着込んでいたが、それでも背筋がゾクゾクする。
いつの間にか雨は止んでいた。
ぼくは一軒の土産物屋の軒先にテントを張った。
許可を得るため声を掛けた店のおばちゃんは、
「構わないけど、あんたこんな所で寝たら凍死するよ」
と冗談とも本気ともつかない不気味な言葉を残して帰っていった。
ぼくはアーケードに全く人影が無くなると、テントから抜け出し、辺りを少し探索してみた。
土産物屋の脇に下り階段がある。
懐中電灯で確かめながら怖々降りていくと、そこは6畳ほどのスペースになっていた。
丁度、土産物屋の真下になる。一方は切り立った絶壁(一応粗末ながら柵がある)。一方は打ちっ放しのコンクリートだ。
なんか、アーケードの大通りにテント張るより、こっちのほうが落ち着きそうだ。
ぼくは早速テントを移動した。
テントの中に入って横になると、思っていた以上に滝の音が凄まじい。
腹に響くゴゴゴゴゴ...という音。少し、いやかなり恐怖心を煽る。
思えば、テントの膜一枚隔て、さらに粗末な柵を越えれば、そこは切り立った崖だ。
眼下には怒濤の川の流れ。数十m下れば、でっかい滝に流れ着く。
寝ぼけてテントごと、落ちないとも限らない。
やっぱりやめよう。
ぼくは再びテントを上に引き上げた。
PM10:00
ぼくはテントから300m程離れたドライブインにいた。
地元の暴走族が何台か集まっている。
長い旅の最後の夜。
ぼくは気がたかぶって、眠る気になれなかった。寒くて眠れないというのもある。
「すいません、山中湖はどっちなりますか?」
ドライブインのコンクリートの縁石に腰を下ろしぼんやりと考え事をしていたぼくに、中年の男性が声を掛けてきた。
「この139号を真っ直ぐ行ってもいいけど、それより富士スカイラインを使ったほうが早いかな...ああ、でも夜は通行止めかも...」
「そうですか。じゃあ、今夜はここで夜を明かすか....」
男はワンボックスカーで日本一周を旅しているという。
助手席には10歳ぐらいの女の子。男の娘だ。
もう9月だ。小学校なら2学期なはずだから、自主的に休学中と言うことか。
男は外は冷えるからどうぞと、ぼくを車の中に招き入れてくれた。
「恥ずかしい話、女房に出て行かれちまって、娘と二人きりなもんで...」
男は自分の身の上をぼくに話して聞かせてくれた。
「ねえ、お兄さん。女っていうのはね、理屈じゃないんだよ」
男は言った。
「俺はこの娘が生まれたとき、それはもう目茶可愛がりしたもんさ。俺にとっちゃ、この娘に注ぐ愛情がそのまま女房に対する愛情のつもりだったんだ」
ぼくは無言で頷いた。
「だけどね、女にはそれがわからないんだ」
「はあ」
「ねえ、いいかい?事もあろうか、女房のやつはこの娘に嫉妬しちまったんだよ。私を取るか、この娘を取るか、どっちかを選びなさいっていわれて−−−−結局、このざまさ」
男は肩まで掛かる髪を掻き上げた。年の頃は40ちょい前というところか。
「いいかい?もう一度言っておく。女はね、男の理屈なんてこれっぽっちも理解していないんだ。愛しているならストレートにそれをぶつける。それしかないんだ」
ふむ....その通りだ。
好きならば抱きしめる。嫌ならばつきはなす。
まあ、それができれば苦労はしなかったんだけど。
うーん、それにしても旅っておもしろい。毎日必ず何か事件や出会いが待っている。
わくわくドキドキのしっぱなしだ。今日も今日とて、おもしろいおっさんに出会ったものだ。
この人、かなり変わってる。
98/6/7更新
「えー、お兄さん恋人いるのにふた月も旅しているの?」
男は、ふんと鼻で笑った。
「それは恋なんてもんじゃないね。本当に好きあっている二人なら1秒だって離れていられないもんさ。そうじゃないかい?」
そうなんだろうか?
でも、それはたくさんある恋人達の形の一つにすぎない。
ぼくらの関係はとても複雑で、とてもそんなふうに単純に考えることはできない。
ぼくらは、ぼくらのスタイルで自分達の関係をつくっていく。
そうだよね?
でも、ぼくは何も言わずに黙っていた。
男は彼の持論を延々と語り続けた。
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深夜1時。
ぼくらは未だ眠らずに、会話を続けていた。
といっても、男の一方的な話を、ぼくがずっと聞いていたと言った方がいいけど。
やがて、人気のないドライブインの駐車場に一台のスカイラインが入ってきた。
おや、とおもって見ていると、やがて、車から一組のカップルが降り立った。
暗くてよく見えないけど、かなり若いカップルだ。
二人は、白糸の滝の滝壺に向かう遊歩道に消えていった。
「何でしょうね?」
「うん。こんな時間に何しに行くんだろう?」
ぼくらは、しばらく彼らの消えていった闇に目を凝らしていたが、やがてまた、会話の続きに戻っていった。
それから1時間ほどが過ぎた。
「ちょっと長いんじゃないか?」
男が言った。
「さっきの二人?」
「ああ」
確かに、こんな冷える夜に薄着で1時間も何をしてるのだろう。
車はまだ停車したままだ。彼らは戻ってきていない。
「ちょっと心配だな」
「そうですか?」
「だって、長いぞ」
もし、恋人達だけのごく親密な時間を過ごしているのだとしても、この寒さだ、ちょっと尋常じゃない。
「行ってみるか?」
「え?」
「探しにだよ。もしかしたら、何だぞ」
「はあ...」
男は名古屋人だった。総じて名古屋の人はお節介焼きだったりする。
結局男に促される形で、ぼくらはカップルを探しに行くことにした。
娘はうしろのベンチシートでぐっすり眠っている。
遊歩道はおそろしいほど暗かった。
自分の足下もろくに見えない。
滝のゴーという音が闇の中に鳴り響く。
男を前に、ぼくは後ろに、慎重な足取りで下っていく。
ときおり、怖くなって後ろを振り向く。
白糸の滝といえば心霊写真で有名な霊スポットだ。
ぼくは「南無...」と口の中で唱えた。
やがて、遊歩道の終点に辿り着いた。
「あれっ?ここで終わりだ」
男が言った。
暗くてよく見えないがここが滝壺らしい。
すごく寒い。
「いませんね」
「ああ。すれ違わなかったよな」
「勿論。あんな細い道ですれ違えばすぐわかりますよ」
「じゃあ、どこ消えちゃったんだろ?」
「確かに」
「変だなあ」
多分、二人はその時、同じ事を考えていた。
手に手を取って、入水する若い男女...
「まさかな...」
「そうですよ、多分、暗くてわからないけど、まだどこかに抜ける道があるんじゃないですか?」
「そうだよな」
結構、土壇場になると男はいいかげんだったりした。
ぼくらは、来た道をそのまま引き返した。
結局、その夜は貫徹したが、朝まで彼らは戻ってこなかった。
と、いっても、4時過ぎぐらいに出発してしまったので、その後に戻ってきたのかもしれない。
あるいは永遠に戻ってこなかったのかもしれない。
それは分からない。
「じゃあ、彼女に宜しくな」男が言った。
「ばいばい」
娘が手を振った。
ぼくも手を振り返す。
彼ら親娘は何処まで、何時まで、旅を続けるのだろう?
彼らにゴールはあるのだろうか?
様々な理由で日本を一周する人間がいる。
その出会いが、たまらなくおもしろい。
98/6/14更新
9月7日
ぼくは富士の樹海を貫くアスファルトの上をバイクで走っていた。
気温は低く、空は鉛色の雲が低く垂れ込めている。
まだ、朝早いせいか行き交う車もなく、あたりは静かだ。
ぼくはアクセルを戻し、バイクの速度を落とした。
何かが気にかかった。
何かは分からない。予感とか、胸騒ぎとか、そんな感覚だ。
ぼくは完全にバイクを止め、耳を澄ませてみた。
静寂が辺りをつつんでいる。
30mほど先に樹海の奥へと続く林道の入り口が見えた。
ぼくは随分と長い間考えていた。
でも、多分、最初から答えは決まっていたのだ。
ぼくはヘルメットをかぶり直すと、キーをまわし、ランプを確かめてから、ペダルをキックした。
クラッチを滑らせ、ぼくはバイクをゆっくりと発進させた。
林道がぼくを待ってる。
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まるで獣道のようだった。
林道は樹海の奥深くまで続いている。
夕暮れのように薄暗い世界だ。
しばらく行くと、倒木が道をふさいでいた。
ぼくはバイクを降りて、自分の足で更に奥へと歩いていく。
恐怖心はなかった。
ただ、あるのは微かな予感。
冷たい空気がぼくの肌を刺す。
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もう、どのくらい歩いたろう、ぼくは樹海の懐深く入り込んでいた。
そして、ここがぼくの目的の場所だった。
それは、苔生す巨木の足下に置かれていた。
きちんと揃えられた、黒いローファー。
そして、きれいにたたまれた詰め襟の黒い学生服。
それを見つけた瞬間、ぼくは少なからず衝撃を受けた。
だが、あれほど臆病だったぼくなのに、何故か恐怖心はなかった。
ただ、感じたのは「彼」に対する共感と哀れみ。
「彼」がぼくを呼んだのだろう。予感の正体は、これだったのだ。
ぼくらは共に苦しみ悩んでいた。
でも、とぼくは心の中で呟いた。
ぼくはきみとは違う。ぼくはぼくを待つ人のもとへ帰るよ...
きみとは、ここでおさらばだ。
ぼくは巨木に背を向け、再び元来た道を戻り始めた。
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風が、
風が吹いていた。
樹海の木々がざわめく。
ぼくは目を細め、見えるはずのない10マイル先の風を見つめていた。
続く。