10マイル先に吹く風 VOL3
- 97/10/18更新
- 3回目のコールが途中で途切れ、電話が繋がった。
- 「もしもし、五十嵐ですが 」
- 声は彼女だった。
- 「もしもし、俺、井上」
- 「井上君?!」
- 「そうだよ、久しぶりだね」
- 彼女は答えない。
- 「どうした?」
- 「だって...何だか...井上君、何も言わないで行っちゃうんだもん」
- 彼女の声が微かに震えている。
- 「ごめん...」
- 「心配したよ、とっても」
- 「ああ、うん...」
- 「今、何処にいるの」
- 「いま?いまは...電話ボックスの中」
- 「ねえ、井上君?」
- 「ああ、ごめん。今いるのは犬吠崎の近く」
- 「じゃっ、もう帰ってくるの!?」
- 彼女の弾んだ声が響く。
- 「いや、あとまだ一月ぐらいは帰らないつもりなんだ」
- 電話線の向こうで彼女が黙り込む。
- 「もしもし、五十嵐さん?」
- 沈黙。微かに彼女の息遣いが聞こえる。
- 「もしもし、もーし、おおいっ」
- 彼女は何も言わない。
- 「ねえ、五十嵐さん。手紙読んでくれた?」
- 「読んだわ」
- 「ああ、まだ、繋がってた。良かった」
- 「ねえ、井上君」
- 「はい?」
- 「会いたい。会って井上君にも私の気持ち聞いてもらいたい」
- 「でも、俺はまだ帰らないよ」
- 「私たち、これ以上離れてちゃいけない気がするの」
- そんなこと言われなくても分かってる。分かっているけど...
- 「私、井上君に会いに行く」
- え?
- 「会って、私の気持ち聞いてもらう」
- 「本当?」
- 「うん」
- 「けど...」
- 「何?」
- 「なんか、本当かな?」
- 「本当って?」
- 「なんか、今までの五十嵐さんじゃ無いような感じがするよ」
- 「私は私よ。それもとびっきり自分に素直な私だわ」
- 「そう?」
- 「そうよ」
- 「ならいい」
- 「うん」
- ぼくらは一週間後に信州で会う約束をした。 でも...
- でも、本当かな?信じられない。だって、ぼくらはもう...
- 8月8日
- 出発から15日ぶりに再びぼくは国道17号を北上していた。
- 一度だけ、彼女がイントラをしているフィットネスクラブに再接近したときだけ、ぼくは彼女に会いに行こうか迷った。でも、やっぱり約束の日までは会わないほうがいい。
- 一度決めた約束は尊重すべきだ。
- 高崎で17号とは別れを告げ、そこから18号で軽井沢に進路を取る。
- 横川の釜飯に後ろ髪を引かれながら、ぼくは碓井バイパスにバイクを乗り入れた。
- 悲鳴を上げるエンジンをなだめすかしながら、少しずつ高度を上げていく。ギヤは時にセカンドまで下ろさなくてはならなくなる。
- (空気が...)
- 気がつくと空気が変わっていた。ここはもう、高原だ。
- やがて峠の表示が見えてきた。そこに一台のXL200が停まっている。ぼくはバイクを減速させ近づいた。
- 「よおっ」
- 路肩に腰を下ろし、缶コーラを飲んでいた青年が立ち上がり声をかけてきた。
- 「久しぶり」
- 彼は高校時代からの友人だった。小林了という。
- 「真っ黒になったな、なんか精悍な感じだぜ」
- 「まあな、もう半月もバイクで走ってるからな」
- 「俺もこの8日間で焼くぞ」
- ぼくらは彼の夏休みに合わせ、8月15日まで2人でつるんで能登を周る約束をしていた。
- 97/10/25更新
- この日二人は能登までの中間地点、野尻湖のキャンプ場に野営した。
- 「すっげー、なんて豪華な食事なんだ!」
- 「こ、こんなんでかよ?」
- 「お前にこれまでの俺の食生活を見せてやりたいよ。涙無くしちゃ見れないぜ」
- 「まあ、俺と一緒の間はリッチにやっていこうぜ。ばっちりスポンサーになるからさ」
- 「おお、嬉しいね。でも、程々にね。贅沢癖がつくと、あとが辛いから」
- 「くっ、しらけること言うなよ。まあ、いいけどさ」
- 8月12日
- 小林との能登を巡るツーリングは最高だった。何と言ったって、金の心配がいらない。
- どんな絶景でも腹は膨れない。やはりツーリングを盛り立てるものは、その軍資金だ。
- この日、ぼくらは和倉、能登島と快適にバイクを走らせていた。
- 輪島では何とホテルの温泉にまでつかった。
- 温泉!!
- 旅に出て初めて首まで湯につかり、上機嫌になったぼくはさらに夕市で仕入れたサザエに必殺の後ろ回し蹴りを喰らい、ノックアウトされてしまった。
- 「うまい!!」
- 「っく、泣けてくるね」
- 二人は夜の輪島の海岸でサザエの壺焼きを肴にワインを飲んでいた。
- 「あー、こんな旅なら一生していたいな」
- 「全く...でもあと二日で終わりだ、俺は」
- 「淋しくなるな」
- 「お前のふところが、だろ」
- 「確かに」
8月12日
- 輪島での超ゴージャスな夜の翌日、ぼくらは海岸沿いの有料道路を七塚へと向けて走っていた。
- 延々と続くマリンブルーの海。それを縁取る白い波。
- ぼくらは、ねっとりとまとわりつく空気を切り裂くようにバイクを走らせながら、てんでんに大きな声で歌を歌い続けた。
- この日の気温は37度まで上昇した。
- 8月13日
- 昨夜は吉野谷でキャンプをはり、明けた今日は二人の最終目的地、諏訪へと向かう。
- 大野から白鳥をぬけ高山へ、そして恐怖の乗鞍越えだ。
- 標高1800mの峠は気温も低く、空気が薄いため、バイクは80の老人のように頼りない足取りになる。おまけに渋滞がひどい。まるで日本中の車が乗鞍岳を目指してきたみたいだ。
- それでも、夕方の5時には何とか上諏訪の駅に辿り着くことができた。
- 明日、ここに彼女が来る。きっと...
- ぼくらは県道に入り、霧ヶ峰のキャンプ場へ向かった。
- 330キロのきつい行程を終え、二人は最後の晩餐の用意をととのえた。
- 「最後の夜だ、乾杯しようぜ」とぼくが促す。
- 「よし、何に乾杯する?」
- 「じゃ、この目も眩みそうなほどの夜空に乾杯!」
- 「もう、酔ってるのかよ?」
- 「いや、まだ」
- 「よく素面でそんな科白吐けるな」
- 「変かなあ?」
- 「ああ、ちょっと背中が痒くなる」
- 「じゃあ、あらためて」
- 「おう」
- 「君の瞳に映る星たちに乾杯!!」
- 「首筋まで痒くなってきた」
- とにかく、二人はそれぞれの手に持ったアルミのコップをぶつけ合い乾杯した。クンと鈍い音が微かに響いた。
- 「でも、本当に凄いな、この星は」
- 「ああ、こんなのは俺もはじめて見た」
- 「やっぱ、標高のせいだろうな」
- 「ああ、きっとそうだ」
- 「流れ星がぱらぱら降ってくる」
- 「ぱらぱらか...いいね」
- まわりにもキャンパーは少なからずいたが、皆おとなしい。
- ぼくらの耳に届くのはランタンのガスが燃える、低いコーという音だけだ。
- 「実は、明日、上諏訪の駅で五十嵐さんと待ち合わせしているんだ」
- ぼくは何気ない調子で小林にそう告げた。
- 「五十嵐さんと?」
- 「ああ」
- 小林は、しばらく天を仰いでいたが、やがて俯くと、小さく、クックと笑った。
- 「何だよ?」
- 「いや、なるほどね。そういうことか」
- 「何が?」
- 「うんうん、いいことだ。俺はまた、二人はもう...」
- 「だからさ、わかんないんだよ、本当に来るのか」
- 「でも、約束したんだろ?」
- 「ああ」
- 「なら来るよ。彼女は約束を破るようなこじゃない」
- 「けどね」
- 「あのな...」小林は何か言いかけたが、途中で口をつぐみ、再び天を仰いだ。
- 「明日になれば全てわかるさ」
- やがてぽつりと小林が呟いた。
- それから間もなく彼は低い寝息を立て始めた。
- ぼくは一人、岩に寄りかかり夜空を眺めた。そして無数の瞬く星を眺めながら裕子のことを考えた。
- ぼくは一度だけ、今回の旅を彼女にほのめかしたことがあった。
- あれは、陸上競技場のスタンドに通じるコンクリートの階段に二人腰掛け、やっぱり今みたいに夜空を眺めていたときだった。

