愛知県岡崎市/幸田町/三河仏壇/仏壇アート/悪匠
三河仏壇職人集団
アートマン ジャパン
仏壇ニューヨークへ行く (2/10)
時間は少しさかのぼり、6月の中旬。僕はNYの景気付けにと東海地区最大のアートイベント「クリエーターズ・マーケット」に出展しました。作品のクオリティにおいてダントツでグランプリ間違いないと思っていたので、ドキュメンタリーの映像に花を添える為に参加を決定しました。実は6月中は僕の家から車で5分程の所にある「本光寺」の宝物館内で週末のみ1ヶ月間個展を開催していました。忙しい合間をぬっての参加。無理はダメですね。作品を生かす展示ができずにグランプリを逃してしまいました。何の為の参加だったのかなぁ。
このクリエーターズ・マーケットは新たなトラブルを生む事となりました。それも予想もしなかった大きなトラブルを。
ドキュメンタリー番組のディレクターとNYのグループ展を企画していたギャラリーを会場で初めて引き合わせる事にしたのです。NYは9月初旬の開催だったので、そろそろ具体的な内容を煮詰めないと思っていました。ですので会場に二人を同じ日に呼ぶ事にしました。まさかと思っていた事をギャラリーの口から聞く事になったのです。「まだ会場を正式に押さえられていない」。会期が2ヶ月半に迫った頃でした。僕よりも番組ディレクターの顔が青くなっていました。
そしてクリエーターズ・マーケットから3週間後、正式に9月のグループ展の中止を伝えられました。それはニューヨーク個展を開催する2ヶ月前の事でした。
この大事な事態を僕は誰にも相談できなかった。沢山の事が動き出してしまっていた。ドキュメンタリー番組、新しい作品製作、何よりも皆の楽しみにしている思い。それを潰してなるものか。
1つだけ思っていた事がある。「必ずニューヨークへ僕はいける」っていう事。時間は2ヶ月しかないが、広いニューヨーク、どこかに空いているギャラリーはあるはずだ。いろいろな人脈とネットを使ってニューヨークの貸しギャラリーを探しました。中止を告げられた数時間後、ネットである貸しギャラリーを見つけました。「ギャラリー・シーズンズ」。一か八かでメールを送る事にしました。他にも数件見つけましたが、緊急自体にもかかわらず、何故か僕がメールを送ったのはここ一件だけでした。
誰にも言わないつもりでしたが、番組ディレクターには正直に伝える必要があると思い、次の日に電話で伝えました。今回の番組タイトルは「仏壇ニューヨークへ行く」、ニューヨークに行くか行かないかが微妙では番組自体の製作に影響があるので、1週間以内に会場が見つからなければ番組は中止にすると告げられました。それは彼女の意見ではなく、上司の意見。それを僕に告げる彼女の声が深く沈み悲しげだったのを今でも覚えています。しかし、彼女の声が明るく弾んだ物に変ったのは、何と次の日でした。「ギャラリー・シーズンズ」からメールの返信があり、快く会場を貸してくれると書いてありました。実はこのメールを開くのが恐くて中々クリック出来なかったんです。つい最悪な結果が頭をよぎってしまい、人さし指を躊躇させていました。メールの内容を読み、1分後には携帯電話で彼女に伝えていました。グループ展が中止になってから、たった3日で会場をおさえる事に成功しました。僕達の進む先にあった壁が取り除かれ、初めてしっかりとしたニューヨークへの道が見えて来ました。
ほっとしたのは本当に束の間でした。グループ展から個展に変ったという事はギャラリーがやるべき事全てを僕がやらなければいけなくなったという事に直ぐに気がつきました。個展の告知、案内状の作成、作品の輸送などなど。いったいどうやれば良いのか全く検討もつかない。特に今回は初の海外個展、心配事はつきません。こんな時に人との繋がりが僕を助けてくれました。
人との出会いってのは全てが必然で起こっているのかもしれません。僕が誰かの助けになったり、もちろん誰かが僕の助けになったりします。僕が苦労していると知って、多くの人が手を差し伸べてくれました。
輸送に関しては僕の大学時代の友人が船会社で働いています。彼がニューヨークにも支店のある海運会社を紹介してくれました。書いた事もない関税の書類などは彼が仕事終わりに僕の所へ駆け付けてくれて、一緒に製作してくれました。彼がいなかったら輸送なんて出来なかったかもしれません。おかげで8月13日に出港するNY行きの直行船に荷物をのせる事ができました。NYに到着予定が9月9日、税関の事も考えると個展初日の19日には十分間に合う計算。心配事は作品が壊れないかだけとなりました。
次に個展開催を告げるチラシ(フライヤー)の製作。僕は平面のデザインが苦手でして、どうしても作り出す物が素人っぽい物となってしまいます。思いきってチラシ製作をネットで公募する事にしました。製作のギャラは食事をおごるだけ。そんな条件でも数名が手を上げてくれました。ありがとうございました。僕では作る事のできないハイセンスなチラシが完成しました。作者は個展のオープニング・パーティでダンス・パフォーマンスをしてもらうスカラさん。彼女の独特な世界観は僕達アートマンとクロスオーバーするのかな、ど真ん中な表現をチラシで見せてくれました。
告知に関しては中々十分にはできなかったです。でもmixiで知り合いになった友人がニューヨーク在住の人を紹介してくれたり、またその方が友人を僕に紹介してくれたりして、いろいろな所へ広がって行きました。また運良くニューヨークの日本人向けの情報誌に僕達の事を取り上げてもらえました。もちろん、個展の事もばっちり載せてもらいました。ニューヨークの日本人社会へは結構PR出来たかもしれません。問題はアメリカ社会へのPR、アメリカ人のアートディーラーを紹介してもらいましたが、言語と僕の忙しさが壁となり中々連絡がとれずじまいでした。悔やまれるのは僕の行為。ニューヨーク個展を何よりも優先するべきだった。でも出来なかった。責任感が僕に欠如していれば、もう少し手を抜く事ができれば、全ては「たられば」の事。ニューヨーク個展の前に全力で取り組まなければいけない大事な行事があったんです。それがトライアスロン大会の運営。この大事な年に僕は地元の商工会の青年部長に就任していたのでした。
個展の約2週間前に開催されるトライアスロン大会、日程は1年前に既に決定していました。250人の参加選手、180人のボランティアスタッフ全てを取り仕切るのは青年部長の役目。また会場の設営も僕ら青年部員が全て執り行うので、かなり大変な行事です。大会を入れて4日間は完全に拘束されてしまいます。もちろん、見えない所でプレッシャーもありました。このイベントが終わった時、僕は体力的にも精神的にもクタクタな状態になりました。でも休むわけにはいきません。疲れで中々、集中力が維持できないので、1時間おきに休憩をとったりしました。少しでも前に進む。NYに行くまで残り10日しかなくなっていました。
もう1つ、僕を悩ませていた事があります。7月頃からぴたりと仏壇が売れなくなった事です。売り上げは年々落ち込んでいましたが、ニューヨークで経費が必要なこの時期に最悪な状況となってしまいました。店の経営が苦しい中、唯一の若い働き手の僕が2週間も仕事を抜ける事で両親に多大な負担をかけてしまう。毎日、仏壇が売れる事を願いましたが、出発当日まで願いが叶う事はありませんでした。元々、仏壇が売れるようにと新たな試みとしてアート的な仏壇を製造しはじめました。活性化を起こすどころか、経営を悪化させてしまっています。活動も無理をしすぎたのかも。ニューヨークの結果次第では活動を自粛せざるをえない。ここまで全速力で走って来たのだからね。頑張った人が全て成功するわけではない。だけども、頑張ったのだから成功したい。気付くとアートマンの個展が決定してから、一度たりともゆっくりと眠れた日はなかった。まぁ、今までそれだけ僕はお気楽な生活を送って来ていただけかもしれないが。
製作が遅れていた新作もニューヨークへ行く1週間程前に無事に完成しました。あまりの美しさに製作した僕達が度胆を抜かれた程でした。手前味噌になりますが、正直、ギャラリーに展示するよりも美術館の方が似合うと思う程、気品のある作品に仕上がりました。僕達は後世に名を刻むような作品を産み出してしまったかもしれません。美しさに目を奪われた僕達は1時間程何もせずにただ眺めていました。僕だけはこの美しい作品を傷つけない梱包方法を頭の中でシュミレーションしていましたが。
梱包するシーンも撮りたいという我がままなディレクターのスケジュールに合わせてニューヨークに旅立つ2日前にやっと梱包する事になりました。
今回の作品も伝統の工法できっちりと製作しています。ですので通常の仏壇と同じく分解できます。最初から梱包の事を考えて4分割にできるように組立をしました。土台部分、1階部分、2階部分、そして屋根。大きさの制限もあったのでなるべくコンパクトにする必要があった事と小さい方が持ち運びが便利だったので、先の事を見越して分解して梱包する事にしました。
更に重要な事がありました。飛行機の手荷物として持っていく事にしたのでなるべく軽い材料で梱包しなければなりません。オーバーチャージなったら軽く数十万円しちゃうって噂を聞いていたので、かなり重さにはナーバスになっていました。なので梱包材は薄いベニヤ板と段ボールを使用して極力軽量化、そして頑丈にしました。おかげで梱包に時間がかかりましたが、我がままなディレクターも使って綺麗な梱包ができました。余程の事さえなければ壊れる恐れはありませんが、どうしてもトータル40㎏にはなってしまいました。後は皆の手荷物の重量次第となりました。この重量を巡って出発前夜メンバー全員が大慌てする事となりました。
数日前からニューヨークに持っていく荷物を用意しているメンバーなどいなく、皆の荷物の重量を確認できたのは前夜の9時頃でした。40㎏くらい何とかなると思っていたが、全てを合算したら間違いなくオーバーチャージになる重さ。ディレクターも含めた全員に重量を軽くさせる命令を出し、自分の手荷物も10㎏程減らす事にした。2週間滞在するのでどうしても持って行きたかった「さとうのごはん」もやむなくスーツケースから出す事となった。あまりのバタバタでニューヨークで梱包する時に必要な工具を忘れる程だった。結局、正確な重さが分らないまま次の早朝に空港へ向う事となった。後は神頼み。
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