彼女がはしゃいだ声を上げる。俺はげんなりと立ち止まった。案の定だ、細々したものを売っている店先で彼女は、なにやら品定めを始める。
「あぁ、これ可愛い、それともこっちがいいかなぁ、セイはどう思う?」
俺の目にはどれも似たように見えるわけだが。彼女は本当のところ、俺の意見なんて求めてはいない。その証拠に、俺のほうには見向きもせずに、いくつものイヤリングだのピアスだのをあてがっては、鏡に向かい小首をかしげる。
その間も俺は警戒を怠るわけにはいかない。どうしても家の外は危険が多い。本音をいえば早く家に戻りたいのだが……。
「これにしようかな……」
彼女は、ようやく店員に金を支払い、片耳だけに新しいピアスをつけて、歩き出す。もう片方の耳には、ずっとつけっぱなしの水晶のピアス。
生まれてまもない彼女が、水晶のピアスを握っているの気づいたとき、家族は慌てたのだそうな。誰かが病院のベッドの中に落としていたのだろうと。無理に掌を開かせてピアスを取り上げると、赤ん坊が大泣きに泣くので、両親は仕方なく、口頭だけで聞いてまわった。どなたか、水晶のピアスを落とされていませんか?
老婆が通りかかり、しわがれた声がした。これはとても、縁起のよいものですよ。もし持ち主が見つからなければ、赤ん坊のおまもりになさるといい。
休日の人出で賑わう、歩道を歩く。こんな人が多いってのに、歩道を自転車で通る奴がいる。俺は念のため、自転車と彼女の間の位置に、さりげなく割り込んだ。自転車が、俺に気づき、少しだけ彼女を大回りして、追い越そうとする。そして、派手にコケた。
もし、俺が牽制していなかったら、彼女の真横でコケやがっただろう、彼女をちょうど車道へ跳ね飛ばす位置で。
まったく、もう。
彼女は、幼いうちはピアスに鎖を絡めて首から提げていた。クラスメートたちがピアスをするようになると、彼女も長年持ち歩いた水晶を、耳につけるようになったのだ。水晶に細い蛇が巻きついたような、アンティークなデザインのピアス。歩みに合わせて小さく揺れる。
ふと気づくと、付けられている。いままで何度か渡り合ってきたストーカー。片手をバッグのなかに隠したままなのが、いやな感じだ。何を持っていやがる。
人の多い通りから、路地へと曲がる。ストーカーの男は、俺には幾度も、してやられているから、用心しているようだ。ちらり、ちらりと、俺に視線を投げてくる。俺はまるで男に気づいていないかのようにそっぽを向いて歩きながら、男がぐんと早足になり距離を詰めてきた間合いを見計らって、足を払ってやった。
男が、すっ転ぶ。
その拍子に、手から離れたナイフが、道路のアスファルトの上を、彼女の足元まで滑った。
男が地面に激突する音に、彼女が振り返る。男は、がばっと起き上がると、全速力で駆け去る。あんな勢いで転んだのに、足も痛めなかったのか。運のいい奴。
彼女はひどく困った顔をして、ナイフを拾うと、自分のバッグに落とし込む。警察に届ける気はなさそうだ。そのまま、自分の家のほうに歩を進める。
しかし、それにしても。なんでこんな美人に育っちまったもんかね。整った顔立ち、滑らかな肌、あでやかな視線を放つ大きな目。これは反則だと思うぞ。
俺は毎日毎日、彼女の護衛を勤めながら、いつかどこの馬の骨とも知れない男が現れて、彼女が恋に落ち、契りを結び、子供を産むのを、見守っていくのだ。ち。
俺が舌打ちしたとき。路地にしてはスピードを出した車が、彼女めがけて突っ込んできた。
俺は、無言で跳躍すると、彼女を地面に押し倒した。
車は、1秒前まで彼女がいた場所を蛇行し、急なハンドルをきった。続いてきーっとブレーキが鳴ったが、間に合わず、電柱に激突して、止まった。
「大丈夫ですか!」
悪い人間ではないのだろう、半分ふらつきながら運転席から出てきた男は、半分潰れた自分の車のボンネットよりも先に、彼女の心配をしてくれた。
「大丈夫です。セイが助けてくれましたから」
彼女は、慣れたことのように言って、にっこりと笑い、軽く服の埃を払って立ち上がる。
彼女は、自分がとてつもなく運の悪い女の子だと思っている。年中、事故にあいかけるのも、何度かは大怪我をして死にかけたことも。自分が、人間が天使とか悪魔とか呼ぶ種族の賭けの対象になっているなんて、知りはしない。自分の水晶のピアスに実は凄まじいエネルギーが篭められていることも、彼女がいま死ねばそのエネルギーが解放されてこの一帯は大地震に襲われるってこともだ。そのエネルギーは彼女が長く生きれば生きるほど、すり減り、彼女の死が引き起こす災害は小さくなる。
大地の底、光を知らない白い葉の花で飾られた大地の霊の聖域で交わされた賭けの契約に従って、一群の天使(または悪魔)が彼女を守ろうと護衛している。反対に賭けた連中は、彼女を殺そうとする。
俺は、守る側に賭けた。だから彼女を守る。それだけだ。それ以上の感情はないし、それ以下でもない、絶対に!
「セイ! ありがとね」
彼女は、ことり、と、地面に膝をついて、俺を抱きしめる。
「ワン!」
俺は礼儀正しく一声吠えて、尻尾を振ってやる。彼女の柔らかな手が、ざらりとした毛皮に覆われた俺の背中を優しく撫ぜる。
味方は動物にしか憑けない。彼女が生まれてすぐに老婆のふりでピアスを身につけているよう勧めたのも、本当は窓の外の烏だ。その代わり長く居ることができる。敵方は、人間に憑けるが、時間が限られている……。
俺は、犬の特権として、彼女の滑らかな頬をぺロリと舐めた。