「精霊王オーリンが、エドア=ガルドの元に密使を送った、という情報が入った」
 口を開いたのは、妖魔の第一王子、ナムガ=オ=リュウガである。
 匠精たちが磨きあげた大広間。いつもは整然と列なす妖魔族の衛兵も、今は人払いされて、王の前に居並ぶは第一王子ナムガ=オ=リュウガ、ナムガの妹リュア=エ=レネル、腹の違う弟サガ=エ=ロインのみ。3人とも、身に備えた武器はおさめ、美男美女の姿をとっている。
 妖魔王、リュウガだけが人型をとらず、妖魔本来の、しかも老いさらばえた姿のまま、王座の上でじっと動かない。耳を澄ましているのかいないのか、それも判然とはしなかった。
「エドア=ガルド?、ヒト、よね?、電気の」
 妹リュアが問われて、ナムガは、そうだ、と頷いた。
「精霊王オーリンめ、エドア=ガルドと交渉に及ぶつもりらしい。密使は精霊王の妹、西風のラローゼがじきじきに立った」
 王の妹が出るのだから本気なのだろう、という意味を言外ににじませて、ナムガが続けた。
「ラローゼ?」
 サガは小声で反問した。
「で。お兄さまはどうするおつもり?」
 兄といっても双子である。リュウガの継子となって、ナムガ=エ=レネルからナムガ=オ=リュウガに名を変えた兄に媚びるように、リュアは甘い声で問う。
「精霊とヒトに組まれても厄介だ。阻止せねば。今日はそのためにそなたたちに集まってもらった」
 リュアとサガを見る。本当なら、ナムガ一人、あるいは気心の知れたリュアと二人で済ませてもよかったのだが。サガを加えたのは、サガが、父自らがヒトの姿を与えた、末息子だからだ。
「阻止……?、交渉がまとまる前に、ラローゼを攫(さら)いましょうか」
 無茶が好きなリュアも、殺す、とは言わない。精霊王の妹を殺せば、精霊軍と妖魔軍の間で、全面戦争に突入しかねない。数十年前の戦争のように。
「そうだな……」
 ナムガは殺す気だったのか、自分の考えをリュアの発言で変えた気配を見せた。
「3人で賭けません? 私は魔剣ハズベルを出すわ。ラローゼをとらえたものが3人分の賞品を自分のものにするの」
 リュアは、うきうきとした声を出した。
「面白そうだな。私はリュアが魔剣でくるなら、私もそれなりの物を……。輝晶槍でどうだろう」
 二人の兄姉が提示したのは、いずれも名高い魔法の品である。末子であるサガには、手元の品で、つりあうだけの心覚えがなかった。
 答えをためらうサガに、リュアはねっとりとした視線を投げる。
「翡翠竜の最後の一頭でも、いいのよ?」
 リュアの追い討ちに、ナムガはさすがにぎょっとする。翡翠竜の最後の一頭とは、かつて戦場で父王リュウガを騎せた竜。名をロインという。つまり、サガ=エ=ロインの母。リュウガがたった一夜、気まぐれに人の姿に変え、一子をもうけたその相手である。
「掛け金は、ラローゼとせい」
 黙っていたリュウガが口を開いて、ナムガはぞくりとする。いまは実権をほぼナムガに譲っているとはいえ、伝説ともなりうるリュウガの強さをナムガは知っている。気にいらぬとなれば、我が子を手にかけるくらいなんとも思わぬ残酷な妖魔であることも。母に似たリュアには少し甘いところがあるのか、リュアに関しては不躾な発言も咎めだてたことはないが。ナムガ自身が同じ発言をする勇気は、とてもなかった。
「なるほど、美貌の精霊そのものを取るもよし、オーリンからしかるべき身代を求めるもよし。よい賭け代(しろ)となりましょう」
 ナムガはうやうやしく肯定した。
「ナムガは出るなよ、代理を立てよ」
 しわがれた声が後を続ける。継子の名をもつ以上、軽々に動くな、というのは、理のあることなので、ナムガは深く頷いて、父の前を退出する。それに従いながら、リュアはまだ、ナムガの耳元に唇を寄せてきた。
「ラローゼのこと、サガが捕らえたらサガに渡すの? 子でもなしたら、妖魔の血は1/4にしかならないのに」
 その小声は、皮肉っぽい笑みを含んでいた。

「ラローゼが、特使?」
 一人になってからも、サガは疑問を捨てられずにいる。
 精霊王オーリンの妹とは言っても。ラローゼの気質は、オーリンとはかなり違う。だが、その差を知るのは、妖魔たちのなかでサガだけなのかもしれない。
 先の戦争の際、サガは功を焦って、竜に変じて参戦した。父に与えられた人の姿をとるときには、サガの魔力が高まるのだが、竜に変化するとひたすら力で戦うしかない。精霊たちの、魔剣魔槍に傷ついて、戦場から少し離れた谷間で息をついていたとき。ラローゼに見つかったのだった。ラローゼは、目の前にいる竜が、妖魔王リュウガの息子であるとは思いも及ばず、ただ、妖魔軍に参戦した竜だとだけ思ったものらしい。すいと宙を飛んでサガの傍らに降り立ち、癒しの術を発したのだ。
「賭け代(しろ)は、ラローゼ、か」
 サガは、この賭けに勝ちたいと思った。ラローゼを交渉の場から引き離してしかるべく決裂させた後で、なんの代償も求めずに解放してみせようと考えた。あの思いもかけない借りを返すのだ。さぞかし溜飲がさがるだろう。

 この世界、アスワードにおいて、人は、人間の血肉を喰らう妖魔の来襲を避けるため、高い石積みの壁を持つ町に固まって住むのが普通である。
 だが、電気王と俗称されるエドア=ガルドは、あえて町の外に屋敷を構え、一つの屋敷だけを守る石壁を贅沢に巡らせていた。石壁の上にはこの世界における最新技術である、高圧電気を通した鉄条網が屋敷の外を睥睨する。石壁の外側には、数多くの風車がカラカラと回り、その根元には風力発電装置が埋め込まれているのである。
 はかばかしく進まない交渉の合間。精霊ラローゼは、おつきの小精霊キラムとともに、バンパイヤ=ハンター、カイに屋敷の中を案内されていた。
「精霊族は、電気が苦手と聞いたのですが。ラローゼ殿は大丈夫なのですか?」
 カイの素朴な疑問に、ラローゼは苦笑したいと思ったが、精霊王オーリンはそれを許さなかった。
「そうですね、電気は不快ではあります。けれど、ある程度以上の力をもつ精霊であれば、耐えるのは造作もないことです」
 自分の顔が、穏やかに笑顔をつくって見せるのを、ラローゼは感じる。いつもともにいる小精霊のキラムでさえ、ラローゼが操られていることに気づかないようだ。まして、人間は、自分たちの交渉相手が精霊王の妹、西風のラローゼであると信じこんでいるのだろう。
 しかし実際に言葉を発しているのは、精霊王オーリン自身であった。オーリンは、電気だらけのこの屋敷に出向くことを嫌って、妹であるラローゼを呪縛した。つまり、力ある精霊であろうが、電気の不快は変わらないのである。
「そうですか……。では精霊王がこの交渉を思いたたれたのは、力弱い精霊のためなのですね?」
 カイは素直に感心している。
 オーリンがラローゼに呪縛による特使を命じたのは、ラローゼの小さな裏切りの罰である。ラローゼは、数十年前の戦争で、敵となった妖魔に仕えるらしき瀕死の竜を救った。それを小精霊のキラムが「ラローゼ姫様がどれほど優しいか」と、仲間に吹聴したことから、兄オーリンにばれたのである。
 もともと、戦争は、地霊ナホトカが、妖魔を排除する結界を作る方法を編み出したことが原因だった。精霊族王、四方の風のオムトは、王子である北風のオーリンの反対を押し切り、ナホトカを援護して、精霊と妖魔の戦争状態となった。この戦いでオムトは戦死。精霊王を継いだオーリンは、自らが反対した戦争の指揮をとり、辛くも勝利へと導いた。
 一方、ラローゼはもともとナホトカと仲がよく、援護に賛成して戦争に参加した。
──「にもかかわらず、この裏切りはなんだ」
という兄の弁はわかる。が、こんな時間が経ってから、こんな形で借りを返せと迫られることになるとは思わなかった。むろん、精霊にとって数十年という歳月は、けっして記憶が薄れるような長さではないのだが……。
「たしかに、この交渉が成れば、多くの精霊に恩恵がもたらされましょう」
 自分への賛辞にいけしゃあしゃあと答えて、オーリンはラローゼの唇から言葉を返す。今回の交渉は、「聖域」を設けて、エドア=ガルドとその事業においてはいっさい電気を持ち込ない、そのかわり、精霊の力もてエドア=ガルドとその開発技術者たちを妖魔から守る、というものだった。たしかに多くの精霊にとって、快適に過ごす場を確保する手段である。しかし、「聖域」の外の地に憑いた地霊たちにとって、見捨てられたに等しい。そのなかには、妖魔を排除する結界を編んだナホトカも含まれるのである。
「カイ。ラローゼ様のご案内?」
 明るい声がして、別のバンパイヤ=ハンターが追いついてきた。
 シズサ、というこの女性が、カイの仕事上のパートナー兼フィアンセであると、最初に会ったときに紹介されている。
「ああ。会議の合間に、気晴らしに……」
 ふりかえるカイの笑顔が明るく、シズサの表情からほのかな影が消えうせた。
 精霊と、鍛え抜かれた勇者のようなカイ、その二人にぴょこぴょことまつわりつ小精霊が、陽光に溢れた半屋上の回廊を並んで歩く図は、古いおとぎ話から抜け出した絵のよう。精霊の美しさにほのかな嫉妬を感じながらも、それを表すまいと心づかう、そんな影も光も、ラローゼにはかすかなオーラの香りとして、すべて感じ取れてしまうのだが。人間たちは無論そんなことは知らない。
「交渉は、難航ですか?」
 これには、ラローゼもオーリンも、ともに頷かざるをえない。エドア=ガルドは、はっきり口にはしないものの、バンパイヤ=ハンターを集めておけば、精霊王の守護などなくても、自分も研究者も守っていけると考えているらしい。この屋敷を精霊が守護するようになれば、バンパイヤ=ハンターたちは町の警護にさくことができるのが自明であるのに、だ。かといって、精霊にわが身を任せれば、寝首をかかれると思い込んでいるような強迫観念の色はなく、ただ、のらりくらりとラローゼの言(実はオーリンの言)をかわしているのである。
 そのとき。
 漆黒の闇が、屋敷を包んだ。外界の昼光も、石づくりの回廊に昼なお点されていた電灯も、光は一瞬に失せた。
「どうした!」
 不審の声とともに、各部屋に用意されているガスランプがともされていく。強力な魔術な匂い、しかし、闇そのものを目的としたものではない。と意識したとたん、ラローゼは身体が軽いのに気づく。ラローゼの身体と言葉の自由を奪っていたオーリンの呪縛も、屋敷のそこここに存在し不快な圧力のごとく感じられた電気の気配も、揮発するように失せている。
「断たれている」
 外界と、断たれている。魔術も光も外から流れてくる電気も隔絶され、風も封じられてそよとも動かない。
 ガラス窓の割れる音、悲鳴が上がる。
「来襲だ!」
「妖魔が!」
 夜行の者であるはずの妖魔が、あえて昼に動くとすれば。それは、個の飢えを満たす狩りではありえない。日中の警護が薄いことを見越した、力あるものが指揮する作戦行動だ。
「シズサ」
「はい」
 カイが腰にたずさえた霊剣を抜き放つ。シズサは、魔の匂いの腕輪をはずして、呪術の構えをとった。闇の中、2つの霊器はじわりと光を帯びている。二人がかりで、客人であるラローゼの護りに当たる気なのだろう。
「エドア=ガルド殿はっ」
 ラローゼから見れば、妖魔が第一に狙うとしたら、電気の発明者であり、現在、多くの開発技術者を率いて電気事業の拡大にあたる、屋敷の主その人であるように思われた。バンパイヤ=ハンターたちは、動揺の色を見せない。ではもっと強力なバンパイヤ=ハンターが彼の人を護っているということか。
 だが、数秒の後。
「はっ!」
 たしかに交渉のときに聞き覚えのあるエドア=ガルドの声が、庭のほうから聞こえた。
「いったん武器を収めてください、お二人と、飛びます」
 ラローゼは、この来襲に際して人の側に立つと、言外に宣言する。
「はい」
「お願いします」
 妖魔に作用する剣も魔器も、精霊の力のバランスを崩す。カイは剣を鞘に収め、シズサは腕の定位置に戻すことで気を封じる。
 渡り廊下は広い窓があるとはいえ、3階の高さ。落ちれば命にかかわる。が。カイとシズサは、信頼しきった様子で、手をラローゼに預けた。3人は互いの手を繋いで輪をなす。小精霊のキラムも、そこに手を重ねてきた。
 びょう、と、小さなつむじ風に似たものが3人を包み、窓を越えてつかのま空を飛び。危急の場ゆえ、優しく、というわけにはいかなかったが、怪我一つもなく庭の地面に降りたつ。
「客人を護れと言ってあったろう!」
 エドア=ガルドは開口一番、言い放つ。ラローゼは目をみはった。エドア=ガルドは、きららかに光を帯びた刃で、妖魔の王女として名高いリュア=エ=レネルと互角に刃を交えていたのだ。
「バンパイヤ=ハンター……」
 電気の発明者にして、バンパイヤ=ハンター。精霊加護をためらうわけだ、バンパイヤ=ハンターの持つ霊武器は、精霊の力と時に相殺しあう。
「小物を送り込んでも戻らないわけね」
 リュアの言葉が悟らせる。妖魔もまた電気を嫌う。これまで何度も刺客を送り込んできたのだろう。
「姉上っ」
 声が降り、もう一人の妖魔の存在を知る。隔絶の術は、空間を切るナイフではなく、むしろ黒い霧である。そのなかにいると、ごく近くにくるまで互いを認識することは難しい。霊武器やラローゼの身体が淡い光を放っていてさえ。
「サガっ、こっちは私が仕留めてあげるから、ラローゼを捕らえなさいっ」
 威高々にリュアが命じる。バンパイヤ=ハンターは戦うには歯ごたえのある相手だが、妖魔族の餌として一級で、その血肉を喰らうことは力を増すことに直結するといわれていた。もっとも、リュアの場合、バンパイヤ=ハンターと直接戦うのが楽しくてしょうがいないようにも見えるのだが……。
 屋敷のやや上空から「遮断」の術を担当していたサガ=エ=ロインは、すらり、と、魔杖を兼ねる剣を抜く。蒼い光が、サガの整った容貌と、鮮緑の翼を照らし出す。ふゎさりと羽ばたいて、ラローゼの目前に降り立った。
「お前は……」
 姿は変わっていても、ラローゼには判った。リュアを姉と呼んだ者が、かつて救った竜だと。
「閉じよ!」
 サガの魔刃が小さく輪を描く。ラローゼの身に、何かがまとわりついた。目に見えぬ縄、あるいは鎖、オーリンの呪縛とは異なるながら、ラローゼの自由を奪うもの。
「鍵よ!」
 少女のような凛とした声が響く。シズサだった。握った腕輪を刃のように打ち振って、ラローゼを縛る見えない鎖を切る。
「邪魔だ!」
 サガは、じれたように剣を振るった。シズサはとっさに腕輪で刃を防ごうとしたが、刃はあっけなく腕輪を砕いて。
「シズサ!」
 カイが霊剣を構えて飛び掛り、シズサの身をかばおうとしたが間に合わず。サガの刃は、シズサの肩口から胸へ──。
「シズサ殿!」
 ラローゼは倒れたシズサを抱き起こす。カイは、サガを相手に切り結ぶ。
「シズサ殿……」
 そこにはもう、命はなかった。肉体を離れようとするシズサの魂の存在を、ラローゼは感じ取ることができた。
 たしかにラローゼは彼らの客だった。だがどうみても、ラローゼのもたらす物が彼らにとって不可欠というわけではなかった。シズサがラローゼを命がけでかばわねばならない理由などなかったのだ。
「私が……、あれを救っていなければ……」
 ラローゼが竜を救っていなければ。あるいはエドア=ガルドを気にして庭に下りずにいれば。
「カイ殿。許してください、シズサ殿がこのまま消えゆくことが、私にはどうしても耐えられない」
 サガと対峙するカイの背に、ラローゼは静かに詫びた。そして。
 カイは見ていなかった。ラローゼを背にしていたから。けれど、サガは見ていた。ラローゼの姿が溶けるように薄れ、染み込むようにシズサの中へ入っていくのを。サガには見ることができた、離れゆく魂が糸をたぐるようにシズサの内へと引き戻されていく有様を。
「リュア様が負傷しなされた!、引くぞ!」
 ナムガの代理として参加していた、高位妖魔の声がした。
「なんだと……」
 サガは唇を噛んだが。彼は、王女を乗せて運ぶ、竜にならねばならないのだった。

 妖魔の間に伝わってきた噂では、ラローゼの行方不明により、オーリンとエドア=ガルドの交渉は決裂したという。

 サガが、再び、カイとシズサのものらしき噂を聞いたのは、数年後のことである。夫婦者のハンターなのだが、なんらの理由で精霊王の怒りを買い、また、バンパイヤ=ハンターの仲間からも疎まれて、とある地霊の張る結界のなかにかばわれ隠遁まがいの生活をしていたらしい。それが、子供がある程度育ち、また、妖魔の跳梁が激しくなるなかで、かつての仲間の苦労を見過ごしにできずに、再びバンパイヤ=ハンターとして活動を始めたという。
 人間たちは、精霊と妖魔をひとくくりに、アヤカシと呼ぶ。人を襲い喰らうのは、主には妖魔だが、精霊もときに人を襲い精気を吸いきって廃人にしてしまうという。妖魔の来襲から人を護る戦力であるバンパイヤ=ハンターたちのなかには精霊に対しても嫌悪する者もいる。ラローゼに憑依され、半人半精霊となったシズサはおそらく、仲間から疎まれたのではあるまいか。

 サガは貫頭衣姿で、ロインの前に立った。
 人の形をとったサガの、何倍もの大きさをもつ鮮緑の竜。霊獣・翡翠竜の、最後の純血。そして、彼の母でもある。
 サガは、母の宝玉のように艶やかな鱗の一つに手をつくと、その手に念を集中した。ロインの気をうけるためだ。
 ロインは、長い首をめぐらして、自分の背に手をつく息子を見る。何をするつもりか、と、問うように。
 サガの身につけた衣がはらりと落ち、サガの姿がにじんだ。次の瞬間、そこには人の姿はなく、新緑の色をした若い竜がロインに寄り添っていた。
「どうなさいました、サガ」
 人の姿のときには、サガと、ロインの間に、言葉は通じない。けれど、サガは竜となったときは、竜の言葉……より正確にいえば念波のようなもの……を受け、また、返すことができるのだった。
「また、戦ですか?」
 ロインは気づかわしげにサガに尋ねる。初陣となる戦では、サガは竜の姿をとって軍功を上げようとして瀕死の傷を負い、精霊の一人から思いがけない癒しの術を与えられてようやく生き延びた。電気王エドア=ガルドの屋敷を急襲したときは、竜の姿で姉王女リュアを騎せて戻って来た。サガが竜の姿を取るときは大抵、戦だ。
「いえ。母上のお知恵が借りたいのです」
 ロインは、妖魔の王の一族となった息子に敬語。サガは、賢者でもある竜の母に敬語。そういう母子である。
「ラローゼめ、一時の感情で、人に憑き、こともあろうにカイとかいうバンパイヤ=ハンターとの間に子までなしたと聞きます。女に憑いて子を得れば、もう精霊に戻れないというのは本当ですか」
 サガは、他の妖魔から聞いた話を、母の前で繰り返した。
「そう聞きます。人よりは長く生きるかもしれませんが、精霊の寿命は望むべくもないでしょう。ラローゼとて、それは覚悟の上なのではありませんか?」
「ラローゼには借りがあります。人の姿の中から、引き出したいのですが、方法はないものでしょうか?」
 ロインは、真意を問うように、竜となっているサガの顔を覗きこんだ。
「相手は、カイ、とおっしゃいましたか……」
 サガは、ロインの語尾に溜息を聞き取った。
「ご存知、なのですか?」
「会ったことはありません。けれど霊剣を継いだという噂を聞いたことがあります」
 ロインはそれきり黙った。その沈黙に、なにか意図的なものを感じて、サガは、
「母上?」
 そう後を促した。
「妖魔は昔、精霊だったという話を知っていますか?」
「はい……」
「最初の妖魔は、そう強い精霊ではなかったと伝えられています」
 ためらいがちに、ロインはいう。妖魔の間ではなく、長命の霊獣の間にこそ伝えられた、古い伝承だった。
「最初の妖魔は、人の精気をとるだけではなく、人の血肉を喰らうことで、より強い力を得るこのに気づいた。それが今の力ある妖魔の始まりです。そしてカイの霊剣は、喰らった血肉から得た精気、つまり人から得たものと、精霊たる部分を分け放つ刃。その力によって、妖魔を倒すのです。
 それを使ってラローゼが憑いた女を斬り殺せば、ラローゼと女の絆を断つことができましょう。けれど、ラローゼがそれを喜ぶでしょうか?」
「すぐには理由が判らないでしょう。なに、100年も経てば、それが最良の手段であったことに気づくはずです」
 ことさらにきっぱりと断言するサガに、ロインは明らかにため息をついた。
「……もう一つ。その刃の力は、妖魔が振るえば致命的。殺した側も、無事ではいられますまい」
 ロインは何度かためらいながら、ようようそこまで語り終えた。サガの望みを叶えたい、けれどサガの身を危険にさらしたくはない、それがわかるから、
「母上」
 サガは晴れ晴れと言い放つ。
「私は妖魔であって、妖魔のみではない存在。やってみましょう」
「それでも無傷ではいられますまいよ」
「かまいません。あの借りを返すには、釣りあう痛みで済むでしょう」
 喜色を顔に浮かべたまま、人の姿に戻るサガを、ロインはただじっと見守った。

 妖魔を恐れる人間たちは、町の周囲に田畑を拓いている。最近は、人間たちはバスと呼ばれるガソリンで走る車両を使い、農地に人を配置する。夕刻、日が落ちる前にまたその車で人を集めてまわる。バスはいわば、走る鉄の盾。妖魔を防ぐと信じられていた。
 だが。
 午後をまわって暗雲が沸いた日。こんな日には、人々は妖魔を恐れて、迎えのバスは町を早めに出立するのだが。それでも雲に追いつかず、妖魔たちは暗くなった空を蝙蝠の形の翼で舞い降りて、バスの上へとしがみつく。
「緊急、緊急、こちら……」
 無線の音と電気とが、妖魔たちをいらだだせ、ガラスを蹴破ろうとがんがん蹴りつける。
 バスはそれを振り落とそうと蛇行するが、ガラスは数回の攻撃にあっけなく砕け散る。妖魔たちは散乱する破片をもろともせず、バスの中へと飛び込んだ。悲鳴。血の匂い。一度入り込まれてしまえば、バスは鉄の盾ではなく、逃げるもままならぬ鉄の密室である。
 その上空に。妖魔たちの狩りをじっと見守る、もう一つの影があった。妖魔たちがそろって漆黒の翼を持つなかで、一人、翡翠竜に似た鮮緑の翼を持つ者、サガ=エ=ロインである。
 バスのいく手、小さく砂埃が、つむじ風の輪郭を見せて舞いあがった。それが前兆といえば前兆だった。次の瞬間には、そこに男と女、それに小精霊が一匹。
「ラローゼ……」
 精霊であり人の女である彼女、シズサ=ラローゼは、霊武器も持たずに、呪術の構えをとる。
 バスが急停止したのは、中からの操作かラローゼの魔法か。男……カイが腰の刀の鞘を払い、バスへと踊りこみ、シズサ=ラローゼは光魔法で妖魔の目をくらませる。その連携戦が、カイとシズサ、互いの信頼の上に成り立っていることは、サガのいる上空からでも見てとれた。噂の二人組のハンターの登場に、妖魔たちはわらわらとバスから飛び立ってゆく。
 シズサが、怪我人に癒しの術を与えるのだろう、バスの中に入り、カイは妖魔たちが去ったのを確認しようとバスから出てきた。その好機に。
「カイ!覚悟!」
 サガは急降下して、カイに太刀を浴びせる。カイは反射的に刃を構えてそれを防いだものの、降下の速度を加えた太刀の勢いを支えるために、一瞬、動きが硬くなる。それを見て取った二の太刀が、カイが構えた霊剣をくぐって胸元を払う。血しぶきが飛んで、カイの体勢が崩れた。傷ついてなお懸命に繰り出すカイの霊剣を空中でよけると、サガは軽く手首をひねって、刃を返した。あやまたず。カイの首すじへと。
「カイ!」
 シズサ=ラローゼが悲鳴を上げたのと、カイの首が大地に転がったのが同時だった。
「ラローゼ……」
 サガは、骸となった男の手から、霊剣をとる。多くの妖魔を屠って来た剣。母竜ロインが、使えば無事では済むまいと警告した剣を。
「くっ」
 柄を握り、構えるだけで、サガの生命を支える精気が、体内で急流となって、霊剣に流れる。精気を吸った霊剣は、あざ笑うようにバチバチと眩しい火花を散らす。手がしびれる。目がかすむ。
「ラローゼ!」
 シズサ=ラローゼの影を追って、サガは翼を畳み、数歩歩いた。
 そのときだ。横あいから小さな影が視界をよぎったかと思うと、しびれた手から霊剣が消えた。
「なにをっ!」
 目で追えば、いつもラローゼの近くにまとわりついている小精霊。横合いから、半ば体当たりで、霊剣を奪ったのだ。
「待てぃ!」
 自分の剣を抜きなおし、その小さな背へと尽き立てようとしたとき。
「キラム!、逃げて!」
 女の声、そして瞬間、彼の視界をふさいだのは、女の影だった。
 シズサとラローゼの絆を解くための霊剣ではなく、精霊とも戦うために鍛えられた妖魔の剣が、シズサ=ラローゼの胸元に深く突き刺さった。
「カ、イ……」
 女の唇が動いた。血しぶきを吹いて、身体が倒れる。数年前にすでに死に精霊ラローゼの憑依によって生かされていた肉体は、サガが呆然と見守るうちに、みるみるミイラに似たものへ変貌していった。
「ラロー……ゼ……」
 ただ名を呼んだだけで、霊剣に精気を奪われて弱った肉体は咳こみ、サガはわずかに血を吐いた。
 バスの窓からは怖れきったヒトの目がいくつも覗いている。おそらくバンパイヤ=ハンターの援軍もくるだろう。
 サガは、倒れたカイの骸にいざりよると、その肉を裂いた。飛び散った血しぶきが衣服に散るのもかまわず口へ運ぶ。力がよみがえるのを感じる。バンパイヤー=ハンターの血肉は、常人のそれより精気を高めるという噂を思い出す。
「妖魔なのだ……」
 なぜかそんな語が、サガの脳裏をよぎる。
「私は、翡翠竜の子。しかし、やはり、まぎれもなく妖魔なのだ……」
 サガが飛翔するにたる体力を取り戻したとき、すでに目の見える範囲に小精霊の姿はなく。駆けつけるバンパイヤ=ハンターの、バイクの音が近づいていた。
「今日は、これまでか……」
 サガは呟いて、鮮緑の翼を羽ばたいた。
 サガ=エ=ロイン。翡翠竜の血を継ぐ者にして、妖魔の子──。

 そして物語は、人間の男であるカイと、精霊ラローゼの力を継ぐ、異血の子らに移るのである。

「IZUNA」プロローグ「異血の子」 了
【Villain企画】トップへ
【企画タイトルリスト頁】へ

原作/イラスト=有希之武@Glim
小説=麻生新奈@As Asas de Asou