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アサン・ラオリー(少将) Asang Laoly, Maj. Gen |
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1987年以来、一貫して公安部門のトップである内相の職にあったが、今年(2002年)4月9日開催の第5期第1回国会が承認した閣僚人事で、内相から副首相に昇格した(この閣僚人事では、従来の内務省が「国内治安省」に改組され、同氏の後任になる国内治安相代行にはスッチャイ・タンマシット〔Soudchai Thammasith〕前副内相〔少将〕が昇格した)。国内治安維持分野では、ラオスはベトナムとの関係が深く、副首相に昇格する直前の今年3月には内相としてベトナム公安省との協力協定に調印。また、現職就任後の4月下旬にはビエンチャンでベトナム計画・投資省代表団の表敬訪問を受けている。※革命運動に参加して以来、長い間故郷の北部ポンサリー県の行政に携わった。80年から副内相、87年から内相を歴任。96年にラオス人民革命党(LPRP)政治局入り(現在は序列第8位)。現在の政治局では、チュンマリ・サイニャソーン(Choummaly Sayasone)副大統領(中将:序列第3位)、ドゥアンチャイ・ピチット(Douanchay Phichit)国防相(少将:第10位)とともに軍籍を明示している。 |
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| ▼データ | |
| 【現職】副総理大臣 【党務】ラオス人民革命党(LPRP)政治局員(序列第8位) 【年齢】61歳(1941年2月2日生まれ) 【生地】北部ポンサリー県 【学歴】LPRP高等理論学校卒 【経歴】革命運動に参加(1959) 1962:ポンサリー県副郡長 1967:同県組織委員長 1970:同県副知事、同県組織副委員長 1973:同県知事代理 1974:同県知事 1975:同県議会議長 1980:副内相 1982:第一副内相 1986:内相代理 1987:内相(−2002) 1996:LPRP政治局員(当時は序列第9位)(第6回党大会) 2002:[4月9日]副首相(第5期第1回国会) 【家族】夫人との間に2男4女 【横顔】内相就任2年目の1989年3月、三井物産ビエンチャン事務所長の浅尾吉昭さんが反政府組織によって拉致された事件では、捜査当局の陣頭指揮をとり、日本でもその名が報道された(浅尾さんは1週間後にタイ領内で同国のコマンド部隊によって救出された)。 *訪日歴:2000年10月、日本外務省の「オピニオン・リーダー招聘」で来日。ラオスからの消防集団研修を受け入れている消防庁に同庁長官を表敬訪問するなど両国の友好・交流事業を視察する日程もこなした。 |
Secretary General of the Lao People’s Revolutionary Party チュンマリー・サイニャソーン(中将) Choummaly Sayasone, Lt Gen |
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2006年3月に開かれたラオス人民革命党(LPRP)第8回党大会で党議長を退任したカムタイ・シパンドン大統領(82)の後任として、党書記長(政治局序列1位)に選任された(党トップの役職名は、同大会において「議長」から1990年代初めまで使われていた「書記長」に復帰した)。※一貫して治安畑を歩み、91年に国防相、98年には副首相兼国防相を歴任し、01年3月に副大統領に就任。カムタイ前議長(大統領)の側近であり、LPRPの保守的な路線を継承する。ラオス人民軍中将。 |
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| ▼データ | |
| 【公職】副大統領 【党職】ラオス人民革命党(LPRP)書記長(政治局序列1位) 【年齢】70歳(1936年3月6日生まれ) 【生地】アタプー県サイセタ郡ウットヌア村 【学歴】ベトナム人民軍陸軍学校卒(1969) 1978:旧ソ連陸軍学校卒 【経歴】:革命運動に参加(兵士)(1954)、その後フアパン県サムヌア郡の革命基地で活動。 1955:ラオス人民党(LPRPの前身)正党員 1960:シェンクワン軍管区司令官(−74) 1975:准将に任官、ラオス人民軍作戦部長、参謀次長(−80) 1982:LPRP中央委員(第3回党大会)、副国防相(少将) 1986:第一副国防相 1990:中将に任官 1991:党政治局員(第5回党大会) [8月]国防相 1998:[2月]副首相兼国防相 2001:[3月]副大統領兼国防・治安維持委員長 2006:[3月]LPRP書記長(第8回党大会) |