(AMR2005年4月15日号掲載)
タイ ■農業・協同組合相 Minister of Agriculture and Cooperatives

 スダーラット・ケーユラパン
 Sudarat Keyuraphan, Mrs
農業・協同組合省は農業国タイでは重要官庁であり、様々な利権も絡むだけにそのトップは農村地域を政治地盤にする「利益誘導型」の古参政治家が就任を望むポストでもある。この要職をタクシン首相から強い懇請を受けて引き受けることになった。第1次タクシン政権の4年間一貫して担当した保健相ポストからの「横滑り」である。
 首相には、最も信頼する側近の一人である同(スダーラット)氏を使って農業・協同組合省の大刷新を図りたい思惑がある。その点では、タクシン政権には批判的な有識者やNGO活動家らも、仕事に誠意をもって当たり、クリーンなイメージもある同氏が農業行政を担当することに概ね好意的な論評を行っている。
 しかし、取り組むべき課題は山積みである。首相は各国との自由貿易協定(FAT)調印の推進を外交・経済政策の重要な柱にしているが、それはタイの農業経済や農民の生活に打撃を与える「諸刃の剣」となりかねない。また、「持続可能」な農産物の生産や食品安全の確保も喫緊の課題である。同氏ならこれらの諸問題をホーリスティック(全体的)な立場から解決できるだろうというのが、有識者の期待である。また、鳥インフルエンザ対策では前保健相としての経験と知識が最も良く生かされるだろう。
 省内の統率という点では、(東北タイを政治地盤にする「ブリラム派」のリーダーで、長らく汚職政治家の代名詞のようにいわれてきた)ネーウィン氏が副相であることが「禍の種」といえる。
※政界入りのきっかけは道義党(PDP)の創設者、チャムロン元バンコク首都圏知事の「道義の確立」という政治理念に共鳴したことにある。1992年に同党の下院議員として初当選して以来、女性で初めて副運輸・通信相、副内相、政党(PDP)幹事長などの要職を歴任した。
 PDPがチャムロン氏の政界引退を機に党勢が衰退すると、96年総選挙では同党で只一人の下院議員当選者になった。97年に自らの政治集団「パランタイ(タイの力)」を創設。99年12月にPDPを離脱し、(同じくPDP出身のタクシン氏が98年7月に創設した)TRTに移籍するとともに下院議員を辞職。2000年3月のTRT党大会では第一副党首に選出され、01年1月総選挙ではTRT比例代表名簿の第6位と厚遇された(こうした処遇は、タクシン党首との個人的な親交によるものであるのはもちろんだが、同〔スダーラット〕氏が当時の現役議員としては真っ先にTRTへ馳せ参じたことも評価された結果である)。


▼データ
【現職】農業・協同組合大臣
【政党】タイ愛国党(TRT):副党首
【年齢】43歳(1961年5月1日生まれ)
【学歴】
 1983:チュラロンコーン大学経営学部卒(国際マーケティング専攻)
 1987:同大学大学院から経営学修士号(MBA)取得
【経歴】
 1992:[3月]下院議員に初当選(道義党〔PDP〕)
     [9月]政府次席スポークスウーマン
 1994:[10月](第一次チュアン政権改造内閣)副運輸・通信相
 1995:[7月](バンハーン政権)副内相
 1996:[11月]下院議員に再選(バンコク首都圏7区:トップ当選)
 1999:[12月]PDPを離脱(下院議員辞職)しTRTに移籍
 2000:[7月]バンコク首都圏知事選に立候補するが落選
 2001:[1月総選挙]下院議員に再選(TRT比例代表第6位)
     [2月](第1次タクシン政権)保健相
 2005:[2月総選挙]立候補せず
     [3月14日](第2次タクシン政権)農業・協同組合相
【歴任】1992:下院財政・金融委員会委員
【党務】1993:PDP スポークスウーマン、1994:[9月]PDP幹事長(−97)、97:[11月]政治集団「パランタイ(タイの力)」結成、2000:[3月]タイ愛国党副党首に選出(−現在)
【家族】夫君はソムヨット・リーラパンヤラート(Somyos Leelapanyalert)氏で、チュラロンコーン大学の学生時代に出会った。二人の間には1男。
【横顔】幼少の頃、家族が経営する会社の建設現場で、厳しい父(元下院議員)から労働者、清掃婦、塗装工などとして働く訓練を受けた。地元マスコミとのインタビューで同氏は「この経験は私の後の人生にとって素晴らしい教育だった」と語っている。
*軍・警察が民主化デモと衝突した「流血事件」後の92年9月の選挙では、バンコク首都圏の最高得票数で当選し、第一次チュアン政権の副スポークスウーマンに任命された。この道義党時代は同党の「機関車」の一人となった。その政界での華麗な動きの故に地元マスコミからは「危ない魅力を持つ女」と呼ばれた。
*2000年7月のバンコク首都圏知事選にTRT公認候補として立候補したが、当時バンコク首都圏では絶大な人気があったサマック・スンタラウェート人民党(PTP)党首(元副首相)に惜敗した。



(AMR200591日号掲載)
タイ ■運輸相 Minister of Tansport

 ポンサック・ラクタポンパイサーン
 Pongsak Raktapongpaisal
 8月改造人事では、バンコク新国際空港(スワンナプーム空港)に設置する爆発物探知装置をめぐる汚職疑惑で野党の追及に直面した前任者のスリヤ氏が、副首相兼工業相に「昇格」したのに伴って同(ポンサック)氏が現職(運輸相)に抜擢された。3月に第二次タクシン政権が発足する前まで工業相を務めており、約5カ月間の短い閣外期間を経て閣僚に返り咲いた。
 タクシン首相に対する造反傾向を強めている党内派閥「ワンナムイェン」のメンバーだが、もともとタクシン首相とは個人的に極めて親しく、現在は同派閥から距離を置いている。タイ愛国党(TRT)の有力な資金提供者でもある。
 03年11月に就任した副商業相時代には、首相が個人的に英名門サッカー・クラブ「リバプール」を買収する計画を明らかにしたのを受けて、同(ポンサック)氏が極秘裏の交渉のために公費で英国との往復を繰り返したことがマスコミに騒がれた(同計画は最終的に頓挫)。
※建設会社会長から政界入り。1988年の前進(カオナー)党を出発点に、タイ協同党、連帯(エカパープ)党、新希望党と政党の「ホッピング(渡り歩き)」を繰り返した。98年にタクシン元副首相(現首相)がタイ愛国党(TRT)を創設すると同党に参加し、01年には同党から下院議員に。03年11月の第一次タクシン政権の内閣改造で副商業相として初入閣、その後工業相。
▼データ
【現職】運輸大臣
【政党】タイ愛国党(TRT):執行委員
【年齢】54歳(1950年9月16日生まれ)
【生地】(北部)ナコンサワン県
【宗教】仏教
【学歴】
 1974:チュラロンコーン大学工学部卒(土木工学)
【経歴】(北部)カンペーンペット・ワタナ社エンジニア
 1992:商業相顧問委員長
 2001:[1月総選挙]下院議員(TRT比例代表:繰り上げ)
 2002:首相府官房次長(政務)
 2003:[11月10日]副商業相
 2004:[10月6日]工業相(−05/3月)
 2005:[8月3日]運輸相
【歴任】ケシニー・ヴィル住宅団地、ケシニー・ゴルフ練習場各オーナー、ケシニー・インターナショナル・スクール理事長、アルプス不動産、アルプス・ゴルフ・アンド・スポーツクラブ各代表取締役
【党務】1988:進歩(カオナー)党副幹事長、88:タイ協同党執行委員、91:連帯(エカパープ)党(Sol)副党首、92:新希望党(NAP)執行委員、98:TRT執行委員、2001:与党院内幹事秘書官(−03)
【横顔】愛称「ヒヤ・ペーン」(ヒヤは華人社会で「兄貴」の意)。
*タクシン首相の親しいゴルフ仲間の一人。このグループには、他にスリヤ副首相兼工業相、大物実業家のプラユット・マハキッシリ(Prayuth Mahakitsiri)氏、チンナワット一族が所有する「シン・コーポレーション」のブーンクリー・プランシリ(Boonklee Pangsiri)会長らが参加している。





(AMR200591日号掲載)


タイ ■科学技術相 Minister of Science and Technology

 プラウィット・ラタナピアン(博士)
 Pravich Ratanapian, Dr
 第一次タクシン政権では、2004年7月以来、タイ通商代表(準閣僚待遇)を務めてきたが、8月改造人事(第二次タクシン政権第2次内閣)で現職(科学技術相)に抜擢された。チュアン政権時代の1998年から短期間だが副商業相を務めたことがあり、入閣は約6年ぶりとなる。しかも、今回は正大臣への就任である。
 米国の大学で博士号を取得した逸材であり、複数の学校を経営する家業の「ラタナバンディット学園」で理事長を務めてきた。その点では、科学技術相ポストは他の閣僚の人事と比べれば「適材適所」と言えるかもしれない。
※政界入りは1988年と古い。同年の総選挙でバンコク選挙区にタイ市民党から出馬し当選を果たしている。以後、故チャチャイ元首相が92年に創設した国家開発党(CPP)に参加し、同党から96年と2001年の選挙に出馬し当選。04年に10年以上在籍したCPPからTRTに移籍し、05年の総選挙でも当選した。
▼データ

【現職】科学技術大臣
【政党】タイ愛国党(TRT)
【年齢】49歳(1956年6月11日生まれ)
【宗教】仏教
【学歴】チュラロンコーン大学政治学部卒
    米ペンシルバニア州立大学で博士号(教育学)を取得
【経歴】
 1988:下院議員に初当選(タイ市民党:バンコク)
 1994:副首相顧問(−95)
 1996:下院議員に返り咲く
 1998:(第二次チュアン政権)副商業相(−99)
 2001:[1月総選挙]下院議員に再選(CPP:ナコンラーチャシマ3区)
 2004:TRTに移籍
     [7月](第1次タクシン政権)タイ通商代表(準閣僚待遇)
 2005:[2月総選挙]下院議員に再選(TRT比例代表第32位)
     [8月3日]科学技術相
【横顔】CPPの元党首だったスワット現副首相とは、04年にTRTへの移籍をめぐって関係が悪化した一時期を除くと常に親密である。
*閣僚に昇格したもう一人のタイ通商代表には、3月の第二次タクシン政権発足時に外相に任命されたカンタティ氏がいる。



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(AMR2005年12月15日号掲載)


タイ ■枢密院議員 Privy Councillor

 スラユット・チュラノン(大将)
 Gen Surayud Chulanont
 2005年11月下旬に広まったクーデター計画に関する噂によると、一部将校が政変後の首相候補に想定しているとされた。本人自身は記者会見を開いてクーデターへの関与を否定するとともに、対立する政府と報道機関の両サイドに「王室を政争の具にするな」と警告した。これは一見、政治的に中立な発言のようであるが、明らかにこうした政局を招いたタクシン首相への“諫言”である。これ以前にも、深南部情勢などでは首相の政策を厳しく批判する発言なども行っている。
 王室では、プレム枢密院議長がプミポン国王の“名代”だとすれば、高齢の議長の息子のような年齢に当たる同(スラユット)氏は、同議長の“名代”のような立場である。それほど、国王、同議長からの信頼は厚い。枢密院議員は、制度上は政治に関与しないとはいうものの、タクシン首相にとっては何かとやっかいな存在である。

※現役軍人時代には早くから有能で理論家の将校として知られてきた。1998年10月、チュアン前首相の意向で、“閑職”の上級専門参謀から陸軍司令官に抜擢された時は異例の人事としてマスコミを驚かせた。その人事には、プレム枢密院議長の推薦が大きな影響を与えたといわれる。タクシン首相の経済を優先させた安全保障政策の多くに批判的で首相からは煙たがられた。定年退役直後に枢密院議員に任命されたことは、「王室は同氏を信頼している」とのプミポン国王の首相に対する意思表示だったのは間違いない。
▼データ

【現職】枢密院議員
【年齢】62歳(1943年8月28日生まれ)
【学歴】チュラチョムクラオ王立陸軍士官学校卒(第12期生)
【軍歴】特殊戦訓練指導官(1969)
 1971:特殊戦学校教官
 1978:第23歩兵連隊第4大隊長
 1980:陸軍作戦センター局長
 1981:第1師団(バンコク駐屯)副参謀長
 1982:第1特殊戦部隊(ロップブリ)司令官
 1983:第1特殊戦連隊長
 1986:国防次官室付参謀(少将)
 1989:第1特殊戦師団長
 1992:特殊戦司令官(中将)
 1994:第2軍管区司令官
 1996:陸軍上級専門参謀(大将)
 1998:[10月]陸軍司令官
 2002:[10月]国軍最高司令官
 2003:[9月]定年退役、枢密院議員に任命される
【横顔】プレム枢密院議長の現役軍人時代、及び首相時代を通して副官や側近として同氏を補佐した。
*同大将は米国の軍事関係者と密接な関係にあり、陸軍司令官時代に米国の麻薬取締局(DEA)の強力な支援を受けて麻薬対策を任務にする特殊部隊をミャンマーとの国境地帯に配備した。国境地帯での米国のプレゼンスにはミャンマーだけでなく、中国も警戒感を隠さなかった。タクシン首相も同大将がイニシアチブをとった積極的な治安作戦は近隣国との外交関係に悪影響を及ぼしているとの考えだった。



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(AMR2006年11月1日号掲載)
■運輸相 Transport Minister

 ティーラ・ハオチャルーン(海軍大将)
 Adm Thira Haocharoen
 スラユット暫定政府の組閣では「サプライズ人事」の筆頭。元海軍司令官であり、軍人として有能な点は政界通の多くが認めても、運輸行政はほとんど“素人”とみなされている。タクシン前政権は複数の運輸関連メガ・プロジェクトを実施し、計画中のものもあるが、スラユット首相は利権構造が付き纏うこれらのプロジェクトの検証・検討を行うに当たって、運輸省のトップにはテクノクラートではなく、気心の知れた“軍人仲間”を起用した。技術的な不備や汚職問題がクローズアップされているスワンナプーム空港(バンコク新国際空港)を就任直後に視察するなど早速行動力を示したが、同空港のテロ対策の不備を第一に指摘し、警備当局者に改善案の提出を命令するなどやはり“軍人らしさ”を発揮している。
▼データ
【年齢】66歳(1940年4月6日生まれ)
【学歴】海軍士官学校卒(1963)
【経歴】
 1963:海軍入隊(海軍少尉に任官)。様々な要職を歴任。
 1986:駐米大使館駐在武官(ワシントンD.C.)
 1990:海軍司令部官房長
 1992:海軍士官学校副校長
 1993:海軍大学校校長
 1994:海軍参謀長補(兵站担当)
 1995:海軍副参謀長
 1996:海軍参謀長
 1997:海軍副司令官
 1998:[10月]海軍司令官
 2000:[9月]定年退役
 2006:[10月9日](スラユット暫定内閣)運輸相
【横顔】スラユット内閣には、首相と同じく高校教育をキリスト教系の聖ガブリエル・カレッジで受けた「ガブリエル閥」ともいうべき閣僚が多く、同(ティーラ)氏もその一人である(同閥には、他にプリディヤトン副首相兼財務相、クルッククライ商業相、ブンロート国防相、スウィット観光スポーツ相らがいる)。


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(AMR2006年11月15日号掲載)
■エネルギー相 Energy Minister
 ピヤサワット・アマラナン(博士)

 Dr Piyasvasti Amranand
 英LSEで経済学博士号を取得した数理経済学者であるとともに、国家エネルギー政策事務局(NEPO)初代事務局長を務めたエネルギー分野の第一人者。1990年代には、工業省所管のタイ石油公社(PTT)や首相府所管のタイ発電公社(EGAT)など当時の政府エネルギー関連事業の規制緩和や民営化に主要な役割を果たした。しかし、2001年に成立したタクシン前政権が特定企業を選択して助成するエネルギー政策を実施し始めたことに異を唱えたため、タクシン首相による“降格人事”の対象になった。
 その後民間企業の会長に転じたこともあり、スラユット暫定内閣にはプリディヤトン副首相兼財務相、コーシット副首相兼工業相らとともに官民の経済活動に通じた実力派として入閣した。
 就任と共に、エネルギー省の最優先課題は天然ガス事業を監督する機関の設立であると言明する一方で、新しい法律や規則を制定してもPTT社(旧タイ石油公社)の収益を阻害するようなことはしないとの考えを示した。また、約1年間の暫定閣僚としては、公益企業を民営化する意図もなく、あくまで適正な法規の整備を行うだけであることを強調した。EGATの民営化についても、自らが関与する意思はないと語った。
 前政権が推進していたバイオ燃料の大量生産事業に関しては、代替燃料の重要性は認めるとしながらも、石油価格が下落傾向にある現在では、同事業の採算性を調査し見直しも辞さないことを示唆した。
▼データ
【年齢】53歳(1953年7月11日生まれ)
【生地】バンコク
【学歴】(英)オックスフォード大学(ブレーズノーズ・カレッジ)卒(数学専攻:最優秀)(1975)
 1977:ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)修士号(計量経済学・数理経済学)取得(優等)
    LSEで経済学博士号取得。
【経歴】
 1995:首相府国家エネルギー政策委員会委員。(チュアン政権)同委員会広報局長
 2001:[4月](タクシン政権)国家エネルギー政策事務局(NEPO)初代事務局長
 2002:[5月]官職を辞す
 2003:カシコーン・アセット・マネジメント社会長
 2006:[10月9日](スラユット暫定内閣)エネルギー相
【歴任】国家経済社会開発委員会(NESDB)事務局次長。バンチャク・ペトロリウム社役員。タイ・ペトロリウム・パイプライン社役員。
【横顔】貴族の家系であり、父のプロク(Prok)元駐米大使は1977年に成立したクリアンサク政権で副商業相を務めた。
*前職はカシコーンバンク(旧タイ農民銀行)系のカシコーン・アセット・マネジメント社の会長であり、同行の要職を歴任したプリディヤトン副首相兼財務相とともに「カシコーン人脈」ともいえる。
*タクシン前政権時代、NEPO事務局長から首相府副官房長への人事異動が発令された翌日にNEPO事務局次長への降格人事を言い渡されたため、即日辞表を提出した。2年8カ月の間に5回もの人事異動があるなど政治家の思惑に翻弄されることに憤慨したことが辞任理由との見方が多い。



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(AMR2006年11月1日号掲載)
■国防相 Defence Minister

 ブンロート・ソムタット(大将)
 Gen Boonrawd Somtas
 退役陸軍大将。元国軍総参謀長。スラユット暫定首相とは、国軍士官学校予科および陸軍士官学校の同期生であり、現役軍人時代を通じて親友の間柄。9月の軍事クーデター発生前までは毎週のゴルフ仲間でもあった(首相は自らが最も信頼できる人物に国防相の重責を託した形である)。現職で取り組むべき2つの重要課題は、タクシン前首相が行った縁故主義人事の故に相互の信頼が失われた国軍将兵に団結を取り戻すことと、最南部の治安問題の解決である。
▼データ
【年齢】63歳
【学歴】国軍士官学校予科卒(第1期生)
    チュラチョムクラオ王立陸軍士官学校卒(第12期生)
    陸軍参謀学校卒
    仏陸軍参謀学校に留学
【経歴】特殊部隊下士官
    ベトナム派遣軍に参加
    第二特殊戦師団長
 1999:陸軍参謀長
 2002:国軍総参謀長
 2004:定年退役
 2006:[10月9日](スラユット暫定内閣)国防相
【横顔】同(ブンロート)氏とスラユット首相の国軍での経歴は実によく似通っている。@予科、陸士、陸軍参謀学校で同期生。A陸士を優秀な成績で卒業し海外の陸軍参謀学校に留学(同氏はフランス、首相は米国)。Bインドシナ戦争での戦闘に従事(同氏はベトナム、首相はラオス)。C同時期に特殊戦師団長に就任(同氏は第2師団長、首相は第1師団長)。D同氏は陸軍参謀長と国軍総参謀長を歴任し、首相はほぼ同時期に陸軍司令官と国軍最高司令官を歴任。E同年(04年)に定年退役。


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