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名将:高橋紹運最後の地

岩屋城跡

所在地福岡県太宰府市浦城
 

築城者:高橋鑑種   築城年代:16世紀半   形式:山城
遺構:土塁・堀切

歴史

岩屋城跡は16世紀半に宝満山城の支城として豊後・大友家の武将:高橋鑑種によって築城された山城です。
 鑑種は主君である大友宗麟の傲慢な振る舞いに叛き反旗を起こした為に城を追われ、これに伴い吉弘鎮理が「高橋」の名を継ぎ、高橋鎮種として城主となった。
 1586年に悲願の九州制覇を実行に移し、大友家領土を蝕む島津軍がついに岩屋城に押し寄せ、その数5万の大軍に囲まれてしまう、この時高橋紹運(鎮種の出家後の名前)は約700名の兵と共に篭城したが、奮闘むなしく秀吉の援軍が来る前に陥落し紹運は自害してしまった。
 後に島津軍は宝満山城も陥れるが立花山城を陥落できずに撤退したが、この理由として岩屋城の攻略に時間が掛かりすぎたのが原因だと言われている。紹運の抵抗が島津家の九州制覇を止めた形となった。

現在

現在岩屋城跡は291mの岩屋山中腹に土塁等の遺構を残しているが、特に石碑には目を奪われてしまう、今となっては展望台的な役目を果たしているが、その昔ここで九州の歴史を担う戦が有ったと思うと、たたずんでします場所でもある、もし紹運が生き延びていたら大友家の結末も変わっていたはずだと言われているので、この場所に来たら是非、この場所より少し下がった所に有る「高橋紹運の墓」にも足を運んでみると良いでしょう。

アクセス方法

九州自動車道:大宰府IC-四王寺山方面に進む(案内板などは無いので地元住民の方に聞かれる事をお勧め
します。)岩屋城跡の看板あり!(駐車スペースに気を付けて下さい。)
総時間:高速道路下車から約20分程度
わき道に1台分位の路側帯あり、県民の森からは徒歩30分程度
公共機関西鉄大宰府駅から車で15分程度
地図リンク


豆知識: 岩屋城は四王寺山公園内の一角にありますが遠方から来られる方は行きづらい場所に有りますので地元住民の方に聞きながら進むことをお勧めします。(四王時公園内の案内板を使われるのもお勧めします。)

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