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岩屋城跡は16世紀半に宝満山城の支城として豊後・大友家の武将:高橋鑑種によって築城された山城です。
鑑種は主君である大友宗麟の傲慢な振る舞いに叛き反旗を起こした為に城を追われ、これに伴い吉弘鎮理が「高橋」の名を継ぎ、高橋鎮種として城主となった。
1586年に悲願の九州制覇を実行に移し、大友家領土を蝕む島津軍がついに岩屋城に押し寄せ、その数5万の大軍に囲まれてしまう、この時高橋紹運(鎮種の出家後の名前)は約700名の兵と共に篭城したが、奮闘むなしく秀吉の援軍が来る前に陥落し紹運は自害してしまった。
後に島津軍は宝満山城も陥れるが立花山城を陥落できずに撤退したが、この理由として岩屋城の攻略に時間が掛かりすぎたのが原因だと言われている。紹運の抵抗が島津家の九州制覇を止めた形となった。
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