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門司城は源平時代に平家の勇将・平知盛が築城されたと言われているが、定かではない。
寛元2(1244)年、下総前司親房が平家残党鎮圧の下知奉行として、鎌倉幕府より豊前国代官職に任じられて下向し、親房の子孫が地名により性を門司と変え門司家として繁栄するが、南北朝時代には門司家が分裂し内乱を起こしたりもしたが約350年に渡り北九州の地を治めた。
室町時代には大内家の所領となり門司家はその従属となっているが、大内家滅亡後は毛利家と大友家が覇権を賭けて戦いになり、大友宗麟は3万の兵で毛利元就の拠点・門司城を包囲するも、毛利軍は6万の援軍を門司城に送った。
その後は小早川家など度々、城主を変えていったが細川家所領時代に一国一条令により廃城となった。
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