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有智山城は筑前の雄:少弐家の居城として栄えた城だ。鎌倉時代の二代将軍源頼家は、家臣の武藤小次郎資頼に太宰少弐に命じ、資頼は少弐の性を名乗るようになった。
少弐家は筑前に勢力を誇っていたが、永享五年に周防の大内家との筑前争いに敗れ、少弐満貞が敗死してしまうと少弐一族は、対馬の宗家を頼って落ちのび、少弐政資の時に大友家の力を借りて、再び大内家に対抗し見事筑前を奪回し、有智山城に戻ってきた、実に60年振りの復興でもあった。
だが、明応3年に大友家で大友政親と子の親宗の争いがおこり、政親が大友家によって殺害されると、大内家が再び筑前に侵略、少弐家は徐々に衰退してしまい最後は家臣の裏切りにあった少弐高経が明応6年に自害し、少弐家は11代230年の幕を閉じた。
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