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岩石城は保元三年に太宰大弐となった平清盛が築城し、大庭平三景親が城主となったのが始まりだと言われている。承久三年に豊後:大友家の抱城となってからは豊前:大友家と大内家の争奪戦が激しさを増していき、正平二十三・往安元年大友家の熊井右近将監親盛が入城して大内家の居城となるも、永禄年間には大友家に攻め落とされてしまうが、応永5年にはまたも大内家が岩石城を奪還し大庭景忠が城主となり、大庭家の居城となった。その後も、城主が目まぐるしく変わっていく岩石城なのだが、豊前・豊後の国境近くだった為に常に戦略上の拠点として争いが絶えなかったと言われている。
だが、薩摩:島津家が耳川の戦いで、大友家を粉砕すると、島津家が九州制覇を実行に移し大友家領土に侵攻すると岩石城も島津家の占領下になってしまう、これに対し豊後:大友宗麟は豊臣秀吉に救援を要請し、天正十四年に秀吉による九州征伐が九州に上陸して、その城攻めの足がかりとなったのがこの岩石城であった。
これに対し島津家は天正十五年に秋月の秋月種実がこの城を出城として3千の兵で籠城する、豊前有数の堅城名高い岩石城を流石の秀吉軍もこれには大苦戦をするも、最後は兵力の差を見せつけて落城させ、岩石城は廃城となり歴史から消えていった。
尚、秀吉の岩石城攻略には数々の伝え話が残っている。
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