|
障子岳城は、延元元/建武三年に、足利尊氏の一族:足利統氏が築城して居城とした、しかし正平二十三/応安元年に千葉上総介光胤が統氏を破り千葉氏が居城とした。
応永六年の元旦に中国地方の大内氏が突如侵攻して障子ヶ岳は落城してしまい大内家の居城となるがのちに光胤の嫡男:千菊丸が千葉家を再興させて再び千葉氏の居城となるが長く続く事は無く滅びてしまう。天正七年には高橋元種が毛利氏の居城で有った障子ヶ岳城を出城としたが天正十四年に豊臣秀吉の九州征伐で毛利・小早川の軍に敗退して落城してしまう。
天正十五年には豊臣秀吉の宿舎として使用し、九州平定後は小早川隆景の持城となるも天正十七年に豊前の名城と呼ばれた障子ヶ岳城も廃城となってしまった。
|