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馬ヶ岳城大宰大弐として九州に下ってきた源経基が築城した城で、「愛宕将軍神が神馬に乗って現れた」夢を見てこの地を探したので馬ヶ岳と名付けられたと言われている。
築城後は橘公頼の子:筑前守昌頼を豊前守護として居城させ七代まで栄え続いた。だが、仁平元年に源為朝が豊後より侵攻して馬ヶ岳城を落城させて城主:頼行は自害して果てた。
建武年間頃にはこの城を多くの隣接する勢力者達が争っていたが、貞和年間に親王の臣:新田上野介義基が馬ヶ岳に入城して三世代まで新田家の居城となり、南朝の九州における拠点となった。
その後も争いが絶えなかったが、天正十五年に豊臣秀吉の九州征伐の際に当城に立ち寄り宿舎とし、九州平定後は豊前国は秀吉の参謀、名軍師:黒田孝高の領土となり、中津城築城までこの城を拠点とした。
慶長五年には関ヶ原の功績により黒田氏が筑前に移封されると、細川忠興の居城となるも元和元年の一国一条令により、廃城となった。
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