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知覧城は鎌倉時代初期に源頼朝の命により築城と言われているが実際は定かではない。 1198年に当地は知覧院と呼ばれ平忠益が郡司、地頭は島津忠久が臨んでいた、その後、足利尊氏が島津五代目貞久の時に佐多氏を郡司として入邦した更に、室町時代には伊集院氏が勢力を誇っていたが、島津8代目久豊の前にあっけなく降伏した、この際久豊が知覧城に入城し『佐多殿の有所の地』と言い、佐多親久にこの地の領土を与えたと伝えられている。 1591年に豊臣秀吉の九州制圧で秀吉に背き領土を没収されるが10年後に復帰、だが佐多11代目時代に原因不明の出火が起きて城は全焼し事実上の廃城となった。
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