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九州の覇者・島津家は天文19年(1550年)に島津本宗家の居城だった清水城が手狭になった為に、海岸に近い場所に新城を居城した、その新城が内城であり、島津家の居城として使用された。
その後約50年にも渡り本拠として使用されたが、豊臣秀吉の圧力が次第に大きくなると、富隈城に移転し、内城は島津義弘の三男で後に薩摩藩初代藩主になる島津忠恒の居城となるが、忠恒が朝鮮出兵で本土には居なかった為に、使用される事はなかった。
慶長7年になると忠恒は本拠地を鹿児島城に移し、内城には大龍寺が立てられ、事実上の廃城となった。
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