〈倶子オフィス〉著書「俳優がゆく」より
「上野駅14番線」撮影:守屋 進 |
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転 機
競争に勝つ。いい大学に入る。立派な会社に勤める。そして出世したい。ライバルを抜き去る。蹴落とす。どうすれば勝てるのか? 役者3万人。俳優という仕事、これまた4000校中、40校の甲子園出場を争う高校球児の激戦に、ほぼ近い。 48歳頃、50歳が間近という時期でした。棚からボタ餅を待つような、プロデューサーからの配役を待ち暮らす生活に嫌気がさしていたんです。それは俳優断念の危機だったのかも知れません。本来、斬り込み型の私の性格には、いつ来るとも知れぬ仕事を待つ生活は、辛く堪え難い日々でした。見る目なきプロデューサーたちを恨み、また、共に暮らす女性から生活の不安定を指摘されての別離もありました。「因果な商売だなア」と、うめいていたのです。しかし、ある時を境に、私は誰にも負けない男になったように思います。ボタ餅の落ちて来るのを待つ生活を辞め、自ら稲を植え、餅をこね、アンコを仕込んで、自分の手でボタ餅を創り出そうと模索した時からです。 それは1982年の冬。上野駅。稼いだ30万円を懐に、秋田へ帰る出稼ぎの父ちゃ。嬉しく楽しい酒。停車中の列車デッキで小用をたしていたら、突然発車! 巻き込まれた父ちゃは轢かれ死ぬ。クリスマスの夜。帰郷の日。14番線プラットホームでの出来事でした。10年前の、その新聞記事を思い出しての芝居創り。ひとり舞台『上野駅14番線』が出来上がった。上演依頼をこなしつつ、年に一度は新作を発表するという年間スケジュールも定着する。もはや「闘い」は他人と比べ競うものではなく、自分の「創作能力」と劇完成への「到達能力」にかかっている。そんな日々を送るようになっていました。 つまり、各人が、それぞれの自分の能力に合致したことをやればいい。それだけのことだ、とわかったのです。自分の価値は他人との比較によって決まるものではない。発想と姿勢を変えてから俳優業も充実し、楽しいものとなりました。必死で待ち望んでいないから、指名されるテレビの仕事は、「じゃあ、やらせてもらいます」と、ありがたみがまた格別で、気合いも籠る。 自ら光る本当の役者になったら、生きていけるのだ。そう思います。今からでも遅くはない。今からでなくては遅い。それが48歳のあの時。自分の為すべき作業に専念没頭する。夢中の年月が過ぎて、ふと辺りを見渡すと、そこは雲の上に抜けたように誰もいない。他人と競って手にしたナンバーワンの座ではなく、自分らしく生きたオンリーワンの生涯を送って果てたい。 |
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