| 人生最後をラスベガスで暮らした男ハワード・ヒューズを主人公とする <映画 アビエイター:2005年3月26日から日本公開>を観るのであれば・・・知っておきましょう!ハワード・ヒューズ Howard Hughesという男のことを・・・ | |||||||||||||||||||||||||
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油田採掘のためのドリルの発明で巨万の富を得た父親の元に生まれ、過保護な母親に溺愛されて裕福な幼年期を過ごすが、その生活は同年代の遊び相手が一人もない孤独なものだった。子供の頃は勉強よりもゴルフに夢中になり、数学や機械にも興味を示し、自動車を購入してその仕組みを調べるため分解して組み立てたり、父親のスチーム・エンジンのパーツからオートバイを作るなど幼い頃からその天才的な才能を開花させていた。はにかみ屋だったヒューズは学生生活になじめず、高校と大学を転々とするが、16歳の時には母親が、18歳の時には父親が急死。両親を亡くして孤独になったヒューズのもとには90万ドル近い遺産が転がり込んできた。![]() 父親のヒューズ工作機械社を引き継いだものの、会社の経営は他人に任せて、25年、子供の頃の夢だった映画製作者になるためハリウッドにやってくる。初めて製作を手掛けたコメディ『Swell Hogan』(26)は、完成した映画の出来が悪かったため一般に公開されることはなかったが、翌27年の『美人国二人行脚』は監督のルイス・マイルストンに第一回アカデミー監督賞をもたらした。 その年のアカデミー作品賞に輝いた航空映画『つばさ』(27)を観たヒューズは、自分ならもっと素晴らしい映画が出来ると考え、『つばさ』を超える航空映画の製作に着手。 87機もの現物の戦闘機を購入して、本物のフライトを撮影するが、3人のスタント・パイロットが死亡し、ヒューズ本人もスタント飛行中の事故で大怪我を負ってしまう。それ以外にも、監督の降板、女優の交代、トーキーの導入によって完成までに莫大な制作費がかかり、完成した映画はヒットしたものの、制作費を回収することは出来なかった。 31年には再びマイルストン監督と組んで実際に起こった事件を元にしたヒット戯曲『フロント・ページ』を映画化。マシンガンの様に繰り出されるトークが魅力のコメディ『犯罪都市』は大きな成功を収め、後に3度リメイクされるほどの人気を獲得した。 翌32年には若手監督のハワード・ホークスと組んで『暗黒街の顔役』を発表。アル・カポネをモデルにしたギャングの壮絶な生き様を描いたこのギャング映画は、あまりにも過激な内容のため宗教団体やヘイズ・オフィスらの反感を招いたが、映画は大ヒットを記録。ギャング映画の古典となった。 熱狂的な飛行機好きだったヒューズは35年にヒューズ航空機制作会社を設立し、自ら開発したH-1で陸上機のスピード世界記録を更新。 37年にはロサンゼルス−ニューアーク間を7時間28分で飛ぶ新記録を作り、38年にはニューヨーク−パリ間を3日19時間17分で横断してそれまでチャールズ・リンドバーグが保持していた記録を破った。また、32年にはリンドバーグが設立した航空会社TWAを買収。39年には当時誰もが無謀だと考えていた大陸横断の旅客飛行に挑み、ワシントン−ロサンゼルス間の飛行に成功して大きな成功を収めた。 39年には再びホークスと組んでビリー・ザ・キッドを主人公にした西部劇『ならず者』(43)を製作。ホークスのやりかたに満足できないヒューズは自らメガホンをとるが、扇情的な内容が災いして検閲機関との争いが長引き、公開まで3年を要した。
第二次世界大戦が勃発すると、750人を輸送できる飛行艇の製造に着手。当初、3ヶ月で3機作る計画だったが、期限に間に合わず一機のみ完成。「木のガチョウ」号と呼ばれたこの巨大な木製の飛行艇は47年に一度だけ飛んでその使命を終えた。 44年には監督のプレストン・スタージェスと共に「カリフォルニア映画社」を設立。既に引退していたサイレント映画スター、ハロルド・ロイドを起用した『The Sin of Harold Diddlebock』(47)と4人の監督が携わった『Vendetta』(50)を製作したが、共に興行的な失敗作となった。 48年には経営危機に陥ったメジャー・スタジオの一つRKO社を当時としてはハリウッド史上最高の880万ドルで買収。 ジョン・ウェインと組んでモンゴルの英雄ジンギスカンを描いたスペクタクル史劇『征服者』(56)や、航空ドラマ『ジェット・パイロット』(57)などの大作や話題作を手掛けるが、経営危機を脱することは出来ず、ヒューズは大幅な人員削減を行って過去のRKO作品を売りに出し、55年にはスタジオをジェネラル・テレラジオ社に売却した。 66年、ヒューズは5億ドルでTWAを売却すると、ラスヴェガスのデザート・インを買収。最上階のスイートルームに居を構え、他のホテルや、ラジオ局、テレビ局などラスヴェガスの主要な施設を次々と買収していった。 70年にはエアウエスト航空を買収、72年には父親の会社「ヒューズ工作機械」を売却するなど精力的な活動を続けるが、76年に腎臓機能不全が原因で死亡。死亡時、彼の容姿は指紋を取らなければ判別できないほど変化していたと言われている。ヒューズの遺産は90億円にものぼり、400人もの人々が彼の遺産をめぐって争ったが、最終的に22人の従兄弟らに分配された。 ハリウッドではキャサリン・ヘプバーン、ジンジャー・ロジャース、オリビア・デ・ハビランド、エヴァ・ガードナーといった大物女優たちと浮名を流し、中でもヘプバーンとは真剣に付き合い、結婚まで考えていた。 44年頃からヒューズは細菌を恐れるようになり、ホテル内でほとんどの時間を裸で椅子に座って過ごし、ラスベガスに移ると滅多にホテルから出ようとせず、乗用車には空気清浄機を取り付けていた。また、ラスベガスでは不眠時に映画を見るためにテレビ局を買収。映画の途中で居眠りしてしまった時は、テレビ局に電話をかけて見逃したところから再放送させたこともあった。映画製作、飛行機製造、会社経営だけでなく政治にも積極的に関わった謎に満ちた富豪ヒューズは『メルビンとハワード』(80)、『タッカー』(88)、『ロケッティア』(91)など、30〜70年代を舞台にした映画で主人公に関わる重要なキャラクターとしてたびたび登場。 04年にはマーティン・スコセッシ監督が『アビエイター』でハリウッドや飛行機に情熱を傾けた青年時代のヒューズの活躍を描き、『タイタニック』のレオナルド・ディカップリオがヒューズを演じた。 |
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アメリカにおけるハワード・ヒューズのイメージは、数々の奇行奇癖の伝説を持ち、世界各地を転々としながら晩年の隠遁生活を送った謎めいた大富豪というものらしい。しかし映画は彼が父の会社を継いで映画製作に乗り出す1920年代半ばから、社会から隔絶された隠遁生活に入る直前の1940年代末までのおよそ20年間を描いている。 映画は少年時代のヒューズが美しい母親からマンツーマンの教育を受けるシーンから始まるが、行水しながら綴り字をおさらいするヒューズと母の姿をとらえた映像はじつにエロティック。じつはこのシーン異常にエロティシズムを感じさせるシーンは、この映画の中に二度と現れない。母と過ごした官能的な時間を起点に始まった映画は、最後にまた同じ官能的な時間の中に閉じられていく。回想形式にこそなっていないが、謎めいた大富豪の生涯が少年時代の思い出の中に閉じていくというアイデアは、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』を連想させる。『市民ケーン』は1941年製作で『アビエイター』が描いた時代と重なり合うし、当時25歳の天才ウェルズはハリウッドに受け入れられないまま生涯を終えた。この映画は若き天才ヒューズの中に、オーソン・ウェルズと同じものを見ているのかもしれない。 1930年代のきらびやかなハリウッドを再現したシーンや、迫力満点の飛行シーンなど、映画の中は見どころが満載。『地獄の天使』の撮影シーンは、まるで宮崎駿の『天空の城ラピュタ』や『紅の豚』を実写にしたような迫力だ。出演者も豪華で、話にまったく難解なところがないのもいい。これは大満足!<出典:映画瓦版> |
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