ラスベガス旅行前マメ知識
ラスベガス旅行へ行く前に
ちょっと知っとこ!ラスベガスのミニ歴史

今からおよそ170年前、アメリカ北西部のこの地は、あたり一面砂漠のなにもない土地でした。1829年、スペインの探検家アントニオ・アルミホがその砂漠の中にオアシスを発見し、彼はその地にスペイン語で「草原」を意味する「ラス・ベガス」という名前をつけました。

当時の、人口はたった25人だったそうです。

その後、19世紀後半、アメリカでは、ロサンジェルスを中心とした「ゴールドラッシュ」が起こり、一攫千金を狙い、多くの労働者たちが続々と西海岸にやってきました。その道中、宿泊したのがラスベガスであり、彼らは酒を飲みながら、わずかな持ち金を賭けてカードゲームを楽しんでいたそうです。これが、ギャンブルの街・ラスベガス誕生の瞬間ともいえるでしょう。

そして、1905年、LAとソルトレイクシティを結ぶユニオンパシフィック鉄道が開通。ラスベガスに駅ができたことをきっかけに、街を訪れる人が急増。

しかし、そこにある問題が浮上します。砂漠の真ん中のオアシスに過ぎなかったラスベガスには、多くの人々を受け入れるだけの水と電力がなかったのです。

そのラスベガスの運命を、ガラリと変えてしまったのが「フーバーダム」の建設。日本国内の全てのダムの貯水量の2倍もの水を貯めこめる巨大ダムの建設により、ラスベガスの電力と水不足は、解消されたのです。

さらにその年、ラスベガスのあるネバダ州は、財源の確保を理由にそれまで非合法だったギャンブルを合法化。こうした事が重なったことで、ラスベガスは一大カジノタウンへ発展していくのです。街に続々とカジノが出現し、空前の賑わいを見せたラスベガスにニューヨークやシカゴなどで暗躍していたマフィアも目をつけます。一度に巨額の金が動くカジノは、彼らにとって貴重な財源でもあったのです。

そんななか、ラスベガスの歴史を変える一人の男が現れます。後に映画「バクジー」のモデルにもなった悪名高いマフィア、ベンジャミン・シーゲルです。彼は「ハリウッドの社交界を、そのままラスベガスへ持ってこよう!」と考えます。砂漠のど真ん中のこの地に、カジノだけではない、すべてのエンターテインメントを盛り込んだ一大レジャー施設の建設を計画したのです。

そこでシーゲルが立ち上げたのが、ショーあり、アトラクションあり、ショッピングありの、現在のラスベガスホテルの原型ともいうべき、「フラミンゴ・ホテル」です。気まぐれでこだわり屋のバグジーは、設計の細部にまで口を出し、当初の予算を6倍以上オーバーした660万ドル、現在の価値で80億円という巨額の建設費用をつぎこみました。

こうして1946年オープンした「フラミンゴホテル」。豪華絢爛を売り物としましたが、一般の人々にはなかなか受け入れてもらえず、さらに開店資金もあっという間に底をつき、2ヵ月で休業することになったのです。

責任を追及されたバグジーは、仲間のマフィアによって暗殺。ホテルの経営は仲間のマフィアの手に移りますが、皮肉なことに、バグジーの死が話題になり、やがて、多くの客が訪れることになるのです。以来ラスベガスは、約30年もの間、マフィアの支配下に置かれることに。

ところが、フラミンゴホテル誕生から20年後の1966年。この状況を一変させる一人の男が現れます。映画「アビエイター」のモデルとなった、“20世紀の大富豪”ハワード・ヒューズです。歴史も浅く、発展途上だったラスベガスにアメリカンドリームを感じたヒューズは、航空会社TWAの売却で得た500億ドル、日本円にして約60兆円もの資金でラスベガスのホテル買収を計画。マフィアの手から次々とホテルを買収していきました。

当時、マフィアへの取り締まりを強化し、街からマフィアを根絶させようとしていたネバダ州当局の思いとも重なり、ラスベガスをマフィアの血にぬれた歴史から開放していったのです。これによりラスベガスは、安心でクリーンな街へと変貌を遂げ、誰もが自由にカジノやショーを楽しむことができるように。

さらに、マフィアがいなくなったことで、ホテル間でもサービスや設備向上の面での競争心が生まれ、人々を魅了するための仕掛けや工夫が次々と組み込まれていくようになったのです。


ラスベガスサイト ベガスカフェのTOP へ戻る 
OR
ベガスカフェ-Blog