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テーブルの上に皿が1枚乗っている。
この皿はわたしが置いたからそこにある。 では、このわたしをここに置いたのは誰か? なぜ自分は存在するのだろう? なぜ宇宙が存在するのだろう? 子供の頃誰でも一度は考えた事があるだろう。 小学生の頃のわたしはほとんど毎日のように考え続けていた。 自意識というのは自分にしか無いものだと思い込み、両親すらも実体はなくわたしの目の前でだけ存在しているのだと思えた時期もあった。 ずっと考えていると、そのうち意識が身体から離れ異次元に飛んでいって戻ってこれなくなるような恐怖を感じ、結局は考えるのをやめる。 それのくり返しだった。 大人達が『それ(きっと同じような事を感じているはずなのに)』について一言も話さないというのも不思議だった。 きっと『それ』はタブーで、だからこそ皆が話し合わないように『それ』を表現する言葉が存在しないのだとも考えた。 そして出した結論は、「大人になったら実際の生活が大変で忙しくなって考える暇が無くなり、いずれ忘れてしまうのだろう」。 確かに現在のわたしはめったに考えなくなったが、それでも完全に忘れる事はなかった。 子供の頃の予感は当たってもいて、はずれてもいた。 成長するにつれ、考えているだけでは決して答えは得られないとわかり、答えを探す努力をし始めた。 宗教が答えを与えてくれるかと考え教会に参加してもみた(わずかの期間だったが)。 小説や映画の中にも答えを与えているようなものがあった。 サイエンスや哲学の本も読んでみた。 特に宇宙に関する本を読みまくった時には、かなり答えに近付けたような気さえした。 しかし、大人になってわかったのは「わたし以外にも多くの人が同じような事を考えている」という事だけだ。 おそらく死ぬまで答えはわからないままだろう。 なぜ手相や四柱推命が統計学として成り立つぐらい当たる確率が高いのか。 前世は本当に存在するのか。 霊が見える人は本当にいるのか。 超がつくほどの現実派のわたしにはこれらは到底理解できないものだ。 だけど、『宇宙の存在の理由』という謎がある以上、どんな事だってあり得る。 ただひとつ、この世界を支配しているものの存在はわかったような気がする。 それは『因果律』である。 すべての出来事には『原因』と『結果』がある。 そして自分が他人に対してやった事は、ことごとくいつか返ってくるのだ。 人に悪い事をすれば、いつか誰かに悪い事をされる。 人を憎めば、いつか誰かに憎まれる。 人をいじめれば、いつか誰かにいじめられる。 反対にしてあげた良い事も、いつかしてもらえる。 人に親切にすれば、いつか誰かに親切にされる。 人を愛すれば、いつか誰かに愛される。 人を助ければ、いつか誰かに助けられる。 幸せになりたければ、まずはじめに自分が誰かの幸せを願えばいい。 |