私のアトピー歴 ・ 目次
【1】アトピーとステロイドの始まり 【2】それから、だんだんと 【3】そして、20年目
【4】リバウンド 【5】東洋医学・民間療法 【6】夜明け 【7】ステロイドをやめて8年

「どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。
聞いてもらう事が私の慰めだ。」
――――旧約聖書ヨブ記21-2より―――

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【1】アトピーとステロイドの始まり

 

私が生まれたのは、1960年代の始めである。

高度成長の始まった時代、公害が問題になり始めた時代、インスタント食品が溢れ出した時代、そして、ステロイド外用剤が広く使われ出した時代である。

赤ん坊の頃から、顔にアバタが残るくらい湿疹が酷かった。当時どんな治療をしていたかは全く分からない。しかし、物心つく頃には、いったん収まっていた。

小学生の頃、小児喘息になった。
夏の暑い日は、よく光化学スモッグ注意報が出ていたものだ。しばしば学校は休んだが、重症と言うほどではなく、病院に通い、吸入や飲み薬などで1年程で良くなった。

しかし、同時に、出始めた手足の関節の内側の湿疹は、なかなか治らなかった。当時は、アトピーという言葉も聞いた事がなかったが、アトピー性皮膚炎の典型的な症状だった。

当時は、患者に薬の名前など言わないのが、ごく普通だったし、私も子供だったので、細かな記憶がなく、確証はないが、その時から塗り出した薬は、おそらくステロイド外用剤だろう。当時、通っていた病院は、市の中心的な公立病院だし、ごく標準的な治療をしていたと思うからだ。

この時から、20年間ほぼ毎日、薬を塗り続けたのだ。

 

【2】それから、だんだんと 

〈アレルギーマーチ〉

中学生の頃からは、首と額にも、症状が出始めた。手足の症状はずっと続いていた。
高校の頃には、鼻炎が始まった。
大学の頃には、症状が肩、胸、手指にも広がっていた。
いつの頃からか、夜1、2度くらいは痒みで目が覚めるのが当たり前になっていた。

19年間、変わり映えしないといえばしない。診察室に入るたび、医者が「どうですか。」と聞くと、私が「相変わらず痒いです。」と答えるというのを繰り返していたものた゛。

そうすると、医者は「では、薬を出しておきます。」といつもの薬をくれるのだ。
今から思うと、私にとって、医者はまさしく自動販売機だったと。

その他、お決まりの抗アレルギー剤や抗ヒスタミン剤、漢方製剤を飲んだり、減感作療法をしていたが、さほど効果はなかったようだ。薬を飲むと、ある程度は押さえられるようではあったが、それ以上は良くならないのだ。

 

〈几帳面〉

我ながら、几帳面で、真面目で、根気強いと思う。
20年間、定期的に病院に通い続け、1〜2週間にチューブ1本程度の薬を塗り続けたのである。医者も、よくぞ、薬を出し続けてくれた。 

 

〈非ステロイド〉

ただ一度、どういうわけか、医者が、額に塗る薬を変えた事がある。いつも塗っている透明な薬に比べると、ややサラリとした感触の白い薬だった。おそらく、非ステロイドではなかったかと思う。
しかし、それを塗ると、なんだかヒリヒリするし、皮がボロボロ剥けて来るのを押さえられないし、悪化するような気がした。
2週間後病院に行った時、その旨、医者に言うと、すぐに元の薬に戻った。

あの時、医者が、その意味を説明していてくれたら………。

しかし、私は何も知らなかったし、くどいようだが、当時は医者が患者に何も説明しないのは当たり前だった。

「これは何と言う薬ですか?」という質問した事くらいはあるが、医者は「これは体質を変える薬です。」とか、「痒みを押さえる薬です。」とか、そういう曖昧な言い方をするだけで、何故か名前をはっきり答えないのである。カルテを書く手元を、一生懸命覗いてみたが、殴り書きなので読めなかった。
あまり、しつこいと嫌がられるかもしれないと、それ以上突っ込んで聞く事もできなかった。今から思えば、そんな遠慮など、全く無用だった。

 そして、薬についているラベルは、いつも剥がされていた。何故、わざわざ一手間掛けて、そんな事をしていたのか分からないが。(当時の医師側の事情などご存知の方いたら教えてください。)
でも、何度か剥がし忘れていた時があって、それには「フルコート」(strongのステロイド外用剤)と書かれていたのを覚えている。

「医者からもらった薬が分かる本」のようなものが話題になるのは、まだ先の事である。
その時はまだ重症というわけではなかったから、私自身、それほど追求する気持ちもなかったし、その頃は、病院・医者・薬というものに、ひとかけらの疑問もなかった。

医者に行っているのだから、安心だと思っていた。
私が子供だった、というのもある。また、そういう時代風潮でもあった。

【3】そして、20年目

〈悪化〉

薬を塗り出して、20年目。

どうしようもなく悪化してきた。
別に不健康な生活をしていたわけではない。雑誌等からの知識で、野菜をたくさん摂り、インスタントやお菓子は控えめ、着るものは木綿、石鹸は弱刺激性のもの、洗濯も粉石鹸、と、それなりに気を付けた生活をしていた。

しかし、手足の関節、首はただれ、指は割れ、汁が出た。額は、真っ赤になる、乾燥して皮がボロボロに剥がれる、汁が出る、というのを約3日の周期で繰り返していた。そして、顔も身体も、いても立ってもいられないくらい痒かった。
ここに至って、初めて、私は、アトピーの事を真面目に考え出した。

そして、20年間病院に通って、少しも治っていない、それどころか、むしろ悪くなっているという事に気が付いて、愕然とした。
20年も経って、初めて気が付くというのも、バカだ。
我ながら、気が長いにも程があると思う。

 

〈副作用は?〉

 ちょうどその頃、朝日新聞に、江崎ひろこさんのステロイド裁判の事、ステロイドの副作用の事が載っているのを読んだ。

少しは気になり、医者に、
「新聞にステロイドの副作用の事が載ったりしているが、大丈夫でしょうか。」
と聞いた。すると、医者は、
「この程度の量なら、大丈夫。」
と答えた。

私も、週にチューブ1本程度と、確かに量は少ないからと、自分にステロイドの副作用が関係あるとは、まだ考えていなかった。

しかし、×(掛ける)20年である。それが少ないと言えたのかどうか。

 

〈西洋医学との決別〉

そうしているうち、私の症状が酷いのを見たある人が勧めてくれて、皮膚科の権威という偉い先生に診てもらった。

その先生に私は、
「先生、もう20年も病院に通っているのに、まだ治らないんです。どうしてでしょうか?」
と質問した。
すると先生は、
「ステロイドは、アトピーを治す薬ではありません。言わば、上から押さえているだけです。そして、表面を押さえているうちに、体質が変って治るのを待っているのです。」
と答えた。 

ガーーン!! ショック!! 青天の霹靂とはこの事だ。
私は、薬は病気を治すものだと、頭から信じていた。もちろん、自分が塗っていたステロイドも。

だが、そこでくじけず、私は
「では、どうすれば体質は変るのでしょうか?」
と、さらに質問した。
すると、先生は、
「大人になれば、変ります。」
と答えた。この答えを聞いて、私は、泣き出したい気持ちと、吹き出したい気持ちに、同時に襲われた。

なぜなら、その時私は既に30歳近くになっていたのである。 
「先生、私もうすぐ30歳になるんですけど。」
と言うと、先生は言葉につまっていた。

会計に回ると、今まで見た事が無いほどの山のような薬が出された。薬について何の説明も無かったが、ステロイドであった。

20年間塗って無駄だったと言っているのに、さらにステロイドを出して、どうするつもりなのだろうか。家に持ち帰り、何とも言えない気持ちで、それらを見つめ、そして、この20年間の事を考えた。
しばらくして私は、それらを全部ドサッとごみ箱に投げ捨てた。

この時を境に、私は西洋医学を信じる気持ちを完全に失った。
20年も信じ切り、医者から渡されるがままに、薬を塗り、飲み続けてきたのである。
もう十分ではないか?

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【4】リバウンド

「この容色は衰えはてて、
病の巣であり、脆くも滅びる。
腐敗のかたまりで、やぶれてしまうであろう。
生命は終に死に帰着する。」
――――――ブッダの感興のことば第1章より――――――

 

〈リバウンド始まる〉

西洋医学の病院に行くのをやめた、という事は、20年もの長期連用をしていたステロイドをやめるという事である。今の知識からすれば、リバウンドが起こって、あまりにも当然である。
しかし、医者の口からは、リバウンドという単語すら聞いた事がなかった私は、これからどうなるのか、分かっていなかった。

ただ、訳も分からず、激しい苦痛に翻弄される事になったのである。

 

〈この世の地獄〉

今まで、一度も症状が出ていなかった部分にまで、頭から足先まで全身に症状が出た。不思議と足の裏だけは何ともならなかったが。

だが、足の裏以外は、ジクジクと爛れ汁の出る所、ブツブツ、割れて血が出る所、ガサガサ、アフリカの干ばつでひび割れた大地のような所、全身がボロボロになった。布団も服も風呂も、際限なく剥がれる皮で、粉だらけだった。シーツには点々と血が付いていた。

剣山で、いや包丁でザクザクと全身を刻みたくなる程の強烈な痒み。
絶え間無くムチで打たれ続けているかの様な強烈な痛み。
絶叫するような激しい苦痛。
痛みとか痒みとかいう言葉では、とても想像できない、身体の奥底から突き上げて来るような、激しくおぞましい苦痛。
あの恐ろしい苦痛の感覚を、表現できる言葉は、この世にはない。
「筆舌に尽くし難い」という言葉通りである。

それが、1分1秒の休みも無く、朝も昼も夜も、24時間続くのである。
1日24時間続く拷問。
それが、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、際限なく続くのである。

まさしく、阿鼻叫喚地獄だった。この世に地獄が存在する事を、初めて知った。
苦痛のピークの時は、呼吸もまともにできなくなり、気絶しそうになった事もある。

もちろん、眠る事などできない。一睡もできない。
しーんと、世の人々が、寝静まった夜、一人、延々と際限の無い苦痛に苛まれていると、たとえようの無い孤独感と絶望感を感じた。
幾夜も、苦痛にのたうちながら、夜が白々と明けてくるのを見た。あの時の、絶望に冷たく沈む白い空の色は、今も忘れられない。
次の日も、次の日も、絶望の毎日が続いた。
この世でもっとも恐ろしいのは、どれほど苦しもうとも死ねない病である事を知った。

終わりの無い苦痛に比べれば、死は優しい休息だ。
「神様、もう死なせてください。」「どうか、死ぬ事のできる病気にして下さい。」
と、毎日、真剣に祈った。

 

〈死・発狂〉

「わぁーーっ」と叫んで、窓をぶち破って、飛び降り自殺したくなる衝動に襲われる。窓を開けてから等という理性もない。これが本当の「発作的自殺」というやつだろう。
(今、これを書いているということは、結局自殺しなかったからであるが。当時住んでいた部屋は、自殺できるほど高い場所ではなかったのだ。それを判断できる程度の理性は残っていたわけだ。)

だが、毎日、「もう、耐えられない。今日こそ死のう。」と考えていた。
洗濯ヒモを見ただけで、「これで首を吊れば、死ねる。」と涙が溢れた。

壁にガンカ゜ンと頭を打ちつけて、叩き割りたい衝動に駆られる。
あまりに激しい痒みに、脳みそが沸騰して、不可逆性の変質をしているのではないかと思った。人間の感じる事のできる感覚の限界を超えている。自分はもう発狂しているのではないか、と思った。脳だけではない。全身の皮膚が発狂している、という感じだった。

〈化け物〉

ある時、手鏡で自分の顔を見て、あまりのおぞましさに、鏡を取り落としそうになった。

よく宝塚の大袈裟な芝居などで、貴族の婦人がショックを受けて、「えっ、なんですって!?」などと言って持っている扇子をパッタリ落とすという場面があるが、あれは臭い芝居ではなく、本当の事なのだという事を発見した。

私は化け物になった。人間ではなくなった。そう思った。そう思うしかなかった。全身爛れた醜い姿。自分の身体であっても、気持ち悪くて正視できなかった。できるだけ、見ない様にした。
しかし、その正視する事もできない程おぞましいのは、自分の身体なのである。どこにも、逃げる所はなかった。

 

〈恨み〉

これは、20年間医者に通って、ステロイドを塗り続けたが故の結果ではないのか。医者は、自分の所に来なくなった私が、その後どうなったか、ちらっとでも考えた事があるだろうか。自分が出した薬のために、今、私がこれ程の苦痛にのたうちまわっている事を、医者は想像もしていないだろうか。

医者を恨むまい、人を恨むのは良くない事だと、力ずくでその気持ちを押さえたが………。

【5】東洋医学・民間療法

 

それからは、まずは、健康雑誌でアトピーに効くと書かれていたドクダミ茶を飲み出した。
今から思えば全くかわいいものである。毎日せっせと飲んだが、全然効く様子はなかった。その他、30万円でアルカリ浄水機を買ったり、スピルリナやら、酵素やら、もろもろの健康食品を飲んだり、無農薬野菜を購入したり、玄米菜食にしたり、温冷浴したり、風呂に薬草を煎じて入れたり、ヨガをしたり、etc. etc.涙ぐましい努力だった。
しかし良くなる気配は一向に無かった。

その頃、たまたま、新聞で漢方や断食でアトピー治療をしている高雄病院の事を知り、通い始めた。

漢方薬を飲み始めて、1週間程すると、少し良くなったようだった。しかし、その後ずっと飲み続けているのに、それ以上良くならない。断食はそれよりは効果的だった様で、一時的にはかなり(100の症状が70か60位まで)良くなった。しかし、それも数ヶ月でまた元に戻ってしまった。

これほど努力しているのに、なぜ、と精神的にも追いつめられていった。

今から思うと、噴火山にじょうろで水を掛けていたようなものである。確かにどれも健康に良い事には違いない。(どうでも良いのも結構含まれているが。)しかし、リバウンドの最中にちょっとやそっとの事をやっても無駄であったのだろう。どれも、効果無くてもいた仕方無かったと思う。

しかし、当時はそんな事はわからない。必死になって、この状態を救ってくれる方法はないかと、東奔西走した。

おかげで、それが効くかどうかはともかく、世の中、星の数ほど病気を治す方法というのがあるのを知った。西洋医学の外に、広い世界がある事を知ったのは、新発見だった。

 

【6】夜明け

 

〈ついに良くなる〉

ステロイドをやめてから、約1年半。

毎日、苦痛に苛まされ、何をやっても効果無く、疲労困憊し絶望の日々が続いた。よく「闘病」という言葉が言われるが、どちらに向かって何をどう闘えば良いのか分からないのである。闘いようが無い。ただ、打ちのめされ、耐え続けるしかなかった。
永遠にこの苦しみが続くのかと思われた。

そんな時、ある民間療法家に出会った。その人に教えてもらった食事療法を始めると、なんと1ヶ月くらいでメキメキ良くなりだしたのである。かいつまんで書くと、菜食で、ご飯は精米したての五分搗き米、油・砂糖・塩をほとんど食べない、というもの。同時に、空気と水のきれいな田舎に引っ越した。

何が効いたのかは、本当の所はわからない。それまで、いろいろやってきた蓄積もあるだろう。

何が効いたと言うより、ステロイドをやめて1年半経ったというのが、一番大きいかもしれない。後になって知ったが、リバウンドは1年半くらいでおさまるケースが多いのだそうだ。だから、何もしてなくても、この時期に良くなった可能性もある。なんにせよ、とうとう良くなったのである。

 

〈涙〉

1日、1日と、痒みも痛みも無くなり、皮膚の傷が減り、夜眠れる時間が増え、痒みで途中目が覚める事も無く7時間眠れるようになったその日、「ついにやった!」という大きな達成感があった。
ついに、苦しみの無い日が来たのである。

その時、滂沱と涙がこぼれた。この涙が、何の涙か説明するのは難しい。
激しい嵐が突然に止み、シーンとした中に茫然と立ちすくんでいるようだった。まだ苦痛の記憶が生々しく、その恐ろしさに身が震えた。喜びは、その時にはまだ感じられなかった。それより、それまでの事を思い返し、自分が、どれほど苦しんだかという悲しみにまだ圧倒されていた。

……………………。

 

【7】ステロイドをやめて8年

〈大正解〉

早いもので、ステロイドをやめてからもう8年も経つ。
その後、中波、小波あり、悪化した時もあったが、全体的に言って、徐々に良くなり続け、今は軽いアトピーといった程度である。手指の荒れと、腕の関節の痒みは、時々少しある。正直言って、100%アトピーが無くなる事はないのだろうか、とじれったくなる時もある。だが、今までの30年間の事を思えば、取るに足らない程度だ。生活にも支障はなく、仕事もできるようになった。
リバウンド時、症状の激しかった肘の内側、首、額は、90歳の老人よりずっと深いしわが残っている。これは、一生取れないだろう。

が、いずれにしろ、20年間病院に通って「治療」し続けていた頃より、はるかに良い状態だ。なんという皮肉だろうか。
夜も、もうステロイド治療していた頃のように、痒みで目が覚める事はない。もう何年も、病院にも行ってない。

私は、「20年も薬を塗っているのに、どうして治らないのだろう。」と思っていたが、薬を塗っていたからこそ治らなかった可能性が高い。

結果論ではあるが、ステロイドをやめて大正解だったと思う。
いや、こんな書きか方では、知らない人には何の事か分からないかもしれない。
つまり、おそらく最初の数年で、症状の多くの部分が、アトピー性皮膚炎から、ステロイド皮膚炎(薬害)にすり替わっていた疑いが強い。
愚かだった。無知だった。
 

〈祈り〉

いろんな本を読んだり、患者会の会報を読んだりして、分かった事だが、私は、典型的なケースである。似たような経過をたどった人が、たくさんいるのである。
それなのに、いまだに同じ様なステロイドの使い方をしている医者がいる。

もう、同じ失敗は繰り返して欲しくない。だから、これを書いた。
Sさんの裁判の記録を書いたのも、同じ理由である。
厚生省交渉も同じくである。

もし、これを読んでいるのが、まだ何も知らないアトピーの人なら、今後、私と同じ苦しみを味わう事が無い様祈る。
もし、これを読んでいるのが、今、苦しんでいる人なら、その苦しみを味わったのはあなたではない事を伝え、せめて慰めになる事を祈る。


28年間のおよその症状の度合いをグラフにしてみました。
停滞期の横ばいの線は、スペースの都合上それぞれ短くなってます。

1998年4月記す


【その後】

上記の文章を書いてから約半年経つ。
あれを書いた時は、軽いアトピーという程度で良く言えば安定しているし、正直に言えば「じれったくなる」という状態だった。辛いと言うほどではないから、別に構わないのだが、もっと完璧に治らないのか、と思い迷う事もあった。

その後、梅雨時になる頃やや悪化した。それでまた、弱気になって新しいアトピー・グッズを買ってしまった。(笑)つくづく懲りない奴である。
ところが、ところが、その後、夏頃から自分でも、一体どうしたんだ?と思うくらい、ぐっと良くなった。去年と比べて症状は半分くらいになっている。

リバウンド時が100なら、上記のものを書いた時が5、現在は1くらいの症状だ。
去年の痒さが蚊に刺された時の半分くらいなら、今年は痒い時も蚊に刺された時の10分の1くらいだ。一日のうち一度も痒いと感じない日も多い。

もうこれ以上の変化を望むのは贅沢というものだろうと半ばあきらめていただけに、嬉しさのあまり、夏の間中ほとんどハイになっていた。
朝起きると顔がヌルヌルしてる、お風呂に入ると石けんを使わないとサッパリしない、風呂に入らなくても痒くない、なんていう事で、地団太を踏んで喜びまわっている。
「石けんを使わないとサッパリしない」なんていう感覚、生まれて始めて知った。
実際に、痒みがないため爽快な気分であるのだろう。
身体的変化に以上に、精神的に1年前と、いや、これまでの30年近くの年月と比べて、明らかな違いがある。何か吹っ切れたような感じである。ここまで来てようやく不安がなくなった。

身体は年々変化する。
治るということは素晴らしい。
何十年も治らない治らないと思っていたアトビーも、こんなにも良くなる日が来る。
今も治らない治らない、と思っている人にも、早くここまでおいで、と手招きしたい気持ちだ。

1998年11月記す


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