《アンゴルモアの大魔王》?

私は如何にしてティム・ロスにハマったか


まるで降ってわいたかのようなティム・ロス熱……今にして思えば、
あの年、予言されていた王とは彼だったのではないかとさえ思えるほどです。

今は深く私の心に住まうことになった、ティム・ロスとの出会いについて
じっくり語らせていただきます。

 



1999年は私にとって記念すべき年でした。

まず、結婚しました。
で、住み慣れた横浜から、北九州市に引越し、そして、年の瀬の足音が聞こえる
一歩手前の晩秋になって、突如、ティム・ロスの魅力に目覚めたのです――

という訳で、私のティムはまり歴は、実に浅く、ティム・ファン道(というものがあると
して)においては、ほんのペーペーということになり、長年のファン、特に彼のデヴュー
以来のファンという方からしたらお恥ずかしい限りのキャリアなんですが、

ティムを思うその深さでは、そうヒケをとらない

つもりでおります(笑)。

とはいえ、きっとそう思っている人は全国に沢山いるはず、また、ティム・ロスって
役者は、何故か いったん好きになると、とことん好きになる役者のようです。


1999年以前からも、ティム・ロスという名前は知っていました。
タランティーノの一連のヒット作の出演者として。
ですが、どうも私は大々的にヒットしてしまう作品というのが苦手で、彼の作品から
アマノジャク的に背を向けていてそれまで見たことがなかったのです。
そう――《食わず嫌い》だったのです。
ですから、実際ティムが、どんな演技を見せる、どんな役者であるのか
全く知りませんでした――

 


という訳で、以前は、ティムといったら「タランティーノ作品のタランティーノ役者」という
認識しかありませんでした。 が……この年、1999年、劇場ではさかんに
『海の上のピアニスト』の予告編がかかっておりまして
(今にして思えば、ほぼ一年通して今は亡き小倉松竹で 
 あの予告編観てたような気がする――
で、グランドロマン風の、その物語の主演が、ティム・ロスというのを観て

「ティム・ロス? タランティーノ役者の、あの? 大丈夫かよ」

などと思っていたのです、今から思えば我ながら物凄く不届き(汗)

で、粗筋や美しい映像、またモリコーネの音楽に惹かれ、この『海の上のピアニスト』は
深く静かに私の心に刻まれていったのです……元来、私は20世紀初頭の20年代・30年代テイストが好きだったものですから、その意味からも、この作品、ツボ・ストライクだったのですが、

再度、不届きな発言を繰り返します

「主演がティム・ロスじゃあ、どんなもんだろうねぇ……」

今にして思えばホント信じがたいことですが、私はティム・ロスでは作品の雰囲気や主題に合わないのではないかと眉をひそめていたのです!

ああ、ホント、今から思うと信じられない、我ながら……(苦笑)


そんなある日のことです。
『海の上のピアニスト』公開まであと1、2ヵ月だったでしょうか……。
CSで、たまたまグリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』を観たのですね。
些か記憶があやふやなのですが、多分再見だったと思います。で、その初回の時には全く気づいていなかったのですが、

この話って、ティムが出ていたのですね……(汗)

初回鑑賞時は、とにもかくにも、あのストーリーの毒気にあてられて目を白黒させているばかりで、周りを見る余裕がなかったのでしょうか。しかし今回は

主要人物である泥棒のすぐ脇に控えている若造……。

こいつってば、やたら目に付くんだけど、

これって
……これって…、ひょっとして

ティム・ロスか〜〜!?


と思って最後までじッくり待ってエンドクレジットを見てみると…Tim Roth とある。

知らなかった、コイツってグリーナウェイに使われるような役者だったわけ――

 


などとまぁ、今から思うととんでもない話で心の中でコイツよばわりしながら見ていたのですが、しかし、この時味わった驚愕は――途轍もないものでした。

時あたかも1999年――
私にとっては、ティム・ロスこそが例の予言に謳われし《アンゴルモアの大魔王》とでもいいたくなるような、突然の衝撃でした。


とにかく、とてもじゃないが、ティム・ロスと、グリーナウェイがリンクするとは思ってみなかったわけです――しかし、あの癖の強い(強すぎる)グリーナウェイの世界で、ティム・ロスは、まるでそこに生れ落ちたもののようにごくごく自然に存在し、動いていたのでした!

やはり、《百聞は一見にしかず》ですわ。実物を見てみんと、わからんもんですわ。まさか、ティム・ロスが、こんなに存在感と雰囲気をもった俳優だったとは……ただ、ただ驚きです。

台詞がなくても、ただそこにいるだけで、それで、えもいわれぬものが漂うんですよ。
彼の姿から、立上ってくるものがあるんです。『コック…』の中では主役たちに比べれば
圧倒的に台詞は少なく、画面でも脇に位置することが多かったのですが、

彼の動き……些細な所作や、表情は、万の言葉に優り、主役たちや、その他大勢の
中に混じっていても、自ずと目がいってしまう、吸いつけられてしまうのです。

……前回私、リシャール・ポーランジュを見てたんだったかなあ(彼も面白い役者さんなのですが)しかし、今回はティムの前に霞んでおりました。

という訳で、それまで、単なるタランティーノ役者にすぎなかった私の中のティム・ロス観はすっかり塗り変わってしまったのです。


その後、『レザボア・ドッグス』を録画しておいたのを思い出し、テープを発掘してみるや――これまた、絶品。
もう、完全に『コックと泥棒、その妻と愛人』とは違った、イキのいい、魅力的なオトコになりきって、画面中を動き回っていたティム。話自身も、なるほど、こりゃあ、評判になるわけだわタランティーノ!という面白さ。二重の意味で完全に脱帽状態。

 


以来、私のティム遍歴が始まりました。
ビデオ屋さんにCS、もう手当たり次第に出演作を求めて歩き、あたるを幸い見つづけて――もう、すっかりドツボ。

病気ですね、それもかなり篤い奴です――病名は

《我が愛しのティム病》といいます。


にしても何故、もっと前にティムに注目しなかったのか、自分でも不思議です。

やはり、年くって心境の変化があったということなのでしょうか。十代の頃より、さして成長のない自分と思っておりましたが、私の中に、ようやく、彼という存在を受け入れるレセプターのようなものが出来たのでしょうか。それは分かりません。

もっと早く彼のキャリア初期の作品『ゴッホ・謎の生涯』や『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』をそれこそ日本公開時に観ていたら、コロッとはまっていたのじゃないかとも思うのですが、いいわけですねえ(苦笑)

つまり、私は自分が苦手としているアメリカ的なもの、その代表ともいえるタランティーノ組の常連といわれたから避けていたのであって、自分が好ましく思っているヨーロッパ的な世界からティムが出てきたと知っていたら恐らく絶対に彼に参っていたのじゃないか――そう思います。

その意味からすると、『コックと泥棒、その妻と愛人』という作品でティムに出会ったのは、私にとって幸いでした。私にとってグリーナウェイ監督は、《ヨーロッパ的なるもの》を示してくれる作家の一人なのですが、その極めてユニークな、あくの強い作品の中にしっくりと馴染み、馴染んでいながらなお自分のオーラを発するような役者だときづかねば、幾ら旨くても私は絶対惹かれなかったでしょう。



とにかく私はティム・ロスと《出会った》――そして、以後は、どっぷり、なのであります。

 

 

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