第1話 厄介事の種 4



 ──日はすっかり暮れてしまった。
 部屋は灯りがともされ、その中で兄妹は向かい合っていた。
 二度目の気絶から目を覚ました兄は寝台に腰掛け、妹は窓際の机に寄りかかっている。
 ラーガットは部屋を見回した後、妹の話を一通り聞くと、頭を振った。
「……悪いけどエディル、もう一回説明してくれ」
「今までの話、聞いてなかったの?」
 むっとする妹に、兄は頭を押さえた。
「聞いてはいたが、右から左に抜けていった気がする」
 実のところ、頭痛が酷いし全身がだるい。さらに何故か全身の筋肉が痛みを訴えており、話に集中していられないのだ。
 まあ、この状況を理解も納得もしたくない、という無意識の逃避行動でもあったのだが、
「……お兄ちゃん」
 妹の表情と声音からすると、これ以上逃げてもいられないようだった。ラーガットはこれまで聞いた話を整理し直すことにした。
「ええとだな、まず、見ての通りお前は無事で……」
 気まずい視線を自分の背後にやる。そこにはすやすやと毛布にくるまって寝ている女児がいた。
「それからその子どもも無事。……で、その子の名前が何だっけ?」
「ステーレットだ」
 上から降ってきた声に、ラーガットは額を押さえた。これが一番わけがわからないし信じがたい。
 うめくように妹を呼んだ。
「エディル」
「なあに、お兄ちゃん」
「お前何とも思わないのか」
「何が」
「……これ」
 ラーガットの指さす先には、大きな灰色の布をかぶった男が一人いた。布の下に見える前髪はまっすぐで黒く、肌は驚くほどに白い。切れ長の目は優しげな形を描いていたが、奥には鋭い光がある。
 別にそれらの容姿自体は問題ではない。
 問題なのは、彼がかぶっている布が灰色であるということ。それから、灰色の生地で作られた聖師装束を身にまとって宙にぷかぷかと浮いているということ。そして何より、そう見えるその場所に、その実体がないということだ。
 灰色生地の聖師装束は死者の証、いわゆる死装束である。そんなものに身を包んで空中に浮いている実体なき存在を、一般的には幽霊と呼ぶ。といっても、ラーガットは実際に見たことはないのだが。
 だがしかし、現在目の前にそういう存在がいるとなれば、そう判断するしかない。
 が、そんなこと、理解しがたいし納得しがたい。
 ラーガットの視界で、男は不機嫌そうに肩をすくめた。その仕草は妙に生者めいているのに、その身体は半透明で向こう側が透けて見え、ひどく非現実的だ。
「これ、とは失礼な。私にはシェルプスという名前がある」
「そうよーお兄ちゃん、失礼よー」
 神殿で聖師をしていたという祖母の血を強く継いだのだろう、エディルは昔から、何かの加減で隔世のモノを見てしまう子どもだった。そのかわりか、ラーガットのように精霊を見ることはほとんどできない。だからこそ神殿学校に通っているわけだが、我が家に現れた幽霊に対するこの馴染みの早さには呆れを通り越して敬意を表すほかない。
 幽霊と妹、彼らを二人と称してよいのかどうかは悩むところだが、ともかくその二人の反応は横においておき、ラーガットはこめかみを揉んだ。
「俺、幽霊は見えないはずなんだが……」
 ラーガットは精霊を見ることはできても、霊感はエディルほど強くない。神々の力を感じ取ることはできるが、神々や霊魂といったものを「見た」ことはない。
 それなのに何故、というラーガットのぼやきとも呟きともしれない言葉に、シェルプスと名乗った幽霊が反応した。
「なんだ、最初は見えていなかったのか? だが、存在を感じ取れるくらいの素質はあったようだし、さんざん同調した後ならそのくらいは当然だろう」
「同調って……あ」
 ラーガットは思い当たった。
 ──ちょっと貸せ。
 倒れる前に聞いたあの声は、そういうことだったのだ。完全に身体の支配権を奪われたことも同調と言う言葉の定義に含まれるのならば、だが。
「……つまり、何だ。この頭痛とだるさと筋肉痛はあんたのせいか……」
「鍛えが足りぬお前が悪い。非力だな」
 ツンと明後日の方を向く幽霊に、ラーガットはぐっと詰まった。たしかに否定は出来ない。だが、このくらいの反論は許されるはずだ。
「あんた、俺の身体を動かしただけじゃない。精霊まで俺を介して使っただろう。俺の不調の大半はそのせいだぞ」
 倒れて頭を打ったときに出来たたんこぶや、踏まれた背中と手首の痛みは別として、頭痛やだるさや筋肉痛はすべて、むりやり精霊を使役して本来の自分には使えない術を発現させた代償だろう。
「ステーレットのためでもあったが、お前たちの危機でもあった。感謝されこそすれ、咎められることではないと思うがな」
「そうよお兄ちゃん、シェルプスさんは命の恩人なんだから」
 恩人、とラーガットは呟いた。部屋をぐるりと見回す。
「……それにしたってこの部屋、酷い惨状なんですがね」
 この幽霊がいったいどれだけ大暴れしたのかは、部屋のあちこちに残された傷を見ればよくわかった。エディルが座り込んでいた場所を覗いて、壁という壁、床という床に切り刻まれたかのような傷跡がある。窓の硝子も割れているし、外に通じる戸も蝶番が外れかけていた。棚に並べられていた数々の本の背表紙には傷が走り、寝台の布団も使い物にならなくなっている。
 それには妹も「まあねえ」と同意する。幽霊は気まずそうに視線をそらした。
「……それは悪かった。お前の身体を通じての精霊の使役はなかなか手こずってな。許せ」
「そういえばあのとき、『さっきの詫びだ』とか言ってたよな。最初にこの部屋を開けたときに俺に敵意を叩きつけたの、あんただろ。あんなすさまじいことができるなら、わざわざ俺を使わなくてもあれをもう一回やればよかっただろう」
「あんな疲れること、そうそう出来るか馬鹿者。あれのせいでしばらくは瀕死だった」
 ラーガットに視線を戻して呆れた口調で応えた幽霊に、ラーガットも呆れた口調で言い返す。
「瀕死って、あんたもう死んでるだろ」
「言葉のあやだ、そのくらい聞き流せ。それに、この有り様を保てないという意味では死に瀕したと言ってもあながち間違いではない」
「そうだねー。こんな強い幽霊さん、普通だったら私、この部屋に入ったときにすぐ気づくと思うよ。そうとうヘトヘトだったんじゃないかな」
 幽霊などの気配には敏感なエディルが横から口を出した。
「じゃあ何でそんなに疲れることを最初はやったんだよ」
「何日も閉じこめられていればそのくらいのことはしたくなる」
 いけしゃあしゃあと言う幽霊に、ラーガットはため息をついた。なんて生き生きした幽霊なんだろうか。
「閉じこめたのは俺じゃない、俺の後輩だ」
「だから、間違って昏倒させたことは謝ったではないか」
 二人は軽くにらみ合っていたが、先にラーガットが目をそらした。
「まあ、確かに。助けてもらったことも確かだし、それは貸し借りなしということでいい。……それで、あんたたちは何なんだ」
 幽霊の灰色の服が揺れた。
「何、とはまた茫漠とした問いだ」
「わけがわからなすぎて、どこから尋ねるべきだか困ってるんだよ」
 ラーガットはそう返したが、それでも言い直した。
「状況からいって、イジェールが俺の部屋にあんたたちを閉じこめていったんだろうが、なぜそんなことになったんだ。あいつとどういう関係なんだ?」
 幽霊はまたも肩をすくめる。
「どういう関係といわれても困る。ほとんど初対面だ」
「初対面?」
「あの男が見ることができていたのはこの子だけだろうがな。もっとも、私がいることには気づいていたのか、私が何も出来ないように結界を張って去っていったが」
 幽霊は不機嫌そうだったが、ラーガットは一つ疑問が解消されて納得した。
(対解呪結界だけだと思ってたけど、対神霊結界を内側に張っていったのか)
 おそらく封印を解いたときにわずかに感じた違和感はそれだ、とラーガットは思った。しかし同時に、一つの疑問が明確な形を取り始める。
 その疑問は、次のシェルプスの言葉でさらに増すことになった。
「あの男は、出がけに術をかけてこの子を眠らせていった。それ以来この子は眠ったままだ」
「術を?」
 ラーガットは眉をわずかにひそめて、寝台で毛布にくるまっている幼子に向き直った。よくよく気をつけて探ってみれば、確かに術がかかっていることが感じ取れた。
(──やっぱり変だ)
「イジェールは一人だったのか? 他に誰かいなかったか」
 部屋の主の問いに、シェルプスはわずかに首をかしげた。
「いなかった。それがどうかしたのか」
「この術構成からすると、誰か助言者か協力者がいたんじゃないかと思うんだけどな……」
(部屋の結界もそうだったけど、あいつにこんな高度な術構成ができただろうか)
 ラーガットは術の気配にはそれなりに敏感なつもりだったが、この子に術がかけられていることをこの幽霊に言われるまで気づかなかった。後輩も旅の間にいろいろ勉強はしているのだろうが、ここまできれいに術の気配を消せるというのは、ラーガットの中にあるイジェール像とは印象がずいぶん異なっている。
「イジェールさん、ちょっとの間にいろいろ勉強したってことかもよ?」
 エディルが横から口を出し、ラーガットもとりあえずは「そうかもな」とうなずいた。
「それはおいておくとして……この子、寝たままにしておいていいのか」
「その術は闇と休息を司るノースの力を呼び込む結護だ、寝せておいても問題はないが……」
「確かに、精霊を媒介にエルヴァの加護も編み込んであるようだから、衰弱の心配はなさそうだけど」
 エルヴァは生を司る神である。
「ほう、お前、そこまで読めるのか」
 術には最初気づかなかったのに、と素直に驚いている幽霊に向かって、エディルは誇らしげに言った。
「だってお兄ちゃん、一応解呪師だもん」
「解呪師……術を解く者、か」
 幽霊が呟く。子どもにかけられた術を探りながらラーガットは鼻を鳴らした。
「ふん、悪かったな。あれだけ気配が消されてたら言われなきゃ気づけないよ。だけど、気づけばそれなりに……ああでも、これはすぐには解けそうにない」
 机から離れて寝台をのぞきこんだエディルが首をかしげた。
「なんで?」
「解呪に必要な鍵がない、というか抜き取られているのかな、これは。……ったく、あいつこんなこといつの間に出来るようになったんだ」
 解呪師の性というものだろう、子どもにかけられた術の解呪論理を検討し始め悩み出したラーガットに、シェルプスが声をかけた。
「一つ聞きたいことがある」
「何だよ」
「なぜお前たちはこの子をかばった?」
 ラーガットは振り返って幽霊を見上げた。エディルも首をかしげる。
 シェルプスは続けた。
「この子をあいつらに渡してしまえば楽だったろうに」
 ラーガットの返答には時間がかからなかった。
「まあ、咄嗟に、だな。いきなり人の部屋に凶器を持って乗り込んできたやつに渡してしまうのは目覚めが悪そうだったし」
 言葉を選びながら、とつとつと答える。
「それに、あいつがこの部屋に入れて置いていくってことは、守ってくれって意味だろうしな」
 うんうん、と妹も横でうなずく。
 幽霊はしばらく黙っていたが、ぽつりと声を落とした。
「……君たちをどこまで信用していいのだろうか」
 部屋に沈黙が落ちる。ラーガットもエディルもどう反応すべきかわからずに黙っていると、玄関の方でガチャリと戸が開く音がした。
 また侵入者か、と警戒したのもつかの間で、すぐに懸念は消された。
「おーい、ラグ、エディル。帰ってきてるんだろー?」
「アールス叔父さんだ! ……って、どうしたの、お兄ちゃん」
 視線をさまよわせた兄は、妹の問いにぽつりと答えた。
「……この状況、どう説明したもんだろうかと思ってな」
 兄妹はぼろぼろの部屋を見回した。寝ている子どもと、まだ気絶したままの男たち。ラーガットはさらに幽霊に視線をやってため息をつく。
 と、叔父が部屋の戸を開けた。
「ああ、いたいた。ガールが夕飯……ってなんだこりゃ」




2007/1/26〜2007/2/5 初稿
2007/3/10 改稿


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