幕間 紗幕



 先日の侵入者の騒ぎがあってからというもの、誰もがピリピリしていた。今日も警備が倍のままで、正直息が詰まる。
 長も不機嫌きわまりなく、周囲は困る一方だった。
 ……もっとも、あの騒ぎ以来誰よりも不機嫌なのは、どうやらこの奥に守られた者のようだったが。
 そのようなことを思いながら、青年は社の最奥、目的の場所へ静かに歩を進める。
 いつもはこの時間ともなれば、社のこの区域は灯りが落とされ完全に人払いがされているのだが、さすがにここ数日はそうではなかった。
 とはいえ、灯りがついているのは廊下の要所要所だけ。明るさはかなり抑えられており、暗いことには違いない。
 最後の角を曲がったとき、低く厳しい誰何の声と警戒の空気が叩きつけられた。
「何者! ……と、また貴方ですか」
 声を潜めているのは奥に眠る者を起こさぬためだろう。過敏になっている警衛の女はこちらの顔を確認して胸をなで下ろし、詫びた。昨日今日と何度もあったことなので、いまさら青年は気分を害したりはしない。女もそれはわかっている。視線が合って、互いに軽く肩をすくめた。
「通すよう言われています。どうぞ」
 女に黙礼して、青年は廊下から暗い室内に入った。
 そこはこの時間、控えの間と呼ばれていた。ガランとしたその空間は、詰め込めば村人全員がここに入ることもどうにか可能であろうくらいには広い。
 廊下のちいさな灯が照らし出すには遠すぎるその奥に、幾重もの紗幕がかかっていた。その向こう側は見て取ることが出来ない。だが、目的の人物はここにいるはずだ。
 足音を立てずに近寄り、幕の数歩手前で跪く。
「起きておいでですか」
 紗幕の奥に向かって、青年は言葉を発した。
 向こうにいるのは、彼が仕える者であり、彼らに仕える者。青年は頭を深く下げたまま、返答を待った。
 連絡が来次第知らせるようにとの命だったから、深く寝入っていることはあるまい。
 案の定、すぐに反応があった。起き上がったらしい衣擦れの音は彼の問いへの返答代わりだ。
 青年は短く告げる。
「連絡が入りました。──逃げられた、と」
 ややあって、奥から声が発せられた。
「どこへ逃げた、と?」
 若い女の声である。幼さはない。落ち着いた、夜の闇に染みいる声。
「かの地から東へ跳んだらしい、と聞いておりますが……何せ転移による移動で、痕跡も散らされているそうですから、正確な位置を知るにはもうしばらく時間がかかるかと」
 青年は恐縮して身を硬くした。
 だが、勘気をこうむることを覚悟していた青年の耳に届いたのは、機嫌の良さそうな「それは上々」という一言だった。
 思わず瞬き、顔を上げる。こちらから紗幕の向こうは見えないが、それでもそこにいるであろう者に視線を向ける。不可解そうな青年の視線を感じたのだろう、奥の女は続けた。
「戻ってこないのであれば、それはそれで好都合というものでしょう。違って?」
 その声は暗い笑いを孕んで、控えの間に響いた。
「は……それは、確かに」
 次善ではあるが、悪くはない。彼らにとって最善でもないのだが。
「続けて追わせなさい。吉報を待っている、と伝えて」
「承知いたしました」
 青年は深く頭を下げた。



2007/6/10 初稿
2007/10/30 改稿


←Back ■ Next→

捧花の夢 index P.E.N.Top home


著作権は作者が保有しています。無断転載・改稿等を作者の承認なしに行うことを禁じます。