「グレーン様、どちらです?」
 寝室に居ない、食堂にも書斎にも居ない、しかし出かけた様子もない。
 どこに行ったのだろうかと廊下で考え込んだジアンは、若い主の声を耳に捉えた気がして、その方向に足を向けた。
 だんだん声は大きくなっていき、たどり着いたのは館の中庭。
 家柄からすれば館もこの庭もさほど大きいものではないが、丁寧に手入れされたこの庭は誰に見せても誇れるものだ。秋の花々が控えめに存在を主張しつつ調和を見せるその様は実に美しい。
 一幅の絵になりそうなその風景の中央、手入れのおかげでまだ青々としている芝生の上で、寝間着姿の青年が屋根の上に向かって声を張り上げていた。
(久々に帰還したと思えばこれか)
 ジアンは溜め息をついた。探し人たる主の姿はよく言えばおっとりした青年、普通に言えば頼りなさげな男、悪く言えばひ弱そうな若者であり、ただでさえ威厳も貫禄もない。さらに今は、起きたばかりなのだろう、胸元まで伸ばされた柔らかな茶色の髪が整えられておらずぼさぼさだった。これではいまいち誇れない。むしろ誰にも見せられたものではない。乳兄弟権限でもって今すぐ簀巻きにして部屋に連行して説教してやりたい。
 主は、ジアンの存在にまだ気づかない。
「キーリィ! キーリィ! おーい、おいってばー」
 ジアンは小さく首を振った。とりあえず、主を簀巻きにするのは空想の中でだけにしておく。望まぬ客人の存在を思い出したからだ。
 厳密には客人とはとても呼べないと思うが、主が客人としてもてなそうとしている以上はしかたがない。そして客人が居る以上、そのような醜態を見られるわけにはいかないのだった。──今の主の姿は充分醜態ではあるのだが、客人の部屋からこの庭は見えないはずだ。
「まったく。グレーン様、何をしているんです」
「ああ、おはようジアン」
 振り向いた主はずり落ちる眼鏡を押し上げ、まったりした学者のような風貌を笑みで崩す。
 ジアンは肩をすくめた。
「もう昼過ぎです。いくら帰ってきたのが明け方だからって、こんな時間まで寝ていたんですか。それに、またそんな格好で外へ出て。何をしているんですかさっきから」
「何って、キーリィを呼んでるんだよ。ほら、あそこ」
 ジアンは青年の示す先を見た──なるほど確かに彼女がそこにいた。ときどき彼女はこうして屋根に陣取る。珍しいことではない。だが、グレーンを無視するのは珍しい。館は二階建て、周辺の家に比べればずっと大きいとはいえ、屋根に上っているからといってこちらの声に気づかないはずはない。それなのに彼女は見事にそっぽを向いていた。じっと宙の一点に視線を向け、動かない。
「朝からずっと屋根に上ったままなんじゃないかと思うんだ」
「ああ、そういえば一緒に戻ってきたはずなのに館の中には入りませんでしたね。どこに行ったのかと思ってましたが」
 主は目に見えてオロオロしている。
「何か彼女の気に入らないことを私はしたんだろうか。どう思う、ジアン?」
「……さあ。貴方がたがお出かけの間、貴方と彼女に何が起こったかまでは存じませんし」
 主人は頭を抱えた。
「ああ、キーリィは私を嫌いになったんだろうか」
「それはないと思いますが。多分」
「たぶんー!?」
 主の不安を微妙に煽っておいて、ジアンは話題を変えた。
「それよりグレーン様。貴方が連れ込んだ賊ですが」
「賊って、ジアン、君ねえ」
 まだ言うのか、と呆れ顔の主に、ジアンは肩をすくめつつもきっぱりと返した。
「賊でしょう」
 そう、望まぬ客人である。いくらグレーンが連れてきたとはいえ、怪しすぎる4人組。ジアンは、彼らのおかげで明け方からずっと不機嫌なのであった。
 対する主は、乳兄弟の態度に軽く肩をすくめた。
「違うと思うけど。で、彼らがどうした?」
「一人起きたようです。お会いになりますか」
 グレーンの瞳が輝きを増したのを見て、ジアンも再度肩をすくめた。


Seavel Fragments 捧花の夢

第2話 目覚め 1



──ゆがんでひずむ周囲の音に落下し浮き上がる身体と精神は渦巻き押し寄せる色彩に知覚も推測も拒まれて上下左右から抵抗も従属も許されない奔流にもてあそばれ狂って唸る平衡感覚に終わりはなく理解できぬまま翻弄され引きずられ押し上げられ吸い込まれ飲み込まれ突然何もかもから解放され支えをなくし、……たら、落ちる──落ちる?


「うああああっ!」
 突然意識が覚醒した。
 自分が置かれた状況がわからず咄嗟に身を強ばらせて周囲に意識を巡らせるが、何事も起こらなかった。
 危険、は、ない。空から落ちているわけでもない。自分はただ座っているだけ。
 そこまで確認したところで、跳ね上がっていた鼓動の音に気づく。ラーガットは深く長く息を吐いた。驚いて息も止めていたようだ、とぼんやり思う。何かを考えるということもできず、ただ何度もゆっくりと呼吸を繰り返した。
 落ち着いてくると、自分が何かを握っていることに気がついた。視線を落とすと柔らかな白い毛布が目に入った。
(毛布……、布団?)
 毛布の上には古式ゆかしい柄の布団もかかっていたが、それは今起き上がったせいでめくれ上がっている。
 そういえば、自分が座っている場所はやたらと柔らかい。これは敷き布団か。その柔らかさを確かめようと手を動かし、
「痛っ!」
 全身に走った衝撃に動きを止めた。手を動かしただけなのに、ずきんずきんと痛みを訴える身体。指をわずかに動かそうとしてもそこから痛みが響く。
 横になった方がいいと思う。しかしそうするとまた痛みが走りそうで怖い。しばらく悶々と悩んだ末、ラーガットはそのままの姿勢でいることにした。動かなければ痛みは治まってくるようだったので。
 首に痛みが走らないよう、ゆっくりと視線だけを上げる。
 そこにあったのは、何から何まで見知らぬ部屋の風景だった。
 布団は大人が二人はゆったり眠れそうな大きさがあった。布団の端が見えなくなっているのはもちろん寝台に乗っているからだ。軽さからして、綿ではなく羽毛が入れられている。肌触りも良く、きっとよい値段がするに違いない。
 左を見やれば褐色の卓と椅子とが置かれていた。施されている装飾はこれも古いもので、よく磨かれているのだろう、右手の窓から入ってくる光が深い色を得て反射する。窓に視線を向ければ、それも古い様式の硝子窓。それを飾る遮光幕もまた由緒ありそうな北方の織り。そういえば敷かれた絨毯も見える範囲では結構なものと推測され、部屋と調度品の調和は趣味の良さが感じられる。
 つまり、なかなかのお大尽ないし趣味人の家の一室なのではなかろうか。
(……しかし、どういう状況なんだろうか、これ)
 昨夜のことを思い返して、ラーガットは顔をしかめた。
 ──シェルプスの行使した転移は成功した。
 踏みしめていたはずの地面の感覚が無くなって、再度足裏に地面の感触を感じたとき、彼らはすでに草原の中にいた。正確には、草原を切り裂くように伸びる白い道の端に。
 ただ、初めてであったせいか、特殊な術行使のためか、あるいはあれが転移の標準なのか。地面の感触を感じていなかった間の、つまり空間を渡る間の感覚は悪い意味で筆舌に尽くしがたいものがあった。もしあれが標準で毎回なのだというのなら、できれば二度と味わいたくはない。
 アールスとエディルも同様だったのか倒れ込んで荒い息をついていたが、ラーガットはどうにかたたらを踏んで持ちこたえ、シェルプスが離れた気配を感じると即座に術を展開した。風と地の力を借りて、精霊干渉を解呪すると同時に自分たちの気配を散らす簡易結護。術の構成は荒かったが、あの幽霊が「上出来だ」などと言ったことは覚えている。
 しかし、記憶があるのはそこまで。
 自分もあの後すぐにクラリときて、どうやら仰向けに倒れたらしく背中に衝撃を感じた後、そのまま意識が暗転してしまったのだ。
(……昨日の簡易結界の効果は切れてるよな、多分)
 多分、と心許ないのは、今のラーガットは精霊の力の流れを認識できずにいるからだ。
 視線だけを右手首に向ける。そこには見知らぬ腕輪が嵌められていた。その意匠は見知らぬものだったが、いわゆる「封じの腕輪」なのだろう。術師の力を封じるものにはいくつかの種類があるが、認識自体を阻害するとなるとかなり強力な部類だ。
 このことからわかるのは、自分が術師だということが、この腕輪を施した人物には知られているということだ。しかもこれだけ厳重に封じられているということは、相当に警戒されているのだろう。
 この腕輪はきちんと解呪しないと外せない。しかし、腕輪の術構成が読み取れないのだから解呪は無理だ。ラーガットは歯がみした。
 昨日の簡易結界がいつまで効果があったのか気になるが、それ以上に気になるのは今の状況だ。ここはどこなのか、誰がここに連れてきたのか、昨日のあいつらと関係があるのか、それに他の面子はどうしているのか。
 せめて少しでも情報を得たいと、痛みを堪えつつわずかに背後を振り返る。予想していたことだが、自分の後ろ──寝台の頭の向こうは壁になっている。つまり、この部屋にいるのは自分だけということだ。
 シェルプスもいない。気配すらこの部屋には感じられない。封じの腕輪の効果かも知れないが、まあ、ステーレットについていると考えて間違いないだろうと思う。あの幽霊はそれが使命だそうだから。
(アールス叔父さんとエディルも無事ならいいけどな)
 それ以上の状況がわからず、ラーガットは顔を正面に向け直して途方に暮れた。
 とりあえず、もう少し情報を集めたい。しかし、身体は痛くて到底動けない。
 しばらく悶々としていると、遠くから足音と話し声が近づいてきた。緊張する時間もなく左手奥にある戸のところでそれは止まり、コン、とただ一度の軽いノックに続いて戸が開く。
「ああ、ほんとだ、起きてる起きてる。──気分はどうだい?」
 見知らぬ青年がにっこりと笑いかけてきた。のんびりと寝台に近づいてきたが、あと二、三歩というところで、後から来たもう一人の男が走り寄って留めた。
「なんだい、ジアン」
「なんだい、ではありません。危険です」
「……危険って、別に今はなんともないじゃないか」
「今はそうですが、だからといって油断は出来ません」
 会話からして、二人は主従なのだろう。昨日の男たちとの関係はわからないが、あまりに雰囲気が違いすぎるから、無関係なのだろうと推測できる。
 主らしき青年はむう、と唸るとラーガットに向けて肩をすくめつつ詫びた。
「失礼な奴で申し訳ないね」
 首を振ろうかと思ったが、痛みが走りそうで怖かったので、「いいえ」と小さく応えた。若干の痛みはあるが話すことはできそうでホッとした。話すのにも痛みが伴うようではどうしようもない。
 おっとりした青年は近づくのを諦めたらしく、従者らしき男が引き寄せた椅子に腰掛けた。やや遠いが会話に支障はないだろう。ラーガットは問いかけてみた。
「……あの。ここはどこで、あなた方はどなたでしょう……?」
「まずそちらから名乗れ」
 ジアンと呼ばれた従者らしき男が眉間にしわを寄せて言い、主の青年は困ったようにラーガットに謝った。
「ああ、まったく申し訳ない、こんな口やかましいのが一緒で」
「いいえ、……まあ、こちらが先に名乗るのは当然でしょうから」
 目を伏せる。首をうかつに動かせないので目礼のつもりだったが通じただろうか。
「私はラーガットといいます。ラーガット・ユーニスグレイド」
 しかめ面の男がますます眉間にしわを寄せた。一方、主人らしき青年はにっこりと微笑んだ。
「ラーガット君、か。私はグレーン・デールというんだ、よろしく。この口うるさいのは」
「ジアン・サリュードだ」
 機嫌悪そうに名乗られたのは術師名だった。ということは、この男が封じの腕輪をしたのだろうか。そう考えていると、ジアンが探るように問いかけてきた。
「……ユーニスグレイド、といったか?」
「はい。……それがなにか?」
 グレーンも不思議そうに、自分の背後に立つ従者を振り仰ぐ。
「いや、何でもない。……それで出身は、仕事は?」
 出身を聞くということは、昨日の男たちとは無関係だと判断していいだろう。ラーガットは警戒をゆるめた。完全にではないが。
「キェイルです。叔父が経営している文具店に勤めています。……あの、私と一緒にいたと思うんですが」
「ああ、他の三人も別室で寝てもらっているから。疲れ切っているようだけれど、それ以外の問題はなさそうだから心配しなくて大丈夫だよ。ジアンもきつく当たったりしていないしね」
 主の青年が人の良い笑顔で言う。嘘を言っているようには見えないし、だいたい嘘を言う必要もないだろうから、ひとまず安心していいのだろう。知らず深い息を吐くと、少し肩の力が抜けた気がした。
 何やら思案深げに視線をそらしたジアンをよそに、グレーンは続けた。
「ここは、エイデールにある私の家でね。あ、エイデールってわかるよね」
「わかります」
 キェイルからセルエグに向かう途中にある、歴史の古い町だ。少し教養のある者なら誰だって知っている、というくらいには有名である。
「おかしな場所ではないから安心してかまわないよ」
 主の言葉に、従者が後ろから恨みがましく言った。
「私が安心できないんですが、グレーン様」
「君は別にいいよ」
 ──正直、ラーガットは後ろの男に同情しそうになった。
「ああ、でも見知らぬ人の家には違いないから、安心できないかな?」
「……だから、安心できないのは私の方なんですが」
「ジアンは心配性だな。厳重に封じの腕輪をつけたりしたくせに」
「当然です」
「すまないねラーガット君、不機嫌な奴で」
「不機嫌にもなります、だいたいあなたという人は」
 主従はあれこれと何やら言い合いを始めてしまい、会話から放り出されたラーガットは妙な漫才を見させられている気分になった。手厳しいジアンの小言をのらりくらりとかわすグレーン。その雰囲気は険悪というわけではないが居心地が悪い。黙っているとどこまでもこの調子なのではないか。
「……あの、それで。私はどうしてここに?」
「ああ、ごめんごめん」
 二人のやりとりが途切れたところで声をかけると、グレーンはラーガットを安心させるかのように柔らかな笑みを浮かべた。
「道端で倒れていたことは覚えているかい?」
「はい」
「昨夜、出先からの帰りにね、倒れていた君たちを連れが見つけたんだよ。流石に夜は冷え込んでくるし、そのままにもしておけないだろうと思って、馬車に乗せてきたというわけ。それにしても、あんなところで倒れているなんて何があったんだい。小さな子どももいるし、君なんて靴も履いてなかったし」
「そうだな、聞かせてもらおうか、事情とやらを」
 首を傾げる柔らかな雰囲気の主人に対し、ジアンというこの術師はずいぶん刺々しい。何故この術師からここまで睨まれなければならないのかよくわからないのだが、ともあれラーガットは話してみることにした。
 ステーレットについてはシェルプスや禁足地云々のことを除いて語った。昨夜警官に話したのとほぼ同じだ。転移はラーガットが自分でやったことにしたが、そのあたりでのジアンの視線といったらいたたまれなかった。何せ転移は使い手が少ないから疑いの目でこちらを見てくるのだ。それでもそれは当然のことという感じで話を続ける。
「──で、術の痕跡を消そうと結護を張って、……記憶にあるのはそこまでです」
「信じられんな」
 ジアンはラーガットの話を一刀両断した。真剣に頷きながら聞いていた主が目を剥いて術師の方に振り向く。
「うわあ、容赦ない。ひどいなジアン」
「ひどくありません。こんなめちゃくちゃな話を信じられますか」
 長い話をしたことからくる疲れを感じつつ、ラーガットはしかめ面の術師の言葉に「そうだよなあ」などと内心大きく頷いていた。表には出せなかったが。
 そもそも、友人の親戚の子が何故か家に置いていかれて、その子を巡って襲撃されたり追われたり。そんなこと、客観的に考えれば信じられる話ではないだろう。
 もっとも、
「私はそんなこともあるのか、と思ったけど?」
 館の主人はきょとんとしている。従者の溜め息が痛々しく響いた。
 ラーガットとしては複雑な気分だ。信じてもらわなければ困るが、こうあっさり信じてしまうこの人は大丈夫なんだろうか。このジアンって人も苦労するなあ、などと思ってしまうのは、おそらく自分が一番この出来事を信じられずにいるからだろう。
「あなたは素直すぎです。黙っててください」
「そういうわけにはいかない。私の客だよ?」
「この話は私の領分です」
「うん、それはそうだね」
 グレーンはあっさりと頷き、発言権をジアンに回した。疑いの色濃い表情でジアンは口を開く。
「百歩譲ってその話を信じたとしてだ、あんな解呪結界を展開しておく必要はなかっただろう」
「……それは、その、撹乱のために必要で。後のことを考えて念には念を入れて、というか……」
 シェルプスのことなど納得いくように話せるわけがない。深く聞かれたくはないところだが、うまく話すこともできず、少し言葉が弱くなる。
 表情から真偽を見定めようとでもいうのか、男は険しい視線でラーガットを見ていたが、やがてフン、と鼻を鳴らした。
「お前の解呪結界で、この館の結護が吹き飛ばされかけた。どれだけ修復に手間がかかったと思う?」
「あー……それは、すいません」
 ジアンというこの男の不機嫌の理由がようやく理解できた。館の結護が壊されたことで、修復に追われていたのだろう。吹き飛ばされかけたというのはずいぶん大げさな表現だとは思うが。そう考えた上で男の顔を見ればどこか疲れたような表情でもあり、ラーガットとしては立場の弱さもあって下手に出るしかない。
「そんなにおおごとにしなくたっていいだろうに、ジアンは大げさだなあ」
「……グレーン様。結護の修復にどれだけ手間がかかったか知って、そうおっしゃるんですか?」
 どこかのんきな主人はバツが悪そうに目をそらしたが、ラーガットはある程度ジアンの苦労を想像できる。館の結護をどう構成するかなど考えてみたことすらないが、相当に工夫の凝らされた苦労の一品であるのは間違いない。自分につけられた腕輪は、まかり間違ってもう一度結護が壊されたりすることのないように、という対策なのだろう。一応それで納得はいく。
(──ひっかかるところもあるんだけどな)
 そんな大層な結護が必要なこの館は一体何か、ということだ。館の結護となると事例をいくつか知ってはいるが──
 ラーガットがそれについて思考を巡らせる前に、ジアンが口を開いた。
「そういうわけだ、また壊されてはたまらないのでね、しばらくはその腕輪を外すわけにはいかない」
「まあ、仕方がないですね……っ」
 ラーガットはつい肩をすくめ、それと同時に全身に痛みが走り、顔が歪んだ。うずくまることも出来ずにそのまま固まる。グレーンが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだい、すごい顔して」
「……全然動かないから何かおかしいとは思っていたが。術の反動で身体がやられたか? 転移したというのもあながち嘘ではないのか」
 激痛のあまり、目を閉じているわけでもないのに視界が暗く狭まる。その中で、冷静に分析するジアンの声を聞いた気がした。と、肩に手をかけられて上半身を布団に押しつけられた。思わず上げた悲鳴は声にならなかった。フン、と軽い笑いを零したのはジアンだろう。おそらく自分の身体を倒したのも。
「酷い痛みなんだろうが、起きたまま動けない方が辛いだろう、寝ていろ」
「医者を呼んだ方が良くないかい?」
「今夜はあいつが帰ってきますよ。そうしたら診させればいいでしょう」
「でも、ものすごく痛そうじゃないか」
「術師に必要な痛みですよ、これは」
 主従の声を聞きながら、ラーガットは痛みに耐えかねて思考を放棄した。



2008/1/13〜3/24 初稿(4/15追加)
2008/4/5改稿
4/20 追加・修正


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