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・・・・・ピアラ暦514年 風の節第1月6日 夜 肌を切りそうな冷たい空気が頬を叩く。足取りは重い。 門の前でその足が止まり、何とはなしに私とクェーツ先生は門を見上げた。 やがて、先生が頭を下げた。 「すまん、ディーナ」 「そんな……先生は十分に力を尽くしてくださいました」 私は左右に首を振った。しかし、さすがに笑顔はできなかった。 クェーツ先生も私も、 いや、言葉よりも視線の方が、実のところこたえた。 「謝るのは私の方です。またいろいろご迷惑をかけることになってしまって、申し訳ありません。お口添えしてくださったお知り合いにも、よろしくお伝え下さい」 教員の中では、クェーツ先生だけが今回も尽力してくださった。この年老いた先生がいなければ、訪問する先々で門前払いされただろうことは想像に難くない。結局のところ効きめはなかったものの各所に訴えることができたのは、地元の出身であるクェーツ先生の力が大きかった。自分の担当している生徒のことでもないのにこうして協力していただけるのはとてもありがたいことだ。 だが、先生が今回のことで再び周囲から冷遇されるのではないかと思うと、申し訳なく思う。しかし、先生は笑うのだ。皺だらけの顔をますますくしゃくしゃにして。 「なあに、儂やあいつは自分が正しいと思うことをしているだけだ。老い先短いことだし、周りに何と言われようとかまわん。儂はお前さんの方が心配だよ。ときどき思わぬ無茶をやらかすからな」 大きな目をこちらへ向けてくる。私は挑みかかるように見返していた。 「私も自分が正しいと思うことをするだけです。……それに、もうこれで三回目ですもの。いまさらです、先生」 あがけるうちはあがきたい、と思う。これが私の精一杯の抵抗だ。状況を変える力にならないところがもどかしくはあるけれども。 何もしないことに比べれば少しはましなのか、それともこれはただの自己満足か、その判別は自分にはできない。ただ、正しいと思うことを主張するしかない。でなければ、情勢に流されるだけ。 「む、そうか」 クェーツ先生は微笑んだ。その笑顔は、私の意思と行動とをこれまでも後押ししてくれた。今も、私に自信と安心感とを与えてくれた。 しかしすぐに先生の表情が翳る。 「だが、辛いのう」 「……はい」 私もうつむく。クェーツ先生の声が重くのしかかってきた。 「毎度のことだが、この無力感は堪える……。本当に、申し訳なく思う」 私は返事をしなかった。何か言おうと口を開いたら、涙がこぼれてしまいそうだ。泣きたくなどなかった。泣いたら負け、という気がする。 しばらくして、クェーツ先生が問いかけてきた。 「生徒たちにはどう伝える?」 苦しげな声。 実のところ、帰途はずっとそのことを考えていた。だが、生徒たちに隠しても意味がないし、言葉を飾りようもない。飾っても、この現実の厳しさが和らぐわけでもない。 短く返答した。 「前回と同じです」 「そうだな……それしかないだろうな」 門のところで私はクェーツ先生と別れた。後ろ姿を見送る。先生が持つランプの明かりが遠ざかっていき、先生が角を曲がって消えてしまうと、そこに立っている理由はなくなってしまった。 (仕方ない) 私は生徒たちが集っているはずの寮へ向かった。 一歩一歩進むごとに、私は心に鎧を着込んでいく。子どもたちの反応から自分を守るための鎧だ。その鎧は自分の心を守りはする。しかし、その重みで歩みはますます遅くなる。それでも足を運ぶ。これは私の義務だ。 中等術師院ではウィゼリエールの初等学校のような学年制を採っていないが、留学生は学年制に似た制度のもとで学んでいる。今年になって留学二年目を迎えた者たち、いわゆる「二回生」たちはまとめて第三寮に放り込まれているから、そこにみんないるはずだ── 一人を除いて。 彼以外の生徒はみんな年末年始を実家で過ごすために帰省したが、今日は休みの最終日。明日からは授業が始まる。だから全員揃っているはず── 彼を除いて。 きっと、生徒たちは不思議に思っていることだろう。あるいは不安に思っていることだろう。そして、私の口から事実が告げられるのを待っているだろう。 コーツ君はどうしたのか、ということを。 何人かは街で情勢を耳にしているかも知れない。そうしたら、きっと予測しているだろう。彼が今どうして寮にいないのか、その理由を。 寮には明かりがついていた。二階のあれは談話室の明かりだ。 おそらくこの時間、みんなは談話室にいるだろう。ウィゼリエールは山間にあり、冬の気候は厳しい。そのため、暖炉のある談話室は、冬は彼らの憩いの場であると同時に主な自習の場ともなっている。 木の扉を開けるとちょうどそこに寮母がいた。手にランプを持っている。 「あ、ディーナ先生。おかえりなさい」 私はここに住んでいるわけではないが、寮母はいつもこう挨拶する。だから私も「ただいま」と返事をする。寮母は微笑んだ。 「ちょうど鍵を閉めて寝てしまおうとしていたところでしたわ」 「もうそんな時間? ごめんなさい。でも──みんなはいる?」 「ええ、昨日と今日とでみんな帰ってきました。……先生、お一人ですのね」 寮母の顔が曇った。察したのだろう。彼女は留学生たちによくしてくれている、優しい人だ。 私は頷いた。 「これからみんなに話してきます。いいかしら」 「いってらっしゃい。帰りには私のところに寄ってくださいね。愚痴、聞きますから」 寮母に見送られて、私は薄暗い廊下を歩いていった。階段を登って少し行ったところに談話室がある。 そっと扉を開けると、明るい光と暖かい空気が漏れてきた。 生徒たちは床に敷かれた絨毯に座り、めいめい好きなことをしていた。いくつも置かれたランプのそばに寝転がって書物を読んでいる者。暖炉のそばで暖をとりつつ編み物や縫い物をしている者。友人と話をしている者が多いのはいつものことだ。 だが、いつもに比べてどことなく雰囲気が暗い。 生徒の一人が私に気づいた。 「ディーナ先生」 皆の視線がこちらに向いた。めいめいから新年の挨拶の声があがったが、どことなく覇気がないように思われた。 私は部屋に入り、ともかくも挨拶を返す。 「こんばんは、みんな」 新年を祝う挨拶は口にできなかった。とてもそんな気分ではない。 立ったまま視線を泳がせ、生徒の数を数える。三十七人。 以前、留学生はもっと多かった。留学生が減ったのは、ウィゼリエールの直轄地が広がったからだ。もっとも、あとから直轄地となった地域から来た学生は、古くからのウィゼリエールで生まれ育った学生たちと一緒に学んでいるとはいえ、ずいぶん下に見られているようではある。だが、留学生よりはまだ待遇がいい。 しかし、格下に見られる留学生も自分も、ナヴィゼよりははるかにましである。 こういう思考は嫌いだが、実際そうだと思う。 「……先生」 女生徒トリイが不安そうに声をかけてきた。トリイの表情を見て、そしてあらためて部屋全体を見回して私は確信を抱いた。みんな情勢を耳にしている。気づいている。感づいている。 覚悟を決めて、口を開く。 「皆さんにお話があります」 出てきた声はいつもよりも固かった。 「すでに耳にしている人も多いでしょうが、カロンとウィゼリエールとの間で戦いが始まりました」 ふと、部屋の空気が引き締まったような──あるいは部屋が急に冷えたような気がした。 淡々と告げる。 「……コーツ君はカロンからの留学生であるため、皆さんがいない間に拘禁されました」 部屋が静まっている。ともかく私は事実を述べる。 「年末に出国禁止命令が出て、その翌日には拘禁命令が下され、連行されました」 カロンはウィゼリエールから見て西にある、かなり遠方の国だ。留学生の出身地の中ではウィゼリエールから最も離れており、馬車で片道七日かかる。 もし、情勢がきな臭くなっていたのなら予測もできた。 予測できたからといって何ができるというわけではない。だが、今回はあまりにも唐突だった。だから、こんな想像をしたくなる。戻ってくるのが授業の開始に間に合わなくてもいい、無理にでも帰省させていたらよかった、と。 けれども、それはそれで彼を危険に巻き込んだかもしれない。 何が良いことなのか、もうわからない。 部屋は、生徒たちの不安が生み出す異様な感じの静けさに包まれていた。無理もない。 自分も、友人が拘禁され会えなくなったことは何度かある。 だが、この一年の間に三回。これは多い。 一度目は水の節に入ったばかりの頃だった。あのときは夜のうちにティエーナとジェファが連れ去られ、そのことを朝食の席で皆に告げた。二度目は火の節の半ばで、授業中に突然ケザックが連れ去られた。 二度とも、クェーツ先生と共に走り回って拘禁を解くよう訴えた。二度とも無駄だった。 今回も努力は実らなかった。彼が連れて行かれるのを止められなかった。解放させることもできなかった。 自分の受け持った生徒が四人も目の前から消えているのは、辛い。 「院長や術師協会などに働きかけてみましたが、止められませんでした。……残念です」 言ってしまってから、その言葉に何だか自己弁護のような響きを感じて、自己嫌悪した。 生徒たちはざわつき始めた。 ここにはウィゼリエール出身者はいない。というよりも、留学生は寮に入らねばならないと定められており、ウィゼリエール出身者は自宅から、あるいは市井の下宿先から術師院に通うので、寮に住んでいるのは留学生たちだけだ。 したがって、ここにいる生徒は皆、自分の故郷がウィゼリエールと戦うようなことがないとは言いきれない。一応表面的ではあっても友好を保っているため留学を許されているという一面もあるが、逆に、ウィゼリエールの支配下にない術師を極力生み出さないために集められているという一面もある。ウィゼリエールに近い国では、ウィゼリエールでくらいしか術師を育てることはできないから、不承不承術師候補者を送り込む。それがこの子たちだ。 彼らは普段の授業も常に一緒に受講する。彼らはウィゼリエールで育った生徒よりも術師に必要な素養が足りていないために特別編成された集団でもあるからだ。それはもっともな話ではある。だが、それなら授業のときだけその編成にすればいいのだ。住処を一つところにする必要はない。一応「留学生同士の友好を深めるため」という理由付けもなされていたが、本当の理由は別のところにある。 有事の際に容易に対応できるからだ。 簡単に言えば、いざというときにまとめて始末できるから。 そして、授業内容を容易に統制できるから。 この子たちに与えられる知識や技術は、術師としては最低限のものだ。自学自習できる範囲も限られている──図書館は留学生が利用できる区域が限られているという徹底ぶりだ。学外に出るのにも許可が要る。場合によっては監視がつく。 「ディーナ先生」 呼びかけられてハッとした。声を上げた生徒と目があった。ストレーダ出身のエルディスだ。彼はコーツと一番仲が良く、ライアータス出身のカルナやセイラン出身のトルディンと四人でよくつるんでいた。そのカルナとトルディンはエルディスの横で顔色をなくしている。 「何ですか、エルディス君」 「コーツはどうなるんですか」 単刀直入なその問いに私は答えられなかった。その正答を私は持っていない。昨年の三人や自分の友人たちを含め、これまでの経験から導き出される推測は、とても口に出せない。少なくとも、彼らが帰ってきたことはないのだ。 「……わかりません。無事を祈りましょう」 生徒たちの瞳が揺れた。 この子らは、まるで鏡のようだ。私の動揺や不安をそのまま映し返す。 私も元は留学生だ。卒業後、術師院の教員として採用された。大した知識を持っていないから採用されたのだ。 故郷は最近、ことあるごとにウィゼリエールに反抗するような言動を見せていると聞く。もっとも、カリエスがすぐに言を引っ込めるため大事にはなっていないようだ。しかし、そのようなことが続けば、いつかウィゼリエールがその矛を向けないとも限らない。 (そうなれば、私は教師を辞めさせられるのでしょうね) 辞められればましな方だ。拘留されかねない。いや、最近のウィゼリエールを見ていると、その可能性の方が高い。不安はこの子たちと同じだ。 もっとも自分の場合、カリエスの状況に関わらず今すぐ辞めさせられてもおかしくはない。留学生に何かあるごとに騒ぎ立てているのだから。 だが、彼らは圧力をかけては来ても解雇まではしない。それは、私が大した力を持っていないからだ。そして、留学生を教えようという教員が非常に数少ないからだ。 (……見てらっしゃい) 私は目に力を込めた。深く息を吸い込む。 生徒たちの視線を受け止めるのはいつも緊張する。前を行く者として、そして共に歩む者として、しっかりしなければ。 「皆さんに与えられた時間は一応あと三年です。いいえ、今回のようなことがまた起こったらもっと短いかもしれません」 生徒たちが息を呑むのがわかった。 「私にできることは、とにかく皆さんを術師に仕立て上げることです」 術師になればとりあえずここを離れられる。術師協会への登録は必要だが、それでもここにいるよりはいい。ウィゼリエールの外には自由があるはずだ。堂々と反抗する自由も、逃げる自由も。 「私の持つ知識は他の先生方に比べれば微々たるものに過ぎません。しかし、基礎については劣ることはないと思っています。すべての応用は確固たる基礎のもとに打ち立てられるものであり、その逆ということはありません」 応用術はからっきし使えない自分の、なけなしの誇りを総動員する。このウィゼリエールでは吹けば飛ぶような、しかし確かな事実に基づく誇りだ。 同僚たちは笑うだろう。笑えばいい。 クェーツ先生はきっと私の言葉に力強く頷いてくれるはずだ。 もし頷いてくれないとしても、私はこの道を行くしかないのだ。 いや、この道を行きたい。 「私は、あなたがたにできる限りのことをします」 心の中で(させてください)と付け足す。 だが、今現在やっていること以外に何ができるだろう。 (それはこれから考えるの) 自分たちは一種の人質だ。だが、誇りや希望まで自ら手放すことはない。あがいてあがいて、ウィゼリエールが見下している私たちにも意地があることを教えてやるのだ。 ささやかな抵抗かもしれない。反抗といわれるかも知れない。だが、これが私の生き方だ。 傲慢な考え方かもしれないが、この自分の思いを、彼らが鏡のように写し取ってくれるといい、と思う。そうして、共に歩んで行けたらいい。 雰囲気を変えるように私はパンッと手を一つ叩いた。 「さあ、明日から、また授業が始まりますよ。──お互いに頑張りましょう」 まとまった話ではなかったが、目の前の生徒たちは頷いた。こちらを見上げてくるその色とりどりの瞳の中には潤んだものもあったが、すべてが力強く輝いている。 彼らのその目が、私に元気をくれるような気がした。 (負けてなんかやるものですか) そう、思った。 |
2005/01/20
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