音楽の部屋バッハと音楽

Bach & die Laute
バッハとリュート(1) バッハ周辺のリュート音楽



2本のバロック・リュート。私がバッハの音楽にふれたのはクラシックギター用の編曲からであるということを、バッハ遍歴のページに書きました。ふつうはCD(当時はアナログレコード)を聞いたりピアノの練習曲の作曲家として知ることが多いと思うので、それだけでもかなり変わったスタートではなかったかと思います。

リュートという楽器は、ルネサンスからバロックの初期にかけては「楽器の女王」といわれ、広く愛好されていました。旋律だけでなく和音も同時に奏でられて独奏も伴奏もこなし、同時期に流行していたリコーダーや歌声ともよく溶けあうとても繊細な音色を持っていました。
しかし、音域の拡張にともない弦の数が増えすぎて演奏が難しくなってきたこと、同じように独奏やアンサンブルが可能な鍵盤楽器が発展してきたこと、それほど大きな音量が出せず時代の要請についていけなかったことなどから、バッハの時代のヨーロッパではすでに主流ではなくなり、過去の楽器として消えていこうとする状態にありました。
左の写真はライプツィヒの楽器博物館にあるバロック・リュート(トマス・エドリンガー、1730頃)です。写真は縮小されているので判別しにくいですが、13コースの弦と、高音側で12、低音側で10のフレットがあります。1コースと2コースは単弦、後は複弦で24本の弦があるようです。1コースだけでなく2コースも単弦というのは珍しいかもしれません。
リュートに使うガット(羊腸)弦は現在クラシックギターで主流のナイロン弦に比べて耐久性に劣り、湿気や気温の変化などによってすぐにゆるんだり切れたりしてしまいます。音程が狂っていると聞くに堪えない演奏になってしまうので、弦楽器奏者は常に調弦に気を遣うのですが、こんなにたくさんあると「80歳まで生きたリュート奏者は、60年は調弦をしていただろう」とマッテゾンに揶揄される(1713年)のもわかるような気がします。
表面板や胴体は厚さ数ミリの薄い板でできており、強い張力には耐えることができません。右手の指先で弦をはじく奏法のため、あまり強い力を加えると弦が指板にぶつかり音がびりびりと割れてしまいます。必然的に、弦を弱く張って優しく弾くというスタイルが中心になります。名手にかかると陰影に富んだニュアンス豊かな音楽を奏でることができるリュートは貴族の宮廷やサロンにこそふさわしく、大ホールや広い演奏会場ではその真価を発揮することはできませんでした。

しかしドイツでは18世紀においてもすぐれた製作家や演奏家が活躍しており、リュート音楽は一時的に最後の輝きを放っていました。バッハもリュートの響きは気に入っていたふしがあり、リュート用とされる独奏作品の他にもマタイ受難曲初期稿BWV244aの第57曲(バスのアリア。後期稿ではヴィオラ・ダ・ガンバに変更)やヨハネ受難曲BWV245の第19曲(バスのアリオーソ)、カンタータ第198番BWV198の第4曲(アルトのレチタティーヴォ)などで使って切々とした音楽世界を作り出し、哀愁の漂う雰囲気を出しています。
バッハの弟子や友人にも何人かの優秀なリュート奏者がおり、一流のリュート奏者との交流もありました。1739年に、ドレスデンの宮廷で活躍していたS.L.ヴァイスとJ.クロップフガンスの二人がライプツィヒのバッハ家を訪れ、1ヶ月にわたって滞在して交流を深めたという記録があります。
バッハ没後の遺産目録にはかなり高価なリュートや、ラウテンヴェルク(正体不明。おそらく、鍵盤楽器にリュート用のガット弦を張ってリュートの響きに似せたもの)も書かれていますので、生涯にわたってリュートへの興味・嗜好は持ち続けたのではないでしょうか。

バッハのリュート作品は、20世紀になってクラシックギター用に編曲され、名手によって録音されて人気を博しています。本家リュートも古楽復興につれて演奏家・愛好家が増え、今では名盤といわれる録音を複数聞くことができます。
私はしばらくギターから遠ざかっていましたが、ここ数年は先生について習い始め(最初は独学の癖を矯正するのに時間を費やしましたが)、最近ではやっとバッハの曲を楽しむことができるようになってきました。
またしっかり練習するようになって、改めてこれらのリュート作品の魅力や、隠された遊びなどに気づき、ますますバッハが好きになってきています。せっかくの佳曲ですので、このサイトでも紹介していくことにしたいと思います。

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