バイオレンス美人画家市場大介、傷だらけ活動の歴史 
*このページは2005年に書かれたものを中心に2009年訂正&加筆したものです。だので文体がごっちゃごちゃ。

C:\windows\デスクトップ\活動\kd19.jpg1980年代後期突如絵描き魂脳天舞い降り、少女を中心とした意味不明絵を倫理道徳無視自由奔放に描くようになる。その頃知り合いのMちゃんが勝手に私の絵をミニコミ「ねぶくろ」の表紙に使用した。それで自費出版という存在を始めて認識し自分でも作るようになる。
1990年処女作「三十七才落とし子」出版●誰でも馬鹿でも金出せば本作れるてえのを知った私は本という形にできるのが嬉しくて嬉しくてただそれだけで出版しました。100ページの本を作 りたいと思っておったのだが、本は見開きで1ページだから、てことは200枚描かないと・・・等と訳の解らない身勝手な勘定で156ページほど進んだあた りで、ああもう疲れたからこれでいいや。と、出版所へ行くと「100ページは100ページ描けばいいんだよ」言われ、うわ!じゃ描き過ぎてる〜、とその場 で理解したしだいです。だので156ページという中途半端なページ数になったのでありました。しかも、コラジュとか思いっきりカラー写真使ったりして「こ んなの真っ黒になっちゃうよ」言われ、ほとんど全ページをコピして原稿に貼り付けるという今にして思えば画質最悪。でも当時はそんなこと屁でもねえ。ちな みにタイトルは俺を生んだ時の母親の年齢から付けた。
1990年「顔」出版
●処女作出した後は、一種の心地良い虚脱による余韻の中でぼんやりしておったので創作意欲はそうでもねえのだが、なんやろか、妙な自信というか、 魂のフライングとでもいうか。それがせせり上がってきてすぐさま第2弾。しかも40ページだもんね。薄〜。中身はほとんど「三十七才」のおまけみたいなブ ツ。当然のようにさっぱり売れなくてついにはバラバラにして店の壁に貼ったり、数冊をヒモでぶらさげて遊歩道にある柱にくくり付けたりした。今にして思え ばどうしたかったのだろうか、見当付かぬ。ちなみにこの本持ってる人はかなりのマニアだと思われ。

C:\windows\デスクトップ\活動\kd32.jpg1991年「市場大介の逃げ場無し○」出版●仕事の関係で3ケ月アメリカにおった。そのとき仕入れた男根写真満載の雑誌を持ちかえりふんだんに使用して本作り。したのだが出版所のおばちゃ ん&オヤジに「こんなの出せないよ」と怒られ。その場で問題箇所をマジックで塗りつぶし、なんとか印刷までこぎつけた。おばちゃんは「ほんとは気持ち悪い から、あなたの本出したくないのよね」と客の俺に言ってのけた。パンツ脱げばみんな付いてるのになんでだめなんだ?と子供みたいな気分に。でも、馬鹿イン ターネット社会の今、この本見ても全っ然なんだって。なんもヤバくない。現代はほんとに腐ってる。ヘソぐらいまであるパンツ穿いたモデルのエロ本を自動販 売機でドキドキしながら買った、あの時代はもうどこにも見当たらん。つまらん世の中。
1992年 「BADA」出版● とにかくこの当時はダリやらシュルレアリスムの影響が物凄く、和の持ち味なんぞなんのその、脳味噌自由宇宙遊泳の技術を取得。しかしDADAに ひっかけてBADAって君。「ものにはすべて間が存在する。BADAとはイチバダイスケの間だ」などとさっぱり訳解らんこと言って、一人悦に入っていた。 この時期DADAを知る訳だが、このDADA体験がこの先ずっと私の絵魂根幹となる。他に影響を受けた作家は、粟津潔、ジョージ秋山、佐伯俊男、あくまで 彼らの初期。現在(2009年)興味ある作家は丸木スマばあさんぐらい、あとは誰もおらん。
1992年 「BADA展」●始めてのグループ展。はっきり覚えてないが、これ確か俺が企画したんだよな。今じゃ信じられん、よくまあ面倒臭いことやったもんだ。この期間中に尾崎豊が死んだ。
1992年 「指と舌」(火星書房) 出版●石川さんというミニコミ出版の人から連絡もらう。市場本の新作を作ってもらうことになったのはいいのだが、作品の出来があまりにも駄目だったのでやる気失う。しかし根本さんが帯を描いてくれたので本自体は「あ」という間に売り切れた。●この頃、火星書房「シュジエ」というオムニバス本に参加。西岡兄妹、新谷、キリヒト、等。●たしかこの頃、日本アングラ芸術をニューヨークへ発信しよう!というグルプに入り、日の丸鉢巻日本刀振り回した奴が「なにがNYだ!糞ポップアートの気 狂いホモ野郎が!」というセリフを吐いてる絵を描いたのだが、気が付いたらそのグルプぽしゃってた。ったく、どもならんね。
C:\windows\デスクトップ\活動\kd12.jpg1994年 「三十七才落とし子 小百合篇」(火星書房)出版●火星書房より新作を出そうと話があがっておったのだが「指と舌」の失敗でもひとつ気持ちがパッとしなかった私を見かねて、過去作の再版てえの考 えてくれた。によって処女作「三十七才落とし子」に未発表イラストなどを加えて出版。しかし、本の演出(表紙開いたらいきなり絵が始まる、等のごちゃご ちゃ感が俺は好き)などが簡素だったことでモメて石川さんと対立(ていうか俺が一方的に、もう今度から本は自分で作る!とだだをこねた)。つうことでそれ からは仲間知らずの一匹狼としてイバラのアングラ人生再出発。●この頃、しっかり覚えてないのだが、とあるグループ展に誘われ出品することに。しかし、企画者が突然「エログロは嫌なの!」とか言い 出しやがった。一緒に参加する予定だった安藤はチンコかなんかの絵を却下されて、怒って参加やめたりした(?)ま、なんか色々もめたんだよくだらねえこと で。で、俺は出品したかったのでなるたけおさえたブツ(マリアみたいなのが赤ん坊に乳飲ませてる絵)にチェンジした。期間も過ぎ、参加者全員集まり最終日 を迎え、それぞれ挨拶。俺はおもむろにかけてあったマリアの絵を裏返しにし「ずっと、この絵の裏にはこういうのが描かれておった。ま、目には付かなかった が、この場所に一緒に展示されておったのだ」みたいな事を言い、男根と少女のドアップ絵をその場に晒した。ざまあみろ けけけけ
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1996年 「女の心」 出版● 前作「小百合篇」から2年の歳月がたっておった。さすがになんもしてない訳ではないよ俺は。糞やっぱ本は自分で作ってやる!てんで300ページ のブツを作る、と心に決め、大学ノート4冊描きためたイラスト&文章を無茶苦茶に羅列させ仕上げた。この頃やっと市場絵が確立がされた。この作品によりピ リオドが打たれた。自分の何かが終った。とかなんとかかっこつけて書いてるが、実際こないだ(2005年)なんてヤフオクで50円で出品されてたりしてか なりトホホ。しかも50円で落札された。まんだらけで二千円で見かけたて情報もあったり、もう、どうにでもして!な本です。
1997年 「美杖エズミ」 出版●そしてついに私は生涯の伴侶になるキャラと出会うことになるのです。きっかけは突然でありました。とあるコンビニで買物をした時ふと見かけたレ ジの女店員。ちょびっとだが口が変形しておりました。それが火種となり、帰宅途中のバイク上でいつの間にか「ミズエエズミ」という名前が浮かんできたので す。上から読んでも下から読んでも、おお、いいじゃん。家で字を考えて「美杖」にしたのだが、あとでよく考えたら「美杖」だと「ミヅエ」になっちゃってシ ンメトリでないじゃん、と後悔したものの、エズミは顔ひしゃげてるから、ま、ええかと。そんでその体験を「肉の声」という短い漫画に起しました。最初は目 と口が少しひしゃげた女を描いただけだったが、途中でガツンと顔のアップ描いた時ビビビビッて来たのよね。しかも描き直し線無しで(俺はいつも線が定まら ず、描き直すのめんどいのでそのまま何本も線描いちゃう)。こんなの奇蹟。しかしどこでどうなるか解らんね世の中って。あの店員に会わなかったらエズミと 出会わなかったかもしらん。で、この頃より「美人画家」と名乗る様になったのでありました。【補足:エズミ誕生秘話(2009年9月ジャ日より)】これはねえ、長くなるけど。私が小学生の頃、北海道に住んでおったのだが、冬になると子供たちがミニスキーで滑って遊べるように校庭に小さな雪山を学校が 毎年作ってくれた。で、冬休みとか皆で滑りに行くわけだけど、その時学校の近所に住んでおった下級生の女子(背がすらりとしてるが兎口の娘)が滑りに来 た。その子が滑るとその場の皆が「わ、あいつ滑ってる」てな感じで遠巻きにした。その子はそれに耐え切れず小さく泣きながら家に帰ってしまった。私はその 光景を見て悲哀と怒りと美醜と切なさと恋が緩く溢れた。それは大人になるまで私の心の奥底に留まっておったようで、20代後半の頃偶然入ったファミマの女 子店員を見て溢れ出たわけです。その店員は兎口であったが何も気にしないで普通に店番してる姿見て、なんだか嬉しいような、小学生だったあの子が元気に働 いてるような、そんなよう分らん妙な気持ちになり、帰りのバイクで美杖エズミというキャラがそそり起ったわけです。この経緯はデフォルメではあるが市場本 「美杖エズミ」と「アナザーホワイト」に描いた。持ってる人は「あ、あれね」と思うてください。
1998年 「へそガエル・エズミの覆面作家」 出版
●メジャー志向が高まってきており、みんなに愛されるキャラを作ろうてんで考案されたのが「へそガエル」。しかも受け入れられやすい「漫画」とい う形にチャレンジしたものの、内容&方法論が結局メジャーと正反対の代物に仕上がる。キャラが可愛ければそれでええという訳ではないという事をしらしめ た。ていうか俺には無理。ちなみのこの本が一番コンスタントに売れた
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1999年 「地獄」 出版●へそガエルで漫画という方法論に目覚めた私は、その勢いのままにまたもや漫画形式を使って新作を。もし俺が時代劇描いたらどうなる?どうなる? そんなアホな、いや、いや、どうなる?そんなアホな。と冗談半分に脳味噌回転させておるうちに、おお、どうせいつかは死ぬんだから、いっちょやったるか。 てんで後先考えず描き始めた。図書館で戦国時代や鎧の絵が載った本を借りてきて勉強した。真面目でしょ?
だが、内容は時代劇に設定した事がほとんど意味なさない物に。

2000年 「DAISUKE ICHIBA PICTURING BEAUTY KOHAL」(cosmo9) 出版
● この時期にfmedim氏が、数少ない市場絵の理解者として電撃登場。ホームページを制作してもらう。しかし氏の更新の遅さに閉口した短気の私が「自分で 作る!」てんでイチババランスを立ち上げた。「KOHAL」のコンセプトは元々、日本では鳴かず飛ばずの市場絵を外国にアピルしたらどうだということで作 られた。によってセリフ等の文字を一切はぶい て、絵のみで構成。本が仕上がったら世界の出版社へ送り付けよう、よし、市場海外出航だ!えいえいおー!てんで応援してくれる氏を得た私は調子こいておっ た。だが、本が出来た頃「やっぱ、受けとってもらえなかったら意味ないし、送るのけっこう金かかるんだよね。ページで宣伝して連絡くれたとこに送ることに しよう」つうことになり、気が付くとただ日本で売ってるだけとあいなった。がっくり。ちなみにこの頃「cosmo9」というカンパニ名を使うようになる。 コドク、スンドメ、モア、の頭文字を取ってコスモ。それに10になる手前の数字9(もうすぐゴールだみたいな)、をくっつけた。さっぱり意味解らん。
2000年 「90年代まぼろし」(cosmo9) 出版●で、結局、もっとカタログ的なブツを作り直した方がええ言うことで、90年代の市場仕事を紹介した「90年代まぼろし」を制作。友人達とグループ展「眉間に釘」開催するも失敗に終わる。ル・デルニエ・クリ「HOPITAL BRUT」に市場絵掲載さる。
2001年 「きっちりしてます」(水着出版) 出版●ネットで知り合ったカガヤキ☆マルハラとの共作。文章に興味を持ち始めた時期で、なんか知らんが「俺、文字描くから、マルは絵描いてホン作らな い?いつもと逆のことしようぜよ」等とあんちょくな企画のもとに実現。一時期、渋谷のパルコブックセンタに置かれておったことも。たまたま委託願いに行っ たマルの女房のほんわかムードに店長も飲まれたことが原因のようだ。その後、第2弾を作ろうと実行までしたのだが、途中で失速。
2001年 「残酷ネクスト」(cosmo9) 出版●「きっちりしてます」で味をしめたのか何なのか、220頁中8割が小説&エッセイで占められたとんでもない勘違いなブツ。当初「残ネク」のコン セプトは、エズミと仲間達でバンに乗って河原に焼肉しに行くという物語を奇をてらわずに坦々と漫画で描き連ねるてえものだった。内臓も死体も血もエロもな んも出てこないという、かなり自分には無理大変な仕事へのチャレンジのはずだった。のだが、数ページ描いているうちにどうしてそうなったか今では定かでね えが、漫画なんぞ辞めじゃ!!と怒り、文章に身を埋めるのだ、てんでいきなり文字を書き始めたのでした。訳判らん。さすがに慣れないことはするもんでないね。しばらくして「未完の極北」と共に在庫捨てちゃったもんね。勢いだけで何の中身もないブツを世間に出してしまっ たつう自意識が怒りとなってはみ出した。今思えば捨てなくてもせこく売ってけばよかったとも思うが、もう遅い。さよなら「残ネク」。
2002年 「未完の極北」(cosmo9) 出版●ホームページで発表しておった、横にじゃんじゃん永遠に続いて行く画法「未完の極北」を100月になった時点で本にしたもの。タコシェで「市場 大介フェスタ」嬉しい企画も経験させてもらったのは良いのだが、またもや、流れだけで作ってしまった感のあるこのブツに対して怒りが爆発。廃棄処分に。 いったい俺は何してるんだ。
おぼろげに2000年から2004年の主な出来事羅列。
・トゥナイト2に出演(大阪
「ディープクレイジーフィルム」ちらし絵描いたため北野誠としいなまおが取材に来た。
Franck Stoferちゃん作「JAPANESE INDEPENDENT MUSIC」の表紙に市場絵が。
・グロ漫画集
「地獄の季節」イラスト掲載さる。
舞台集団「座敷牢」の宣伝美術。
「フランクサバゲリラ」宣伝美術をギネス1ダースで引き受ける。
2004年 「アナザーホワイト」(cosmo9) 出版●「残ネク」「未完」の続けざまの失敗を強引に取り戻そうとするがあまり、500ページというアホみたいな目標を掲げて突っ走った作品。これで自分を取り戻したぜよ。
2005年4月 美人画集「豚」出版●と、思いきやいきなり発刊中止!糞。ほとんどのページに原稿用紙の枠線が浮き出て印刷されてたので10冊ほど残してあとは全部廃棄。これで捨てた本「残ネク」「未完」「豚」の3種に。総額40万くらいドブに。
2005年6月
 「へそガエル」再販本発刊。
C:\windows\デスクトップ\活動\kd04.jpg2006年 仕事を辞め、作家活動一本に絞るというキチガイ沙汰。己のチャレンジャー魂に己おののく。この年発刊された「市場大介美人画集下水道鯰子の生涯」より出版名義をcosmo9からBADAに変更。

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