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16世紀〜18世紀、多くの黒人が奴隷としてアフリカ(アンゴラ、モザンビーク、コンゴ、ギニアなど様々な地方)からブラジルの北東部バイーア州サルヴァドールに強制的に連れてこられました。 人々は、主にサトウキビ農園などの労働力として売買され、農園主から不当な虐待を受けていましたが、母国アフリカの音楽や踊りをすることは許されていました。 CAPOEIRAはそのような奴隷制度の中、人々が己の自由と人権を守ることから生まれました。 農園主達に見つかると処刑されてしまうので、カモフラージュとして踊りや、ふざけて遊んでいる様な動きを取り入れた格闘術が[CAPOEIRA]です。
現在、CAPOEIRAには大きく分けて[CAPOEIRA ANGOLA]と[CAPOEIRA REGIONAL]の2つの流派があります。 [CAPOEIRA ANGOLA](カポエィラ アンゴラ)は、比較的にゆっくりしたリズムで動き、遊びやダンス色を多く含み、手を地面につける低い姿勢の動きが多く、動物の動きからヒントを得た動作も多いことが特徴です。 それに対し、[CAPOEIRA REGIONAL](カポエィラ ヘジョナル)は、比較的にリズムが早く、(後に)空手、テコンドーなどから取り入れた華麗で素早い蹴りや派手なアクロバットの他、フォルクローレと呼ばれる回転蹴りの蹴り合いなどが特徴です。 [CAPOEIRA REGIONAL]には、空手のような帯制度があり、[CAPOEIRA ANGOLA]にはありません。
CAPOEIRAは[RODA]ホーダ(人々が輪になる)の中で楽器隊が並び、二人のカポエリィスタが[JOGO]ジョゴ(試合、ゲーム)を行います。スボーツの試合の様に勝敗はつかず、CAPOEIRAの上での会話・コミュニケーションを大切にします。 今日のCAPOEIRAは奴隷時代とはまた違った役割として確立しています。精神の統一であったり、健康を保つ一つの方法であったり、人間の内面・外面の向上など、人それぞれがCAPOEIRAを通して生きていく上で何か大切なものを見出だしています。 しかし、奴隷時代のCAPOEIRAの苦しいイメージが現在に一切無くなったわけではなく、CAPOEIRAでは歴史・文化・歌・楽器・音楽がとても大切であり、様々な要素が一人一人のカポエリィスタと先祖を繋ぐ大切な役割になっています。 RODA:ホーダ
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