バシュコルトに伝わる「ノガイ大系」の特徴
バシュコルト(バシキール)に伝わる「ノガイ大系」の特徴
はじめに
中央ユーラシア=テュルク系民族には豊かな口承文芸の伝統がある。キプチャク草原北部、ウラル山脈を中心に広がるテュルク系民族バシュコルト(バシキール)にも、数多くの作品が語り伝えられてきた。中でもユル(コバユル)という叙事詩のジャンルは、バシュコルト口承文芸の中心的存在となっている。
バシュコルトスタンでは、「バシュコルト民族作品集」がシリーズで出版されるなど、近年多くの叙事詩作品が公刊されている。このことはバシュコルトスタン共和国がロシア連邦という枠内の存在ながらも、そのアイデンティティをバシュコルトのルネッサンスともいえる文化復興に求めていることを示しているといえよう。
15世紀から17世紀前半までのキプチャク草原において大きな役割を果たしたノガイ=オルダという国がある 。ノガイ=オルダの統治者や有力者などを謡った「ノガイ大系」と総称される一連の作品は、ノガイ=オルダが崩壊してからも中央ユーラシアのテュルク系諸民族の間に語られ、その記憶を代々伝えてきた。ノガイ大系に数えられる作品は、キプチャク草原を中心に、西シベリア・カザフ草原からクリミア半島・東欧までの広範な地域に伝えられている。それらはバシュコルトにおいても代々口承で伝えられてきた。本稿では、バシュコルトに伝わる「ノガイ大系」の作品を、近年刊行されたテクストなども利用しながら紹介するとともに、ノガイの記憶がバシュコルトではどのように伝えられているか、バシュコルトに伝わるノガイ大系の特徴はいかなるものかについて論じたい。
1 バシュコルトの英雄叙事詩
バシュコルトの口承文芸の主要なジャンルにコバユルがある。コバユルを日本語に訳すとするならば、「叙事詩」がもっとも近似する概念といえようが、正確には次のような3つの意味がある。まず第一は、「バシュコルトに固有の叙事詩」を表す意味で、ロシアのブィリーナやサハのオロンホと類似する意味であり、二番目はバシュコルトの叙事詩における故国愛や勇士の戦いに対して敬意を表した詩のジャンルであり、三つ目は故郷や勇士を対象に取り上げた教訓的内容をもった詩である 。コバユルはカザフやカラカルパクにおけるトルガウというジャンルとも同一の概念といえるほど類似しており、社会的に重要な問題を取り上げ、人々への教訓のために謡われたという側面も合わせ持っている 。コバユルは、このように様々な意味を持っているが、本稿では便宜的に叙事詩という語で表することとする。
バシュコルトには、英雄叙事詩「ウラル=バトゥル」やプガチョフの乱のバシュコルト人指導者サラワト=ユラエフを謡った「ユライとサラワト」などバシュコルトに固有の作品がいくつかあるが、中央ユーラシアの周辺諸民族にも共通して伝わる作品もまた数多くある。その最たるものが「ノガイ大系」といわれるノガイ=オルダの時代を謡った作品群である。
ノガイ大系に描かれる時代、すなわち15-16世紀は、バシュコルトにたいするノガイ=オルダの政治的影響力が非常に強く、16世紀後半には、現在のバシュコルトスタンの領域の多くがノガイ=オルダ(大ノガイ)の支配下に置かれていた。バシュコルトの「民族形成」は15世紀末から16世紀前半にかけて始まったといわれるが、ノガイの一部が16世紀末にはバシュコルトに同化したこともバシュコルトの「民族形成」に深く関わっているといえよう。バシュコルトは長らく「ノガイ」や「タタール」などと呼ばれていたために、その歴史の詳細については分からない点が少なくないが、バシュコルトの口頭伝承には、ノガイ=オルダの統治者の系譜を自分たちの系譜とみなすものもあり、ノガイとの関係の深さを物語っている。ノガイ大系の主な作品として、「エディゲ」、「ヌラディン」、「ムサハン」、「オラクとママイ」、「カラサイとカズ」など、15-16世紀のノガイ=オルダの統治者・有力者を描いた作品や「チョラ=バトゥル」、「エル=タルグン」など16-17世紀のノガイやその周辺の歴史を伝える作品などがあるが、これらのうちいくつかの作品について、次章より取り上げていきたい。
2 「エディゲ」
英雄叙事詩「エディゲ」は、バシュコルトのみならず、中央ユーラシアのテュルク系諸民族、すなわちカザフ、カラカルパク、ウズベク、ノガイ、カザン=タタール、クリミア=タタール、シベリア=タタールなどに伝えられている。バシュコルトに伝わるエディゲ伝承は、「イゼウカイ」あるいは「イゼゲイ」とバシュコルト風の名称となっているなど、「バシュコルト化」しているものの、あらすじや登場人物などは他の地域に伝わる叙事詩「エディゲ」と基本的に共通している。ここでは、バシュコルトでもっともよく知られる、モハンマトシャ=ブランゴルによって書き取られたヴァリアントを参考に、そのあらすじを紹介しよう。
「バシュコルトの5人の勇士たち、すなわちウラル山脈のクプサク、カタイ、タムヤンとヴォルガ川やノゴシュ川流域のユルマトゥ、タブンは「金のオルダ 」のタクタミシュに納貢もせず、彼の指示にも従わず対立していた。そのため、トクタミシュの使いとしてハブラウ翁 が5人の勇士のもとにやってきて国の歴史を語りながら彼らを説得した。その後5人は評議の役を司るベイとなってハンの宮殿に仕えた。狩人コトゥロもこれに加わった。
コトゥロの息子イゼウカイは幼少からすぐれた能力を発揮していたので、トクタミシュの宮殿にベイの長として招聘された。彼は公正に民を治めた。イゼウカイは奴隷の娘ガナカネと結ばれ、やがて男の子が生まれた。トクタミシュは、娘ウニィウビケがイゼウカイに恋したことや彼を嫌う妻の唆しなどによってイゼウカイを憎むようになり、彼を殺そうとした。
そのためイゼウカイはウラルへと逃亡した。やがて彼はサテムル(ティムール)のもとに身を寄せた。そのころトクタミシュの宮殿で成長したイゼウカイの息子モラズムは父イゼウカイとともにトクタミシュの軍隊を粉砕する。父トクタミシュに代わってハンとなったカディルビルゼはイゼウカイ父子と対立し、新たな争いが始まる。戦いはイゼウカイの死後も、その遺志を継いだモラズムによって継続され、ついにモラズムが勝利した。イゼウカイの遺体はナルスに埋葬された。 」
バシュコルトのヴァリアントでは、登場人物の名称が完全にバシュコルト風に変化している。たとえば、エディゲはイゼウカイ、父クットゥキヤはコトゥロ、ヌラッディンはモラズムなどのごとくである。そのあらすじはカザン=タタールやカザフなどに伝わるヴァリアントと大きな違いはないが、バシュコルトに固有の特徴がいくつか見られる。まず、作品の冒頭において5人のバシュコルトの勇士たちが登場する点である。彼らの名称はいずれも、バシュコルトを構成する下位集団の名称にそれぞれ一致している。これらはいずれもバシュコルトにおける主要な部族集団である。
またその分布について、叙事詩はクプサクとカタイ、タムヤンがウラル山脈に、またユルマトゥとタブンをノゴシュ川(バシュコルトスタン南部を流れる川。露名ヌグシュ川)やヴォルガ川流域にいたことを伝えるが、実際、クプサクやタムヤンはウラル山脈広がるバシュコルトスタン東部に広がり、またユルマトゥやタブンはバシュコルト南部やヴォルガ川付近に居住していたとされる 。このようにバシュコルトの主要部族がその居住地とともに叙事詩に謡われていることは興味深いことである。
また、作品中にはバシュコルトと深い関係のある地名も数多く見られる。ヴォルガやウラルなどは本来エディゲの勢力基盤となった地域であるため、表れるのはもっともなことと思われるが、バシュコルトスタン南部を流れる比較的小さなノゴシュ川がヴォルガ川やウラル川と併記されていたり、ディム(バシュコルトスタン西部を流れるヂョーマ川)やアシュカザル(バシュコルトスタン南西部の川)など、バシュコルトの地名が多く描かれたりしている。さらにこのヴァリアントでは、エディゲが埋葬された場所をバシュコルトスタン西部、ディム川流域にあるナルス(あるいはナルスタウ)と伝えている。エディゲの埋葬地については各地に様々な伝承が伝えられるが、バシュコルトではこのように伝えられているである。
作品にはエディゲの称讃と共に、ウラル讃美の精神が貫かれている。作品中の「ウラル、それは我が父が生まれたところ。ウラル、それは我が父が育った故郷。/ヤユクやイゼルの勇士たちは、みなこの故郷にいたのだ。」「みなが讃えたウラル山!、すべての母、ウラル山、すべての父、ウラル山。私はここで育った戦士なのだ。」という句などはまさに象徴的である。「エディゲ」は、このようにウラルの讃歌としての要素を含みながら、バシュコルトの民族叙事詩として完全に定着しているのである。
3 「ママイ=ハン」
エディゲとその息子ヌラディンによって建てられたノガイ=オルダの覇権は、ヌラディン以後、彼の息子ワッカスやその息子ムサハンへと移譲された。バシュコルトには、ムサハンの息子シャー=ママイについて謡った作品が伝えられている。この作品の背景となっているのはノガイ=オルダやキプチャク草原の歴史にとって重要な時期であった16世紀後半と考えられる。「ママイ=ハンの物語」のあらすじをハジサ=クサバエヴァの語りによるヴァリアントで見てみよう。
「イゼル(ヴォルガ)川流域でスングズ=ハン(チンギス=ハン)の息子たちが敵と戦ってから長年経ち、ママイというハンが国を治めていた。ママイの父ムサには二人の妻がいて、一人は7人の息子を、もう一人は5人の息子を産んだ。ママイは第二夫人から産まれた5番目の息子で末子であった。ママイは戦いに明け暮れ、あらゆるものを脅かし、すべてを自分に従わせた勇士であった。ママイが攻め入った場所で、人々は殺され、村は燃やされ、町は灰になった。
ウラクという名の勇士はママイの忠実な同士であった。彼らは二人で世界の下を上にするほどの勢いであった。ママイとウラクは各地を席巻したすえ、カフという国にたどり着いた。そして、その民を脅かし、カフのハンを殺した。だが、このカフの国でママイ自身も死ぬことになった。彼の軍隊が完全に敗れたためである。ママイの死はこれまでの行いの報いだと宣された。「多くの国で、多くの人々を血に沈め、財産を奪い、住まいを燃やしたのは、横暴なるママイ、おまえなるぞ。ついに、おまえの首がはねられる時が来たのだ。何か言い残すことはないか。あれば、今ここで言え。」と。
そこでママイは、今はの際の言葉を次のように述べた。
イゼル(ヴォルガ川)の上流のイラマル山、
わが父ムサの国が広がる場所であった。
ヤユク(ウラル川)の上流には黒い森林、
わが父ムサの夏営地が広がる場所であった。
クズル、オイスク、ビシュタマク、
わが父ムサの冬営地が広がる場所であった。
大きな歩みの粕鹿毛の馬、
我が父ムサハンが、その馬に乗り駆けたのであった。/
雌馬が育ったところ、
腰に刀を差したところ、
弓を張り矢を射たところ、
大軍の長となって、遠くからの敵と戦ったところ、
(勇士は)みな先祖から残された。
(勇士は)みな今後はママイから残される。
こう語った後、恐れられた勇士ママイの首は刎ねられたという。 」
ママイはノガイ=オルダの最盛期の統治者のひとりであった。16世紀前半、彼は強大な権力をもち、その名を轟かせた。作品が伝えるように、彼は勇敢で容赦ない勇士として知られている。歴史上のママイの死については詳らかではないが、彼の死は口承文芸ではしばしば取り上げられるモチーフとなっている 。彼が敗れて命を落とすこととなったカフについてはクリミア半島のカファ(フェオドシア)とする見解があるが 、テュルク系の口承文芸では、カフカースにある神秘の山「カフ山」を意味することも多く、にわかには断定しがたい。ママイの辞世の句に謡われる地名については、イラマルはバシュコルトスタン東部のイラマル山、クズルはウラル川の支流で、オイスクは現在のカザフスタン、アトゥラウ州にある地と、またビシュタマクはウラル川下流域の地名と考えられ、これらの場所はノガイ=オルダの主要領域とも合致しているのである。
ここで紹介した叙事詩「ママイ」は、ストーリー性に欠け、ママイの辞世の句がクライマックスであるなど、他の地域の作品と若干趣を異にしている。カザフやカラカルパク、クリミア=タタールなどに伝わるママイにまつわる物語は、オラクとママイの兄弟が主人公として描かれ、「オラクとママイ」という題名が付されることが多い。また、「オラクとママイ」ではオラクの息子カラサイとカズについてもしばしば述べられる。カラサイとカズを主人公とした作品に「カラサイとカズ=バトゥル」があり、そこにはノガイの内紛や外敵カルマク(ジュンガル)やクズルバシュ(サファビー朝ペルシャ)との戦いが描かれている。引き続き、この作品について見てみたい。
4 「カラサイとカズ=バトゥル」
口頭伝承ではオラクの息子と伝えられるカラサイ・カズ兄弟について謡った「カラサイとカズ=バトゥル」は「オラクとママイ」と並んで「ノガイ大系」の中心的作品のひとつとなっている。この作品もまたカザフやカラカルパクなどの周辺民族にも伝えられるが、ウファでイルブルディンから書き取られたバシュコルトに伝わるヴァリアントは次の通りである。
「その昔、ノガイにウラクというバトゥルがいた。その勇敢さと聡明さのためにイスマギル=ミルザは彼を非常に妬み、なんとしてもウラクを殺そうと考えていた。だが、ウラクは矢でも槍でも殺すことはできないほど強い勇士であった。イスマギルは、ウラクのもつ名刀でのみ、彼を殺すことができると知った。そこでウラクが寝ているときにその刀を配下に盗ませ、彼のユルタ(天幕)の入り口に結びつけた上で、外から彼を大声で呼ぶように命じた。雇われた勇士たちは盗んだ刀をユルタの入り口に高く結び付けておいた。そして、「盗人だ!起きろ」と叫んだ。外の騒がしさに目を覚ましたウラクはユルタから外に出ようと飛び出し、仕掛けられていた自分の刀で傷つき死んでしまった。こうして、イスマギル=ミルザは宿敵ウラクを消し去り、ハンとなった。だが、ウラクには二人の幼い息子がいた。上の子はカラサイ、下の子はカズといった。老婆はこの孤児となった子供たちを、非情なイスマギルから殺されぬよう、別々の方角に逃がし、生き延ばせようとした。彼らはたいへんな苦労をしてどうにか成長した。
あるとき、ノガイとカルマクが敵対するようになった。そうした中、カラサイ兄弟はイスマギルを殺し、本懐を遂げた。やがて、カラサイはカルマクを撃退しようと考えるようになった。しかし、彼には馬も武器もなかった。彼は、老婆に馬と武器を見つけて渡すように頼んだ。老婆はカラサイがまだ幼いと思い、はじめはこれに同意しなかった。馬や武器は見つからず、敵はすでに遠くに行ってしまったと言って、ごまかした。
あるとき、ガゼルソルタンというバトゥルが、ノガイの40人のバトゥルを集めて、カルマクと戦おうとした。しかし、ガゼルソルタンは敗北し、カルマクに囚われ、投獄された。その牢屋は誰も立ち入らない高い山にあった。ガゼルソルタンが敗れ、彼が囚われたことを聞いて、老婆は、カラサイを「スルタンの駿馬」に乗せて、敵に立ち向かわせた。勇士はカルマクを撃ち破った。ただガゼルスルタンを見つけることはできなった。牢屋にいたガゼルスルタンは、一匹の燕の翼に手紙をつけて飛ばせた。そこには「私を探し出して、救えるのはウラクの息子カズだけだ」と書き記してあった。
カズは探索に出発した。彼はその高い山に行き、洞窟を見つけた。カルマクを兄カラサイとともに倒して、ガゼルソルタンを救出し、たくさんの家畜や戦利品をもって帰郷した。こうして、カラサイとカズは勇士としての名声を周囲に広めたのであった。 」
ちなみに、現バシュコルトスタン共和国ウルンボル、ベリャエフ地区にカラサイ湖という湖がある。かつてカラサイがこの湖の湖畔で夏営していたために、そう呼ばれるようになったという 。
作品の冒頭では、イスマギル=ミルザ、すなわちムサハンの息子イスマイルが奸計をもって宿敵オラクを殺害したことが謡われ、ノガイの内部抗争の一端をのぞかせている。1550年代、親ロシア派のイスマイルとクリム側につく他の有力者たちとの間には確執が生じていた。作品にあるような「イスマイルのオラク殺し」を謡った伝承が各地に伝わっていることやオラクが死去したのが1550年頃であることから、このエピソードはなんらかの史実を表していると考えられる。
「カラサイとカズ」に描かれる外敵との争いも、ノガイにとって重要な出来事であった。カラサイらが救うガゼルソルタンとは、クリム=ハン国のハン、デヴレト=ギレイの息子、アディル=ギレイのことである。実際に、「カズ=オルダ」といわれる小ノガイは1569年のアストラハン攻撃に、アディル=ギレイの司令の下参加するなど、密接な関係にあった。オスマン帝国が行った1578-1606年にかけてのサファビー朝(クズルバシュ)との戦争にクリム=ハン国も加わっていたため、アディルギレイもサファビー朝との戦いに参加するが、彼らに捕らえられてしまう 。この捕虜となったアディルを救い出したのは、カズ一族が統率する「カズ=オルダ」であり、作品にはまさにその様子が描かれているのである。カラカルパクのヴァリアント では、アディルを救出したカズが、アディルをハンの位に就かせ、カラサイはアディルの妹を妻とする様子が謡われ、小ノガイとクリム=ハン国との深い関係を示しているが、実際16世紀後半、小ノガイはさらにクリム=ハン国との関係を強化し、やがてこれに同化していったのであった。
「カラサイとカズ」では、バシュコルトのヴァリアントのようにクズルバシュではなくカルマクとの戦いが描かれることが多い。1630年代のカルマクの侵攻がノガイ=オルダの崩壊を決定づけ、彼らの北カフカース移住の大きな契機となったように、カルマクとの戦いはノガイの運命を左右するものであった。正確にはカズの治世にノガイとカルマクが争ったという史実は確認されていない。しかし、かつて筆者が「チョラ=バトゥル」を用いて明らかにしたように 、テュルク叙事詩では、どのような歴史的事件の記憶がより重要であったという「歴史観」によって敵民族やエピソードが変わることから、後世の人々にとって、カルマクの侵攻こそがクズルバシュとの戦いよりも重要なこととなり、叙事詩においてもカルマクがクズルバシュに取って代わって伝えられてきたものと考えられる。そしてこのことがバシュコルトにもあてはまることを、この作品は示しているのである。
5 「タルグン=バトゥル」
英雄叙事詩「タルグン」はバシュコルトやカザフに伝わる英雄叙事詩である。カザフに伝わる「エル=タルグン」では主人公タルグンがノガイのくにやクリム=ハン国をさすらいながらカルマクと戦う様が描かれ、17世紀前半、ノガイ=オルダ末期を背景としていると考えられる 。また文献史料では確認されていないものの、口頭伝承ではノガイ=オルダのムルザ、エステレクの息子として伝えられるなど、ノガイとの関係の深さが感じられる。
バシュコルトにはいくつかのヴァリアントが採録されているが、ここではガディアト=ヒサモフからガイナン=アミルが採録した「タルグン=バトゥル」のあらすじを紹介しよう。
「その昔、バシュコルトにタルグンという名の勇士がいた。成長して立派な勇士になると、自分にふさわしい娘を探していた。
彼が草原を進んでいると、そこにアクサハンの民が移り進んでいくのを見つけた。タルグンは後ろから追った。先頭にアクサハンの娘アクユヌスがいた。そばには40人の侍女が従っていた。娘たちはタルグンに「ああ、何というすばらしい勇士なのかしら」と驚嘆した。タルグンは先頭の娘の目を見つめた。娘は「あなたはどなたなのかしら。どこへ参られるのですか」と尋ねた。すると勇士は「私の名はタルグン。私自身にふさわしい女性を探して旅しているのです」と答えた。娘は「私はアクサハンの娘アクユヌスです。私があなたにふさわしければ、あなたも私にふさわしいでしょう」と返した。タルグンは彼女の父アクサハンのもとに進み、「あなたの娘さんを私にお与えください」と懇願した。しかし、アクサハンは「それはならん。おまえのような淫蕩なものに与えるわけには参らん」と拒絶した。
タルグンはアクユヌスのもとに行き、「かくなる上は共に逃げよう」といい、彼女を駿馬に乗せて、逃亡を図った。侍女たちはハンにことの次第を報告した。ハンは「誰でもかまわん。追って娘を取り戻したものには、娘をめとらせよう」と命じた。多くの者がアクユヌスを追った。駿馬の駆けて塵が天にまで舞った。タルグンは追っ手が近付くのに気づいた。アクユヌスは、駿馬の乗り手が65歳になる老バトゥル、カルト=クジャクであることをタルグンに知らせた。そして、クジャクとタルグンとの対決が始まった。そこでアクユヌスはクジャクに向かって「踵を返しなさい、クジャクよ。あなたの髭はすでに渇ききっている。もはや乾いた糞のように。」といった。クジャクは己の年齢を考え、ハンの娘をタルグンに預けて戻っていった。クジャクはハンに「某は、齢65になります。若い娘は必要ありません。」と言った。
タルグンは娘と故郷へ戻ろうとしていた。道中、カルマクと戦争中のタタールのハンと出会った。タタールのハンはタルグンに助力を乞うた。
そこでタルグンは妻を残して、カルマクとの戦いに向かった。カルマクのハンを追い払って、さらにボルガル山に進んだ。カルマクの姿が見えなかったため、大きなポプラの木に登り、探った。しかしそこから落下して、不具の体になってしまった。40人の家来はタタールのハンのもとに行き、ことの次第を報告すると、ハンは「戻れぬなら、戻らぬであろう。死ぬのならば、死なせよう」とタルグンを見捨て、「美しき彼の妻は余が預かることとしよう」とアクユヌスのもとに向かった。そのころアクユヌスは、
ボルガル、ボルガル、ボルガル山よ、/
どのようなところからも落ちぬ勇士が、
一本のポプラから落下した。
という詩を夫に謡っていた。この詩にタルグンは恥じ入り、飛び跳ねて起き上がった。そこへタタールのハンがやってきた。二人は対峙する。タルグンはハンに
汝の先祖を呪え!、犬のノガイよ!/
その目を光らせて、
よくも見捨て帰ったな。
と謡い、さらに「私はおまえに善行を、おまえは私に悪行を行ったのだ。ここでお前を針で剥いでやろう」と言った。ハンはタルグンに許しを乞い、「余のハンの玉座を、財産を、国を与えよう」と言った。
そしてタルグンはこの国のハンになった。しかし、ある戦いで命を落としてしまった。アクユヌスもこの国で息を引き取った。彼女の墓はマスという場所に埋葬された。 」
タルグンがカルマクを追って、落木して怪我をしたボルガル山は、かつて8〜9世紀にヴォルガ川流域に栄えたボルガル王国の中心地であったボルガル山を意味し、現在ではヴォルガ川流域のこの周辺の地方を指すものと考えられる。カザフに伝わるヴァリアントでは、タルグンがカルマクを偵察した折に落木して怪我を負い、それを癒した場所もまたボルガル山であった 。またマスなる場所は、トロイツク近郊の村を示すという説がある 。
さて、先に紹介したガトイアトの叙述によるヴァリアントでは、タルグンはタタールのハンに向かって、「犬のノガイ」と罵っている。タタールにたいしてノガイと呼ぶのは、一見奇妙なことであるが、ノガイはヴォルガ=タタールときわめて緊密であった上、19世紀にはノガイという言葉がヴォルガ=タタールを意味することもしばしばあった。ノガイ=オルダが崩壊すると、それまでのノガイという言葉の意味が変質し、かつてのノガイ=オルダの領域に住んでいる人々(すなわちヴォルガ流域のタタール人)を表すようになったのである。もっとも、ノガイという言葉は、ノガイ大系の叙事詩作品などを中心として、本来の意味であるノガイ=オルダとその住民を表すことが多いのは、既述の通りである。
「ノガイ」をタルグンが属する集団とは異なる集団とする上記のヴァリアントとは別に、バシュコルトにはタルグンをノガイの出身でノガイ=ハンになったとするヴァリアントもある。バシィロフ=ムッラガリからキライ=マルガンが採録したヴァリアントでは、タルグンはノガイ出身の勇士であり、ノガイからバシュコルトのアクサハン治める国にやってきたことになっている。さらに、妻のアクヨンドズとともにノガイ=ハンのもとに戻り、ノガイの将軍となるが、怪我した自分を見捨てたハンを殺し、自らがノガイのハンになる。このようにバシュコルトに伝わる叙事詩「タルグン」は、タルグンの帰属集団および「ノガイ」との関係が多様で複雑であることが大きな特徴のひとつであるといえよう。
6 「スラ=バトゥル」
英雄叙事詩「チョラ=バトゥル」もまた、中央ユーラシア各地のテュルク系諸民族に伝わる作品である。この作品は、カザン=タタールでは「チュラ=バトゥル」、カザフやカラカルパクでは「ショラ=バトゥル」との名で知られるが、バシュコルトでは「スラ=バトゥルSura batyr」と呼ばれている。この作品は本来はロシアのカザン攻略を描いているが、そのヴァリアントはヴォルガ川を挟んで東西に大きく二分され、西のヴァージョンではロシアを、東のヴァージョンではカルマクをそれぞれ敵としている 。異教徒がカザンを攻撃することを知った主人公がカザンに向かい戦う場面は作品のクライマックスとなっており、すべてのヴァリアントで描かれている。バシュコルトに伝わるヴァリアントもカザンへ赴くスラ=バトゥルの決意を表した一節を伝えている。ここでは、バシュコルトに伝わる作品の他のテュルク系諸民族の作品との共通性について見ていきたい。まず、バシュコルトの語り手モハンマト=アギシェフからキライ=マルガンが書き取ったテクストを以下に引用しよう。
我は戦場に向かう、カザンの国を取りに行く、
我はカザンの国に行く。
我がカザンに行くまでは、
雪を降らさず、血を降らせ、
我がカザンに行った後は、
血を降らさずに、雪を降らそう。
敵に向かって我は行く、
カザンの国を取りに行く、
カザンの国を取った後、
(故郷へ)戻って刀を置こう 。
主人公スラがカザンへ赴く前に自らの決意を力強く明らかにしたこの一節は、バシュコルトのこのヴァリアントのみならず、各地に伝わるヴァリアントに同様の表現で語り伝えられている。たとえば、カザフに伝わるヴァリアントは、
我がカザンに行くまでは、
雪を降らさず、光を降らせ、
我がカザンにいった後は、
雪を降らさず、血を降らそう。
というバシュコルトのものと同様のフレーズを含んでいる。また、クリミア=タタールに伝えられるヴァリアントには次のようなフレーズが見られる。
カザンへ向かって我は行く、
我がカザンに行くまでは
血を降らせずに、光を降らせよう。
我がカザンに行った後、
光を降らせず、血を降らそう。
さらに、東欧ルーマニアに居住するドブルジャ=タタールにも以下のような同様のフレーズで語り伝えられている。
カザンに向かって我は行く、
我がカザンに行くまでは
血を降らさずに、雪を降らそう
我がカザンに行った後、
雪を降らさず、血を降らそう
カザンに向かって我は行く、
カザンをロシアが取ったとしても
我はカザンに居残って、
カザンで勇士になろう。
これらのフレーズが互いに極めて酷似していることは瞭然である。このことは原語によるテクストを参照すると一層明らかである。共通する箇所を転写した原文で見てみよう。
Min Qazangha barghansi,
Qar yaumaghaym qan yaughay,
Min Qazangha barghan hung,
Qan yaumaghay, qar yaughay.(バシュコルト)
Men Qazangha baramin,
Qar jaumasin, nur jausin.
Men Qazangha barughan song,
Qar jaumasa, qan jausin. (カザフ)
Man Kazangha barghashin,
Kan jaumasin, nur jausun.
Man Kazangha barghan song,
Nur jaumasin, kan jausin.(クリミア=タタール)
Man Qazangha barghashiq,
Qan jaumasin, qan jausin.
Man Qazangha barghan sung,
Qar jaumasin, qan jausin. (ドブルジャ=タタール)
これらのフレーズは、一部の単語を除いて基本的に同一の語句からなっていることが明瞭であろう。細部の差異である「雪」や「血」、「光」といった語は音節的にも可変的で、いずれがオリジナルであるか、あるいはそれに近いかは判然としないものの、このフレーズは作品の中核の一部として温存されながら、各地に伝播していったことがうかがい知れる。このフレーズは、登場人物の名称やカザンを巡る戦いとともに、各地に伝わる多くのヴァリアントに共通する、この作品の重要な要素の一つであったのである。この一句は単純にして印象深く、不変的性格をもっていたことから、おそらくは作品が成立した当初より、カザン侵攻にともなう主人公の決意を表したフレーズとして語られていたのであろう。
バシュコルトには、「バシュコルトの東南部のウセルガン部族はカザフ人と緊密に交わって暮らしてきた。そのウセルガン族からはアルグシャイ=バトゥルとスラ=バトゥル(チョラ=バトゥル)が輩出された。」という伝承がある 。これらのことからバシュコルトにはノガイ大系に謡われる人物を自らの先祖と考える人々がいたことやカザフと密接した関係を維持していたことがわかるのである。実際、バシュコルトはカザン=タタールやカザフと文化・歴史的に共通する点が多く、とくに南部に伝わる口頭伝承に、カザフと共通する特徴が数多く見られることもこのことの表れとなっているのである。
おわりに
ここで、本稿で明らかになったことをまとめてみよう。まず、バシュコルトにはノガイ、正確にはノガイ=オルダの歴史を伝える様々な作品が伝えられていること、それらの主人公はノガイの勇士で、バシュコルトでは彼らを英雄として讃えてきたことが確認された。またバシュコルトの民族形成にノガイが大きく作用したことが、叙事詩の側面からも確かめられた。作品中にはバシュコルトに固有の人名や地名、エピソードが多く見られ、いずれの作品もバシュコルトの民族叙事詩として完全に定着していることがわかった。そして作品の舞台となっている領域はかつてのノガイ=オルダの領域と重なるものの、バシュコルトの地名がとくに多く表れること、とくにウラルを讃える精神が随所に見出せ、この地域の人々におけるウラル山とウラル川の存在の大きさが叙事詩に反映されていることも明らかになった。その一方で、バシュコルトでは他のテュルク系諸民族と共通する作品が多く語り伝えられているだけではなく、「スラ=バトゥル」や「タルグン」などでは、作品のモチーフや表現形式など細部においても共通していることが明らかにされた。
バシュコルトに伝わる多くの叙事詩のなかでも、ノガイ系の叙事詩はバシュコルトの歴史と民族形成を考える上で示唆に富む作品である。今後、それぞれの作品について、さらに詳しく掘り下げて研究する必要があろう。