「ノガイ大系」における主人公の「移動」の特徴
  〜「エル=タルグン」、「チョラ=バトゥル」を例に〜

はじめに

 中央ユーラシアのテュルク系民族、なかでも遊牧生活を行ってきた人々の間ではとくに口承文芸が発達してきた。彼らの口承文芸には多くのジャンルがあるが、中でも英雄叙事詩のジャンルはその主幹をなしているといえよう。

 英雄叙事詩は、ジュルシュやジュラウ、アクンなどと呼ばれる語り手によって、コブズやドンブラなどの民族楽器の伴奏にのせて語られた。語り手たちは、その集団の歴史の記憶やアイデンティティーの拠り所を口承によって代々後世に伝えてきたのである。英雄叙事詩には、勇士の活躍が、名馬の活躍や妻の機知、盟友の助勢とともに描かれる。そして、最大のクライマックスが敵のハンや勇士との戦いや和を乱す同胞との決闘であることからもわかるように、「民族」や「部族集団」の団結と彼らを脅かす敵との戦いがその主なテーマなのである。

 「エル=タルグン(勇士タルグン)」と「チョラ=バトゥル(勇士チョラ)」は、「ノガイ大系」といわれる叙事詩群の代表的な作品で、中央ユーラシアのテュルク系諸民族に広く伝えられている英雄叙事詩である。これらの作品も、上に挙げたような英雄叙事詩の特徴をもっているが、この二つの作品にはさらに次のような際だった特徴がある。それは、主人公が故郷あるいはそれまでいた土地から別の土地に移動していくという移動パターンをとることである。中央ユーラシア=テュルク系英雄叙事詩では、主人公は故郷から敵地へ、敵地から故郷へという移動パターンを取るのが一般的であり、このように別の地に移っていくという移動パターンはあまり見られない。また、一般に中央ユーラシア=テュルク系英雄叙事詩は歴史的な事象を背景にしているが、なかでも「ノガイ大系」に属する作品は、主人公が歴史上実在したと考えられる人物であったり、様々な歴史的事件を背景にしていたりと、歴史との関わりを強く示している。「エル=タルグン」、「チョラ=バトゥル」もこの例にもれない。

 本稿では、このような特徴をもつ英雄叙事詩である「エル=タルグン」、「チョラ=バトゥル」の特徴について論じながら、「ノガイ大系」の特徴を明らかにしていきたい。


1  中央ユーラシア=テュルク系英雄叙事詩における主人公の「移動」

 本章ではまず、「エル=タルグン」、「チョラ=バトゥル」における主人公の移動の特徴を論ずるに先立ち、比較参考のために、中央ユーラシア=テュルク系英雄叙事詩における主人公の移動パターンの一般的な特徴について見ていきたい。

 一般に中央ユーラシア=テュルク系の英雄叙事詩では、勇士は敵との戦いに勝利したあと、故郷に帰国する。叙事詩研究者ヌルマガンベトヴァは、テュルク=モンゴル系民族の叙事詩における「叙事詩」の構造を構成するエピソードとして、1.勇士の誕生と幼年時代、2.勇士の求婚、3.勇士の馬の誕生と選択、4.異国の敵(古い叙事詩では怪物など)との戦い、5.勇士の勝利と故郷への帰国の五つのエピソードを揚げている。叙事詩研究者ウブラエフは、英雄叙事詩を「勇士の幼少時代と結婚」、「勇士の武勇」、「故郷の敵からの解放」の3つに大きく分けた上で、さらに「粗筋の不変単位」としてそれらを18の単位に分類しており、その17番目に「故国への帰還」をあげている。このように勇士の故郷への帰還は、テュルク系の英雄叙事詩のあらすじにおいて中心的なモチーフであると見なされているのである。  ここで仮に、主人公が故郷へ帰還する移動パターンを「帰還型」、主人公が故郷に戻らず、別の地へ移動していくパターンを「移動型」と呼ぶならば、「移動型」の作品は希であり、中央ユーラシア=テュルク系の英雄叙事詩の多くが「帰還型」の作品であることから、これらの先行研究における分類は妥当な見解であるといえる。

 主人公の勇士が敵に勝利して帰還するモチーフは、「アルパミシュ」や「コブランドゥ」、「カンバル」など中央ユーラシア=テュルク系の代表的な英雄叙事詩に見られる。ここでは、「アルパミシュ」と「コブランドゥ」を例に、そのあらすじに基づいて、「帰還型」叙事詩の主人公の移動パターンをまとめてみたい。まず、「アルパミシュ」のあらすじから見てみよう。


 主人公の勇士アルパミシュの父とアルパミシュの婚約者バルチンの父が諍いをおこしたため、バルチンの家族が故郷コングラトをあとにして、タイシャ=ハンの支配するカルマクのくにに移っていく。タイシャ=ハンはバルチンに求婚する。アルパミシュはバルチンを追ってカルマクに向かう。そして、多くの試練のすえバルチンを救ったアルパミシュは、彼女とともにカルマクのくにからコングラトのくにへ帰還し、祝宴をあげた。その後、カルマクのくににいるバルチンの家族の惨状を知ったアルパミシュは、彼らを救うべく、再びカルマクのくにへ向かうが、奸計にあって投獄される。苦労のすえ脱獄したアルパミシュはカルマクの勇士たちと戦い、カルマクのハンを殺して、バルチン一家とともにコングラトに戻り、祝宴をあげたのであった。

 「アルパミシュ」では、主人公は故郷であるコングラトから敵のくにカルマクへ向かい、戦いに勝利して、コングラトのくにに帰還するという道筋をたどる。しかも、多くのヴァリアントにおいて主人公は、敵のくにに向かい、帰郷するという移動を二度繰り返していることから、「アルパミシュ」は敵地から故郷への「帰還型」の好例であるといえよう。

 次に「コブランドゥ=バトゥル」のあらすじを参考に主人公の移動経路に注目してみたい。

 カザンが敵の攻撃を受けていることを知った勇士コブランドゥは、名馬タイブルルや盟友カラマンらとともにカラ=クプシャクのくにからカザンに向かう。そして激しい戦いの結果、敵を撃ち破り、戦利品を得て、故郷へと向かった。帰郷する道中、コブランドゥはコビクトというハンに捕らえられ、牢に入れられる。やがて牢から脱出したコブランドゥは敵のハンを矢で射抜き、彼の馬群を奪って、困難のすえ帰郷する。故郷に戻ると、コブランドゥの家族はカルマクのハンであるアルシャギル=ハンに連れ去られていた。カルマクのくにに向かったコブランドゥは、カルマクの多くの勇士と一騎打ちをして、これらを撃ち破り、カルマクに勝利する。そしてコブランドゥは家族や仲間たちとともに帰郷したのであった。


 コブランドゥは、カラ=クプシャクのくにからカザンへ向かい、一度故郷へ帰還したあと、カルマクのくにへ向かい、再び凱旋帰国するというルートをたどっている。このように、「コブランドゥ」もまた「アルパミシュ」と同様に、敵と戦って帰郷する「帰還型」の典型であることがわかる。

 ここで取り上げた「帰還型」の両作品に共通する点は、1.主人公の移動先が敵地であること、2.その移動の目的が戦利品を得ること、あるいは妻・家族などを救出すること、3.移動は自発的に行われることなどである。これらの点は、多くの中央ユーラシア=テュルク系英雄叙事詩にも一般的に見られる特徴である。また、カルマクという敵民族との戦いが描かれていることも共通する点である。中央アジアの英雄叙事詩の多くの作品において、主人公の戦う相手はカルマクである。「カルマク」とは中央アジアでモンゴル系民族を一般に指す名称であるが、とくに17世紀以降中央アジアに侵攻したモンゴル系民族オイラトのジュンガルを指すことが多い。ジュンガルの中央アジア侵攻は非常に苛烈で、この地域に甚大な損害を与えた。中央アジアにおけるジュンガルの脅威は、1755年に清朝がジュンガルを滅ぼすまで続いた。「アルパミシュ」、「コブランドゥ」は、このようなジュンガルとの抗争を背景にしているが、史実の具体的な描写には乏しく、「ノガイ大系」の多くの作品とは異なり、描かれている時代や地域などの比定が困難である。


2 「エル=タルグン」における主人公の移動

 それでは次に、「チョラ=バトゥル」や「エル=タルグン」など、主人公の勇士が故郷に帰還せず、別のくにや地方へと向かう「移動型」の作品について見てみよう。本章では、まず「エル=タルグン」について論じたい。

 「エル=タルグン」はカザフやバシュコルト(バシュキール)などに伝わる英雄叙事詩で、1862年にカザン大学で出版されたマラバイという語り手のヴァリアントが最初に刊行されたものである。この作品は、オペラ化されて上演されたり、教科書にも取り上げられたりと、現在でも高い人気を博している。これまで、いくつかのヴァリアントが確認されているが、ここではマラバイの叙述によるヴァリアントを用いる。このヴァリアントに基づく「エル=タルグン」のあらすじは次の通りである。

 その昔、タルグンという名の勇士が故郷で人を殺したために罪人となったため、クリム=ハン国へ逃亡した。ある日クリム=ハン国のハンの一人であるアクシャハンが、オイマウトやトルガウトと戦争を始めた。タルグンはこの戦いに加わり、名馬タルランとともに敵を負かし、クリム=ハン国の軍の長となった。やがてタルグンはアクシャハンの娘アクジュニスと恋に落ちるが、ハンがそれを認めなかったため、タルグンは彼女を連れて逃亡する。激怒したハンの大軍が彼らを追う。誰も彼らに追い付けなかったが、老勇士カルトコジャクだけが彼らに追いついた。彼は、アクジュニスを連れて返ろうとするが、彼女が彼の要求を断固として拒絶したため、コジャクは諦め、タルグンとアクジュニスを残して去っていった。

 タルグンはアクジュニスとともに、エディル河に広がるノガイに向かった。ノガイには10人のハンがおり、その一人ハンザーダが治めるくににたどり着いた。このくにはタルグンを暖かく迎かえ入れた。当時ハンザーダのくにはエディル河支流のシャガン川付近にいたカルマクと敵対していた。そこで、タルグンはシャガン川に向い、カルマクと戦って彼らを追いやった。ところがその後、シャガン川近くで樫の木に登り、偵察していたタルグンは、木から落ちて大怪我をしてしまう。

 ハンザーダはタルグンをしばらく看病していたが、なかなか治癒しないのをみて、ブルグル山からシャガン川流域へ移動していった。タルグンは長い間、心身ともに苦しんだが、妻アクジュニスの献身的な看病により回復した。彼は自分の故郷に戻ろうとするが、妻の「見捨てて行ったハンに会わずにいることは恥である」という言葉に同意してハンザーダのもとへ行くことにした。

 攻撃を仕掛けてきたカルマクに困惑していたハンザーダは、タルグンに再度カルマク攻撃を依頼するが、タルグンはこれに激怒。ハンが娘を与えるという条件で懇願すると、タルグンはようやくこれを受諾した。何日もの戦いの末、タルグンはカルマクの大軍を追い払った。しかしハンは「おまえの七代前の先祖で玉座に座ったものはいない故、娘はやれぬ」といった。再び怒ったタルグンは妻とともにクリムへ去っていった。ハンザーダの民はタルグンの復讐を恐れたため、タルグンを呼び戻す。伝説的な詩人スプラ=ジュラウはタルグンに「娘ではなく、民を大地を家畜を取って、その支配者になれ」と助言した。タルグンはこれに同意し、ジャナルスタンのウシュ=タルグン山で遊牧し、ハンとなり、このくにを繁栄させ、年老いて亡くなった。アクジュニスはアルダビーという息子を産んだ。彼も勇士となった。アルダビーの息子アイコジャは五つの町を治めるハンとなった。


 「エル=タルグン」における主人公の行程を整理してみると、主人公の勇士タルグンは故郷からクリム=ハン国のあるクリミアへ、クリミアからノガイのくにへと移動し、最後にジャナルスタンの地に落ちつくという経路をたどっている。ここで取り上げたヴァリアントでは、タルグンの故郷の詳細は不明であるが、タルグンの最初の移動とその原因となった事件を描いた別のヴァリアントでは、カスピ海北岸の町アストラハンが彼の故郷として謠われている。ハンザーダが移動していったシャガン川はエディル川の支流とされ、またタルグンが治めたというジャナルスタンとは、現在のカザフスタン西部、ヴォルガ川左岸に流れる川(ロシア名エルスラン川)とその流域を表す。このようにタルグンは、カスピ海北岸、黒海北岸およびヴォルガ川流域をその行動範囲としているのである。また、主人公タルグンは、これらの地域の何処においても、その地の有力者のもとで、共通の敵と戦っていることも見落とせない特徴である。

 次に、上記のあらすじを参考にこの作品の歴史的背景について簡単に考察してみたい。「エル=タルグン」には、クリム=ハン国やノガイのくに、すなわちノガイ=オルダがカルマクと戦う様子が描かれているが、まず、これらのくにについて簡単に説明しておこう。

 クリム=ハン国は、モンゴルによって建てられたキプチャク=ハン国の継承国家である。その歴史は、15世紀前半、ハジ=ギレイがバフチェサライを首都として、黒海北岸のクリミア地方に建てたことにはじまる。1475年にはオスマン帝国の保護下に入り、キプチャク草原で隆盛を誇り、この地域の歴史において少なからぬ役割を果たしたが、18世紀以降、黒海進出をもくろんでオスマン帝国と対立するロシアの攻撃を受けるようになり、1783年にはロシアに併合された。

 ノガイ=オルダもまた、キプチャク=ハン国の後継国家である。ノガイ=オルダは、14世紀から15世紀前半にエディゲやその息子ヌラッディンによって興された。エディゲはチンギス=ハンの血を引いていなかったため、ハン位には就けなかったが、キプチャク=ハン国の実質的な統治者であった。ノガイ=オルダの領域は、ヴォルガ河とウラル河流域、カスピ海北岸を中心に、北はカザン、南西はアラル海北岸に及び、15世紀中頃にはシル河流域中域まで至り、シル河流域の町と戦うなど興隆した。しかし16世紀後半以降、ノガイ=オルダの内部では支配権を巡って争いが絶えず、分裂・弱体化し、やがて一部はクルム=ハン国の保護下に入り、また一部はカザフに同化するなどした。「ノガイ大系」という名称は、このノガイ=オルダに由来する。なお、現在北カフカースに居住するノガイ人は、このノガイ=オルダの住民の子孫であり、その名を民族名に残しているのである。

 カルマク、すなわちモンゴル系民族オイラトは、1630年ころからカザフやノガイなどを攻撃しつつ、ジュンガル盆地付近からカスピ海北岸、ヴォルガ川・ウラル川流域に移っていった。その後も幾度となく、ノガイやクリム=ハン国と干戈を交えた。こうしたカルマクの侵攻により、ノガイ=オルダは弱体化し、事実上崩壊していったのである。作品中に現れるトルガウトはオイラトを構成していたトルグートという部族集団を指していると考えられ、この点からも史実を反映しているといえよう。以上のことから「エル=タルグン」はまさに、17世紀前半のノガイ=オルダやクリム=ハン国とカルマクとの戦いを描いた作品であると考えられるのである。 なお、現在、北カフカースに居住するカルムィク人は彼らの子孫であり、カルムィクという名称は先述した「カルマク」に由来するといわれている。

 さて、これまでのところ、英雄叙事詩の主人公タルグンが実在の人物か架空の人物かといった問題に明確な答えは出ていないようである。しかし、タルグンなる人物が実在したとする見解がある。カザフの研究者トゥヌシュバエフによると、「叙事詩の勇士タルグンは、(ノガイの統治者)エステレクの息子であるため、彼をノガイの勇士とみなすことができる」。その真偽は明かではないが、タルグンが歴史上の人物でノガイの勇士と見なされていることは、この作品が歴史に関する描写に富んでいることと合わせてみても、興味深いことである。


3 「チョラ=バトゥル」における主人公の「移動」

 続いて、「チョラ=バトゥル」での主人公の「移動」について見ていきたい。

 「チョラ=バトゥル」は、カザフ、カラカルパク、バシュコルト、カザン=タタール、クリム=タタールなどに伝えられる英雄叙事詩である。この作品のヴァリアントは、あらすじやモチーフ、登場人物などに基づいて、大きく二つに分類することができるが、基本的なモチーフや登場人物はほぼ共通している。ここでは、「エル=タルグン」との類似点や「ノガイ大系」の特徴を明確にするために、ロシアの東洋学者ベレジンが採集して、1862年にカザンで出版されたヴァリアントを参考にしながら、論じていくこととする。まず、このヴァリアントに基づいて、「チョラ=バトゥル」のあらすじを見てみよう。


 ダゲスタンのくににカズィ=ビーというミルザ(支配者)がいた。ある日、狩に出かけたカズィ=ビーは、敵の攻撃から逃げて森に隠れていた男の子を連れ帰り、養うことにした。その子はナリクと名付けられ、勇敢な勇士になった。カズィ=ビーはこのナリク=バトゥルにミンスルという美しい娘を与えた。

 カズィ=ビーの弟カンミルザは、ミンスルに一目惚れし、ナリクの留守にミンスルを訪ねた。しかし、彼女は彼を受け入れなかった。これを知ったナリクは怒って、彼を刀で斬りつけて殺した。そのため、カズィ=ビーはナリクに立ち去ることを命じた。そして、ナリクはミンスルとともにアストラハンの町のアクチャ=スルタンのくにに移った。 
 アクチャ=スルタンもまたミンスルを見て、恋に落ちた。そして彼は、ナリクを兵役に服させ、その隙を狙ってミンスルのもとに来た。彼女は「獅子が狼の食べ残しを食べることはふさわしいことでしょうか」と言った。この話しを聞いて、スルタンは出ていった。隠れて一部始終を見ていたナリクは、このスルタンを殺して、妻と共に逃げた。その道中、ミンスルは子供を産んだ。そして彼らはクルム(クリミア)に着いた。

 チョラはクリムですくすくと育った。ある日、チョラは鎧甲冑を身につけ、名馬に乗って、エディル川(ヴォルガ河)に向かった。チョラはエディル川で溺れていた若い女を救い出し、彼女を妻にして、クルムに戻った。

 さて、チョラがエディルにいるころ、クルムのハン、アクタシュの家来ガリ=ビーがチョラの父ナリクを痛めつけ、名馬カラギルを奪っていった。戻ったチョラ=バトゥルは留守中のガリ=ビーの暴虐を知った。怒ったチョラはガリ=ビーの頭を切り落とし、カラギル馬を取り返した。

 そしてガリ=ビーを殺したチョラ=バトゥルはカザンへ向かった。チョラは、カザンのシャガリ=ハンのもとでロシアとの戦いに備えた。

 ロシアでは占星術師がチョラの死について占っていた。占星術師は「チョラに美しい少女を送って彼の子を宿させれば、その子がチョラを殺すであろう」と告げた。将軍たちは美しい娘を送った。チョラはこの娘に恋をした。やがて、妊娠した娘はロシアに逃げ帰り、男の子を産んだ。

 ある日、ハンの娘サルカニはバトゥルたちに褒美の品を贈った。チョラには金の箱をひとつ与えたが、チョラはこれに不満で、それを捨て、戦場にも行かなかった。そこでサルカニは箱に名刀を入れて、チョラに渡した。チョラはサルカニを許して、出撃した。チョラは敵を倒して追いやった。シャガリ=ハンとサルカニはこの知らせを聞いてたいへんよろこんだ。

 時が過ぎ、チョラは、ロシアの娘が生んだ自分の息子と戦った。息子との戦いは長く続き、疲弊したチョラの馬はついにエディル川に沈み、チョラは溺れて死んだ。



 「チョラ=バトゥル」は、チョラの父ナリクについての物語とチョラに関する叙述との二つに大きく分けられるため、この二人の人物をこの作品の主人公と考えて、彼らの移動について見てみよう。まず、ナリクは北カフカースのダゲスタンからアストラハンへ、さらにアストラハンからクリミアへと移動し、クリミアに住み着いている。そして、彼の息子チョラは「故郷」であるクリミアをあとにし、カザンへと向かっている。このように「チョラ=バトゥル」においても、「エル=タルグン」と同様に、カスピ海北岸・黒海北岸とヴォルガ川流域がその舞台となっているのである。

 さて、あらすじが示すように、「チョラ=バトゥル」には、ロシア(モスクワ大公国)がカザンを攻撃する様子が描かれている。当時、カザンはカザン=ハン国の都であった。カザン=ハン国もまた、クリム=ハン国やノガイ=オルダと同様に、キプチャク=ハン国の継承国家である。15世紀前半に、ウルグ=ムハンメドによってヴォルガ中流域にカザンを都として建てられた。ヴォルガ流域に位置するカザンは交通の要所であったため、キプチャク草原における重要な商業都市として発展した。建国以来、モスクワとの争いが絶えず、その一方でクリム=ハン国との深い関係を維持していた。ロシアの干渉が強まった16世紀前半、カザン=ハン国はロシア派とクリミア派とに分裂し、その覇権をめぐって派閥抗争が続いた。そのような中、ロシアはカザン=ハン国に積極的に介入し、1552年にはついにカザンを占領、カザン=ハン国は崩壊し、以後ロシアがこの地域を支配するようになったのである。

 アメリカの研究者パクソイの考えによると、「チョラ=バトゥル」からはカザン=ハン国やクリミア=ハン国、モスクワ公国の複雑な外交関係やカザンでの内訌、クリミアでの徴税システムなどの様々な史実を読みとれるという。実際この作品からは、当時のキプチャク草原には、ダゲスタンやアストラハン、クリミア、カザン、ロシアなどの諸勢力が林立していたことや、ガリ=ビーがナリクから強行に税を集める様子がうかがえる。

 「チョラ=バトゥル」は、このように史実を反映していると考えられるが、この作品に歴史上の人物が登場する点がとくに注目される。まず、主人公チョラは、16世紀前半に実在したチュラ=ナリコフというカザン=ハン国の有力者をモデルにしているといわれている。この人物は、反クリミア派でロシアと近しい関係にあったとも、その反対にムスリムとしてロシアと戦って死んだともいわれており、どのような人物であったかその詳細は明らかではない。しかし、多くの史料や口碑が、彼を実在の人物であったとしているのは確かなことである。さらに、「チョラ=バトゥル」に登場するカザンのハン、シャガリもまた実在した人物に比定することができる。それは、カザン=ハン国のハンであったシャー=アリなる人物である。シャー=アリは、内訌の激しかった16世紀前半のカザン=ハン国において、三度、ハンの位に就いた人物であった。興味深いのは、先述のチュラ=ナリコフなる人物がシャー=アリに仕えているとロシアの史料にも記されていることで、これは「チョラ=バトゥル」との内容とも合致している。このように、「チョラ=バトゥル」においても史実が反映されていることが指摘されるのである。ちなみに、カザン=タタールの間に伝わる系譜にはチョラの名も見られ、チョラは彼ら自身の祖先と考えられていることをつけ加えておこう。

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