4 「エル=タルグン」、「チョラ=バトゥル」の類似点
「エル=タルグン」と「チョラ=バトゥル」には、主人公の勇士が自分の故郷を離れ、別のくに・土地に移動するという共通点がある。しかも、そのような移動が一度な
らず幾度か繰り返されることもこれらの作品に共通する点である。この章では、こうした「エル=タルグン」と「チョラ=バトゥル」に共通する様々な特徴について見ていくことにする。
「移動型」の特徴として、主人公が新たな地へ移るということのほかに、「帰還型」とは異なるいくつかの点が指摘できる。それらは、
1.移動先が「敵地」ではなく、自分を受け入れてくれる「同胞」であること
2.移動は、それまでいた土地にいられなくなったためで、自発的ではないこと
3.移動先などに具体的な地名が数多く見られることなどである。では、次にこれらのポイントについて詳しく見てみよう。
まず、主人公の移動先であるが、「エル=タルグン」や「チョラ=バトゥル」では、移動先は「異教徒」や「異民族」の住む敵地ではなく、彼らの「同胞」のくにであることに注意すべきである。タルグンが向かったノガイ=オルダもチョラが移ったカザン=ハン国も同じテュルク系ムスリムのくにである。「アルパミシュ」など多くの英雄叙事詩では主人公が攻撃のために敵地に向かうが、タルグンやチョラは、攻撃のために移動するのではない。また、主人公がいずこの地へ移っても、これらの地域を脅か
す敵とそのくにの人々と協力して戦う点も両作品に見られる特徴であるといえよう。
次に、「エル=タルグン」や「チョラ=バトゥル」における主人公の移動の原因についてであるが、その主な原因は、主人公と彼が仕えるハンとの関係の変化にあることがわかる。主人公とハンとは当初は良好な関係にあるものの、やがて主人公の妻、あるいは妻となるべき娘が原因で仲違いをする。
「エル=タルグン」では、タルグンがハンの娘アクジュニスと恋に落ちるが、ハンがこれを認めなかったため、ノガイのくにへと移動する。
さらに、約束を反故にしたノガイのハンに立腹し、クルムのくにへと移動している。また、「チョラ=バトゥル」では、ハンあるいはハンの弟がナリクの妻に言い寄ったため、怒ったナリクが彼らを殺害し、それが原因となって別の地へと移動する。そしてナリクの息子チョラは、ハンの家来であるガリ=ビーを殺害したために、カザンへと向かっている。
このように、両作品とも、主人公は、ハンとの関係が悪化したために、その地を追われるようにやむを得ず別の地へと移動していくのである。
「エル=タルグン」や「チョラ=バトゥル」からは、絶対的な権力をもつハンと反目すれば、その地では生きていけないこと、移動していった土地でも、能力があればその土地のハンに仕えることが可能であったことが窺えるのである。なお、「エル=タルグン」にも「チョラ=バトゥル」にも、主人公が仕え、のちに仲たがいをする有力者として、アクチャ(アクシャ)なる人物が登場する点も両作品に共通しており興味深い。
ちなみに、いずれの作品も、主人公の移動には彼の妻が伴っており、ときに妻の機知が主人公の危機を救う。「妻の機知」は中央アジアの他の多くの叙事詩においても見られるモチーフであるが、「エル=タルグン」でも「チョラ=バトゥル」でも、妻と二人で新たな土地へ移っていく点は興味深い共通点である。
次に、両作品に描かれる地域について見てみたい。両作品ともヴォルガ川流域やカスピ海北岸、黒海北岸がその舞台として描かれ、クリムやアストラハンなど、いくつかの具体的な地名が現れる。その一方で、「エル=タルグン」では、ヴォルガ川左岸に流れるジャナルスタン川が描かれていたり、「チョラ=バトゥル」ではヴォルガ川沿岸の古都カザンが舞台となっていたりと、それぞれの独自性も見られる。
これは、「エル=タルグン」
が17世紀前半のカルマクとの戦いを、「チョラ=バトゥル」が16世紀中葉のロシアとの戦いを歴史背景としており、描かれる歴史事件や舞台となる地域が異なっていることと関係があるためと考えられる。なお、これらの作品において主人公が移動する地域は、ノガイ=オルダおよびその周辺地域とたいへん深い関係のある地域であるが、それについては次の章で詳述することにしよう。
5 「エル=タルグン」、「チョラ=バトゥル」に見る「ノガイ大系」の特徴
「エル=タルグン」と「チョラ=バトゥル」には主人公の移動パターンや移動の理由、移動する地域など、多くの点において類似点があることが明らかになったが、これらの作品のもうひとつの特徴として、いずれも「ノガイ大系」に属する作品であることが挙げられる。ここでは、これまで明らかになった点に基づいて、「ノガイ大系」の特徴について見ていきたい。なお、本稿では「ノガイの大系nogayskiy cikl」や「ノガイの叙事詩」と呼ばれる叙事詩群を「ノガイ大系」という名称で統一することとする。
先行研究では「ノガイ大系」をどのように解釈しているであろうか。著名なカザフ人研究者ワリハノフは「「ノガイ大系」は、カザフ・ウズベク・ノガイ・キルギスに存在する。(略)それらは14世紀末から15・16世紀の時代に関連したものである。(略)キプチャク=ハン国やチャガタイ=ハン国から生じたカザフ、ウズベク、ノガイの人々には、これらのハン国の英雄たち、すなわちエディゲ、エル=コクチェ、ウラク、チョラ、その他の歴史上の人物に関する叙事詩が伝えられている」と書いている。
また、カザフ
やカラカルパク、バシュコルトの歴史・文学史に関する文献ではそれぞれ、「ノガイ大系」について次のように説明している。「14-15世紀には、ノガイ大系(「エル=タルグン」、「エル=エディゲ」、「カラサイ=カジ」、「オラク=ママイ」、
「エル=コクシェ」、「エル=コサイ」など)の歴史・英雄叙事詩がとくに開花し、
叙事詩大系「クリムの40人の勇士」のように独立した形で今日にまで伝えられている。(略)(「クリムの40人の勇士」には)ナリクと息子ショラ(チョラ)、エル=コクシェとその息子エル=コサイも謠われている。」「ノガイ=オルダで14-16世紀に作られた詩は、研究者らによって「ノガイ系叙事詩」といわれる。
」「15-16世紀、ノガイ=オルダの時代に、ノガイ、カザフ、バシュコルト、カラカルパク諸民族が加わって創作されたフォークロア・文学作品のかなりの部分が、この諸民族の共通の精神的遺産となっている。(略)
これら(「ノガイ大
系」)の中には、「イディカイとムラディム(エディゲとヌラッディン)」、「ママイハンの話し」、「スラ=バトゥル(チョラ=バトゥル)」、「アメトの息子ガイシ」、「イル=タルグン(エル=タルグン)」、「コブランドゥ=バトゥル」、「カラサイとカジ=バトゥル」、「40人のノガイの勇士」のように、
今日までバシュコルト人の間に伝わっている作品もある。」
また、著名な叙事詩研究者ジルムンスキーは、「ノガイ大系の主人公である「ノガイの勇士たち」
はエディゲの子孫である。」「エディゲに関する物語は、チンギス=ハンの帝国を構成していたテュルク系諸民族、すなわちカザフ、カラカルパク、ウズベク、
ノガイ、カザン=タタール、クリム=タタール、シベリア=タタールに広く伝わっている。」と述べ、「ノガイ大系」をエディゲ、および彼の子孫を描いた叙事詩群であると説明している。
以上を参考に「ノガイ大系」について整理してみると、「ノガイ大系」は一般的にノガイ=オルダやその周辺の歴史と深い関係があること、カザフやカラカルパク、バシュコルト、ノガイ、カザン=タタール、クリム=タタールなどキプチャク草原に居住する諸民族に伝わっていること、作品に描かれている時期は15-16世紀を中心とする、エディゲが活躍した時代からノガイ=オルダが衰退していった時代までであることなどが指摘できよう。先行研究では、様々な作品が「ノガイ大系」に属する作品の例として挙げられて
いるが、「エル=タルグン」や「チョラ=バトゥル」が「ノガイ大系」に属することは疑いのないことのようである。また、エディゲおよびその子孫を主人公とする作品が多いことも注目すべき点である。
さて、「ノガイ大系」に共通する特徴として、作品に描かれる主人公の多くが歴史上、実在した人物であることであることにも注目される。叙事詩に謠われるエディゲおよびヌラッディン、オラク、
ママイ、カラサイなどの彼の子孫は、文献史料にも見られる実在の人物である。また上述のように、チョラ=バトゥルは16世紀のカザン=ハン国に実在した有力者であり、エル=タルグンは、現在のところ確証が乏しいものの、エディゲの子孫エステレクの息子であるといわれている。このように「ノガイ大系」は、キプチャク草原で活躍した歴史上の人物を主人公にしているのである。このことは、一般にアルパミシュなど「英雄叙事詩」の主人公が歴史上の人物に比定しえないことを考えると、際だった特徴であるといえよう。
さらに注目すべきことは、「ノガイ大系」が、勇姿の活躍を通じて、理想化された「共同体」の意識を描き出していることである。エディゲ裔にまつわる叙事詩には、エディゲやその子孫が活躍した輝かしい時代が描かれている。また、「エル=タルグン」や「チョラ=バトゥル」では、カルマクあるいはロシアといった「共通の敵」と戦うために広範な地域を巡り、各地の有力者に仕える主人公の活躍が謠われている。「帰還型」の作品であるアルパミシュやコブランドゥが、それぞれコングラト、クプシャクという部族集団の英雄であり、これらの部族集団の団結と敵からの防衛につとめたのにたいして、「移動型」のエル=タルグンやチョラ=バトゥルは、特定の部族集団の勇士としてではなく、ノガイやカザン、クルムのひとびとを敵から防禦する勇士であった。
こうした点を踏まえると、「ノガイ大系」とは、単にノガイ=オルダの時代にノガイ=オルダとその周辺で創られた叙事詩群というだけでなく、キプチャク草原(カスピ海北岸、黒海北岸、ヴォルガ川流域)の人々に共通した「連帯意識の象徴」であったのではないかと考えられるのである。現在でも、タルグンやチョラが活躍したとされる地域には、「ノガイ大系」の叙事詩をはじめ、共通した様々なジャンルの口承文芸が伝えられており、それは「ノガイ文化圏」ともいうべき共通性を見いだすことさえ可能なほどである。「ノガイ大系」がキプチャク草原のひとびとの「連帯意識の象徴」であったとするならば、勇士たちは、彼らの連帯を強めるために「移動」していたのである。たしかに、キプチャク草原という広大な地域を縦横に駆けめぐったタルグンとチョラは、自分の故郷には戻らなかった。しかし、これらの作品が語られ
るとき、それを聞く人々は、勇士たちが移動していった地域全体を勇士自身の
「故郷」として捉えていたかもしれない。
主人公の勇姿が新たな地へ移っていく「移動型」を「ノガイ大系」に固有の特徴と見なすことは早急である。しかし、移動した地域や移動の理由、移動していく人物の行動を考えると、「ノガイ大系」における「移動型」というパターンは、まさに「ノガイ大系」の特徴を端的に表していると考えられるのである。
おわりに
本稿で明らかになったこと
を以下にまとめてみたい。
まず、一般的な中央ユーラシア=テュルク系英雄叙事詩の主人公が最終的に故郷に帰還するのにたいして、「エル=タルグン」、「チョラ=バトゥル」は、主人公が帰郷せずに、新たな地へ移動していく「移動型」の作品であることが挙げられる。移動していく地域は両作品においてほぼ共通しており、それらはキプチャク草原(カスピ海北岸、黒海北岸、ヴォルガ川流域)であること、主人公が現地の支配者に仕え、カルマクやロシアといった「異民族・異教徒」と戦うことなどが指摘される。そして、このような主人公の勇士の行動を鑑みると、勇士の「移動」にはいくつかの特徴があることがわかった。それらは、1.移動先が「敵地」ではなく、「同胞のくに」であること、2.移動は概して自発的ではないこと、3.移動先などに具体的な地名が見られることなどである。
またこれらの作品では、移動の原因など多くの類似点があることも明らかになった。さらに、主人公が、ある特定の「部族」を敵から守るのではなく、ノガイやクリミア、カザンなど広範囲にわたる地域のために敵と戦うということから、主人公がこれらの地域に共通する勇士であり、彼の「移動」には大きな意義が見いだせることも指摘しておきたい。
さらに、タルグンやチョラが実在の人物と考えられるように、「ノガイ大系」の主人公は一般に、歴史上実在した、あるいは実在したといわれている人物であり、その背景に様々な歴史的事象があることが具体的に確認できたことも重要な点である。「ノガイ大系」は中央ユーラシア=テュルク系英雄叙事詩の中でも、とくに歴史的な叙述に富んでいる作品群なのである。
現在のところ、「移動型」という主人公の移動パターンを「ノガイ大系」を定義づける条件と結論づけることはできない。しかし、主人公の移動した地域や移動の理由を考慮すると、「勇士の移動」が「ノガイ大系」を特徴づけるモチーフのひとつであることは確かなことといえる。
「ノガイ大系」に関する体系的な研究はこれまで、ほとんど行われていない。
しかし、「ノガイ大系」の作品は中央ユーラシア=テュルク系英雄叙事詩を考えていく上で、欠かすことのできない作品である。「エル=タルグン」や「チョラ=バトゥル」のみならず、他の「ノガイ大系」の作品の詳細な研究、また「ノガイ大系」の作品とそれ以外の叙事詩との比較によって「ノガイ大系」の特徴がさらに明らかになるものと考えられるが、それは今後の課題としたい。