ソ連崩壊後、新国家が独立した中央アジア では、「民族文化」の「復興」が様々な分野で顕著になった。そのような「民族文化」の代表に英雄叙事詩がある。英雄叙事詩の主人公は「民族英雄」になり、叙事詩を讃える国家行事が行われた。それは、新国家建設の途上にあるこれらの国々における国威発揚や国民団結を目的としている。しかし英雄叙事詩が「国家」の意向を敏感に反映するということは、最近に始まったわけではない。ロシア帝政期やソビエト時代にも、英雄叙事詩は、当時の政策や社会状況に応じて様々に扱われた。もとより、集団の団結を歌う英雄叙事詩は、国家・民族・部族などのシンボルとなりやすく、それら集団のあり方を映し出す特徴を持っているのである。
本稿では、英雄叙事詩と「国家」との関係を議論するための手がかりとして、英雄叙事詩の性格を指摘するとともに、近代および新独立国家における中央アジアの叙事詩の扱われ方について論じたい。とくに、中央アジアの代表的英雄叙事詩である「アルパミシュ」と「マナス」の二つの作品を取り上げて見ていくことにする。現在、「アルパミシュ」はウズベキスタンの、また「マナス」はクルグズスタンの「国民(民族)文化」とされており、国家とのかかわりを論じる上で適当な作品であると考えられるからである 。
2. 英雄叙事詩の特徴
2.1. 口頭伝承の特徴
中央アジアでは古来、集団の結束を強める「集団意識」や「我々意識」が形成されてきた。集団意識を形成させる要素には、血縁意識・風俗・習慣・言語などがあるが、口頭伝承はこれらの要素を包含した「集団意識」の象徴的存在であった。人々は、口頭伝承に社会集団の経験や知識を注入して、それらを長い年月をかけ代々語り伝えてきた。伝承を後世に伝えていくことは集団の生存に大きく影響した。それゆえ、正確な伝承の必要性が生じ、その結果優れた語り手が現れ、また伝承の作業の組織化が図られた。語り手には尋常ならぬ記憶力と表現力が要求された。
口頭伝承は単なる言語芸術ではなく、集団を支える支柱であり、安易な改変や忘却が許されぬ、大きな力をもつ社会的存在であった。英雄叙事詩は、口頭伝承の中でもとくに重要なジャンルであり、その中心的存在であった。英雄叙事詩は、集団の象徴として帰属意識を高め、集団の団結と安定を強めてきたのである。
英雄叙事詩は、ジュラウといわれる専門の「語り手」によって語られていた。ジュラウとはハンやスルタンに仕えた語り手で、過去の偉大な統治者について為政者に説いたり、政策に助言したりした。英雄叙事詩は、古くから「政権」とも密接な関係にあったのである。たとえば、18世紀カザフの著名なハン、アブライに使えていたブカル=ジュラウは、「ロシアと戦うなどと、これほど賞賛しているあなたの民へ敵意をもたらすことを考えてはなりませぬ」(B柢ar jyrau Qalqaman柩y 1992: 21-b)とロシアとの外交政策に助言している。
さて、中央ユーラシアのテュルク系民族の場合、英雄叙事詩の舞台となる集団の多くは、「ルー」や「タイパ」といわれる部族であった。たとえば、「コブランドゥ=バトゥル」はキプチャク族(カラキプチャク)、「カンバル=バトゥル」や「エル=コクシェ」、「エル=コサイ」はウァク族、「アルパミシュ=バトゥル」はコングラト族、「チョラ=バトゥル」はタマ族を舞台とした作品で、それぞれの部族の「歴史」を伝えている。これらの作品には、基本的にカザフやウズベク、カラカルパク、クルグズなどの現在の民族の概念は登場しない。あくまでも部族集団が、物語で設定される舞台となっているのである。
2.2. 英雄叙事詩の内容とテーマ
英雄叙事詩のテーマは「集団の団結と自立」である。叙事詩には、集団の団結が壊れると安定が崩れるという教訓が込められ、集団の形成と安定を促す効力を持っていた。また、「故国の防衛」を実践する英雄は、周辺の異民族との抗争など、不安定な情勢下の人々にとって理想像であった。
中央アジアの英雄叙事詩では、主人公の勇士が戦うのは、実在した民族や集団である。それらは基本的に異教徒で、歴史上の出来事を背景にしていることが多い。中央アジアの英雄叙事詩の主な「外敵」はクズルバス・ロシア・カルマクである。
クズルバスは、「カラサイとカズ」や「アディル=スルタン」、「コブランドゥ=バトゥル」などに登場する敵集団である。彼らは、シーア派サファビー教団のテュルク系の遊牧集団で、サファビー朝の建国に大きく寄与した。クズルバスはキジルバシュともいい、その字義は「赤い頭」である。これは、彼らが赤いターバンを象徴的にかぶっていたことに由来する。ジョチ=ウルス(キプチャク=ハン国)はクズルバシュと対立関係にあり、そのことが叙事詩にしばしば歌われた。
ロシアも中央アジアの英雄叙事詩の敵としてしばしば現れる。「チョラ=バトゥル」には1552年のカザン陥落に至るロシアとカザン=ハン国との戦いを背景に、主人公チョラとロシアとの戦いが描かれる。ロシアとの戦いを歌う叙事詩は、「ケネサル」や「サラワト」など、18-19世紀のロシアにたいする反乱を描く作品に多く見られる。
中央アジアの英雄叙事詩で最も多く現れる敵はカルマクである。カルマクは、モンゴル系オイラトを指す中央アジアでの呼び方であるが、とくに17世紀から18世紀中ごろにかけて、ジュンガル盆地で隆盛したモンゴル系オイラトの国家ジュンガルを指すことが多い。ジュンガルは中央アジアを何度も侵攻し、この地域の勢力図を書き換え、その住民に甚大な被害をもたらした。その辛苦は、たとえば「アクタバンシュブルンドゥ(裸足の流浪)」という言葉で人々の記憶に刻まれ、後世に伝えられている。
2.3. 英雄叙事詩「アルパミシュ」と「マナス」
英雄叙事詩「アルパミシュ」、あるいはそれと同系の作品は中央ユーラシア各地のテュルク系民族に伝えられている。それらは、カザフやカラカルパクの「アルパムス」、ウズベクの「アルパミシュ」、バシュコルトの「アルパムシュとバルスン=フルー」、タタールの「アルパムシャ」、アルタイの「アルプ=マナシュ」、である。また16世紀にオスマン帝国で書き取られた「デデ=コルクトの書」の第3部「バムシ=ベイレク」も同系統の物語であることが明らかにされている。
「アルパミシュ」がいつ生まれたかという問題については諸説ある。「アルパミシュ」は、一説ではビザンツ帝国や古代中国の時代にまで遡ることができるとされ、また14-17世紀に生まれたという説もあるが(Mirzaev 1968: 18-b)、6-8世紀、突厥の時代にアルタイ地方に広がっていた叙事詩に端を発し、10世紀までにオグズの人々によってアルタイ地方からシル川下流域にもたらされたと一般には考えられている。
その後11世紀には、中央アジアからセルジューク朝のコーカサスやアナトリアに伝えられる一方、キプチャクの移動にともない、12-13世紀にヴォルガ・ウラル地域に至った。さらに16世紀はじめにシャイバニー朝の遊牧ウズベクによって、中央アジアに広がっていったといわれる(Chadwick 295-296)。
ウズベクやカザフ、カラカルパクなど中央アジアに伝わるヴァリアントは、基本的にすべて「コングラト」という集団が舞台となっており、主人公の勇士アルパミシュも、この集団の英雄とされている。コングラトには、アルパミシュを自らの先祖とする系譜も伝えられている。コングラトという集団は、中央アジアの歴史に大きな役割を果たした。彼らは、西シベリアからアラル海、フェルガナ盆地にいたる様々な地域に広がっており、14世紀中ごろにはトボル河流域に、17-18世紀にはアラル海の南岸やシル河流域に居住していた。コングラトはカザフやウズベク、ノガイに見られる重要な集団である。なおコングラトの人々は現在、アム河下流域、ブハラ、ホラズム(ウズベク)、シル河流域(カザフ中ジュズ)ホラズム(カラカルパク)などに居住する。
コングラトの物語であった「アルパミシュ」は、多くのヴァリアントが現在のウズベキスタンの領内で採録されたことや登場する地名がウズベキスタン領内に存在するという説に従って、現在、「ウズベキスタンの国民文化」として扱われている。
英雄叙事詩「マナス」は勇士マナスの生涯をうたった作品であるが、彼の息子セメテイと孫セイテクについてうたった作品を含めた三つの作品を一括した「マナス大系」を「マナス」と呼ぶのが一般的となっている。「マナス大系」のほとんどのヴァリアントはこの三部作からなるが、中国・新疆ウイグル自治区に住むクルグズの語り手ジュスプ=ママイは、マナス・セメテイ・セイテク・ケネニム・セイィティム・アスルバチャとベクバチャ・ソムビレク・チギテイと、マナス以後七代の子々孫々までを歌う。「マナス」は、類似するモチーフやエピソードが近隣の中央アジア諸民族に見られるものの、もっぱらクルグズにのみ伝わる民族叙事詩として知られている。「マナス」の語り手はマナスチュといい、彼らによって「マナス」は語り伝えられてきた。とくに有名なマナスチュは、サグムバイ=オロズバコフとサヤクバイ=カララエフである。サグムバイは約18万行、サヤクバイは約8万行にもわたる「マナス」を語っている。先に触れたジュスプに至っては、20万行以上もの「マナス」を語るなど、その規模の大きさが「マナス」の特徴のひとつとなっている(坂井 2002: 49-50)。
「マナス」が生まれたのはいつかという問題についても諸説ある。古代ウイグルの時代と深いつながりがあるとする説や9-11世紀、契丹(キタイ)と戦った時代と関係があるという説、古い様々な情報を含みつつも、15-18世紀の出来事を表しているとする説など様々である(Musaev 1979: 94-95)。いずれにせよ、現在のクルグズの原型となる集団が形成されていた18世紀ころには、「マナス」はすでに存在しており、クルグズの形成と意識の強化に寄与したと考えられている。
クルグズ民族の英雄マナスは、クルグズスタンの象徴としてすっかり浸透している。クルグズスタンの首都ビシュケクの国際空港の名称はマナス国際空港であり、国立コンサートホールの前にはマナスの像がそびえている。
3. 帝政ロシア・ソビエト時代の英雄叙事詩
帝政ロシアの支配下、あるいはソビエト時代の中央アジアでは、叙事詩を取り巻く環境や叙事詩を支える社会的状況は大きく変化した。この時代に叙事詩の本格的な採集作業が始まり、学術的な研究も行われるようになった。また叙事詩は、新聞・雑誌・単行本のかたちで出版されるようになり、より大きな規模で広く人々に知られるようになった。しかし、叙事詩のあり方は、国家の大きな影響を受け、政策によって大きく左右されるようになった。
3.1. トルキスタン・ナショナリズムと叙事詩
テュルク系の英雄叙事詩の採録は、19世紀後半、帝政ロシア時代からはじまった。その背景には、ロシアの中央アジア征服とその支配のため生じた「現地研究」の必要性が高まったことがある。採録の作業が活発に行われた19世紀末から20世紀はじめには、テュルク人意識の高まりを背景に「トルキスタン人」というアイデンティティも生まれた。このアイデンティティの拠り所に中央アジアで古くから使われてきたチャガタイ=トルコ語がある。この時期採録された叙事詩は、チャガタイ語で書き取られ、まとめられた。「アルパミシュ」も1901年に書き取られたテキストをはじめとして、この時期チャガタイ語で出版された。それまで口誦で伝承されていた叙事詩が文字によって広く知られるようになった。特定の部族の人たちのものであった叙事詩はチャガタイ語で書き取られることによって、トルキスタン人というある種の幻想とも言える民族を生み出していく記憶装置として考えられるようになったのである(坂本 2002: 68)。
トルキスタン人の文章語チャガタイ語の改革運動の中心となったのが、1919年に改革派知識人フィトラトによって創設された「チャガタイ談話会」である。「チャガタイ談話会」は文字表記の改革や口承文芸の採集を積極的に行った。そのメンバーの一人で、「アルパミシュ」を1923年に採集したガジ=アリムは、「我々の覚醒の時期はまさに始まったばかりで、我々の民族文学は間違いなく、この文脈における重要な目的に有益であろう。チャガタイ語からペルシャの要素を取り除けば、我々の文学の再生は、より力強いものとなるであろう」(Paskov 1989: 39)とトルキスタン人意識の覚醒には改革したチャガタイ語による文学が必要であると訴えている。その文学には、「アルパミシュ」ももちろん含まれている。こうして、「アルパミシュ」はトルキスタン人共通の遺産となったのである。
3.2. ソビエト政策と叙事詩
ロシア十月革命によって中央アジアの叙事詩を取り巻く環境も大きく変化した。1924年に民族的境界が画定されるとトルキスタン人という概念は否定され、それとともに叙事詩は「トルキスタン人共通の文化」ではなくなった。トルキスタンの歴史的・文化的な一体性を主張した人々は断罪され、処刑された。
叙事詩は、新たに創出された各ソビエト共和国の研究機関を中心に採集・研究されるようになり、数多くの成果が蓄えられた。叙事詩は、内容や語り手の特徴には考慮せずに、単に採録された場所によって、「ウズベク・バージョン」「カザフ・バージョン」などと分類されてきた。これは、「国家」の領域に基づく叙事詩の分類であり、はじめに国家の枠組みありきという発想に依って立つものである。こうして「トルキスタンの民族文化」であった叙事詩は、境界線に基づいて機械的に分類されるようになった。
1930年代は、叙事詩の語り手や研究者が粛正の犠牲となるなど、叙事詩が否定的に扱われた時代であったが、1940年代になると、一転して叙事詩の「進歩的な」要素が賞讃された。「アルパミシュ」は「世界でもっとも完全な叙事詩である」と見なされ、「異国の侵略者と戦う中央アジア諸民族の自由の歌」、「苦辛する大衆のイデオロギーを表す真の民衆の動き」と称された(Paskov 1989: 25)。
終戦間もない1945年9月、キルギス共産党中央委員会は、「キルギスの英雄叙事詩「マナス」記念祭の1947年開催についての決定(9月7・8日付)」を採択した。そして、「マナス1100年祭」に関連して様々な行事を催するとともに、この祭典がキルギス人民の国家的祝日になること、ソビエト愛国主義やソ連邦諸民族の友好、キルギス国民の文化のさらなる発展を目指していることなどが確認された(Sudユbaノ 1995: 48-49)。
しかし、1951年になると戦時中に行われた「誇大化」にたいする反動が現れるようになった。たとえば、「アルパミシュ」は、「封建主義と反動の毒が注入され、ムスリムの狂信主義をささやき、外国人を憎ませる」とされた(Paskov 1989: 25)。また、1941年に「ステップのイリアス」と讃えられていた「マナス」は、1950年代初頭には、汎イスラム的かつ封建的性格をもち、「誇り高き友好的民族」中国人に対する人種的および宗教的憎しみを呼び起こすと強く非難された。
3.3. 叙事詩の「復権」と新たな局面
1956年、ソ連共産党第20回党大会での決定を反映して、中央アジアの叙事詩はそれまでの非難から一転、再び高い評価を得るようになった。叙事詩は、略奪や民族主義、信仰を称賛するものではなく、勇気や人道主義、故国愛、忠誠や友情、高貴な思想を示し、修辞法や文学的様式、ユーモアと格言、表現方法の実例に富んだ百科事典のようなものであるとされた(Paskov 1989: 120)。さらに50年代前半に行われた叙事詩に対する厳しい非難についても、批判が行われた。こうした流れを受けて、以後「アルパミシュ」をはじめ、様々な叙事詩のテキストや研究書の刊行が行われるようになった。しかし、こうした叙事詩の「復権」も共産主義イデオロギーの枠から出ることは許されず、共産党の意向を強く反映したものであったことに変わりはなかった。「復権」以後も、数多くの叙事詩がテキストの閲覧や出版を禁止されたままであった。
1970年代後半以降、中央アジアの知識人の間に伝統的な文化遺産や民族の歴史を新たに見直そうとする傾向が現れた。アラビア語で遺産を意味する「ミラース」と呼ばれるこうした風潮の中、英雄叙事詩も注目を浴びるようになった。その結果、古来の英雄叙事詩を単に見直すだけでなく、そのテーマやメッセージを現代文学に翻案しようとする動きにもつながった。たとえば、ロシア軍にたいする中央アジアのムスリム=パルチザンの抵抗を描いた『不滅の巌(1981)』は「現代の叙事詩」といわれる小説である。
ミラースの風潮はペレストロイカ期にさらに顕著なものとなり、ソ連が崩壊し新国家が独立すると、それらはそれぞれの国におけるナショナリズムにつながっていった。ソ連時代、否定的に扱われることもあった「民族文化」は、新国家独立によって新たな国家を支える精神的支柱となったのである。
4. 新独立国家と英雄叙事詩
4.1. 新国家に「復活」した英雄叙事詩
ソ連崩壊にともなって誕生した新独立国家では、新しい国づくりのために英雄叙事詩が取り上げられ、新たに形成された国民の文化的象徴となった。中央アジアでは、ソ連時代、共産主義のイデオロギーがこの地域の「統合原理」として機能していたが、新国家独立後、新た「統合原理」の一つとして「民族文化」の役割が大きくなった。そして、とくに民族文化の中心的存在である英雄叙事詩が注目されるようになったのである。
英雄叙事詩の完成されたあらすじは、すでにソ連時代から映画・オペラなど他の文芸ジャンルにも転用され、実際、多くの叙事詩作品が映画化・オペラ化されたり、児童向けの書籍や歴史小説として再生されたりしていたが、こうした動きは独立後、一層顕著なものとなっている。また、教科書にも取り上げられ、教育の題材にもなり、国民教育にも一役買っている。民を統合し、外敵と戦う英雄叙事詩の主人公は、新国家建設の途上にある現在、まさに「国家統合」に好適な「民族の象徴」であったのである。
「アルパミシュ」についての研究書には、「アルパミシュ」の「不幸な境遇」からの復活が次のように述べられている。
「そうだ、アルパミシュは故郷へ戻ってきたのだ。天駆けるバイチュバル馬に乗り、愛する妻アイバルチンを側に置き。山々や峡谷をとどろかせ、アルパミシュが故郷へ帰ってきたのだ!
そもそも1950年代初頭、この叙事詩は禁じられ、これを読むことも書くことも許されずにいた。登場人物の大きな国の統治者ハキムベクは封建主義の庇護者として誹謗された。叙事詩自体が封建的戦争を賞讃し、「民族主義的目的」を喧伝する作品として非難された。あらゆる善人や善行に黒い雲が立ちこめていたように、この叙事詩とその主人公も暗い日々に置かれていたのであった。
時は過ぎ、神の御加護により太陽が我国の空からこの雲を追いやった。こんにち、アルパミシュは、「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」、「オデュッセイア」、「シャーナーメ」などの偉大なる叙事詩と双璧をなしている。」(Noraliev 1998: 6-b)
国家の象徴たる英雄叙事詩については、国家元首も次のように言及している。ウズベキスタンのカリモフ大統領は、「(敵の)勇士たちを大地に倒した伝説のアルパミシュや強力なファルハドについての伝説的叙事詩は単なる伝説ではなく、民衆の精神や人々の勇敢さの模範なのである」(Hotamov and Hotamov 1999: 3-b)と、アルパミシュなど叙事詩の主人公を国民の精神的な模範であるとみなしている。また、クルグズスタンのアカエフ大統領は、すべてのクルグズ国民に「マナスの7つの教訓」なるクルグズ国民のなすべき原則を発表している。先行研究から以下に引用しよう。
「この「マナスの7つの基本方針」は人々を驚かせた。なぜなら、誰もそのような方針を聞いたことがなかったからである。やがて、それは大統領自身が創作したものであることが分かった。大統領によれば、「7つの方針」は、国家の統一、寛容・寛大な人道主義、国内における友情と協力、自然との調和、愛国主義、勤労と教育、クルグズの国家体制の増強と防衛」である。
これらの方針は、現在クルグズの学校教育で教えられている。それらは、若者が叙事詩から学ばなければならない課題を気付かせる公式ガイドとなっている。実際、アカエフ大統領はこの叙事詩を再生した国家のための精神的指導の中心的な拠り所にしたのであった。
クルグズ共和国政府はマナスを社会的・文化的象徴として形付けるために、イデオロギー的部分(これはソビエト時代からある位置である)の特徴を利用しているのである」(Prior 2000: 37)。
叙事詩そのものには見られない「教訓」が現職大統領によって「捏造」されたということは、「マナス」が叙事詩の本来のあり方の枠を越え、いまや完全に政治的に利用されていることを示すのである。
新国家においても、国家と英雄叙事詩との関係は、ソビエト時代のあり方とよく似た特徴をもっている。「ウズベキスタンの英雄叙事詩」という表現などは、国家の枠組みによる分類法に基づくもので、ソビエト時代に完成したものをそのまま引き継いでいる。また、政府主導の叙事詩のとりあげ方や政治的利用の仕方も、ソビエト時代のそれを継承するものといえよう。
4.2. 英雄叙事詩と国家的記念祭典
1995年8月、クルグズスタンで「英雄叙事詩『マナス』千年記念祭」が開催された。この記念祭には、中央アジア各国やロシアなど旧ソ連諸国をはじめ、トルコ、アメリカ、日本など各地から研究者たちが招待された。「マナス」や口承文芸に関する学術シンポジウムや騎馬アトラクション、競馬など様々な行事が行われた。アカエフ大統領も積極的に関連行事に参加する盛大な国家行事となった。
また、ウズベキスタンでは1999年11月「英雄叙事詩『アルパミシュ』千年記念祭」が開催された。アルパミシュの「故郷」と目され、また語り手が多く住むスルハンダリョー州のテルメズや首都タシュケントで一連の行事は行われた。ロシア、ドイツ、アメリカ、トルコ、日本などの研究者が招待された。「アルパミシュ千年祭」では、叙事詩の語りやテキスト・研究書の出版など「アルパミシュ」に直接関係のあるものだけではなく、公園の建設や切手の発行、スポーツ競技会の開催など様々な企画が計画された(別添の資料参照)。
いずれの作品も口頭伝承という性格上、成立年代や創作時期を特定することは困難であるため、「千年」という数字にはまったく根拠がない。これらの作品の成立年代については上述のように諸説あるのである。また先に見たように、戦後「1100年祭」が予定されたこともあったにもかかわらず、それから半世紀近く経って「マナス千年祭」が開催されたことは、この年代設定が矛盾に満ちた、あいまいなものであることを示している。独立国家でこうした国家行事が行われたのは、これらの国々が「国づくり」の過程において国威の発揚の場を必要としたからにほかならない。アゼルバイジャンでは2000年4月に「デデ=コルクトの書1300年記念祭」が行われた。この行事もまた口頭伝承である「デデ=コルクト」を記念したもので、現在「コルクト」はアゼルバイジャンのアイデンティティの象徴的存在になっている。記念祭での「1300年」という数字も学術的根拠に乏しく、まさに「アルパミシュ」や「マナス」のアナロジーといえよう。
こうした派手な国家行事が行われる一方で、学術分野では財政難のために十分な採集や保存の作業・研究が進めがたいという現状がある。中央アジア各国では、叙事詩の採録計画や作品の刊行プロジェクトが研究者の間で企画されているが、これらは順調に進んでいるとは言い難い。
様々な研究プロジェクトには国家の財政的援助が求められているが、それは十分には叶えられていないためである。つまり、保存や研究など叙事詩に直接関わる環境と「シンボル」としての政治利用のみをもとめる国家の意向との間にアンバランスな関係があるのである。こうした現状を憂う現地の研究者は少なくなく、今後解決すべき課題となっている。
ところで、クルグズスタンのアカエフ大統領は、今年(2003年)を「クルグズ国家2200年記念年」として記念すると発表した。「2200年」の根拠は、紀元前3世紀にクルグズの国家があったとする中国史料に求められているようだが、それには懐疑的な意見も多く、「マナス千年祭」に見られたような強引な年代設定が行われているようである。また、この記念祭典に何億ソムもの予算が計上されていると、批判的な指摘もなされている。学術的には不確定な根拠に基づく、このような国家行事を企画する傾向は今後もしばらく続きそうである。
4.3. 教科書に現れる英雄叙事詩
現在は、国家行事が盛大に企画された数年前とは状況が異なり、叙事詩に関する大きな祭典は行われなくなった。しかし、叙事詩は教育の分野に用いられ、「愛国意識」の形成の分脈でも「利用」されている。
ここで、現代中央アジアの教育における「愛国意識」形成の例として、カザフスタンの教科書から抜粋して挙げよう。
教科書「カザフ文学9」の課題(抜粋)(J枸aliev 2001: 73-b)
1 アルパミシュの故国愛と彼が祖国のために示した勇敢さ、英雄性を作品の特徴に依拠して述べなさい。
7 真の愛は「アルパミシュ」のあらすじの関係でどのような出来事に見られるか?
9 父と兄を犠牲にし、敵(注、アルパミシュ)に自分の魂を捧げたカラコザイム(註、カルマクのハンの娘)の性格をどう思うか?
10 カラマン(注、カルマクの勇士)はなぜアルパミシュの味方になったのか。なぜ彼は一人息子さえも犠牲にしたのか?彼のこの性格をどのように説明するか?自分の考えを述べなさい。
12 英雄叙事詩に従って、「英雄たちは国のためにうまれた」というテーマについて作文しなさい。
この課題からは、祖国愛と自己犠牲の精神が尊ばれていることが見て取れる。また「英雄たちは国のために生まれた」というテーマの作文も課題として与えられており、「祖国愛」を考えさせるものとなっている。このような叙事詩を題材にした「愛国教育」は程度の差はあれ、現在中央アジア各国で行われている。
5. おわりに
叙事詩は、過去の統治者や偉人の功績を伝え、それを理想像として手本としてきた。また、叙事詩には古くから為政者や権力者に、その権威の誇示や統治する集団の団結のために用いられてきた一面がある。そうした特徴は、帝政時代には「テュルク民族」や「トルキスタン人」としての意識の鼓舞に利用され、ソビエト時代には世相や政策を反映して、ときには称賛されたり、ときには非難されたりと複雑な扱われ方をされきたことからも明らかである。そして、中央アジア諸国が独立国家になると、叙事詩のその性格は、新国家建設のためのシンボルとして「政治利用」されるようになることで、さらに顕在化・明確化した。このように英雄叙事詩が国家の象徴として政治的に利用されるのは、叙事詩が本来もつ性格に深く起因するものなのである。
本稿では、コングラトという一集団を舞台としていた叙事詩「アルパミシュ」が、トルキスタン・ナショナリズムの高揚によってトルキスタン人に共通する文化遺産となり、政治的要請を受け様々な扱いを受けたソビエト時代を経て、新独立国家ウズベキスタンの「国民文化」として扱われるようになったという変遷を見てきた。その変遷の過程を図式化してみると次のようになる。
このような変遷は、その叙事詩を必要とする集団(あるいは枠組み)の要請によるものであり、叙事詩が果たす役割もそれによって様々に変化してきたということを示しているのである。
叙事詩の「伝統」が廃れていく現在、国家の象徴として取り上げられ、脚光を浴びるのは歓迎されるべきことと思われるが、叙事詩研究をとりまく現状に目を向けると、不十分な予算や学術的な取り組みへの低い評価など、国家の手厚い保護・援助を必ずしも受けているとはいいがたい。叙事詩にたいする国家の姿勢は、政治的利用と学術活動の間に大きな温度差が存在するのである。その一方で、学術研究が政策の補完的役割を果たそうとする例も現れている。たとえば、クルグズスタンで目下進行中の「クルグズ2200年記念」にたいしては、懐疑的な見解を持つクルグズの研究者もいるものの、「「2200年記念祭は歴史的に裏付けある結果である。そこに疑問の余地はない。(クルグズ国家が2200年前からあったことは)古代中国の史料にも記されている。(クルグズ科学アカデミー歴史学研究所ジュヌシュアリエフ所長)」と国策に追従しようとする研究者も存在する。現在の中央アジアにおいて、「民族の歴史」や「民族文化」に関連する研究は、政治と密接な関係をもっている。今後もこの地域の国家と「民族文化」・「歴史」を巡る動きに目が離せない。
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