主なあらすじ
子供に恵まれぬバイボルとバイサルは子供を願って聖者廟を詣でた。願いが叶って生まれたアルパムス(1)とグルバルチンは婚約した。祝いの宴が、修行僧を招いて、盛大に開かれた。
7年が過ぎ去ると、バイボルとバイサルは仲違いをした。そのためバイサルはカルマクのくにへと移り、苛酷な生活を強いられた。
さらに7年が過ぎて、バルチンは美しい娘になった。カルマクのハンとカルマクの勇士カラジャンが彼女を我がものにしようともくろみ、互いに争った。バルチンは競馬で勝った人に嫁ぐという条件を出した。
そのころ、アルパムスは名馬バイチュバルに乗って、バルチンを探す旅に出ていた。アルパムスはカラジャンと出会い、彼と戦って破った。敗れたカラジャンは、ムスリムになることを誓い、アルパムスの友人となった。カラジャンはバルチンのもとに行き、アルパムスの到来を知らせた。
バルチンを巡る競馬がはじまった。参加を認められぬアルパムスの代わりにカラジャンが彼の愛馬バイチュバルに乗り、競馬に参加した。カルマク側はバイチュバルに怪我させて、これを妨害した。最大の障害は、カラジャンの息子ドスムハメドであった。カラジャンは彼を殺し、見事ゴールした。
敗北を認めないカルマクは、次に相撲での勝負を挑むが、アルパムスは敵をことごとく倒す。こうしてカルマクを破ったアルパムスは、バルチンとともに故郷へ帰ったのであった。
梗概
その昔、シデリ=バイスンの地に、バイボルとバイサルという二人のバイ(富者)がいた。子供のいない二人は、生まれた子供が異性同士であったら、結婚させようと互いに約束した。二人は子供が授かるよう、聖者廟を訪ね、子供が無事に授かるように祈った。そしてバイボルは妻ジャンタラス、バイサルは妻アルトゥン=サチュのもとに帰った。聖者に、彼らの願いは届き、9ヶ月と11日が過ぎ、偉大なる神によって二人に子供が授かった。バイボルの妻ジャン=タラスは男の子と女の子を、バイサルの妻アルトゥン=サチュは女の子を生んだ。
祝宴のため、90頭の雌馬が屠られ、あちこちで炉が炊かれた。アルトゥン=カバク(2)が行われ、相撲が取られるなど、様々な競技が30日続き、宴は40日続いた。二人はそれぞれ子供を連れてきて、ムッラー(イスラームの儀礼を司る人物)の腕に抱かせた。ムッラーに子供の命名を求めたが、どれも気に入るものではなかった。そこで、カランダル(イスラーム修行僧、托鉢僧)を宴に招き、彼らに命名するよう依頼した。そして、バイボルの息子はアルパムス、娘にはカルルガチュ、バイサルの娘はグルバルチンと名付けられた。修行僧は「グルバルチンはアルパムスの妻にふさわしい人物となるであろう。我らはアルパムスのピール(3)である。困難に陥ったときには彼を助力するであろう」と言って去っていった。
7年の月日が経った。ある日、二人は「われらの子供は将来夫婦となる。我らは親類なのだ」と祝宴を行うことにした。コクボリ(4)を行うと、二人はライバルになった。バイサリは、バイボルがコクボリの羊に悪魔を宿したと怒り、バルチンをアルパムスに嫁がせることをやめてしまった。そしてバイサルは6ヶ月と440日離れたタイシャ=ハンの支配するカルマクの地へ移動することを決めた。90頭のラクダに荷を積んだ。「バルチンは、宗教を知らぬカルマクに嫁がせる」というバイサルに、妻アルトゥン=サチは「やはり故郷に戻りましょう」と言ったが、彼は聞き入れなかった。6ヶ月と40日かけてカルマクのくににたどり着いた。カルマクのくにで彼らは貧しい暮らしをしながら、税を納めて過ごした。カルマクに着いたとき、バルチンは7歳であった。
7年の月日がさらに経ち、14歳になったバルチンは美しい娘になっていた。バルチンの美しさについてはカルマクのハンの耳にも入っていた。ハンの従者たちは彼女はハンにこそふさわしいと進言した。その頃、カラジャンという別のカルマク人がいた。彼は勇敢で力強い戦士であった。カラジャンは、「ハンの任務は統治にあり。その娘を得ようとすることは彼の任にあらず」と言って、「彼女は私が娶ろう」と宣した。多くの大臣が集まり、この件につき討議し、ハンに進言した。
「かような論議はお止め下され。かくなる上は、閣下から9人、カラジャンから9人の使いをバイサルのもとに送り、彼と話し合わせ、彼にどちらがふさわしいか決めさせてはいかがかと」と彼らは勧めた。ハンもカラジャンもそれぞれ使いを選んだ。それぞれの使いにバルチンは、
「私のことは私が決めます。40日離れた地から、もっとも早く私の元にやってきた人物を選ぶと、戻って伝えなさい」と答えた。
そして、ハンとカラジャンは互いに敵同士となった。戦が始まった。互いに殺し合った。4ヶ月経つと互いに疲弊した。
さて、そのころアルパムスは駿馬バイチュバルに乗り、許嫁を追って、カルマクの土地に向かおうとしていた。バイチュバルは、バイボルの従者クルタイが手塩にかけて育てた荒馬である。アルパムスの両親は、「旅立っても死しか待ち受けていないだろう。彼女を追いかけるのは止めろ」と引き留めたが、アルパムスはクルタイのもとに行った。クルタイは「どうぞご無事で!」と祈りながら、チュバルの首にお守りをつるした。そして、金の鞍を馬に載せ、乗りこなすのが難しいバイチュバルに乗って、グルバルチンを探しに出かけたのであった。
そのころタイシャとカラジャン双方の軍隊はみな戦いに疲れ、眠っていた。ある日、夜明け近くに、カラジャンは蹄の音に気付き、飛び起きた。しかし、その音の正体を塵埃のために見ることができずにいた。アルパムスの守護聖霊は強力で、カラジャンの守護聖霊が見つけることができないほどであった。カラジャンの黒馬はアルパムスを見ることができたが、カラジャンの馬はバイチュバルを恐れ、右に左に落ちつきなく動き回った。そこにカラジャンは14歳のアルパムスを見た。カラジャンが「おまえの命を取ろう。おまえの血を流そう。どこから来て、どこへ行くのだ。何者だ」と訊ねると、「我が名を訊ねるならば、アルパムス。我が父の名はバイボル。茶色のガチョウが飛ぶバイスン湖からやってきた。バルチンの後を追って。バルチンはこのくにへ去ったからだ」と答えた。カラジャンは大声で笑った。「おまえのほかに二人、彼女を追いかけているものがいるぞ。もといた場所に帰れ。おまえのバルチンを連れかえることはできないぞ」と。アルパムスは怒りに満ちた。「自分は勇敢で、私は臆病だと思うな。私が怒れば、おまえの首を切り落とすぞ」。
二人は戦うことにした。カラジャンが「おまえが先に攻めよ」というと、アルパムスは「おまえの髭は白い。年長のおまえが先に攻めよ」と答えた。そのときアルパムスを命名した7人の聖者が現われた。霊力でアルパムスを鉛のように重くした。
アルパムスは非常に重かったため、カラジャンには持ち上げることができなかった。カラジャンはアルパムスを投げようとしたが、それも敵わなかった。カラジャンは「彼は胡桃の木で、深く根付いているかのようだ」と思い、アルパムスに攻撃権を与えた。
アルパムスは神の御名を三度唱えて、7人の聖者を呼びながら、カラジャンの帯をつかんだ。そして彼を持ち上げ、投げ落とした。カラジャンを鼻から血が出るほどきつく締めつけた。そしてアルパムスが彼を投げ飛ばそうとすると、カラジャンは彼に許しを乞うた。
「あなたがバルチンを探しているのなら、すぐに見つかるだろう。私は愚かにも、自分が優れていると勘違いしていた。私はあなたの神を受け入れ、その神の信徒を認め、あなたの友人となる所存である。私はムスリムとなった。我が神は唯一神である。」
アルパムスは、「こやつを殺しても、黒き大地は満たされまい。こやつはムスリムになったことであるし」と考え、攻撃を止めた。カラジャンは観念した。そして「私はあなたの友人となった。アッラーの教義をお教え願いたい」とのカラジャンの頼みに応えて、アルパムスはイスラームの教義を教え込み、互いに抱擁し合って、友人となった。
カラジャンは黒馬に、アルパムスはチュバルに乗り、カラジャンの家を訪ねた。カラジャンは友人をもてなした。5日が経った。カラジャンはアルパムスに「許しをくれるなら、私がバルチンを探しに参ろう。きっと彼女にこのよい知らせを伝えよう」と提案した。アルパムスは「それはいい考えだ」と承諾したので、カラジャンはアルパムスの名馬バイチュバルに乗って、バルチンの白い天幕に向かった。
カラジャンは言った。「この白い家に誰かいれば、外に出て知らせよ」。するとバルチンが出てきて、「異邦人には心の喜びがない。訪ねる客もない。友人もない」と嘆いた。カラジャンは、「バイスンのくにからの知らせがある。14歳のアルパムスがあなたを追ってやってきた。チュバルに乗ってやってきたのだ」と知らせた。バルチンは、昼も夜も泣きつづけ、涙で湖になったと、悲しみを表わした。カラジャンはアルパムスと友人になったいきさつを話した。そして、「あなたの愛する人は、どんなバトゥルも敵わない人です。戦場では、40人のバトゥルに匹敵するでしょう」と言うと、バルチンは「競馬で40日離れた地からの勝者を、それがクズルバシュでもカルマクでも選ぶといったはずです」と答えた。これを聞いて、カラジャンはアルパムスの元に戻り、バルチンが言ったことを伝えた。するとアルパムスはバイチュバルを七日七晩十分に休ませた。
そして競馬の日がやってきた。タイシャ=ハンがアルパムスをまだ幼いとして、参加を認められなかったため、カラジャンが代わりに出馬することになった。カラジャンは「友情のために、勝利するぞ」」とチュバルに乗った。アルパムスは「私は神の祝福を得て、バイスンの地からやってきた。私は、友情ゆえに愛馬バイチュバルにおまえを乗せることにしたのだぞ。決してこの信用を裏切るな。バイチュバルには細心の注意を払うのだぞ。友人であるからおまえをチュバルに乗せるのを認めるのだ」。こう言ってアルパムスはカラジャンと別れを告げ、彼を見送った。
やがて、タイシャハンの命により、カラジャンと490人のバトゥルによる競馬が始まった。聖者の援助によってカラジャンは馬を進めた。15日後、アクブラクという、カルマクが集う泉に着いた。カラジャンの耳に、「われらは涙を流しているぞ。スンナのために豊かな大地を棄てることはやめろ。カラジャンよ、故郷へ戻れ。おまえはムスリムになったそうだが、この競馬におまえの出る幕はないぞ。さあ、戻るのだ」との言葉が届いた。このとき、バイチュバルもこれらの言葉を聞いていた。バイチュバルの理解力は人間を越えていた。バイチュバルは聖者たちに護られる馬であった。カルマクの言葉は、矢のようにバイチュバルの心を射抜いた。カラジャンはバイチュバルに鞭打つが、少しも動こうとはしなかった。カラジャンは、バイチュバルを休ませた方がいいと考え、飼い馬袋に餌を入れ、バイチュバルに与えようとした。しかし、バイチュバルは飼い馬袋を見たことがなかったので、これを恐れた。カラジャンは無理やり、バイチュバルの頭を袋に入れて、食べさせようとしたが、バイチュバルは決して食べようとせず、口の周りが泡だった。これを見ていたカルマク人たちは、「おい、おまえの馬が優勝するぞ」と愚弄しながら皮肉った。
タイシャは、競馬の順位を確認するため使者を送った。使者は、「タイシャ=ハンの栗毛馬とカラジャンの馬が接戦をしています。その他の馬はまるで牛のようです。カラジャンの友人の馬はたいした馬です」と報告した。9人のカルマク人がカラジャンの傍に送られた。カラジャンはムスリムになってからずっと、一度も礼拝を欠かすことがなかった。礼拝中、バイチュバルはカラジャンの後ろにいた。使者はバイチュバルの体を調べてみた。すると、肩には翼が生えていた。彼はこの馬を恐れて、その場を離れ、再び人を集めた。彼は、490人のカルマク人を集めて、「よく聞け、私はムスリムとの戦争を行うことにした。アルパムスの馬は凄い。20日の道のりを7日で進むであろう」と言った。すると、カラジャンの一人息子ドスムハメドは彼に「父には、勇士の7日間の眠りが必要です。7日後には疲れた馬も回復しましょう。このことを利用するのです。父カラジャンが勇士の7日間の眠りについたとき、バイチュバルを殺せばいいのです。そして父の手足を縛りあげましょう」といった。
そしてドスムハメドは父カラジャンのところに来た。父はぐっすり眠っていた。彼は490人のカルマク人を呼び、父の手を縛らせた。そして彼らはバイチュバルの元へ行き、あるものは手綱を、またあるものは鐙をつかんで仰向けにひっくり返した。さらに、蹄鉄の釘を4つの蹄に打ち込み、満足して立ち去った。
3日が経った。カラジャンは、胸が重くなり、跳び起きた。あたりを見まわすと誰もいなかった。手足をしばられていたため、転げまわった。彼は縛られていたことに気づき、バイチュバルを探すと、何かが地面で動いていた。近づいてみると、仰向けに倒れているバイチュバルであった。カラジャンは、その状態を嘆き、聖者に助けを求めた。
「我が友は、哀れにも蹄に釘を打ち込まれてしまいました。私の悲しみをお聞きください。」すると、カレンダルたちが現われた。彼らはカラジャンに近づき、手を差し伸べた。「おまえの道が開かれ、危険な目に遭わぬように。バイチュバルが競馬で優勝するように。バルチンがアルパムスと結ばれるように。」と述べて、消え去った。カラジャンは出発することにした。バイチュバルは、痛みのあまり蹄に火がついたようになりながら、疾走した。
3日経って、カルマクに追いつき、追い越した。バイチュバルは昼も夜も駆けた。5日の後、カラダグ坂にさしかかると、先にはドスムハメドだけが進んでいた。カラジャンは息子に、
「手綱を緩めよ、息子よ。おまえには思慮がない。」というと息子は、「父よ、お言葉は受け入れられません。戦になっても、あなたを気に止めません。」と答えた。カラジャンは怒り心頭し、バイチュバルに鞭打った。息子も同じく、自分の馬に鞭打った。二頭の馬は競る。勇士たちは激怒する。蹄が蹴る石は火花を放ち、その足跡は深い穴になった。ドスムハメドは反抗的に振舞った。父カラジャンは「私は4度も頼んだのに、おまえは止まろうとしなかった。おまえは私を尊敬していないのだな」と言って、彼の頭と帯をつかみ、巨大な岩石に投げつけて、殺した。そして息子の白い剣をつかんだ。「友のためなら、神よ、あなたもこのようにいたしたことでしょう」とつぶやいて、息子とその愛馬を殺したのだった。彼は義理に忠実なバトゥルになったのである。彼は悲しみながら、先を進んだ。
7日が経った。ハンの元に使者がやってきた。「カラジャンのほかには誰も来ない」と知らせた。アルパムスは丘に立ち、バイチュバルが戻ってくるのを見た。「おまえの首にお守りをつるしたのだから、おまえが敗れるはずはないのだ。おまえが勝てば、コングラトの未来は安泰だ!」とつぶやいた。競争はバイチュバルの勝利に終わった。アルパムスのもとに戻ったバイチュバルは、矢で打たれたように倒れた。蹄は人の頭ほどに腫れていた。アルパムスは刀を抜き、カラジャンに言った。
「私はムスリムには害を及ぼさぬが、愛馬を見たときに、友人を失ってしまった。私にたいするおまえの友情はどこに行ったのだ。おまえの首を落としてやる」と。するとカラジャンは、「15日目にアクブラクに着いたころ、異教徒カルマクのやつらが我らを侮辱したのだ。その後、私が勇士の七日の眠りについていると、私の手足をやつらは縛り、チュバルの蹄に釘を打ちつけ、歩けないようにしたのだ。神に助けを求めると、7人の聖者たちが現われ、我らを助けてくださったのだ。そして我が一人息子ドスムハメドが追いかけてきた。私はすぐに引き返すよう言ったのだが、聞きいれなかったので、やつとその愛馬を殺したのだ。私はあなたへの義務を果たしたのだ。」と答えた。この言葉を聞いて、アルパムスは盟友カラジャンとともに泣いた。
グルバルチンは「私のスルタンの馬が戻ってきた。早速、お祝いの言葉をかけなくては」とアルパムスとバイチュバルを祝福した。三人は、バイチュバルの蹄からたまった血を抜いて手当てをしてやった。グルバルチンは15日、カラジャンは15日、そしてアルパムスは10日看病してやって、40日目には完治したのであった。
バルチンとカラジャン、アルパムスの三人はカルマクの地にある家に集まり、アルパムスとバルチンの結婚式が行われた。彼らは故郷へ戻ることを望んだが、タイシャハンの大臣はハンに、「バルチンがアルパムスに嫁ぐのを本当にお許しになるのですか。我々が約束を反古にしたらどうなるでしょう。バルチンを行かせてはなりませぬぞ。閣下には90人の力士がおります。今度は相撲での勝利を条件にしてはいかがでしょう」と進言した。タイシャは使いを遣ってアルパムスを呼んだ。タイシャの前にわずか14歳のアルパムスが現われた。タイシャが彼に、「少年よ、6ヶ月の遠き地から許嫁を探しに来たのか。おまえは競馬には勝った。だが、相撲で勝利せねばバルチンは手にできぬぞ。」と言うと、アルパムスはこれを受け入れた。力士が現われた。相撲が始まった。敵をつかみ、ハンの足元に投げた。相手はすでに生きていなかった。30分後、9人の力士たちが敗れ去っていた。誰も彼と戦おうとしなかった。そのため、カルマクはバイチュバルを殺そうした。しかし近づいてきたカルマク人をチュバルは蹴り上げた。アルパムスは、「戦おうというものは誰もいないようだな」と言って、チュバルに乗った。カルマクたちは彼を取り囲み、そこから帰そうとしなかった。アルパムスは怒った。カルマクはアルパムスに矢を射た。しかし、矢は届かなかった。アルパムスは、無数のカルマクの中に、チュバルを駆った。刀を振り回した。カルマクの首をはねた。彼の刀が曲がるほどであった。タイシャハンはにどちらが戦いを始めたかを聞いた。部下は「アルパムスです」と答えたが、ハンは「おまえが戦を引き起こしたのだろう」と叱り、処刑した。
こうして、アルパムスはバルチンのために、愛馬を競馬に勝たせ、格闘でも勝利し、多くのカルマクを殺したのであった。
90頭のラクダに荷を積んで、アルパムスはバルチン、彼女の父バイサル、母アルトゥン=サチュとともに故郷へと向かった。そして、親友カラジャンと別れを告げて、彼を見送った。6ヶ月と40日かけて無事、コングラトのジデリ=バイスンの地に戻ってきた。彼の両親、家族は泣いて迎えた。
アルパムスは盛大な宴を催した。人々が集まり、彼を賛美した。アルトゥン=カバクや競馬、格闘技が行われた。競技は30日、祝宴は40日続いたという。
解説
「アルパムス(アルパミシュ、アルパミス)」はウズベク、カザフ、カラカルパク、バシュコルト、カザン=タタールなど中央ユーラシア各地に伝わる叙事詩である。南シベリアのアルタイにはこの作品の「原型」といわれる「アルプ=マナシュ」が伝えられ、またトルコで語られていた「デデ=コルクトの書」にはアルパムスから派生したといわれる「バムシ=ベイレク」にまつわる逸話が残されているなど、中央ユーラシアにとどまらず、広くテュルク世界に馴染みの深い作品であるといえる。
中央ユーラシアに語り伝えられてきた「アルパムス」に関していうと、これまでに非常に多くのテクストや翻訳が刊行されている。公刊されたもっとも古いヴァリアントは、1899年にカザンで出版されたユスフベク=セイフルイスラムによるテクストである。次いで、ディヴァエフが編纂したジエムラトの語りによるヴァリアントが、1901年にタシュケントで出版されている。いずれもアラビア文字によるテクストであった。以後、最初に公刊されたヴァリアントが、1910年代までいくども再版された。1920年以降は、様々なヴァリアントがタシュケント、クズルオルダ、アルマアタ(当時)、モスクワ、カザン、ウファなど各地で出版され、同時にこの作品のロシア語訳も多く刊行された。たとえば、はじめて「ウズベク版」の書き取りが行われたのは、1922年のことであった。このとき採録されたファジル=ヨルダシュの語りによるヴァリアントは1939年に公刊され、その後も何度も出版された。独立後のウズベキスタンでも、このヴァリアントが「ウズベク版」の標準的ヴァリアントとされている。
現在、ウズベキスタンでは1999年にユネスコの後援で「英雄叙事詩アルパミシュ千年祭」が催されるなど、この作品はウズベキスタンの代表的叙事詩と見なされている。同国で「アルパミシュ」が数多く出版されていることや主人公の故郷がウズベキスタン領内にあるとされることなどが、この祭典が同国で開催された理由である。もっとも「アルパミシュ」が語り伝えられるのはウズベクに限ったことではなく、たとえばカザフにはマイコト=サンドゥバエフやスルタンクル=アッコジャエフ、アブディラユム=バイトゥルスノフなど、様々な語り手たちによるヴァリアントが語り継がれ、いくども刊行されている。
さて、今回取り上げたヴァリアントは、ジエムラト=ジュラウ(1836-1908)の語りによるもので、ディヴァエフが1901年にタシュケントで出版した、アラビア文字によるテクストである(パクソイがオリジナルテクストをそのまま付録としたものを利用した)。本稿で取り上げたヴァリアントは「シルダリア州統計資料集」第10集にはじめて発表されたもので、これが中央アジアで最初に公刊された「アルパムス」のヴァリアントとされている。ディヴァエフ自身はこのテクストを1895年には手に入れていたことから、書き取りはそれ以前に行われたものと推測される。このヴァリアントが、はじめて公刊されたのは1901年のことであるが、その後も1922年に『バトゥルたち』という叙事詩撰集に収録されるなど再版されている。
ディヴァエフはこのヴァリアントをカザフのもとしていたが、実際には語り手のジエムラト=ベクムハメドフはカラカルパク人である。そのため、本稿ではこのテクストを「カラカルパク版」として取り上げた。なお、ベクムハメドウルから誰が書き取ったかは不明である。興味深いのは、ディヴァエフが「ベクムハメドフは写本の下に詩を加えて終わらせた」と記している詩である。そこには、
人々は彼のくにで幸福であった。
皇帝の功績は、神の功績。
私が皇帝に行った作業はよきこと。
この言葉を語ったのは、
ベクムラドオグル=ジヤムラド=バフシ(5)であった。
とあるが、皇帝(ロシア皇帝)を讃えていることはロシア総督府の指示によって書き取られたことを暗示している。実際、この作業はロシアのアムダリア総督ラズゴノフ陸軍少将の指令によって行われた。もっとも、ラズゴノフの指揮というよりもディヴァエフの要請によるものと考えられている。
本ヴァリアントは、韻散混合文で約1700行からなり、他のカラカルパクの語り手によるヴァリアント(エセムラト=ジュラウの1万7千行、キヤス=ジュラウの1万1千行、オギズ=ジュラウの7千行)と比べると小規模である。このヴァリアントの言語はカラカルパク語であるが、ウズベク語ホラズム方言に近いとの指摘がされている。これは語り手のベクムハメドフがカラカルパクスタン南東部に位置する、ウズベク人も多く住むトルトゥコルに住んでいたからであろう。
なお、本稿では、便宜的に「カザフ版」あるいは「カラカルパク版」と表記したが、あるヴァリアントをその語り手の「出身民族」や採集地にもとづいて機械的に「〜版」と切り分けて分類することは適切でなく、採集された背景や語り手の特徴を考慮すべきである。アルパムスに限らず、中央ユーラシアの叙事詩は、ある特定の「民族」にのみ伝わる叙事詩は少なく、むしろ複数の「民族」や広範な地域に広がっていた。そのため、叙事詩作品について考える際には、ある「民族」の作品と捉えて限定的に見るのではなく、その作品が伝わる周辺地域・「民族」のヴァリアントを考慮しながら、複合的に検討する必要があろう。
次に作品の内容について見てみたい。
アルパムスは、中央ユーラシア=テュルク系叙事詩の典型的な勇士である。誰も乗ることのできない、暴れ馬を乗りこなし、敵と戦えば、怪力を発揮して相手を投げ飛ばし、刀を拔けば無数の軍勢を斬り倒す。こうした勇士像は、他の作品の主人公の勇士と同様に、理想的な勇士の姿とされた。乗馬の技術と戦いの技は遊牧騎馬民族にとって、なによりも不可欠であったのである。作品中にあるように、勇士が力を発揮するためには、七日間にわたる深い睡眠が必要であったということも、勇士の非凡さを表しており、興味深い。アルパムスの愛馬バイチュバル号は人間の言葉を解したり、背中に翼が生えているなど尋常ならざる馬であるが、このような馬はまさに非凡な勇士にふさわしいといえよう。
この作品にはカラジャンという勇士がいるが、テュルク系英雄叙事詩では、主人公の盟友といえる勇士が重要な役割を果たす。「ショラ=バトゥル」」のクルンシャクや「コブランドゥ」」のカラマンなどが同様の存在であるが、この作品では、アルパムスの代わりに競馬に出場しており、その存在の比重がとくに大きい。
「アルパムス」には様々な遊牧民の伝統が反映されている。まず、冒頭部分でバイボルとバイサルが互いにそれぞれの子供を結婚させようと約束を取り決める場面がある。カラカルパクなど中央アジアの遊牧民の間には一般に、乳幼児のころに親たちによって婚約が行われるという習慣があった。富裕な家や有力者たち同士ではとくに、こうした婚約が慣わしとなっていたが、叙事詩にもその様子が反映されているのである。
また、この作品では婚約に際してコクボリが、トイといわれる祝宴においては競馬やアルトゥン=カバクなどの競技が行われている。遊牧民にとってこれらの競技は、祝宴や集いには欠かせず、こうした場の中心的行事であった。
作品中には、いくどとなく聖者が危機を救いに現われる。この聖者はテクストではカランダルやピールという言葉で現われる。カランダルとは本来、私財を捨てて、各地を放浪しながら修行する托鉢僧(デルウィーシュ)の総称であり、またピールとは聖者・導師、神秘主義教団の導師を表わす言葉である。聖者の墓廟は信仰の対象となり、神にもっとも近い場所とされた。作品で、バイボルとバイサルが聖者廟に参拝に行く場面は、まさにこうした聖者信仰の表れである。
このような導師・聖者はときに奇跡を起すなどの「超能力」を有することがあり、作品でも、アルパムスの体重を重くしたり、釘を打たれたバイチュバルに力を与えたりと、苦難を乗りきらせるために登場する。しかし、彼らは特殊な能力をもった人間の修行僧というよりは、個人を庇護する霊的存在のようである。中央アジアには「アルワク」という、困難や危機を救ってくれる先祖の霊を信ずる風習があり、叙事詩にもしばしば描かれるが、このヴァリアントで危機を救いに現れる聖者はアルワクと同様な存在として理解されるべきである。
次に作品に現れる地名についてみてみよう。ジデリ=バイスンなる地が何処にあるかという点についても諸説あるが、ウズベキスタン南部のスルハンダリョー州にあるバイスンという場所に比定されることが多い。1999年にウズベキスタンで「アルパミシュ千年祭」関連行事がスルハンダリョー州で行われたのも、こうした理由からである。中央アジアに伝わる「アルパミシュ」のヴァリアントの多くは、アルパミシュの故地をジデリ=バイスンとしているが、より注目すべきは、この土地よりもコングラトという集団であろう。中央アジアの叙事詩では、主人公の勇士が外敵から護るべきものは、いわゆる部族集団であることが多い。コブランドゥ=バトゥルはクプシャク(キプチャク)族の、エル=コクシェはウァク族の、チョラ(ショラ)=バトゥルはタマ族のそれぞれ勇士である。同様に、アルパミシュはコングラトの勇士であると伝えられているのである。これらのことは、中央ユーラシアの人々の部族への帰属意識が強かったことを示している。なお。コングラトは西シベリアからアラル海、フェルガナ盆地にいたる広範な地域に広がり、カザフやウズベク、ノガイなどの諸民族を構成する主要集団である。現在、ウズベク人に含まれるコングラトの人々はアム河下流域、ブハラ、ホラズム地方に、カザフ人を構成するコングラト(中ジュズ)の人々はシル河流域にそれぞれ居住している。
なお、アルパムスの故郷は、このヴァリアントに限らず、「ウズベク版」や「カザフ版」でもジデリ=バイスンのコングラトであり、中央アジア全般に共通している。
敵民族は「異教徒」カルマクである。「アルパムス」の中央アジアのヴァリアントはどれも敵がカルマクであるが、興味深いのは、中央アジア以外のアルパムス系統の作品では、敵がカルマクではないことである。主人公の敵は、アルタイの「アルプ=マナシュ」では巨人であったり、西アジアの「デデ=コルクトの書:バムシ=ベイレク」ではバイ=ブルトのくにであるのにたいして、中央ユーラシアの「アルパミシュ」は押し並べてカルマクである。このことは、17‐18世紀にかけてジュンガルが行った攻撃による辛苦の記憶が叙事詩に反映されていることを示している。
ところで、「アルパミシュ」の他のヴァリアントには第二部ともいえる、この話の続編が存在する。ファジル=ヨルダシュなど多くのヴァリアントでは、アルパミシュとともに故郷に帰ったのはバルチンのみで、カルマクの地にバルチンの両親は留まる。カルマク=ハンの圧政に苦しむ彼らを救いにアルパミシュが再びカルマクの国へ赴き、カルマクと干戈を交えるというあらすじである。これらのヴァリアントには、アルパミシュの敵はカルマクだけではなく、彼の留守中にバルチンを狙い、コングラトを支配せんとするウルタン=タズなる同朋がいて、凱旋したアルパミシュがこの内なる敵ウルタンを倒すというエピソードがあることも特徴のひとつである。妻が奪われそうになるこの場面は「オデュセイア」におけるオデュッセウスの帰還を彷彿とさせる。また、ファジル=ヨルダシュのヴァリアントでは、アルパミシュは帰郷する際、ぼろをまとい修行僧に変装し、歌のやりとりで自分の正体を妻に知らせるが、これはロシアのブィリーナ、「ドブルィニャの妻」で勇士が妻の前に旅芸人の容貌で戻る場面と類似しており、たいへん興味深い。
アルパムスは、中央ユーラシア各地に同系統の叙事詩が存在し、ギリシャ神話やロシアのブィリーナとの類似点も見いだせる叙事詩であるとともに、中央アジアの歴史や遊牧民の生活を色濃く反映している作品なのである。
注釈
1 アラビア文字による、オリジナルのテクストではAlfamishとなっているが、ここでは現在のカラカルパク語正書法に則って、一般に知られている「アルパムス」の表記をすることとする。
2 祝宴で催される弓矢の伝統競技。的を速く正確に射たり、馬上から的を狙ったりする。
3 ピールとは本来、イスラーム聖者あるいはスーフィー教団の導師を意味する。
4 羊の毛皮を取り合って自分の陣地にもっていく騎馬競技。
5 現代カラカルパク語表記では、ジエムラトJiemuratとなるが、ここではテクストのアラビア文字表記Bekmuhamed oghli Jiyamuradに忠実に表記した。