カザフ口承文芸における「ノガイ大系」の影響
〜「オラクの詩」を題材として〜


はじめに

 カザフ人は中央アジアの主要民族のひとつで、現在、カザフスタン共和国を中心に、ウズベキスタン共和国や中国新疆ウイグル自治区、モンゴル国などに居住している。遊牧民族であるカザフ人は文字の使用が久しく一般的でなかったため、口承文芸がカザフ文化の根幹といえるほど高く発展し、多くの作品が代々口誦で伝えられてきた。カザフの口承文芸には、ことわざ、なぞなぞ、昔話など多くのジャンルが存在するが、詩はその中でも主要なジャンルである。現在まで、厖大な口承文芸の作品が書き残されているが、それらの大部分が19世紀後半になってから採集されたものである。それらは現在まで幾度も刊行され、かつてのような「語り」の場が激減した現在では、人々は主にこのような書籍によって、これら口承文芸の作品に接している。

 さて、カザフをはじめ、カザン=タタール、クリム=タタール、バシュコルト(バシキール)、ノガイ、カラカルパクなどの中央ユーラシアのテュルク系民族には「ノガイ大系」といわれる一連の英雄叙事詩群が伝えられている。これらの作品は、ノガイ=オルダを中心としたキプチャク草原およびその周辺を舞台としているため「ノガイ大系」と呼ばれ、「エディゲ」、「ヌラッディン」、「カラサイとカズ」、「チョラ=バトゥル」など歴史上の人物を描いた作品が多いことが特徴的である。これまで多くの「ノガイ大系」の作品が採集・刊行されており、テュルク系英雄叙事詩の中で、質・量ともに大きな比重を占めるにもかかわらず、「ノガイ大系」に関する研究は決して充分とはいえないのが現状である。

 「ノガイ大系」の代表的作品のひとつに、16世紀中頃に活躍したノガイ=オルダの有力者であるオラクという人物を主人公とした英雄叙事詩がある(以下、本稿ではオラクを謠った英雄叙事詩のことを「英雄叙事詩「オラク」」と表すこととする)。この作品は、ノガイ=オルダの軍の長であるオラクが兄弟のママイ=ハンと共に敵に行軍する樣や彼らをねたむ勇士たちとの内紛を謠っており、人々の間で大きな人気を博してきた。

 ところで、カザフ口承文芸の作品に「オラクの詩」という詩がある。これは、オラクというバトゥルがカラ=バトゥルなるバトゥルと詩の掛け合いを行い、勝利を収めるという内容で、カザフの人々によって口承で伝えられてきた作品である。この作品に霊感を得て、現代カザフの代表的な詩人オルジャス=スレイメノフが作品を著すなど、カザフの口承文芸の中でも注目に値する作品であると言えよう。このオラクは、その名からもわかるように英雄叙事詩「オラク」の主人公と同名であり、ノガイの勇士を彷彿とさせるが、採集者であるカザフの知識人ワリハノフは「オラクの詩」のオラクをカザフ出身の勇士であると解説している。しかし、彼が何を根拠にカザフの出身としているのかは明言されてはおらず、また先行研究においても、英雄叙事詩「オラク」と「オラクの詩」との関係については明らかにされていない。

 本稿ではこのような問題点を踏まえ、カザフに伝わる「オラクの詩」の内容や表現形式にどのような特徴があるかを明らかにし、この作品と「ノガイ大系」の英雄叙事詩「オラク」との関係を検討することにより、カザフの口承文芸に「ノガイ大系」が及ぼした影響について論じたい。


1 カザフに伝わる「オラクの詩」

 カザフに伝えられる「オラクの詩」は、著名な東洋学者にして、口承文芸研究家でもあったチョカン=ワリハノフ (1835-65)によって採録された。彼自身の手によって書き記されたテクストは現在も残されており、公刊もされている。この作品が採取された具体的な日時は明らかではないが、1854−55年のことと考えられている。作品はすべて韻文で、一行は7-8音節からなり、基本的に脚韻を踏む。およそ140行。テクストはアラビア文字で記され、現代カザフ語の知識でほとんど理解が可能であるが、shをch、pをbなどと表記しているなど、現代の正書法とは異なる表記法が用いられている。また、しばしば誤字や脱字もみられる。

 オリジナルのテクストにはとくに表題は付けられてはいないが、1984年に出版されたテクストのロシア語訳には「オラクの詩」という題名が付けられており、オラクがこの作品の主人公であることが示されている。この作品は基本的に、オラクとカラ=バトゥルという二人の勇士が自らの優秀さを賞嘆する詩の掛け合いから成っている。それでは、この作品の内容について簡単に見てみよう。

 作品は、まずオラクの語りから始まる。オラクはカラ=バトゥルに向かって、自分の愛馬カラクラがいかに優れて、自分にふさわしい馬であるかを誇り、自分は「たとえ裸足ででも敵に立ち向かう」と宣する。そして、オラクが怒れば、彼の刀によって人々が死に至ることになると恐れられている様が謡われる。

 一方、オラクの相手カラ=バトゥルは、自分がトゥルクメンやバシュコルト(バシキール)、ロシアやカルマクなどを降伏させたと誇示し、「異教徒には矢を射、ムスリムには友情を示そう」とムスリムとしての心意気を謡う。さらに、「12歳で駿馬に乗って、大軍の長となり、18歳でカラ=バトゥルの名のもとに号泣させた」と自分の勇猛さを誇った。

 それにたいして、オラクはカラ=バトゥルの両親を侮辱し、再び愛馬カラクラを誉め称える。そして、自分を子馬に、カラ=バトゥルを犬にそれぞれたとえて、彼をさらに侮辱し、彼を打ち負かした。その後、この争いに勝利したオラクは、自分の剣を「(剣の)輝きに耐えられずに、月は雲に隠れ、(人々は)直視できず、目を閉じる。鞘には瞬時に収まり、その柄は黄金の光の鋼鉄」と誇る。最後にオラクは、「みなの者、わが言葉を聞け。このオラクにここで敬意を表せ」という詩を謠い、作品は終わる。

 このような詩の掛け合いは、二人のどちらが優れた勇士か、どちらが軍の長にふさわしいかを決するために行われた。最後のオラクの言葉には、この勝利によってオラクは軍の長となったことが暗示されている。

 それでは、この作品の主人公であるオラクという人物はどのような人物なのであろうか。彼は、架空の人物であったのか、あるいは実在した人物であったのか。

 ワリハノフは、先に述べたように、「オラクの詩」のオラクを「カザフの中ジュズ カラウル族の出身」と説明している。また別の論文でも、英雄叙事詩「オラク=バトゥル」を取り上げ、その主人公オラクをやはりカラウル族の出身としながら、「(オラクは)ロシアを攻撃し、捕らえられ、牢獄にて10年を過ごした。その後ロシアで結婚し、子供にも恵まれたが、故郷の村が恋しくなり、再び草原に向かい、そこで余生を過ごした。」と述べている。つまり、ワリハノフは「オラクの詩」の主人公をカラウル族出身の実在した「カザフ人」とみなした上で、彼と英雄叙事詩「オラク」の主人公とを同一視していたのである。


2 ノガイの勇士を謠った英雄叙事詩「オラク」

 このようにワリハノフは、叙事詩のオラクについても「カザフ人」であったと考えていたのだが、彼は同時に、カザフに伝わる叙事詩の主人公オラクをノガイ民族の古い時代の人物であるとも述べている。この記述は、彼が矛盾した見解をもっていることを意味するが、中央ユーラシア=テュルク系の叙事詩では、歴史上の人物が描かれることが多く、英雄叙事詩「オラク」は、ノガイ=オルダに実在した勇士を描いた作品として認識されている。この作品は、カザフでも「オラクの詩」よりもよく知られ、親しまれている。それでは、この英雄叙事詩について説明しよう。

 オラクについて謠った叙事詩は、カザフ、カザン=タタール、バシュコルト、クリム=タタールなど、ユーラシア中央部のテュルク系諸民族に広く伝えられており、現在までおよそ10を越えるヴァリアントが採録されている。この作品は、カザフやカザン=タタールでは「オラク・ママイ」、「ママイ=ハンの話」、クリム=タタールでは「オラク・ママイとクルカ」などと、語り伝えられる民族や地域によって、呼び名が異なる。勇士オラクとママイ=ビー兄弟の活躍や彼らと反目するノガイの有力者イスマイルとの葛藤など、オラクとママイの兄弟について描かれることが多いため、この叙事詩は「オラクとママイ」との題が付されることが多い。また、オラクの二人の息子について謡った英雄叙事詩「カラサイとカズ」でも、オラクについて描かれる。この作品では、囚われたクリム=ハン国のアディル=スルタンをカラサイとカズ兄弟が救出する樣が謠われているが、前半では、彼らの父オラクの非業の最期に関するエピソードが謠われる。英雄叙事詩のオラクはその勇敢さと強靭さのみならず、片目・片足の妻を生涯愛し、他の女性には見向きもしなかったとその人間性も高く評価されている。

 「ノガイ大系」の英雄叙事詩には、ノガイ=オルダを創始したエディゲ(1352-1419)とノガイの代々の支配者である、彼の子孫たちがそれぞれ謠われている。オラクは、このエディゲの4代目(一説には5代目)の子孫で、ノガイ=オルダにおいて積極的に活動した人物であることが、叙事詩や系譜などの口頭伝承のみならず、文献史料からも確認することができるが、ここで歴史上のオラクについて見てみたい。オラクは、ノガイの支配者ムサ(?-1535)の息子で、ママイと兄弟であるという説とアルチャギルという人物の息子で、ケル=ムハンメドという有力者の弟、ママイの甥にあたる人物であるという説との二つがある。前者は主に口頭伝承に基づいており、後者はロシアの外交史料などの文書に依拠している。このようにオラクについては諸説あるものの、ママイやイスマイル、シェイダク(シダク)、ユスフなどの、ノガイの支配者であったムサの息子たちと同世代で、16世紀中頃にノガイで活躍した人物であることは確かなようである。

 さて、オラクなどのエディゲ裔について謠った英雄叙事詩で、もっとも有名なもののひとつは、カザフの著名な語り手、ムルン=ジュラウのヴァリアントである。カザフに伝わるそのヴァリアントでも、やはりオラクはエディゲの子孫として描かれており、カザフでもオラクがノガイの勇士と認識されていたことが明らかとなっている。

 このように、ノガイ=オルダのオラクは、カザフの英雄叙事詩にもその活躍を謠われているのだが、ワリハノフの二つの異なる見解が示すように、オラクという人物は、カザフの口承文芸において、二通りの解釈がなされている。それでは、「オラクの詩」の主人公はカザフ・中ジュズの人物なのであろうか、あるいは叙事詩に知られたノガイの有力者と同一人物なのであろうか。また、「オラクの詩」と英雄叙事詩「オラク=バトゥル」にはどのような関係があるのだろうか。


3 「オラクの詩」と英雄叙事詩「オラク」との関係

 これらの問題を考察するために、「オラクの詩」と英雄叙事詩「オラク」を比較して、この二つの作品の関連性について検討してみたい。

 英雄叙事詩「オラク」には多くのヴァリアントが存在するが、ここでは「オラクの詩」と同じくカザフに伝わり、オラクについて詳しく謠っている、ムラト=モンケウルの語った作品と比較して、考えていきたい。ムラト=モンケウル(1843−1906)はウラル州生まれ、小ジュズ出身のカザフの著名な語り手で、ウラルやマングスタウなどカザフスタン西部で活躍した彼のレパートリーには、「ウシュ=キヤン」や「カラサイとカズ」などがある。これらの作品には、エディゲやショラ=バトゥル、エル=タルグンなど「ノガイ大系」の勇士たちが描かれており、そこにはオラクも登場する。

 「ノガイ大系」では「チョラ=バトゥル」のように親子の勇士について謡われることが多いが、ムラトは「カラサイとカズ」で、オラクとカラサイ・カズ親子について謡っている。この作品ではオラクについて次のように言及されている。

 その昔、ムサというビーがいた。ムサには30人の息子がいた。その中にママイというビーがいてくにを治め、オラクは勇士としてくにを守っていた。ママイとオラクはその善政と勇敢さで人々に尊敬されていた。ムサには他に、カラ=バトゥル、ティレケ、アルシュ、イスマユル、トバヤクという息子がいたが、彼らはママイとオラクを妬んでいた。彼らは、オラクの金剛の剣を隠して、夜にオラクの家の扉に仕掛けて、「敵が襲ってきた」とオラクを起こした。飛び起きたオラクは、仕掛けられた金剛の剣にぶつかって、死んでしまった。

 英雄叙事詩「オラク」には多くの敵勇士やライバルが登場し、数々の戦いを繰り広げる。その中に、イスマイルなどの著名な勇士たちと並んで、「オラクの詩」にも登場するカラ=バトゥルという名の勇士が見られる。カラ=バトゥルは、文献史料からはその存在が確認できず、実在した人物か否かは明らかではない。しかしながら、同名の勇士が登場することや彼らが対立・対抗する関係にある点で、両作品は共通している。

 次に、「オラクの詩」のエピローグである「オラクの剣にたいする賛歌」について見てみよう。本稿の第1章で述べたように、この作品は、オラクとカラ=バトゥルによる掛け合いが中心であるが、作品の最後にはオラクの剣を称える歌が謡われている。二人の勇士の争いのエピローグに、オラクの剣のみがことさら称え謡われているというのは、唐突かつ不自然な印象さえ与える。このことは何を意味するのであろうか。

 「勇士オラク」の諸ヴァリアントに共通するモチーフとして、奸計によるオラクの憤死があるが、その際強靭すぎる彼の命を奪うことになったのは、まさに彼自身の剣であった。オラクの剣がとくにすぐれた得物であったことは、叙事詩の中でも表されているが、他の叙事詩の勇士の武器に関する叙述と比べても、その剣の描写は特筆すべきものがある。一般に勇士の武器や愛馬は秀でており、勇士の勇敢さと並んで称えられるのだが、オラクの剣は他の勇士たちも欲しがるほどの名刀であった。こうしたことからオラクと剣の関係は不可分なもので、「ノガイ大系」ではオラクの剣はよく知られた存在だったのである。

 そのような剣の存在を考慮すると、剣の賛歌で締めくくられる「オラクの詩」はまさに「ノガイ大系」のオラクその人にほかならないと考えられるのである。作品における比重がいびつな印象を与える「剣の賛歌」も、持ち主自身を殺害することになる希代の刀を謡った詩であるならば、オラクの運命を知る聞き手にとって格別な感銘を与えるために、むしろ不可欠な存在であったであろう。

 このように、「オラクの詩」が英雄叙事詩「オラク」と深い関係があることが登場人物やモチーフから明らかになったが、次に表現形式の観点から見てみよう。

 まず、基本的に脚韻を踏み、一行7-8音節からなるという点は、「ノガイ大系」ではない他のカザフの叙事詩にも見られるため、これをもって「オラクの詩」と「ノガイ大系」との類似性をことさら強調することは適当ではない。しかしながら、「オラクの詩」が形式的に、カザフをはじめとする様々な地域・民族の「ノガイ大系」の多くの作品の形式と共通している点は見落とせない。

 次に言語上の問題についてであるが、「オラクの詩」は既述のように、現代カザフ語の知識でほとんど理解することができる。また、「ノガイ大系」の作品はふつうそれが伝えられる地域の言語で表現されているため、たとえば基本的にはカザン=タタールではカザン=タタール語で、カザフではカザフ語で謡われる。しかしながら、カザフに伝わる「ノガイ大系」の作品には、現代カザフ語では理解しがたい語彙的・文法的な特徴がある。これらはノガイ語の特徴を反映しており、ノガイの人々がカザフに同化する際にもたらされ、彼らの子孫によって伝えられたものであることが指摘されている。もともとカザフ語とノガイ語とはたいへんよく似ており、互いの意志疎通は困難ではないといわれるが、カザフで語られる「ノガイ大系」にはノガイ語固有の語彙や表現も見られるのである。そしてこうした特徴は、「オラクの詩」にも見いだすことができる。たとえば、この作品にはigeという語が頻繁に表れる。これは、ノガイ語で「良い」を意味する言葉で、カザフ語では用いられない単語である。しかも、この語は行の末尾に繰り返し表れ、一定のリズムを作り出す効果を出している。このように、言語的にもノガイ的な特徴が見られ、しかも表現上重要な役割を果たしているのである。

 以上のことから、「オラクの詩」は、内容的に「ノガイ大系」の英雄叙事詩「オラク」に基づき、言語的にはノガイ的な特徴が映されているものと考えられる。そして、このことは「オラクの詩」あるいはその元となった作品がノガイからカザフに伝わったことを意味するといえよう。

 では、ノガイの叙事詩はどのようにして、カザフに伝えられたのであろうか。かつて筆者は、「ノガイ大系」がカザフに伝播した過程についてと考察した。すなわち、16世紀後半以降、ノガイ=オルダは分列・弱体化し、その一部はカザフの小ジュズに漸次的に同化していき、その際、ノガイの歴史を謠った「ノガイ大系」をはじめ、多くの口承文芸作品も伝えられた。その中に、英雄叙事詩「オラク」も含まれていたと考えられるのである。もちろん、その背景として、ノガイとカザフ(とくにカザフ草原西部に広がる小ジュズ)には歴史・言語・文化的に共通する多くの点があるということを見逃してはならないだろう。現在までカザフに伝わる英雄叙事詩には、カザフの歴代の支配者に関する作品がほとんどないのに対して、ノガイ=オルダの支配者を謠った作品は数多く伝えられている。なぜ、カザフにノガイの支配者を謠った作品がこれほど多く伝えられているか明らかではないが、カザフがノガイの強い影響を受けたことは確かなことなのである。


4 カザフ口承文芸における「オラクの詩」

 「オラクの詩」と英雄叙事詩「オラク」との間に多くの共通点があることが明らかになったが、双方の作品はジャンル的には大きな相違がある。それは英雄叙事詩「オラク」が英雄叙事詩のジャンルであることに対し、「オラクの詩」はアイトゥスといわれる形式を取っていることである。アイトゥスとは日本ではほんとど知られていないジャンルであるが、いわゆる「詩の掛け合い」で、互いの詩の能力を競うことである。英雄叙事詩もアイトゥスもカザフ口承文芸の主要ジャンルであり、いずれもカザフの人々に多大な人気を博しているが、語られる場や規模などにおいて大きく異なる。英雄叙事詩は、多くの場合ジュラウやジュルシュなどと呼ばれる専門の語り手が、主として夜に天幕の中で語り、その規模は一般的に大きい。また、韻文が中心だが、散文が交じることも多い。それにたいしてアイトゥスは、二人の語り手が、祭りや宴の席などで、その場に応じた詩や相手への返歌を即興で謡う。基本的にすべて韻文で、語り手のオリジナルの旋律に乗せて謠われる。もっともオラクとカラ=バトゥルが実際に一般的なアイトゥスの方法で掛け合ったとは考えにくく、伝説的に語り継がれたアイトゥスの作品とみなすべきであろう。

 アイトゥスは、かつては人々の娯楽や詩人(アクン)のデビューの場であると同時に、最新情報や教訓、智恵などを伝える貴重な場でもあったのだが、現在ではホールや公開堂などで「芸術」として催されるようになっている。アイトゥスには部族のアイトゥス、娘と青年のアイトゥス、謎かけのアイトゥス著名なアクンたちのアイトゥスなど様々な種類がある。アイトゥスはふつう、男女の恋愛や自分の部族の優越さ、日常生活に関する話題などをテーマにしており、「オラクの詩」のような、勇士同士のアイトゥスはあまり多くは見られない。さらに、英雄叙事詩を翻案し、その登場人物がかけあうという例はアイトゥスの作品の中では一般的ではなく、「オラクの詩」はカザフの口承文芸の中でも特異な存在であるといえよう。

 テュルク系口承文芸では、英雄叙事詩が昔話になったり、あるいは歴史詩になったりと、ある作品が別のジャンルに形を変えて語り伝えられる例がしばしば見られる。「オラクの詩」もそのような例のひとつであると考えられる。英雄叙事詩には、『エル=タルグン』の主人公、勇士タルグンと老兵カルト=コジャクとの掛け合いや『アルパミシュ』のアルパミシュとカラジャンとの争いのように、勇士同士の言葉(詩)の応酬の場面がしばしば見られる。ふつう、その場面だけが語られることは少ないが、「オラクの詩」はおそらく、英雄叙事詩「オラク」の中で語られていた掛け合いの一部が取り上げられて、独立したアイトゥスの作品として成立したものと考えられ、英雄叙事詩がアイトゥスの形になったもっとも適当な例のひとつといえよう。


5 カザフ現代文学に謠われる「オラクの詩」

 さて、英雄叙事詩からアイトゥスに姿を変えた「オラクの詩」であるが、この作品は新たな息吹を得て、現代文学にも表れる。これまでにも触れたように、カザフの著名な詩人オルジャス=スレイメノフ (1936- )の作品「アイトゥス」は「オラクの詩」に霊感を得て書かれた作品である。スレイメノフは、現代カザフスタンを代表する詩人・作家のひとりであると同時に、カザフスタン共産党中央委員を務めたり、反核団体「ネバダ・セミパラチンスク」を主宰し、カザフスタンのセミパラチンスク核実験場の閉鎖に尽力したりするなど文化的・社会的な影響力の大きい人物である。

 スレイメノフが自らの作品に「アイトゥス」という題名を付したことは、「オラクの詩」がアイトゥスの特徴を強く持っているためにほかならないが、この作品もまた「オラクの詩」と同様に、カラ=バトゥルとオラク=バトゥルとの詩の掛け合いからなっている。その内容は、剣の賛歌が欠如し、単純化されているものの、「オラクの詩」をほぼ踏襲し、オラクがカラ=バトゥルをその詩によって打ち破る様が謠われる。形式的には、韻文で書かれ、その規模は70行足らずと、「オラクの詩」の半分ほどである。

 このように「オラクの詩」を翻案しているものの、この作品ならではの特徴もあり、またそこからは現代カザフ文学の特徴をかいま見ることができる。それはまず、この作品がカザフ語ではなくロシア語で書かれていることである。現在では、カザフスタンの都市部、とくにかつての首都であったアルマトゥでは、カザフ語よりもロシア語の方が堪能であるカザフ人が多いが、スレイメノフもその例に漏れず、カザフ語の運用が十分にできない。そのため、カザフ語ではなくロシア語で作品を創るため、かつてカザフ語で伝えられてきた口承文芸の「オラクの詩」をロシア語という新たな形で著わすこととなったのである。このことは、本来カザフ語で表現されていたカザフの言語芸術が大きく変容したことを意味するが、同時にロシア語で著わされたことによって、カザフ語を知らぬロシア語利用者にもカザフの口承文芸の一端を知る機会を与えることとなったのである。

 「アイトゥス」の次の特徴は、スレイメノフによる解説ともいえる部分が、序言と結語にあることである。この作品のプロローグには、「(この作品は)兵士たちが自分達の頭目に、言い合いで勝った者を戴くこととした(時のことを背景としている)。民間には勇士たちのアイトゥスがいくつか伝えられているが、その中でもっともよく知られているのは、カラ=バトゥルとオラク=バトゥルとのものである。」とあり、かつてはこのような方法で軍の頭目を決めていたことが説明されている。また、オラクの出自をワリハノフの見解に従って、カザフ、中ジュズのカラウル出身であると解釈している。そして、エピローグには「この争いで、オラクが勝利をおさめた」と、この争いの勝敗を明示している。このような解説は、オリジナルの「オラクの詩」にはなく、かつては聞き手には常識的なことであったと思われるが、現在ではこうした説明がなければ、その背景を理解しがたい状況にあるのであろう。

 さらに、「オラクの詩」が本来口誦で語られていたのに対して、「アイトゥス」は文字によって表されているといった表現方法の相違も際立った特徴といえよう。

 このように、かつての「あり方」とは異なるものの、「オラクの詩」は現代のカザフ詩人によって「再生」された。かつてキプチャク草原に名を馳せた勇士は、英雄叙事詩に謡われたあとアイトゥスとなり、さらに現代カザフ詩へと、様々に姿を変えて語られてきたのである。


おわりに

 本論では、「オラクの詩」が英雄叙事詩「オラク」に基づいて生まれたことが、内容やモチーフ、言語的な側面などから明らかになった。このことから「オラクの詩」の主人公は、ノガイ大系にも謠われる、ノガイの有力者オラクと同一人物であると考えるのが自然であろう。そのため、「オラクの詩」のオラクを英雄叙事詩「オラク」の主人公と同一人物とみなし、カザフ、中ジュズ出身の勇士とする、ワリハノフの説明は矛盾をはらんでいると言わざるを得ないが、彼が「オラクの詩」のオラクをカザフ人と見なしていたことは、カザフにおいてノガイ大系の作品が「カザフの作品」として語り伝えられ、ノガイの勇士が彼らの先祖に同化していることの表れであると理解すべきであろう。

 また、「オラクの詩」が英雄叙事詩「オラク」を基にしており、それがアイトゥスの一作品として語られていたことから、英雄叙事詩がアイトゥスという新しい形に変わり、伝えられていたことが認められた。テュルク口承文芸の作品は別のジャンルの作品に変換しうることが、再確認されたのである。そしてこれは同時に、「ノガイ大系」が、カザフ口承文芸の英雄叙事詩以外のジャンルにも影響を与えたことも意味する。

 さらに、スレイメノフの作品の例が示すように、現代カザフ文学にもノガイ大系の影響が及んでいることが分かった。「カザフ文学(すなわちカザフ口承文芸)の伝統」は、ジャンルによっては、ノガイなど周辺地域からの大きな影響の上に成り立ってきたのである。 このように、何をもって「カザフ文学の伝統」というのか、また「カザフ文学の伝統」なるものがいつから存在したのかを明言することは容易ではないが、その答えは、「カザフの民族形成」がいつ、どのようになされたかというより大きな問題の答えに帰着するであろう。そして、カザフの人々がノガイの統治者をカザフ人とみなすに至った過程について検討することは、その答えを導く上で、また彼らの「民族形成」や「民族意識」について考える上で、きわめて有益であろう。

 一般に、中央ユーラシア=テュルク系の口承文芸を考える際に、現在の中央アジア5カ国の領域による「中央アジア」という地域概念やそれらの国々の国境線、あるいはロシア連邦内の「少数民族」としての存在などといった視点に基づいて議論されがちである。これらはもちろん、現代文化のありかたや「民族文化」と現代政治との関係を考える上では、不可欠で重要な設定である。しかし、本稿で扱った「ノガイ大系」のように、現在の国境線や地域区分とは無縁の広がりをもつ文化圏が存在し、それが現存する「民族」の形成や構成において大きな役割を果たしたことは事実である。今後は、このような文化圏の存在を十分に考慮しなければ、テュルク口承文芸の研究はもとより、中央ユーラシアの諸民族に関する研究は成り立たないであろう。


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