カザフの英雄叙事詩

 


(1)カザフについて

 カザフ人は、中央アジア、カザフスタン共和国を中心に中国新疆ウイグル自治区、モンゴル国、ウズベキスタン共和国、ロシア連邦などに住む。人口はカザフスタンにおよそ803万人(1997年)、中国新疆ウイグル自治区におよそ125万人(1996年)である。

 カザフ語はテュルク系の言語で、カラカルパク語やノガイ語、タタール語などとともにキプチャク語群に属する。カザフ語の表記には、かつてはアラビア文字やラテン文字が使われていたが、現在はカザフスタンとモンゴル国で改良されたキリル文字が、中国でアラビア文字が使われている。

 カザフ人は、古来遊牧を生業としていた。羊、馬を中心にラクダや山羊、牛などを放牧しながら、夏営地と冬営地を移動する生活を送ってきたのである。彼らはキーズ=ウイといわれる天幕で暮らしていた。キーズ=ウイは、木製の骨組みとフェルト製の蔽いからなる組立て式の住居で、容易に組立て・分解ができ、また移動に簡便であった。彼らは肉や乳製品を食した。食肉は羊が中心で、馬や山羊なども利用された。乳製品はその製法や種類が多岐にわたり、主食をなしている。クムズというアルコール度の低い馬乳酒も飮まれる。またナンといわれるパンの一種やパラウといった米料理なども好まれる。

 カザフは大・中・小、3つの「ジュズ」といわれる部族連合から構成され、それぞれのジュズには数多くの下位集団が存在する。カザフ人が「民族」としていつ形成されたかについては諸説あるが、18世紀にカルマク(モンゴル系オイラトの遊牧国家ジュンガル)が行った中央アジアへの攻撃によってカザフ人意識の形成や強化がなされたと考えられる。実際、カザフをはじめとする中央アジア=テュルク系民族の英雄叙事詩は、このときのカルマクとの戦いを謡ったものがほとんどである。とくにカザフは深刻な被害を被り、この時の災禍を「アクタバン=シュブルンドゥ」呼んで、口頭で代々その悲惨さを語り継いできたのだった。



(2)口承文芸について

 カザフ口承文芸の分類の仕方は研究者によって様々であり、決定的な分類法は、現在のところ確定されていないが、カザフの研究者ガブドゥッリンによればカザフの口承文芸には概ね次のようなジャンルがある。

 オレン、ジュル(詩)(家畜に関する詩歌、狩人についての詩歌、ナウルズ=ジュル(春祭りの歌)、ベシク=ジュル(子守歌)、トイ=バスタル(祝宴の歌)、ジャル=ジャル(婚姻の歌)、スングス 、ベタシャル、コシュタス(別れの歌)、ジョクタウ(挽歌)など)、マカル・マテル (諺・慣用句)、ジュムバク(謎なぞ)、エルテギ(昔話)、英雄叙事詩、恋愛叙事詩、アイトゥス 。

 またこの他にも、アプサナ・アングズ(伝説)、シェジレ(系譜)、バタ、アジル(諧謔)、ジャラマザン(ラマダンにまつわる詩)などといったジャンルが挙げられる。

 カザフ口承文芸における中心的なジャンルは叙事詩(ジュル)であるが、それに並んでアイトゥスが主要ジャンルとして重要な位置を占めている。

 アイトゥスとはアクン(詩の歌い手)たちが歌を競い合う行事のことで、カザフの様々な祝事において、相撲や競馬などと同様に欠かすことができない。アイトゥスは「語る」を意味する「アイトゥ」から派生した言葉である。アイトゥスは本来二人の歌い手によって行われるが、二つのグループによって競われることもある。歌われる歌詞は即興で、もっとも優れた歌い手が勝利者となる。その内容は日常生活に関するものが一般的だが、部族の偉人や客人などを称賛する場合もある。青年や娘など男女間や著名なアクン同士の古いアイトゥスが現在も伝えられている。アイトゥスの歌詞は即興によるが、曲は各々特有なもので、ドンブラやコブズといった弦楽器の伴奏で歌われる。またアイトゥスはアクンとしてのデビューの場でもあり、いくつかのアイトゥスでの勝利や先輩のアクンとの対戦によって、本格的なアクンとして認知されるのである。

 カザフ口承文芸の特徴として、人々の生活に密接した歌のジャンルが豊富であることが挙げられる。とくに人生の節目である誕生・結婚・葬祭に関する儀礼的なジャンルが豊かである。ここで、それらの特徴について見てみたい。

 乳幼児に関する歌には、ベシク=ジュルとトゥサウケセル=ジュルがある。ベシク=ジュルとは乳児をあやしたり、健やかな成長を祈るための歌で「子守歌」にあたる言葉である。ベシク=ジュルでは頻繁に「アルディ、アルディ」というフレーズが繰り返される。これは「寝ん寝んころりよ」といった意味で子供を眠らせるための言葉である。トゥサウケセル=ジュルは、一般に子供が一歳になったときに行われる、祝宴の席で歌われる。子供が歩き始めたことを祝って、人生に幸が多く、健康に育つようにと願って歌われる。

 婚礼にまつわる歌には多くの種類がある。

 トイ=バスタルは、トイ(祝宴)や花嫁を称賛し、トイを行う人々の希望が叶うように願って、トイを始めるにあたって歌われる。ジャル=ジャルは、故郷や両親、親戚と別れる花嫁の悲しみを慰めるために歌われる。スングスは、婚礼のトイ(祝宴)が終わり、花嫁を花婿に渡すときに歌われる歌で、歌われた後、花嫁は故郷の人々と別れを告げる。そして、ベタシャルは、花嫁が新郎の家族にベールを開けて披露するときに歌われる歌である。

 また、葬礼に際しては、ジョクタウが歌われる。ジョクタウとは、両親など愛する人や尊敬する人が亡くなったときに、心の悲しみを表現するための歌で、古くから存在するジャンルといわれている。

 以上の諸ジャンルは、カザフのみならず、カラカルパクにも見られ、双方の口承文芸における共通性を示している。

 このような、一般の人々に歌われ、生活に根付いたジュルや民衆から輩出されたアクンによるアイトゥスとは別に、叙事詩はジュラウやジュルシュといわれる専門の語り手によって語り継がれてきた。次に、そうした叙事詩について見てみよう。



(3)英雄叙事詩について

 カザフには数多くの叙事詩が伝えられている。主な作品を挙げると、「アルパミシュ」「コブランドゥ」「カンバル=バトゥル」「エディゲ」「エル=タルグン」「エル=コクシェ」などがある。これらはみな口承で語り伝えられたもので、採録は19世紀中頃になって行われた。また、これらの作品の多くはカラカルパクやクルグズ、ウズベク、クリミア=タタール、ヴォルガ=タタールなど周辺民族にも伝えられており、「共有する文化遺産」となっている。なお、バトゥルやエルはいずれも「勇士・戦士」を表す言葉である。

 カザフの英雄叙事詩には、勇士の武勇を中心に故郷や妻、家族にたいする愛情や同胞への忠誠心が遊牧生活の伝統・習俗を織りまぜながら描かれている。英雄叙事詩の最大のテーマは、「人々の団結と侵略にたいする戦い」である。人々の団結が壊れると、外からの侵略にたいする防禦ができず、平安が崩れるということを叙事詩は謡うのである。「故国の防衛」を実践する英雄は、不安定な情勢下の人々にとって理想像であった。このようなテーマは中央ユーラシア=テュルク系叙事詩に共通したテーマであり、作品のもっとも重要なメッセージのひとつとなっている。

 次に歴史との関わりについて見てみよう。多くのカザフの叙事詩において、主人公の勇士が戦うのは妖怪や化け物ではなく、「異教徒」「異民族」である。そして、中央ユーラシアの叙事詩には、歴史上重要な出来事が謠われていた。敵は主に、クズルバス、ロシア、カルマクの3つである。

 クズルバスとは、サファビー教団を支えた騎馬軍団を指す。16世紀のサファビー朝創設に、彼らは軍事面で大きな役割を果たした。彼らはシーア派で、中央アジアの大部分を占めるスンナ派と激しく対立した。なおクズルバスとは「赤い頭」の意味で、彼らがシンボルである赤い帽子を被っていたことに由来する。クズルバスとの戦いを描いた叙事詩に、「カラサイとカズ」「アディル=スルタン」などがある。

 ロシアは、ルスやオロス、モスコフ、カザク(コサック)という表現で登場する。ロシアとの戦いを謡った作品には、「ショラ=バトゥル」や「ケネサル」などがある。16世紀中葉のカザン陥落を描いていた「ショラ=バトゥル」はカザフのみならず、テュルク系諸民族に伝わる作品として非常に有名である。「ショラ=バトゥル」を除けば、ロシアとの戦いを描いた作品は19世紀以降を背景とした作品である。これはカザフにたいするロシアの実質的な支配が進んだのが19世紀以降であることと深く関係しているだろう。

 カザフの叙事詩において、主人公が戦う敵のほとんどがカルマクといわれる人々である。カルマクは、17・18世紀に中央アジアを何度も激しく侵攻した。このため、カザフの人々は「アクタバンシュブルンドゥ」といわれる大逃避を余儀なくされた。このような過程で、カルマクの戦いを主題とする叙事詩がいくつも謡い伝えられるとともに、「カザフ人意識」が強化されていったのである。

 これらの外からの敵はいずれも「異教徒」であることは注目に値する点である。ロシアはキリスト教徒(ロシア正教徒)、カルマクはチベット仏教徒であり、クズルバスはムスリムであるものの宗派の異なるシーア派であった。このような「異教徒」と戦い、これらを征するという叙事詩のテーマは、ムスリム(スンナ派)としての意識の強化にも寄与する役割を担ったと考えられる。

 以上の点については、カザフのみならずカラカルパクなど周辺のテュルク系民族にもあてはまることを強調しておきたい。

 カザフの叙事詩の採録についても簡単に触れておきたい。カザフの叙事詩の採録は19世紀後半に始まった。1859年、カザフの語り手マラバイから「エル=タルグン」が採集され、1862年にカザンで出版された。これがもっとも古いカザフの叙事詩の採録・出版とされている。1878年にはベレジンが「カンバル」を採集し、80年代に出版している。また1901年には「コブランドゥ」や「エル=サユン」が刊行されている。

 カザフの叙事詩の採集において、多大な功績を残した人物はショカン(チョカン)=ワリハノフ(1835-65)である。彼は、アブライ=ハンの子孫でカザフの著名な知識人であった。彼は1850年代にカザフ草原、セミレチエ、東トルキスタンを訪ね、多くの口承文芸作品を採集した。クルグズの代表的叙事詩「マナス」を最初に採集したことでも知られている。また、「エディゲ」をはじめとする叙事詩の翻訳・紹介も行った。

 カザフの叙事詩は、ソビエト時代にも何度か公刊され、さらに広く人々に知られるようになったが、独立以後数多くの作品が出版されるようになった。

 なお、カザフ叙事詩の登場人物やモチーフ、表現形式は、カラカルパクとほとんど重複するため、これらについてはカラカルパクの稿に譲り、ここでは割愛したい。



アンを歌う娘