カザフをはじめとする中央アジアの遊牧民族は,口承文芸を発達させてきた。中でも特に高い人気を博していたのは,叙事詩のジャンルである。中央アジアのテュルク系諸民族は,民族によってダスタン,ジュル,キッサなど名称は異なっても,口承文芸の主要なジャンルとして長年,人々の間に語り継がれてきた(以下,本稿では,ダスタンやジュル,キッサなどをまとめて叙事詩と表現することにする)。叙事詩は韻を踏んだ芸術性に富んだ文学作品であるが,歴史・習俗・信仰が反映された精神文化の結晶であったため,社会や文化の研究資料としても大いに有益なのである。
叙事詩にはモンゴル系民族を意味するカルマクやロシアなど周辺地域の異民族との戦いが大きなテーマとして描かれており,アメリカの研究者パクソイ(H.B.Paksoy)がいうように,叙事詩は「アイデンティティや歴史の記憶,歴史の記録に不可欠(1)」であったのである。それゆえ,その内容から様々な歴史上の出来事を読み取ることが可能であるといわれる。
たとえば,英雄叙事詩『チョラ=バトゥル』からは1552年のモスクワ公国によるカザン征服に先立つ,ヴォルガ=タタールやクリム=タタールの社会状況ついて読み取ることができるといわれる(2)。
また,キルギス(クルグズ)の英雄叙事詩『マナス』には,キルギスと突厥や回鶻との戦い,キルギスの「契丹遠征」,あるいはキルギスとジュンガルとの戦いが描かれているといった時代的に幅のある様々な説がある(3)。
これらの説の真偽についてここでは触れないが,叙事詩に描かれた歴史について論ずる際には,歴史的な事実との具体的な対照が必要不可欠なのは言うまでもないにもかかわらず,実証的な研究はいまだ乏しい。
筆者はこれまで,叙事詩に描かれた歴史的事件についての論考を行い,叙事詩が荒唐無稽な作り話ではなく,歴史的事実を反映していることを明らかにしてきた(4)。しかし,これらは「歴史叙事詩」といわれるジャンルを題材にしたものであった(5)。一般に「英雄叙事詩」といわれるジャンルの作品が歴史をどれほど反映しているのか,歴史背景はどれほど読み取ることができるのか,という問題については,先行研究においても具体的な成果は得られていない。
そこで本稿では,カザフの代表的な英雄叙事詩『エル=タルグン(勇士タルグン)』を事例として,この問題に関する考察を試みたい。こうした試みは,叙事詩と歴史との関係のみならず,「歴史叙事詩」と「英雄叙事詩」との関係を考えるうえでも必要だと考える。なお,今回『エル=タルグン』を題材として取り上げる理由として,第一にカザフの代表的英雄叙事詩であること,第二にこの作品に描かれている時代については諸説あり,いまだ定説がないことを挙げておく。
口承による叙事詩が書き取られたのは,19世紀後半以降のことである。ラドロフ(Radlov)やワリハノフ(Valixanov),ポターニン(Potanin),ディバイ(Divay)などのロシアや中央アジアの研究者によって多くの叙事詩が採集・出版され,数々の論文も発表された。
中央アジアのテュルク系諸民族の叙事詩研究はロシア・ソ連の研究者によるものがほとんどであったが,「民族意識」を鼓舞し,「民族の団結」を呼びかける叙事詩は反ロシア的な傾向を帯びることもあったため,しばしば弾圧された。
叙事詩研究は,単にフォークロアあるいは文学作品として,ジャンルや異文の分類,登場人物の心理解釈などに重きが置かれていた。のみならず,当局によってテクストの改竄や削除が行われたり,採集された作品の閲覧が禁じられたりすることもあったのである。
しかし,ソ連崩壊とそれを受けた独立国家の誕生によって,これまで日の目を見ることのなかった作品や新たな異文が公開され,研究の環境は徐々に整いつつある。中央アジアの叙事詩研究がこれまでほとんど行われていなかった日本でも,今後は本格的な研究が可能になるであろう。
1 英雄叙事詩『エル=タルグン』の研究史
英雄叙事詩『エル=タルグン』は,『アルパムス(Alpamys)』や『コブランドゥ (Koblandy)』などと同様にカザフの代表的な叙事詩のひとつである。『エル=タルグン』は,作曲家ブルシロフスキーによってオペラ化され,1937年から上演されたり,「カザフ文学」の教科書で取り上げられるなど,現在においてもカザフ人の間で馴染みの深い作品となっている。また1940年に叙事詩選集『草原の詩』にロシア語訳が発表されて以来,ロシア語を介して,ソ連の人々にも広く知られるようになった。
口承でカザフ人の間に広く伝えられていた叙事詩『エル=タルグン』が初めて文字に表わされたのは,19世紀中頃のことであった。1859年,ロシアの東洋学者イリミンスキーによって,カザフのタブン族(6)出身のジュルシュ(叙事詩の語り手),マラバイから採集され,1862年,カザン大学で出版されたテクストが,最初に刊行されたものである。『エル=タルグン』はその後十数回出版されているが,そのほとんどがマラバイの叙述と酷似しており,おそらく全てこの叙述に基づいているものと思われる(7) 。
また東洋学者ラドロフが1870年に発表した『エル=タルグン』もよく知られているが,これはイリミンスキーの採集したマラバイの叙述をセミパラチンスクのカザフ人の叙述と比較して,改訂したものである(8)。このように,現在公刊されている『エル=タルグン』のほとんどはマラバイの叙述によるものといえよう。
このほかの版として,1904年にサルキンが発表したキスコフの叙述が挙げられるが,これは表現上の違いはあるものの,あらすじや固有名詞においてはマラバイの叙述とほとんど相違がない(9)。
なお,従来の研究では,ラドロフはイリミンスキーの採集した版とラドロフ自身がクリミアで採集した版(上述したラドロフが1870年に発表した版とは全く別のもの)の二つの『エル=タルグン』の異文を発表したとされてきた。しかし,この「クリミア版」は,内容・固有名詞がカザフの『エル=タルグン』とまったく異なっており,カザフの叙事詩研究者ガブドゥッリンとスドゥコフは,「そこの(ラドロフの「クリミア版」)には,タルグンの名が見られるが,(この版は)カザフの『エル=タルグン』とは類似していない。理由は不明だが,『カザフ文学史(アルマトゥ,1960年)』にはこの話が『エル=タルグン』の異文の一つとして記載されているが,これは誤った見解であると考えられる(10)」と記して,「クリミア版」を『エル=タルグン』の異文の一つと見なすことを否定している。
また「クリミア版」の原文では,主人公の名前が「エル=タルグル」となっており,その理由は,ラドロフが「タルグン」を「タルグル」と綴り誤ったのか,あるいは研究者たちが「タルグル」と「タルグン」と同一視したのかは明らかでないが,ラドロフの「クリミア版」を『エル=タルグン』の異文と考えるには無理がある。そのため本稿ではこの版については考慮せず,彼が1870年に発表した版を「ラドロフ版」として扱うこととする。
では,叙事詩『エル=タルグン』に描かれている歴史背景について,先行研究ではどのような見解が得られているかを見ていこう。
カザフの叙事詩研究者マルグランは叙事詩を次の5つに分類している。
(1)古代期
(2)オグズ・キプチャク期(6-7世紀)
(3)ジュチ=ウルス時代(13-14世紀)
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?▲献絅繊瓮Ε襯垢諒?壊について描いた叙事詩
(4)ジュンガル侵攻時代(17-18世紀)
(5)ロシア皇帝およびハンの圧政と戦った時代(19世紀)
マルグランは『エル=タルグン』を『コブランドゥ=バトゥル』とともにジュチ=ウルス時代の内部矛盾を描いた叙事詩に分類している(11)。しかし,彼が『エル=タルグン』の背景をジュチ=ウルス時代とする具体的な根拠は明らかではない。
また同じくカザフの叙事詩研究者であるガブドゥッリンとスドゥコフは「カザフの英雄叙事詩研究者の資料によると,この叙事詩(『エル=タルグン』)は15世紀のノガイ諸国の歴史に関して叙述されている」と論ずる(12)。
その根拠として,「なぜならば,カザフの他の叙事詩と同様にタルグンもカルマクの攻撃からノガイの諸部族を守り,その勇士としての姿が注目されるからである(13)」と述べる。
しかし,後述するように,カルマクがノガイを攻撃したのは17世紀に入ってからであり,カルマクの攻撃を理由に『エル=タルグン』の時代背景を15世紀に求めるのは根拠が希薄である。また,彼が述べる「カザフの英雄叙事詩研究者の資料」についても具体的に挙げられておらず,説得力に欠ける。
著名な叙事詩研究者ウスマイロフは叙事詩に描かれる時代を次のように4つに分類している(14)。
(1)14世紀までのカングリ=キプチャク時代を描いた叙事詩
代表例:『エル=トスティク』,『コルグリ』,『アルパムス』
(2)14-16世紀のノガイ時代の出来事を描いた叙事詩
代表例:『エディゲ』,『コブランドゥ』,『ショラ』
(3)17-18世紀のカザフとカルマクとの戦いを描いた叙事詩
代表例:『カバンバイ』,『ブゲンバイ』
(4)19世紀の民族解放闘争を描いた叙事詩
代表例:『イサタイとマハンベト』,『ベケト=バトゥル』
ウスマイロフは『エル=タルグン』をこのうち,第二グループに分類している。しかし彼もまた,『エル=タルグン』が14-16世紀の出来事を描いているとする,具体的な理由を明らかにしてはいない。
カザフ=ソビエト百科事典には,叙事詩『エル=タルグン』の出来事は「ノガイ時代に関係が深いが,叙事詩の登場人物や内容によれば,(ノガイ時代よりも)時代的に後に発生した。ノガイ=オルダが15世紀に存在していたことはよく知られているが,エル=タルグンの敵はカルマク人であり,カルマク人の攻撃は17世紀であったから,叙事詩『エル=タルグン』は17-18世紀につくられたに違いない(15)」と記されている。
上に挙げた先行研究の見解は,その根拠や具体的な説明に欠け,説得力に乏しい。これまで,『エル=タルグン』に現れる登場人物の心情や描写に関する研究が豊富でかつ詳細であったことを考えると,叙事詩の歴史背景に関する研究が十分でないことに不均衡の感は否めない。その理由としては,上述したように,これまで叙事詩は文学研究の対象とされることが主であり,叙事詩の歴史的背景に関する論考はほとんどなされてこなかったことが考えられる。先行研究では様々な説が挙げられているが,叙事詩『エル=タルグン』に描かれている歴史背景がいかなるものであるかを明らかにするためには,内容の具体的な検証が必要なのである。
2 『エル=タルグン』のあらすじ
はじめに,『エル=タルグン』のあらすじを紹介しておこう。先述のように,『エル=タルグン』はこれまで何度か出版されているが,本稿ではそれらのうち次のテクストを参考にして,あらすじをまとめた。???い魯泪薀丱い僚?述あるいはそれを元にしたもので,韻文を中心に散文が混淆した,およそ1800行の作品である。また?イ魯?スコフの叙述によるもので,やはり韻文と散文が混在している。なお人物・地名などの固有名詞は原文に忠実に飜字した。
??r Targhyn, Almaty,1967.
??r Targhyn, El qazynasy- eski soz, Almaty,1994.
??r Targhyn, Ertegiler 4, Almaty,1989.
??azaq hisalari 2(哈薩克叙事長詩選2),北京,1984
??adloff,W.Proben der Volksliteratur der turkischen Stamme Sudsibiren 3, St, Peterburg 1870.
その昔,タルグンというバトゥルが故郷で人を殺したため罪人となり,クルム国へ逃亡した。そこで何年も名もなき人となって過ごしていた。ある日クルム国のハンの一人であるアクシャハンが,ブラライ=ハンの10のオイマウト,オラライ=ハンの9のトルガウトと戦争を始めた。タルグンはこの戦いに加わり,名馬タルランとともに敵を負かしたため,クルム国の軍の長となった。
タルグンはアクジュニスという,アクシャハンの美しい娘と恋に落ちるが,ハンがそれを認めなかったため,アクジュニスを連れて逃亡する。激怒したハンの大軍が彼らを追うが追い付けない。ただ一人追い続ける老バトゥル・カルトコジャクだけが彼らに追いつき,タルグンとコジャクとの一騎討ちが始まった。結果はタルグンの敗北であった。コジャクはアクジュニスを連れて帰ろうとする。だが,彼女はコジャクの老齢を指摘し,彼の要求を断固として拒絶したため,コジャクは諦め,タルグンとアクジュニスを残して去っていった。
タルグンはアクジュニスとともに,エディル河(ヴォルガ河)に広がるオルマンベトの10のノガイに向かった。10のノガイには10人のハンがおり,その一人ハンザダの国にたどり着いた。この国はタルグンを暖かく迎え入れた。当時ハンザダの国はエディル河支流のシャガン川付近にいたカルマクと反目していた。ハンザダはクルムでのタルグンの活躍を知って,カルマク攻撃を依頼した。
タルグンはハンザダより賜わった3人の部下を従え,シャガン川に向い,カルマクを追いやった。ところがその後,シャガン川近くの樫の木に登って偵察していたタルグンは,木から落ちて大怪我をしてしまう。
タルグンは3人の部下に運ばれ,ハンザダの夏営地ブルグル山に戻った。ハンザダはタルグンをしばらく看病していたが,なかなか治癒しないのをみて,一週間分の食料を置いて,ブルグル山からシャガン川流域へ移動していった。タルグンは長い間,心身ともに苦しんだが,妻の献身的な看病により回復した。彼は自分の故郷に戻ろうとするが,妻の「見捨てて行ったハンに会わずにいることは恥である」との言葉に同意してハンザダのもとへ行くことにした。
攻撃を仕掛けてきたカルマクに困惑していたハンザダは,タルグンに再度カルマク攻撃を依頼するが,タルグンはこれに激怒。ハンが娘を与えるという条件で懇願すると,タルグンはようやくこれを受諾した。何日もの戦いの末,タルグンはカルマクの大軍を追い払った。
しかしハンは「おまえの7代前の先祖のうちで玉座に座ったものはいない故,娘はやれぬ」といった。再び怒ったタルグンは妻とともにクルムへ去っていった。ハンザダの民はタルグンの復讐を恐れたため,タルグンを呼び戻す。詩人スプラ=ジュラウはタルグンに「娘ではなく,民を大地を家畜を取って,その支配者になれ」と助言した。タルグンはこれに同意し,ジャナルスタンのウシュ=タルグン山で遊牧し,この国を繁栄させ,ハンとなり,年老いて亡くなった。
アクジュニスはアルダビーという息子を産んだ。彼はエル(勇士)であり,ビー(統治者の称号)でもある人物になった。アルダビーの二人の息子アジゲレイは20歳で亡くなったが,7歳のアイコジャは5つの町を治めるハンとなった。
註
(1)H.B.Paksoy,ALPAMYSH Central Asian Identity under Russian Rule, p.2.
(2)H.B.Paksoy,"Chora Batyr: A Tatar Admonition to Future Generation", p.233.
(3)Musaev, S. Epos "Manas", str.94-95.
(4)拙稿「英雄叙事詩が伝える「ケネサルの反乱」」『イスラム世界』44号,1994年,19-36頁を参照。
(5)叙事詩は,登場人物が歴史上実在した人物である「歴史叙事詩」と架空の人物の「英雄叙事詩」に分類されることがある。「歴史叙事詩」の代表的作品としては,『アブライ=ハン』,『ケネサル』,『イサタイとマハンベト』などが,「英雄叙事詩」の代表的作品としては,本稿で取り上げた『エル=タルグン』をはじめ,『アルパミシュ』や『コブランドゥ』,『チョラ=バトゥル』などが挙げられる。しかし,どちらのジャンルも「民族英雄」を主人公としていることから,広義の「英雄叙事詩」ということができるであろう。
(6)タブン族は,カザフの小ジュズを構成する部族集団ジェティルの下位集団である。カザフを構成する集団についての研究はまだ十分ではく,部族や氏族といった用語の妥当性についても議論の必要がある。
(7)ここに挙げたテクストは叙述者が明示されていない場合が多い。
(8)ラドロフは,イリミンスキーの採集した叙述は文章語の明らかな影響があるとして,この叙述がムッラーの文章あるいはその叙述によるものと述べている。
(9)この他, バシキールには『タルグンとコジャク』という『エル=タルグン』の異文と思われる作品があるようだが,筆者未見である。