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| 八郎潟干陸式記念(1964.9.15発行) 船越局特印押FDC | |
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八郎潟の干拓計画は安政年間の「八郎潟疎水(案)」に始まり,戦後の昭和23年には国営構想として動き出しましたが,財政等の事情により実現しませんでした。もともと八郎潟の湖岸地域は,潟から溢れる洪水のために稲作に被害がもたらされていたため,八郎潟湖を干拓して新農村地帯を作るという,当時としては夢のような計画が打ち出されました。当時の秋田県知事は小畑勇二郎でした。戦後,わが国における食糧危機が背景にありましたが,その後,紆余曲折を経ながら,当時,干拓先進国であったオランダのヤンセン教授とフォルカー技師による諸調査と技術援助により,総事業費543億円を投じ,干拓事業に着手(昭和33年)し,ついに昭和39年に干陸をみるに至りました。 |
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大潟村の誕生 |
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(文,原図:上神谷雄二) |
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