PV拒否を矯正させたのは日本のテレビ局?〜ヴァン・ヘイレンのPVの謎〜

 PV全盛期だった80年代にも批判的なアーティストは多かれ少なかれ存在しました。特にアメリカはラジオが主流の国。何千ものラジオ曲がひしめきあい、ラジオを通し情報が流れ、ラジオを通しコミュニケーションを図る、そんな国とも言えるのお国柄です。それが反映されてか、当初はイギリスよりもチープなビデオが多く、シングルカットしても敢えて作成しないアーティストが多かったような気がします。(個人的意見です・笑)

 MTVが「ラジオ・スターの悲劇」で開局をし、まるで映画の予告編を観ているかのようなPVがお茶の間に普通に入ってくるようになってからは、耳より視覚から音楽が侵入しそれがSALESという目に見えた形となって新人アーティストにも富と名声が簡単にもたらされる時代となった。ブリティッシュインベイジョンの嵐が吹き荒れ、チャートの半数をイギリス勢が占領し始めてからようやくPVのチカラに目覚め、逆襲に転じたアメリカ勢は徐々に自分達の庭を取り戻すことになりました。

 そんな中、それでもPVから一線を置こうとするアーティストがいたのは事実でした。”3人になったジャーニー”はアルバム『レイズド・オン・レイディオ』リリース時に、ビデオは作成しない方向で行くことを宣言。実際、1stシングル「トゥ・ユア・セルフ」、2ndシングル「スザンヌ」は共に宣言どおりビデオは作られませんでした。

 そして今回の主役、ヴァン・ヘイレンもそうでした。デイヴ・リー・ロス脱退後、新ヴォーカリストとしてサミー・ヘイガーを迎えた新生ヴァン・ヘイレン。全世界注目の中リリースされたアルバム『5150』からのシングル「ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラヴ」。前作『1984』が脅威のミリオンセラーとなり一躍TOPに踊り出た彼ら。その、これから絶頂期を迎えようとした矢先、突然のフロントマン、デイヴの脱退はファンを大いに心配させた時期であった。
 しかし、新ヴォーカリストとして迎えられたサミー・ヘイガーはロックファンなら誰もが納得の実力派ソロ・ロック・シンガー。デイヴの穴を埋めるには話題性十分であった、が、サミーとエディ、果たしてかみ合うのだろうか心配の種もあったのは事実だったでしょう。まだ合体が噂の段階時、突如この2組はチャリティライヴ、”ファーム・エイド”で誰もが驚く競演をあっさりと行い、噂はやはり真実なのだ、との予告編をいとも簡単にやってのけ関係者の度肝を抜いきました。当時の音楽紙には”サミー・ヘイレン!」と訳のわからない活字まで飛び出す有り様。(笑)

 そんな喧騒渦巻く中の全世界注目の1stシングル。誰もが2人が同じフレームの中でスウィングする映像を心待ちにしたに違いないその時、飛び込んできたのは「今後ビデオは作らない」報道でした。当時の管理人は高校生。ラジオよりPV世代のボンズ。この報道には超ガッカリしたものでした。「デイヴがメディアよりだから敢えて音で勝負すんのかよ」、と誰もが感じ取ったことでしょう。私もそのひとりでした。(苦笑)そしてシングルリリース。チャートを当たり前のように登っていきました。




 あぁ、ひとめでいいから新生ヴァン・ヘイレンを観てみたいなぁ・・・。ライヴなんていけないし(来ないだろうし)、ライヴビデオは発売されるだろうけど買う金なんてないし(当時は高かった!)、近所のレンタル屋は音楽ビデオあんまり置いてないし(アイドルものが多かった・苦笑)etc・・・。それでも観たいなぁ。シングルはメチャメチャカッチョよかった!!!やっぱり観たい!!!
 PVでいとも簡単に動くレコードが観れた時代です。そんな贅沢な欲求が日増しに高まるのは自然の流れだったのでしょう。そんな諦めかけた折、それはひょんなことから簡単に目にすることになったのです。そう、当時洋楽アーティストを生で紹介、中継してくれる番組が。”夜のヒットスタジオDX”がそれでした。

 この番組は”DX”と名を変えた時から2時間音楽番組としてそびえていたモンスター番組でした。その丁度中盤頃に10分ほどですが、衛生生中継で洋楽アーティストを紹介する、という、今では考えられないことを平気でやってのけていました。来日中のアーティストはスタジオに来てライヴを行う。衛星中継の場合は生インタビューがあり、そして生で唄う。それがお決まりのパターン。しかし、海外のアーティストの場合、得てして多かったのが”リップ・シング”、いわゆる”クチパク”です。レコードをそのまま流し、クチパクで一応唄ってるように見せましょう、ってな感じでした。アレレ・・・的なことも多かったですが、当時はそんなこと関係ありません。”生で観れる”だけでOKOK。とにかく夢のような番組だったわけです。その番組に、なんと、あのヴァン・ヘイレンが出演のニュース!観ないわけがありません。しかもヒット中の「ホワイ・・・」をやるかもしれない!くちぱくでもなんでもウェルカム!さぁ、どんとこい!ビデオSETバッチリOK!そんな高校生がTVの前で鬼のような形相でいまかいまかと待ちわびておりました。

 番組の折り返し22時頃にさしかかり、さぁ、登場だ!うわ〜!ふたりが同じフレームに収まってる!!!当たり前だがやっぱり合体は本当だったのだ〜!!!インタビュー内容なんてもう忘れました(笑)とにかく曲をきかせてくれ〜!ひととおりインタビューが終わり、さぁ、始まるぞ!リモコンは既に録画ボタンに触れている!いつでも来い!・・・司会の服部 まこ(だっとような気がしましたが、私の記憶違いでしょうか?)が、曲紹介した!

 ・・・と、その時にひとこと、「それでは私どものスタッフが昨日(先ほど、だったかな?)撮ったライヴ映像で世界ではじめて放送します。ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラヴ・・・」!?一語一句正確ではないにしろ、確かにそう言ったのをハッキリ覚えてます。
 ピンぼけライトのショットから始まったそのビデオは、さすがに不慣れな印象があり所々的を得てないカットがありながらもとにかく大筋文句なし!大興奮しまくりのアッという間の5分間でした。あぁ、録画しておいて良かった。もう二度と観れないもんなぁ・・・。

 「・・・え?!」数週間後、ソニーミュージックTVでピンぼけライトから始まってる見慣れたヴァン・ヘイレンのPVが・・・!?どうゆうこと?




 恐らくは、センセーショナルな合体でスタートを切った新生ヴァン・ヘイレン。前作からのNO.1ヒット「ジャンプ」同様、この1stシングルも当然NO.1の座が指定席と思われていたのだろうが、ピーク・ポジションは結局3位に甘んじた。これにはさすがにブレーン達は同様したであろうことは安易に想像がつくのではないだろうか。そんな折の日本のTV番組のオファー。撮ってもらったPVを観て、「お、結構いけるじゃない!会場の雰囲気も上手く出てるし、おぼつかないカメラワークもライヴのナマナマしさが出ててOK、OK。」「チャートも3位だった。MTV世代にもプロモーションしておけば、もしや・・・」ってな具合になったのではないだろうか。事実、それ以降の同アルバムからのシングル「ドリームス」「ラヴ・ウォークス・イン」はライヴ映像のPVが作成されているではないですか。(ライヴビデオのリリースもあったので絶対とは言えないですけど)

 
←新生ヴァン・ヘイレン第一弾!『5150』!

 「ホワイ・・」の夜ヒットPVがアメリカ等で流れたオフィシャルなPVだったのかは判りかねますが、彼らのPVに対する路線を少しでも変化させたのは放送以降日本であのPVが”一応”オフィシャルPVとして他局で流れた事実が物語っているのではないでしょうか。



 結局、彼らは次作『OU812』でも1stシングル「ブラック・アンド・ブルー」のPVは作らず小ヒットに甘んじた(34位)後に2ndシングル「ホエン・イッツ・ラヴ」でクラヴのライヴ風PVをすぐさま作成。5位まで上がるヒットに仕上げ、3rdシングル、ここに来てようやく”これぞ、PV”というビデオを「フィニッシュ・ホアット・ヤ・スターテッド」で作成するに至っている。

←『OU812』


=PS=
 余談だが、先出のジャーニーもPV作成しない宣言を撤回し『レイズド・・』からの3rdシングル「ガール・キャント・ヘルプ・イット」以降はライヴPVを作成していた。
これまた余談だが、デフ・レパードも来日時出演したテレ東の番組内(番組名忘れました・笑)で演奏放送された「ロック!ロック!」のソースをPVとして他局で放送していました。


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