
| 第三話 流転 (4) ニューライフは畳四枚狭い部屋 三竿 1960年4月、私は東京都中野区立第三中学校三年B組に転入しました。学校の近く、東中野の下宿屋さんに、次兄が借りた部屋は四畳間でした。学生を対象とした、古き時代のきちんとした下宿向き間取り、玄人下宿でした。奥に向かって畳が四枚、並列に横たわっています。うなぎならぬどじょうの寝床か?入り口に勉強机を置き、誰かの手作りによる茶箪笥を庭に面した窓のそばに置きました。入り口は初めて洋式ドアを体験。鍵のかかる部屋に初めて住みました。 ここは学生下宿、大学受験に再挑戦する青年や、大学の勉学と青春を併せてエンジョイする地方の良家の子息、そして、毎夜遅く帰宅する兄とそれを待つ弟の中学生の私達。兄が帰って来るまで、私は努めて起きていました。この下宿から私の中学第三学年が再出発します。 昭和30年半ばは都市と企業が繁栄を始め、田舎っぺが陸続と都会に移動し始めた頃です。新しい中学校には、私を含めた1年生から3年生同類13人が転入してきました。一同を前に、『皆さんは、地方の学校で伸び伸びと勉学や、クラブ活動で頑張ってきたと思います。しかし、この学校では今までと同じ生活をしていては、皆に遅れていってしまいます。気を緩めないで成績を上げていくよう頑張ってください』学校の説明の最後にこの言葉を述べたのは教頭先生だったでしょう。気持が引き締まると同時に、都会の先生に対し、少し構えたものが私の心に湧きました。 (1960年・下宿屋さんの姉弟と。私は真ん中)
1960年3月下旬から4月中頃にかけて3・4日に一日毎に春雨が降りました。『都に降る雨』は私の心を打ち心を和ませました。中学校は、出来たばかりの鉄筋コンクリート三階建てでした。この三階の教室から、こぬか雨に煙ぶる空の下、国電中央線快速電車のオレンジの車輌・総武線緩行線のこげ茶色の車輌が音を濡らせて走っています。その光景を長いこと見続けていました。 私の生活は転校という、地方から都会・東京に住むという空間変化がありました。しかし、次兄は二十二歳にして弟を養いながらの、会社勤めという異様な立場となりました。私を引き取る為に会社の独身寮を出て、私には下宿の食事を与え、自分は外で食べるという状況だったのです。会社事務所などのセキュリティは、まだ社員で賄っていた社会です。時々、当直で泊まりを取っていた次兄は恐らく同僚の義務のいくつもを、自分にあてがってまでもして、私を学校に通わせていたと思います。 孝行のしたい時分に兄もなし 三竿 敢えて、摸倣作とは言わないで、詠ませて頂きました。 |
随筆川柳『鬼ッ子のつぶやき』は何時の日か著者が単行本等に改めて
著すことを目的とした、文芸著作物です ?