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第五話 (2) 就職活動 第三学年になって、進路の確定をしていかなければなりません。上に行きたかった。しかし、学費のフォローは自身で為さない限り、選択出来ない状態でした。防衛大学・気象大学など、政府が設立した大学があって、それらに、もし入校できたとしたら、公務員としての給与が与えられた上で、学費の出費なしで大学生活が送れます。そして、入学したその時点で自分の将来は決るのです。
しかしこの進路は具体化する前に消えて行きます。当時の藤枝東高校がそれらの大学とのコンタクトがあったか、自分がその大学に入学するに適う学力があったのか、どんな理由だったかも思い出せません。 それよりも既に大局的にみて、就職進路が真っ当なのだと考えて、進路クラスの選定では、学年の始めの時点で就職クラスに進んでいたからだと思います。 やがて就職活動となりました。一度だけ、某大手の金融機関の入社試験を受けるために、東京の本社に行って面接を受けました。今から考えると、この面接には該当三者によるセレモニーの企画でしかなかったように思います。学校と企業の間のパイプの継続、自分自身の面接慣れ試しがあったかもしれません。少なくとも自分にはこの金融機関に入社できる可能性など、ありえないと判断して居たのです。 実際の気持としては、「何とかなる」みたいに求人のあった会社に学校の進路指導担当教諭に願書を提出して、相手側からの意向待ち状態にしておきました。 折からの東京オリンピック特需で主に都市圏からの求人が多かったと記憶しています。ある熱海の名門旅館から、書類選考で就職決定の通知が来ました。私は、高校を出ると、もうどちら向きの風が吹いてきても、それに乗って、身一つ何処にでも動く事ができるのです。 昭和38年秋の頃だったと思います。しかし、この経緯に自分は抵抗感を持ちました。どんなホテルで、どんな部署に行くことに成るか、志願とは、こちらの目で相手側を見たうえで、自分の意向を決めてよいものだと思っていたからです。そんな立場なしで企業は、労働力を求めている。 時期を同じくして、東京の次兄が、仕事の得意先であるTV業界の或るプロダクションの社長の要望があって、私に是非その会社に入るよう連絡してきました。次兄は、学校側が示した就職先についての不安と、自分が薦めるプロダクションの優勢さを色々な言葉を使って説得してきました。その最大にして自分がその気になったことは、ホテルに就職した場合、遅くない時期になって、知らない土地で一人で世を送ることの不安定さに対する尻込みが、起きた事でした。兄の薦める東京に再び出て行くことが自分の巣立ちなのだと思い、軌路を決定したのです。 百本の岐路を迎えて賽ひとつ 三竿 第五話は続きます。 随筆川柳『鬼ッ子のつぶやき』は何時の日か著者が単行本等に 改めて著すことを目的とした、文芸著作物です |