随 筆 川 柳   


    第二話 (1) 昔の味

 子供の頃の遊びや食事の思い出を追憶する事は楽しい事です。よほど痛恨な障害等をを引きずっていない限り、これらの思い出は精神的エキスと肉体的エキスとして、一人々々のパーソナリティーや骨や肉になっていると思います。

  骨太に育ったらしい四角顔  三竿

 小学校・中学校を通して学校給食を食べたことがありません。生徒は家から持参した弁当を広げます。小学校上級になって、或る二人のクラスメートの弁当の中身をなぜか鮮明に記憶しています。どちらも殆ど毎日同じ内容でした。
 A君、のりの佃煮が真中に詰め込まれているだけ、日の丸弁当でなく『ブラックホール弁当』とでも言えるでしょうか。1950年代に日本の一地方の小学生がブラックホールの存在を知る事などあり得ません。今ここで、そんな名前の弁当に仕立ててみました。
 クラスの中に、写真家土門拳氏『筑豊のこどもたち』のような弁当を持ってこない子供が、食事中のクラスメートの隣でまんがの本を読んでいたなんて光景は、ありせん。その日の都合で持ってこない(?)くらい。


 B君、いわゆる良いとこのお坊ちゃまです。季節の野菜の煮〆め&肉料理&ゆで卵が1個を半分に切って両脇に(決してスライスにしてなかった!)、色彩的にも構図的にも栄養的にも、周りが羨望の目でみて観賞に堪えるお弁当でした。
 A君の弁当は特別でした。家で雌鶏を飼って生ませていた家を除き、どこの家でも卵が食卓に上ることが贅沢だった頃の話です。


 漁師町の恩恵を目いっぱい受けました。家の周りは繁華街の裏通りで、比較的商家が多いところ、食品を扱う店だけでも、八百屋、魚屋、乾物屋が軒を並べるほどに狭い一角に集まっていました。市場とも違う、数所帯で営むコンビニエンス・ストアーズです。
(そうだ、今のコンビニは掛売りなどしてくれません)

 朝、十円玉を握り、小さい鍋かどんぶりを持ってはんぺん屋に行きます。鰯のすり身の具を椀の裏側のようなものに詰めて形を作り、大きな釜の湯にくぐらせて出来上がる黒はんぺんです。出来そこないのクズはんぺんを、持っていった器にいっぱい入れてもらって家に帰ります。さすがに食卓で兄弟が先を争う必要もない量でした。

 初夏から夏休みいっぱいにかけて鰹節製造の工場はフル回転です。魚市場で鰹を仕入れる際、力仕事の手伝いをします。アルバイトです。現物支給に、鰹を2・3本ぶら下げて家に持ち帰ると義姉が解体し、刺身、煮魚焼き魚、潮汁と三日三晩程の鰹尽くしとなったりします。今でも、旬のものをいっぱい買って、それを毎日食べ続けることに幸せを感じる事が私は出来ます。尚、鰹は一本釣り漁法並びに産地(海)直送につき極上品であります。

  初鰹むかでのよふな船に乗り   (宝暦11年、摺りは“満”) 
  目には青葉山ほとゝぎす初鰹  (素 堂)

随筆川柳『鬼ッ子のつぶやき』は何時の日か著者が単行本等に改めて
     著すことを目的とした、文芸著作物です