随 筆 川 柳   



      第二話 (2)昔の味

   持ち歌はここも廃盤カラオケ屋  三竿

 私は5月28日が誕生日。亡き美空ひばりさんは29日、私の初恋の女性は30日です。但しひばりさんと私達の年代は違います。自分の子供の頃、印象に残っている美空ひばりの歌が二つ三つあります。そのひとつ『三味線マドロス』が港に停泊中の漁船から流れて来ます。

 移り住んだ公民館から歩いて10分程で漁港があります。焼津港より少し規模が小さい小川(こがわ)港と言いました。夏の夜、中学生くらいの子供が港にうなぎを釣りに行きます。

 黒潮に乗って回遊する鮪・鰹などを、鳥山や海水の色などで発見、乗組員総がかりで漁獲をします。新鋭の船には既に魚群探知機もあったでしょうか?船倉をいっぱいに満たせばその航海は終了します。獲ってきた魚がこの港に水揚げされ、市場で売り捌かれます。乗組員は寄港した船・帰港した船を問わず陸(オカ)に上がって英気を養うのです。一艘の船におそらく一人か二人、留守居番がいてあちらの船こちらの船から秩序正しくレコードの曲をメドレーのように流します。留守居同士、お互いで繋がっているのを確かめていたのでしょうか。

 夕凪の時が終わると風は陸から海に吹き始めます。曲が風に乗って流れていることを実感できます。音の強弱と音程がわずかに揺らいで耳に入って来るのです。

 うなぎ釣りの餌は鰯の切り身。これは港の一角にある冷凍倉庫に入り、漁(りょう)に使う物を必要な分だけ拝借して調達します。一人のその日使う餌はせいぜい、2・3匹なのでお行儀が悪いような事をしない限り、叱られることはありませんでした。

 手釣と書いて“てじ”。座ってひざに置いた指先に張った釣り糸の先、水底の餌にうなぎが喰らいつくのを、じっと待ちます。美空ひばりの歌がここで流れてきます。

  
♪ 波のォ〜 
    小唄にィ〜 
    三味線引いィけェば〜
    洒落たァ〜 奴だとォ
    仲間がァ 笑あう ・・・ ・・・

     高知県土佐港第十六龍神丸(ありそうな船名です) 

「三味線マドロス」が終わると、少し離れた船から松山恵子。

  ♪ もしも 私が重荷になったらいいのォ
    捨てても恨みはしィなぁい〜
    お願ァい
    お願ァい〜
    連れて行ってよォ この船ェでぇ
・・・ ・・・
     青森県八戸港第五弥之助丸(々)

 水面は暗く、市場の明かりもまばらにポツンと灯っているだけです。無心に当たりを待っている時間、歌が心に染み込んでくるのです。

 コツンコツン。2度の当たりで一気に糸を手繰る。手元に寄せたうなぎをボロ布で強くかつそっと掴む。優しく針を口からはずす。樽やバケツの底に海水を張ったに中に放す。当たりを受けてから1分も掛からない手際でこれらが行われます。

 その間のどこかで手間取っただけで、そのうなぎは夜をもちません。哀れ、翌朝自分達家族の胃袋に入っていかなければならないのです。運の良かったうなぎは翌朝も元気に生きています。買い取ってくれる食堂などがあって、お店の客に鰻丼となって食べて頂けるのです。一匹50円くらいで現金化出来たのがありがたかった。

 釣果でオデコになるということはありませんでしたが、翌日の収入にはならなかったことはあります。ですから、釣行の翌日は必ずうなぎを食べていました。
 海から川に遡上する時のうなぎは小さくても一尺はありました。天然のうなぎはさすがに美味でした。義姉も美味いタレを作るコツをとうとう習得し、七輪の火加減を微妙に調整し、うちわを叩きながら焼いています。その匂いで、朝の目覚めを私は迎えていたのです。

  
お客さん海育ちだね皿の骨 三竿

随筆川柳『鬼ッ子のつぶやき』は何時の日か著者が単行本等に改めて
     著すことを目的とした、文芸著作物です
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