人間万事塞翁が・・・猫?

【人間万事塞翁が・・・猫?】




「にゃー、こっちへ来い。」
 のどかな昼下がり、校舎の隅でるーこが猫と戯れている。
「おーい、何やって・・・」
 それに気付いた貴明が近づく。だが、突然に猫は貴明に敵意を見せると、
あっという間に逃げてしまった。
「・・・不用意だぞ、うー。反省しろ。」
「だ、だって俺、何もしてないぞ。むしろこれから何かしようって所だっ
たんだし。」
「・・・だが安心しろ。にゃーはうーに驚いたわけではない。」
「じゃ、なんだよ。」
「うーの匂いに驚いたのだ。」
 慌てて貴明は身体をひねって制服に鼻を寄せる。しかし特別変な匂いが
するわけもない。
「うーの匂いそのものでは無いだろう。別の"うー"の匂いだ。」
「そうは言っても、朝から一緒に居たのはこのみとタマ姉だし、別に二人
が香水付けてたって事は無いぞ。タマ姉も学校にその手の物は無用だって
言うし・・・。」
「きっと、にゃーに何かをした"うー"が居るのだろう。」
「・・・という事は、このみかタマ姉、どっちかが猫に嫌われたって事
か。」
「にゃーがなぜ嫌ったのかは、判らない。」
 近くに隠れていたりしないかと、二人は暫く猫を探しながら周囲を歩く
が、やはり猫は出てこなかった。建物の陰に隠れたか、相当遠くに行った
のだろう。
「まさか、猫に何が原因か聞き出すってわけにはいかないしな。」
「・・・それは、今の"うー"では無理だろう。"るー"ならたやすい事だ
が。」
 ふふん、と鼻で笑うような表情をする、るーこ。本当に意思疎通ができ
ているのかは判らないが、確かにそういう素振りを見せたこともある。だ
が肝心な猫が居なければ、それも叶わない。結局、何が原因なのかは判ら
ないままだ。


 とりあえず心当たりを考えながら、貴明はこのみと環の二人に話を聞き
に行く事にした。
 最近、猫に嫌われるような事をした記憶は無いか、と。


 先に見つかったのは、このみだった。
 早速猫に嫌われるような事をしなかったか、聞いてみる事にする。
「特に思い当たる事って無いけど・・・やっぱり、ゲンジ丸の匂いがある
からなのかなぁ。」
「でも、犬猿の仲とは言うけど、犬と猫の仲が悪いって事は無いだろう。」
「前にもタカくんに猫を抱かせて貰おうとしたら、ひっかかれたでしょ?
一応気にはしてるんだけど、ダメみたいなの。」
「でも野良犬と野良猫でケンカしてるって事もまず無いし・・・。」
「ゲンジ丸って優しいけど身体が大きいから、猫が嫌がるのかも知れない
よ。優しそうな人でも、身体が大きいと怖いもん。」
「基本的に縄張りは学校内だし、エサを漁るのも学校とその周辺だから、
うちの辺りまで出てくるとは思えないな。ゲンジ丸は、たぶん無関係だ。」
 これが理由だろうと確信していただけに、このみには返す言葉が無かっ
た。確かに学校周辺までゲンジ丸を散歩に連れてきた記憶は無い。だから
あの猫が見ているわけはないし、見ていない者を匂いだけで嫌がるという
のも考えにくい。
「あとは・・・何人かで猫じゃらし持って、猫が疲れて座り込むまで遊ん
だ事位かなぁ。」
「それも決め手に欠けるな。匂いで逃げる位だから、相当イヤなんだろう。
猫じゃらしでそこまで嫌うとは思えないぞ。」
「うーん・・・タカくんは、何か無いの?」
「一応、俺の匂いじゃないって言うからな。」
「誰が?」
「猫の専門家だ。会話もできる。」
 まさかこのみにるーこの事をそのまま説明しても理解が得られるわけは
無いと思ったか、貴明は適当な脚色を加える事にした。猫は貴明に驚いた
のではなく、その衣服に付いた匂いに反応して逃げたのだと。
「となると・・・ますます判らないよ。」
「まぁ、思い出したら教えてくれ。タマ姉にも聞いてくるから。」
「うん、判った。」
 とりあえず、このみに思い当たる事は無さそうだったので、貴明は環の
所で話を聞く事にした。しかし、環の方こそ嫌われる要素は無いと思って
いるから先にこのみの所に来たのだ。あまり期待はできないだろう。


「・・・猫に好かれる事はあっても、嫌われる事は無いと思うけど。」
 開口一番、環は貴明にそう言い切った。その言葉には相当の自信がある
ようだ。
「一応聞くけど、なぜそう言い切れる。」
「私のお弁当のおかず目当てに寄ってくるでしょ。匂いで嫌ってたら、そ
もそも寄って来ないわよ。」
「あぁ、そう言えばそうだな。」
 皆で屋上に集まって弁当箱を広げている時、あの猫がどこから入ったか
判らないが物欲しそうに寄ってくるのを貴明は記憶していた。最初は他の
生徒の所にも回りながらだったのに、いつしか一直線に環の姿を目指して
来るようになった。とは言え、警戒心は強く、手で触れられる距離まで近
づく事は無い。
「何か変な物食わせたとか、そういう記憶は無いか?」
「タカ坊。それは私の作ったお弁当に変な物が入ってた記憶、あるって事?」
 環の眼光が一瞬にして鋭くなり、手首と指先から関節の鳴るようなかす
かな音が聞こえてくる。これは明らかに、気分を害した時の反応だ。
「あ、いや、そういうわけじゃない。猫にとって、だ。」
「それも無いと思うけど。猫だし、玉葱とイカは避けるようにしてるわ。
私もイカはあまり食べないしね。」
「そう言えば、食堂で雄二が適当にイカフライ定食頼もうとしたの止めた
よな。ところでタマ姉、なんで玉葱だけじゃなくて、イカなんだ?」
 貴明も、ゲンジ丸が居るせいで動物の種類によって与えてはいけない食
物がある事を一応は知っていた。しかし聴き覚えがあるのは玉葱だけであ
る。玉葱に含まれるイオウ化合物が犬や猫の赤血球を壊すというので、食
べさせてはいけない、と。だがイカは初耳だった。サンマやアジなど、猫
は魚を好んで食べる印象があるのだから、イカはダメという理由が判らな
い。
「イカを猫が食べると腰が抜ける、と言われるんだけど、単に消化が悪く
てお腹を壊してしまうからよ。それを知らない猫はお腹一杯食べようとす
るから、余計に具合を悪くしてふらふらするのね。生身なら一度食べれば
二度目は食べないでしょうけど、フライとかになっていると猫は判らない
から、一杯食べて後で苦しむ・・・って所かしら。」
「イカがダメとは、知らなかったなぁ・・・。」
「あと、ツナサンドなんかに玉葱が混ざっているのを知らないで猫に与え
る人も居るわよ。いちいち玉葱が入ってるか調べてから食べる人って居な
いし、人は食べても問題ないから気付かないけど、猫には効果覿面ってわ
け。」
「・・・その可能性は、あるな。」
 貴明は、ついその場面を想像してしまう。猫に気に入られようと、学食
で買ってきたミックスサンドイッチの中からツナサンドを取り出し、与え
ようとしているこのみの姿が。
「でも、匂いだけで嫌われるって、相当の事よね。猫をお風呂に入れると
かしないと、そこまでは嫌わないでしょ。」
「一応、俺の匂いじゃないって言うんだよな。」
「誰が?」
「猫の専門家。会話もできるから、判るんだそうだ。」
「ふぅん・・・。タカ坊もその専門家から嫌われないようにね。」
「あー、はいはい。」
 環の想像を察したのか、貴明は適当にあしらって立ち去ろうとする。環
は既に猫ではなく、その猫の専門家なる人物に興味を持ったようだ。しか
もそれは、貴明が好意を持っている人物ではないかと。


 結局、二人に話を聞いたが、手掛かりすらも満足に得られていない。こ
うなると、何が原因かが気になって、授業などどうでも良くなる。
 休み時間になってふと校舎の隅の方を見ると、またもるーこが立ってい
た。しかし猫は周囲に居ない。やはり戻ってこないようだ。
「・・・やっぱり帰ってこないか。」
「どこかでエサを漁ってるはずだ。生きているなら、にゃーも何か食べる
だろう。」
「おおよその事は判ったが、何が嫌われる原因だったかは、判らなかった。」
「安心しろ、うー。"うー"よりも"にゃー"の方が知能は低いから、放って
おけば全て忘れて戻ってくる。」
「な、なんか酷い言われようだな・・・。」
「殴られたりラブラブな所を見せつけられたり、何度痛い目に逢っても戻
ってくる"うー"も居るのだ。安心しろ。」
 恐らく、るーこはTVドラマで暴力を振るわれながらも男についていく
女の姿を見たのだろう。あぁ、人も猫も行動原理は同じなのだと勝手に納
得しながら。


 日も翳りが見えてきた頃、授業が終わって下校時間となる。
 貴明は、猫の事が気になってなんとなく気分が晴れないまま下駄箱に向
かう事になった。
「あ、タカくーん。一緒に帰ろ。」
「おう。タマ姉も一緒だったのか。」
「今日はちょっとやる事があるから、早目にね。」
 玄関を出る所で、このみとタマ姉と一緒になった。特に寄る所も無いの
で、貴明は三人で帰る事にする。
「猫さん、戻ってきた?」
「いや、見てない。放っておけばそのうち戻ってくるとは思うけど。」
「・・・警戒心は強いけど、何に警戒してるのか忘れるから、二週間がい
い所かしらね。」
 環の指摘は、的確かつ容赦のないものだった。
人間ほど記憶力は良くないから、本能のレベルで嫌うまでいかないと、大
抵忘れるのである。よって、その記憶が薄れる頃には、猫も再び現われる
だろうと考えたのだ。
「それもそう・・・と言ってるうちに、戻ってきたみたいだな。」
 突然、貴明が校門の所を指差す。
 そこには、再び猫と戯れるるーこの姿があった。
「・・・遅かったぞ、うー。」
「よ、よく見つけたな。」
「"るー"の力は偉大だ。信じれば、全ては叶う。」
 再び、ふふんと鼻で笑うような表情を見せるるーこ。既に何かを知り得
たようでもある。
「ところで、今朝の話だが、匂いの元になる二人を連れてきた。どっちが
原因か、判るか?」
 環とこのみが、ゆっくりと猫に近づく。その瞬間、猫はこのみに対して
あからさまに警戒心を見せながら、環に近づいていった。
「今のを観れば判るだろう。ちびうーの方だ。」
「や、やっぱり、このみの方か。」
 さりげに『ちび』と酷い言い方をするるーこだが、このみはそれに気付
いていない。むしろ、その猫に見覚えがあるようでじっくりと全体を見回
している。
「・・・この子、前に同じクラスの子と餌付けしようとした猫だ。」
「餌付け?」
「そう。お昼に食べ切れなかった残りとか。」
 その瞬間、猫は環のそばを離れてるーこの背後に回った。このみに対し
て相当警戒しているようにも見える。それを察して、るーこは身体を屈め
て猫を抱き、なんとなく会話をしているような素振りをする。
「・・・にゃーはこう言ってる。以前にそのちびうーと仲間から貰った食
べ物が酷い物だった、と。暫く動けなくて死ぬかと思った時もあったそう
だ。善意で施しをしたつもりが仇になるとは、愚かだぞ、ちびうー。」
「えぇっ?だって、自分たちも食べてる物だよ?」
 その背後で、タマ姉がなにやら考え事をしている。これはやはり、貴明
と話をした通りに、玉葱やイカなどを食べさせたのではないか、と。
「ねぇこのみ、この猫に何を食べさせたか、覚えてる物ってある?」
「確か・・・肉じゃが、冷凍食品のオニオンリングとミックスベジタブル、
かな。チョコレートの入ったクッキーも。美味しそうに食べるから、観て
て楽しかったんだけど。」
 その瞬間、タマ姉が頭を抱える。そして、再びるーこが猫と会話をする
ような素振りを見せた。
「ちびうー、にゃーはそれが一番酷かったと言っている。甘くて美味しい
から一杯食べたら、急に身体が動かなくなって死ぬかと思った、と。」
「・・・やっぱり玉葱ね。チョコレートも、確か危険よ。私も調べないと
判らないけど。」
「せっかくだから、図書室に行って、何が悪いのか調べてみよう。」

 三人はすぐに校舎まで引き返して、靴を履き替えると図書室に向かった。


 幸いにして、利用者は殆ど居らずに閑散としている。
「猫の生態について、よね。とりあえず、生物の本で調べてみましょ。」
 それらしき本を見つけては、三人は目次を調べて何か判る事はないかと
調べている。何冊かを手当たり次第でひっくり返した後、貴明が遂に答え
に辿り着いた。
「・・・あぁ、あったあった。チョコレート、確かにまずいな。」
「えっ? タカくん、見せて見せて。」
 その瞬間、理性よりも驚きの方が勝ったようで、図書室にこのみの大声
が響き渡る。
「ココア・カカオに含まれるテオブロミンを猫が多量に摂取したり習慣化
すると、不整脈、呼吸困難、心不全、尿失禁、テンカン発作、ケイレンの
原因になります、か。クッキーが甘くて美味しいから中のチョコレートま
で食べて、後で身体がおかしくなったんだな。」
「それは・・・知らなかったわ。玉葱とイカは知ってたんだけど。」
「タマお姉ちゃん、それもダメなの?」
「さっき、肉じゃがとオニオンリングを食べさせたって言ってたわよね。
玉葱には犬猫の赤血球を壊す成分があるから、食べさせちゃダメなの。今
のチョコレートの話もあるし、結局このみ達はあの猫を殺しかねないよう
な物ばかり食べさせてた、って事になるわね。」
「ど、どうしよう・・・。」
 今更ながら、慌てふためくこのみだった。しかし、今更やってしまった
事はどうにもならない。
「まぁ、煮干しでも食わせてやるんだな。ヘタなペットフードよりはよっ
ぽど安全だし。」
「う、うん。そうする。」
「もっとも、一緒に自分で食べても良いんだぞ。カルシウム分豊富で、身
体の成長にも・・・」

  ぽかっ!

「そういう事は言わなくていいのでありますよ!」
 やはり、身体が小さい事をこのみは気にしていたようだ。それを指摘さ
れたので、このみは少しむくれた表情で貴明の頭を叩いた。


 ようやく原因も判ったので、三人は図書室から出て校門に向かう。
 るーこは猫と戯れ続けていたようだ。しかしさっきの猫とは種類が違う。
今まで見ていた三毛猫ではなく、白に黒の斑の入った猫だった。
「あれ?さっきの猫は?」
「あのにゃーは帰った。こいつが近所で一番強いから、逃げると言ってたぞ。」
「なるほど。こいつが近所のボスってわけか。」
 言われてみれば、さっきまで居た猫よりも体格が良く、全身に激しい戦
いをくぐり抜けてきた証しのような傷痕がある。野良猫社会は生存競争が
激しいようだ。
「あ、その猫・・・」
 環が一瞬びっくりとした表情をする。それと同時に、猫はるーこの背後
に回って、環に対して敵対心を強めるような目つきで睨んでいる。
「どうやらそっちのうーも、前に何かやったようだ。にゃーが怒っている。」
「・・・ゴメンね。今日は何も無いから、私も明日、何か持ってくるわ。」
 珍しく、環がすまなさそうに猫に対して謝っている。どうやら過去に何
かあったようだ。
「今度はタマ姉か。あいつに何をした。」
「この間の調理実習、スポンジケーキを作ったの。チョコレートを入れた
んだけど、色が濃いから出来上がりが見えにくくて幾つか失敗したのね。
捨てようかと思ったんだけど、あの猫が食べたそうに寄ってきたから・・・。」
「そ、それでか。」
「こんな事なら、雄二かタカ坊にでも食べさせておけば良かったわね。チ
ョコレートもダメだったとは、私もうかつだったわ。」
 このみがそれを聞いて苦笑している。結果として、自分と同じ事を環も
やっていたのだから、笑うに笑えない。
「・・・このにゃーは賢い。煮干よりも鰹節の方が好きだと言っている。
寛大な心に感謝しろ、うー。」
「寛大というか、ずいぶん現金な猫だな、こいつ。」
「エサに釣られてほいほいついて行くのは、人も猫も変わらないわよ、タ
カ坊。」
 環の一言で、皆が大笑いした。




 翌日、早速環もこのみもお詫びの品を用意して学校にやってきた。
 昼休みになると、貴明も一緒になって三人で、猫と戯れているであろう
るーこの姿を探す。前日と場所こそ違ったが、やはり校舎の隅に居た。
「あぁ、ここに居たのか・・・って、おい。」
「喜ぶがいい、うー。にゃーが友達を連れてきたと言っている。」
 そこには、前日までに見た二匹と共に、やはり種類の違う三匹が居た。
そのどれもが、るーこになついている。
「うわ、猫さん、いっぱい居るよ。」
「どの猫もどこかで見た記憶はあるけど、全員揃った所は見た事が無いわ
ね。」
「・・・やっぱり、言葉が通じてるんだな。でなきゃ、三毛と白黒の斑が
一緒に居ないはずだ。」
 貴明は驚きを隠せない。昨日は逃げたと言っている三毛が白黒の斑と一
緒に居るのだから、るーこが間に立って話をした、としか考えられないか
らだ。
 それを察したのか、すっとるーこが立ち上がる。

「"るー"を信じろ、うー。"るー"の力は偉大だぞ。」

 そう言って、るーこは微笑んだ。


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