あしたこそ、あなた
【あしたこそ、あなた】
「あ、タカくん。定規ある?」
「・・・引き出し。上から二番目。」
「貴明〜、この製氷機、壊れてるんちゃうか?せっかくやし、直しとこ
か?」
「放っておいていいから。そのままにしといて。」
「タカ坊。モル濃度と質量モル濃度の違い、判るわよね?」
「・・・あー、なんか習ったような気がする。」
「まったく・・・そんなんじゃ赤点取って、夏休み補習よ?」
その瞬間、貴明は、大声で怒鳴った。
「つーか、何で居るんだよ、お前ら!」
いよいよ、夏休み目前の大仕事である一学期の期末試験が始まる。貴明
は、その対策の為に家に愛佳を招いて試験勉強をする・・・予定だった。
だが、待ち合わせの場所まで愛佳を迎えに行き、家に戻ってくると、本
来そこにはいるはずの無い者が、我が家で事を進めているような表情で鎮
座していた。
このみや環はともかくとして、珊瑚、瑠璃までがそこに居たのだ。
「あら。試験前なのは皆同じでしょ?お互いに判る所を教え合う。素晴ら
しい事よ。」
「だったら自分ちでやれよ。俺んちじゃなくて。」
「今日、お父様のお客さんが見えてるの。ご挨拶の一つもするのが礼儀だ
けど、試験前の貴重な一日だし、このみの面倒も見てあげないといけない
し。」
「だったらこのみの家でやれよ。」
「そ、それが・・・今日、工事の業者さんが来てて・・・。」
確かに、このみの家の前には、朝からトラックが止まっている。下水道
の配管を取り替える工事だというのは、貴明も何となく前に聞いていた。
「図書館だってあるじゃねーか。」
「行ったわよ。既に満席。で、同じように席にあぶれた瑠璃ちゃんと珊瑚
ちゃんを見つけたってわけ。」
時期が時期だから、誰も図書館に行って勉強というのは考える。満席だ
ったのは、それだけが理由ではない。約束の時間ギリギリまで寝ていたこ
のみが、あれやこれやと支度にもたついたのだ。
「・・・ちょっと待て。だったら、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんの部屋でやれ
ばいいじゃねーか。」
「誰も、好きで貴明の家なんか来とないわ!」
目の前に置かれた教科書の応用問題に四苦八苦していた瑠璃が、苛立ち
まぎれに貴明に怒号を浴びせた。だが、その言葉はいつもとニュアンスが
異なっている。
「うちとこな、昨日変電機潰れて、停電しとんねん。エアコン使えん、冷
蔵庫使えん、テレビもラジオもパソコンも動かへん、外におる方がなんぼ
かましや。」
「・・・と、いうわけ。だからタカ坊、せめて夕方までリビングを提供し
なさい。」
理由に納得いかない部分もあるが、かと言って追い出す理由も無い。し
かも全員が試験勉強という自分と同じ目的で集まっているのだから、貴明
としても強くは言えない状況であった。
「それよりタカ坊、あんた女の子家に呼んで、何するつもりだったのよ。」
「・・・試験勉強だよ。」
「なぁんだ、目的は一緒じゃないの。もっとも、それ以外が目的だったら、
タダじゃ済まなかった所よ。」
環の目がキラリと光った。明らかに、貴明を威嚇する目だ。
「判った。リビングを含む一階は解放する。その代わり、俺達は上の部屋
を使う。特に用が無い限り、入室厳禁。良いよな。」
「特に用が無い限り、ね。その条件で手を打ちましょ。」
「なぁ貴明、パソコンは二階にしかあらへんの?」
そんな中、一人マイペースなのが珊瑚である。環もそれなりの学力の持
ち主だが、珊瑚はこと理系に関しては『天才』と呼べるレベルである。試
験勉強をするというよりは、瑠璃につきあって遊んでいるというニュアン
スの方が強い。その為、珊瑚は瑠璃が教科書や問題集に悪戦苦闘している
間の暇潰しが欲しいのだ。
「あぁ。親父の部屋にもあるけど、鍵掛けてあるから使えないし。」
「なんや、つまらんな・・・。」
「あ、あの、貴明君・・・。今日は、止めにする?」
ようやく状況を理解した愛佳が、遠慮がちに言葉を挟んできた。今日、
一緒に試験勉強するのは止めようか、と。
「遠慮しなくて良いわよ。私達は私達で、勝手にやってるから。」
そんな言葉を気にしてか、環がにっこりと微笑んで愛佳に貴明の部屋へ
の移動を促す。だがその微笑には、微妙に邪悪さも含まれていた。
「つーか、タマ姉達が遠慮しろよ。それに、雄二はどこに行った?あいつ
こそ、タマ姉の助けが必要なんじゃねぇか?」
「・・・こんな日にまで夜遊びして帰ってこないバカに、助け舟出す義理
は無いわ。タカ坊もあいつに手貸したらタダじゃ済まないわよ。」
その瞬間、今夜向坂家に現れるであろう光景が、貴明の脳裏に浮かんだ。
雄二は間違いなく環に、そして向坂家の両親に血の小便が出る程の説教・
体罰を食らうだろうと。
「じゃあ、何度も言うようだけど、邪魔するなよ。」
『はーい。』
全員の素直な返事に一抹の不安を感じながらも、貴明は愛佳を二階の自
室に招いた。
「お、お邪魔します・・・。」
「これでも片付けたつもりだけど、汚くてごめん。」
愛佳が来るという事で一応邪魔な物の整理と掃除はしたのだが、それで
も雑然さは否めない。だが、その生活観に溢れた貴明の部屋を見て、愛佳
は微笑んだ。
「ううん、私の部屋も、やっぱりこんな感じだし・・・。」
「本にバーコード付けたり、書架整理するのが好きなのに、部屋が汚いっ
てのは、どうして?」
「学校は私以外にも掃除する人が居るけど、家は私かお母さんか、どっち
かが掃除しないといけないし。」
考えてみれば、妹の郁乃が入院している間は家よりも病院が生活の中心
になるし、家に戻っていても大掃除はできないので、家の中は荒れてしま
いがちになる。その辺りを察してか、貴明はそれ以上の追及を避けた。
「じゃ、じゃあ、試験勉強、始めようか。」
「そうね、そうよね。始めましょ。」
お互いに見つめ合って、つい微笑みつつ二人はテーブルに教科書やノー
トを広げた。
「あら、なかなかいい感じね。」
「貴明らぶらぶや〜。」
「タカくん、あんな微笑み方、するんだ・・・」
その時、リビングでは全員が一箇所に固まって、何かを観ている。
全員の視線の先にあるのは、ノートパソコン。珊瑚が持ち込んだ物だ。
そしてその画面に映っているのは、貴明の部屋の中。
「一応、真面目に勉強する気はあるのね。」
「あっ、動いた。」
画面に、徐々に貴明の顔が大写しになっていく。それはすなわち、貴明
の部屋の中に置かれたカメラに貴明が近寄っている事を意味している。
「ありゃ、気付いたんか。」
「・・・やるわねタカ坊。必死ね。」
突然、貴明が席を立つと、本棚の上に手を伸ばす。
「・・・どうしたの?」
「いや、棚の上の物が落ちそうだったんだ。」
愛佳にはそう言って誤魔化した貴明だが、珊瑚か環がカメラを仕掛けた
であろう事には気付いていた。
だからこそ、それを別の方向に向けて、自分達が見えないようにしたのだ。
「それじゃ、まず数学だけど、たぶんこの辺の問題が出ると思うの。」
「あれ?そこまで進んだんだっけか?」
「・・・授業中、寝てるから気付かなかったんでしょ。」
「あぁ・・・まぁね。」
これは苦労しそうだ、と一瞬苦笑いしながらも、愛佳は丁寧に出題の予
想と重要な公式・定理を貴明に示していく。当然、貴明もそれに真剣な顔
で聞き入っている。
コン、コン・・・
暫くすると、貴明の部屋の扉がノックされる。
「誰だ?」
「タカ坊、電話。十波さん、だって。」
扉の向こうの声は、環だった。貴明に電話だという。
「由真ちゃん?」
「・・・つーか、なんであいつが俺の家の電話番号知ってるんだ?」
「クラスの誰かから聞いたんだと思うけど・・・」
疑問に思いながらも、とりあえず貴明は部屋を出て、電話に向かった。
「もしかして、ダブルブッキング?」
顔をニヤつかせながら、環が電話の脇に立っている。このみも珊瑚も、
興味津々といった様子だ。瑠璃も目の前の問題集の解答欄を埋めてはいる
ものの、気にしている素振りだ。
「誰から俺んちの番号聞いたんだか・・・。もしもし。」
『あたしよ。あんたの家に、愛佳行ってるでしょ。』
「来てる。試験の範囲の所、教えて貰おうと思って。」
『ちょっと用があるから、代わって。』
「いや、今そばには居ないんだが。」
『呼んできて、代わりなさいよ!その試験の範囲の事なんだから!』
電話口で、思いっきり由真が怒鳴った。貴明はたまらず受話器を耳から
離す。
「・・・わかった、ちょっと待ってろ。」
電話機にある保留のボタンを押して、貴明はすぐに階段を駆け上がる。
「どうしたの?」
「愛佳、由真が代われって。試験の範囲の事だって言ってる。」
「どうしたんだろう・・・。あっちはあっちでやってるはずなのに。」
愛佳は立ち上がると、貴明の後をついて階段を下り、電話の受話器を取
った。
「もしもし・・・うん。・・・もう先に約束しちゃってたし・・・うん。
ところで、試験の範囲・・・えっと、85ページ・・・たぶん。」
話の内容から、試験に関する事だと判ったので、このみ達は再び自分の
やるべき事を再開した。環だけが、相変わらず電話機の脇で話を聞いてい
る。
「タマ姉、何か用でもあるのかよ。」
「別に。邪魔?」
素直に邪魔だと答えたら、恐らく環の手が貴明の顔面を捉え、ギリギリ
と音を立てる程に頭蓋骨を締め付けるだろう。それが判っているので、貴
明はあえて何も答えず、愛佳の電話が終わるのを待つ事にした。
「試験範囲が何ページまでか、クラスによって話が違うみたい。私達のク
ラスは85ページまで、だけど由真ちゃん達のクラスは89ページまでだ
って。」
「でも、クラスによって試験範囲が違うって事は無いはずだろ?」
「・・・タカ坊。こういう時は、89ページまで出るもんだと思って勉強
するのよ。」
このままだと二人の意見が平行線を辿ると思ったのか、環が口を挟んだ。
「なんでだよ。」
「4ページ分、出たら出たでラッキーと思って勉強しとくのよ。その方が
安全。」
「私もそう思います。覚えて損って事は無いですし。」
「さすがね。えっと・・・」
「愛佳です。小牧愛佳。」
その瞬間、貴明がしまった、という表情をする。今居る四人、少なくと
も環には、愛佳の名前を知られたくなかったからだ。
「さぁ、時間が勿体無いから、戻って再開しよう。」
「そ、そうね。」
これ以上余計な情報が漏れるのを防ぐ為か、貴明は愛佳に部屋へ戻るよ
う促す。やがて、二人は再び二階の部屋へと戻っていった。
「タマお姉ちゃん、なんで貴明行かせたん?」
「最初からしつこいと、警戒されるからね。あせらず、ゆっくりと、よ。」
環が何か企んでいると表情で判ったこのみは、つい苦笑いを浮かべた。
貴明達が勉強を再開して一時間も経った頃、再び部屋のドアがノックさ
れる。
「貴明〜、ごはんできたから降りてきぃや〜!」
「・・・えっ?」
その声は、瑠璃のものだった。昼食ができたから、降りて来いという。
「あぁ、本当だ。もうお昼なのね。」
「しかし妙だな・・・。買い物行ってないし、外に食べに行くつもりだっ
たから、冷蔵庫には何も入ってないはずだけど・・・。」
しかし、部屋の扉を開けると、下からいい匂いが漂ってくる。やはり瑠
璃が何か台所で作ったようだ。
「と、とにかく、降りてみましょ。」
「あ、あぁ。腹も減ったしな。」
匂いに誘われるままに二人がリビングに下りていくと、このみ達は既に
食べ始めていた。
「タカ坊、あんたお昼に何食べるつもりだったの? 冷蔵庫の中、何も無
いじゃないの。」
「おおかた、外に何か食べに行こうとかお手軽な事考えてたんちゃうか?」
環と瑠璃の指摘は、的確かつ容赦の無いものだった。やはり瑠璃が冷蔵
庫の中身を確認した上で今テーブルの上に並んでいる料理を作ったようで
ある。
「あ、あぁ。しかし、それ、どうやって作ったんだよ。」
「うちとタマお姉ちゃんで買い物行ったん〜。瑠璃ちゃんの御飯、貴明も
早よ食べてみてや〜。」
結局、環と瑠璃で献立を考え、環と珊瑚が近所のスーパーに買い物に行
ったらしい。
「愛佳ちゃんの分もあるから、一緒に食べましょ。」
「あ、ありがとうございます・・・。」
匂いに釣られたとはいえ一瞬はためらった愛佳だが、結局勧められるま
まに用意された昼食を一緒に摂る事になった。しかし、貴明はその状況か
らある仮定と結論を引き出した。
「タマ姉、狙ったろ。」
「あら、何の事かしら?」
「まぁ、今更どうにもならないから、いいけどな。」
やはり、貴明の仮定と結論は正解だったようである。
要は、四人は昼食をダシに愛佳から情報を引き出そうとしているのだ。
いつどこで貴明と知り合い、どういう過程を踏んで今ここに居るのか、と。
「・・・へぇぇ、じゃ、あのバーコード貼ったの、愛佳さんなんだ。」
「怒りんぼのメガネなあんちゃん、なんやごちゃごちゃと言うてたなぁ。
こんなバーコード付けても意味無いわ、て。」
目的こそ違うが、このみも珊瑚も図書室は頻繁に利用しているので、愛
佳が蔵書に貼っていたバーコードの件も知っていた。
「でも、結局必要無いからって、全部剥がされちゃって・・・。」
表情こそ笑っているが、愛佳の言葉には無念さが漂っている。やはり自
分の行為を無用だと否定された事は今でも心の傷となって残っているよう
だ。
「で、そのバーコードを貼るのに、タカ坊が手伝ってたってわけね。」
「あぁ。一人でやるには、数が多すぎるんでな。」
「なんや、図書準備室でちちくりおうてる二人て、愛佳ちゃんと貴明の事
やったんか?」
「な、なにっ?」
珊瑚がさらっと言うので誰もが一瞬スルーしたが、貴明はそれに気付
いたようだ。
「誰か言うてたで、ちちくりー、ちちくりー、図書準備室でちちくりおう
てるー、て。」
その瞬間、愛佳は顔を真っ赤にした。自分達がやっていた事をそういう
風に見ている者が居るとは思っていなかったのだろう。
「ふぅん・・・。」
「タマ姉、今思っているような事は、俺はやってないからな。」
「あら。じゃ、そういう事にしておきましょうか。」
その後も、たわいも無い食事中の会話に見せかけた愛佳と貴明への『尋
問』は暫く続いた。
どうにかしてその場を切り抜けた貴明と愛佳は、再び部屋に戻って試験
勉強を続ける事にした。
「・・・郁乃が来年入学してきたら、このみちゃんとか珊瑚ちゃんとか、
先輩って事になるんだね。」
「あ、あぁ、そうだな。ただ、瑠璃ちゃんはヘタすると、郁乃ちゃんの席
の隣に座ってたりしそうだけど。」
「えっ?どういう事?」
「瑠璃ちゃん、勉強の方はさっぱりなんだって。珊瑚ちゃんは逆に、勉強
はできるけど家事とか全然できないって言ってた。」
「でも、二人とも、凄く楽しそうだよね。」
病気がちで寝たり起きたりの生活が長い郁乃と、珊瑚と瑠璃のような生
活が送れたらどれだけ楽しい事か、と想像する愛佳だった。
「郁乃ちゃんが入学してくれば、愛佳だって先輩だろ?可愛がってあげな
よ、今までの分、しっかりと。」
「うん、そうだね。貴明君も、先輩として、可愛がってあげてね。」
「問題は・・・郁乃ちゃんがそれを嬉しいと思ってくれるかどうかだな。」
愛佳はつい、ぷっと吹き出してしまう。郁乃の性格を良く知っているだ
けに、その場の様子が容易に想像できたからだ。
再び試験勉強を再開した二人だったが、やはり一時間もすると、再びそ
れが遮られる事になる。
コン、コン・・・
「誰だ?」
「タカくーん、電話ー。」
扉の向こうに居るのは、このみのようだ。再び電話だという。
「十波だったら、出かけたって言ってくれ。」
「違う人だよ、えぇと・・・笹森さんって言ってた。」
「なにっ?」
慌てて貴明は部屋を出ると、電話の受話器を取る。
今回も、環は受話器の脇に居た。やはり楽しそうな表情をしている。
「もしもし。」
『やっほー、たーかちゃん。』
「お前、誰からこの電話番号聞いた?」
『それよりさ、今から学校まで来れない?』
「・・・何の用だよ。」
そう言いつつも、貴明にはおおよその見当が付いていた。恐らく、超常
現象研究会の部活をやるんだと。
『学校でやる事と言ったら、決まってるでしょ。部活よ部活。』
「お前なぁ・・・試験前で部活動は禁止だろ。」
『だって今日は休日だもの。休みの日に、誰が何をしようと勝手だと思う
けど?』
「じゃ、俺が何をしてても勝手だって事だな。じゃあ、また明日な。」
『ちょ、ちょっとたかちゃん、待ってってば!』
ガチャンッ!
貴明は問答無用でその電話を切った。丁寧に、電話線のモジュラージャ
ックまで抜いて使用不能にしている。
「・・・トリプルブッキング?」
環が再びニヤニヤとした笑みを浮かべる。他の者達も興味津々といった
様子だ。
「電話は元に戻さなくていい。笹森がうちに来ても、居ないって言ってくれ。」
「あら。随分嫌ったものね。」
「試験前の今日になって、部活やるから学校まで来いなんて言う事、誰が
聞くかよ。」
「なぁ貴明、その部活って、面白いん?」
「少なくとも、瑠璃ちゃんには面白くないだろうな。UFO呼んだり、お
化けの出そうな所探検したりするような部活だし。」
「・・・あぁ、あの長瀬のおっちゃん居るとこの地下室やんな。」
「さんちゃん、この間その話やめて言うたやろ!」
どうやら瑠璃はその手の話が苦手のようだ。必死になって珊瑚が話をす
るのを止めようとしている。
「とにかく、巻き添え食いたくないから、放っておく。頼んだぞ。」
徹底して全員に笹森と関わるなと言及してから、貴明は部屋に戻った。
だが部屋の中では愛佳が心配そうな顔をしている。
「・・・何の話だったの?」
「今から部活やるから、学校に来いとか言いやがった。時間の無駄だから、
放っておく事にする。」
「いいのかなぁ・・・笹森さん、待ってると思うよ?」
「良いんだよ。ヘタすると、試験中でも部活やるとか言い出しそうな奴だ
からな。」
既にうんざりしているぞ、という態度の貴明を見て、愛佳はそれ以上の
言及を避ける事にした。
暫くして、気が付けば日も傾き、徐々に周囲が暗くなり始めている。
室内はエアコンを入れているのでそれなりに涼しいが、部屋の外は相変
わらず熱気でむんむんとしていた。
「今日は・・・この辺でお開きって事で、いいかな?」
「あ、あぁ。ありがとう。助かったよ。」
「これから、郁乃の所に行かなきゃいけないの。」
「じゃ、送っていくよ。俺も晩飯どうするか決めなきゃいけないし。」
愛佳は今まで広げていた教科書やノートをそそくさとしまい始める。貴
明も自分の教科書とノートを片付けようとして・・・手が、愛佳の手に触
れた。
「あっ・・・。」
「お、おう。」
やがて、貴明が愛佳の近くに寄っていく。あと少しで唇が触れ合う所ま
で、お互いの顔が接近した。
ごいんっ・・・
「あいたっ。」
その時、扉の向こうから、小さな音と声が聞こえた。誰かが何かにぶつ
かって、痛がっているようだ。
「だ、誰か居るのか?」
貴明の呼びかけに、反応は無い。だがかすかに、階段を下りる足音が聞
こえてくる。
「こ、こらあっ!」
何が起こっているのかを察して、すぐさま貴明が部屋の外へ出るが、そ
こには既に誰も居なかった。
「あ、あ、あははは・・・。」
一部始終を見られていたかも知れない事に、愛佳はただ苦笑するばかり
である。
結局、愛佳を送るから全員帰れ、と貴明は強権を発動した。いつもなら
そんな事は気にも留めない環だったが、雄二の事も気になるようで帰ると
いう。
「そんじゃ、貴明、愛佳ちゃん、また明日なー。」
「タカ坊、送り狼にだけは、なるんじゃないわよ。」
「タカくん・・・晩御飯、うちで食べる?」
「いや、帰りにどこかで食べる。また明日な。」
途中までこのみが一緒だったが、すぐに別れて貴明と愛佳は二人きりに
なった。お互いに何かを言おうとするが、なかなか一言が切り出せない。
いつしか、病院に向かうバスの停留所に着いていた。
「・・・じゃあ、この辺で。」
「あぁ。それじゃ、また明日な。」
「うん。また明日ね。」
そう言いながらも、なかなか二人は離れようとしない。むしろ、二人の
距離は、近づいていた。
ちゅっ。
人目を気にして、軽く触れ合うだけのキス。
今は、二人ともそれで満足だった。
「じゃ、また明日ね。」
「あぁ。帰り、気をつけてな。」
愛佳がバスに乗り込む所まで、貴明はずっと見つめていた。
「・・・おーおー、大胆なこって。」
バスが走り出した瞬間、思わぬ方向から、聞き慣れた声がした。直後、
雄二がにやけた表情で姿を現す。
「お、お前、何でここに居るんだよ。」
「ちょいと昨日、派手にやり過ぎてな。気がついたら、病院のベッドの上
だったわけだ。さっきバスで戻って来たんだが、まさかお前が委員ちょと、
とはなぁ・・・。」
「てぇ事は、お前まさか・・・」
「向こう側から、全部見させて貰った。バッチリとな。」
慌てて状況を整理すると、貴明は一瞬考え込んだ後、自分にとって一番
安全かつ無難な結論を出した。
「あー、雄二。一晩位なら、泊めてやってもいいぞ。」
「サンキュ。タマ姉とこのみには、黙っててやるよ。」
どうやら、貴明にとって、明日も平穏無事とはいかないようだ。
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