風邪をひいた日

【風邪をひいた日】




「るー☆」
 もはや貴明にとって当たり前になった、珊瑚の朝の挨拶。
「・・・。」
 そして、いつもなら瑠璃から蹴りの一発も入るのが、いつもの朝だ。
「へ、へ・・・へっくしょん!」
だが、今日はそれが無い。明らかに体調が悪いのが見た目で判るほどだっ
た。
「瑠璃ちゃん、大丈夫か?」
「あ、あんたが心配せんでええ・・・。」
「せやけど、うちで大人しうして寝といた方がええ言うてるのに、瑠璃ち
ゃん聞かへんし。」
「この間も、学校が嫌いだって言ったばかりじゃないか。何も無理して学
校に行かなくても良いのに。」
「あんたには、関係あらへん・・・。」
 強がる瑠璃だったが、足元がふらついていて、決して大丈夫だとは思え
ない。
「こんな時期に風邪とは、なにやったんだ?」
「実はな、瑠璃ちゃん昨日・・・」
「さんちゃん、貴明に言う事あらへん。黙っとき。」
 昨日何が起こったのかを珊瑚は説明するつもりだったようだが、瑠璃が
口元を押さえて止めさせる。どうやら、よっぽど言われたくない理由があ
るようだ。
「せやけど、あれは瑠璃ちゃん悪いねんで?」
「判ってるて。せやから、黙っとき。」
 瑠璃の反応から判断するに、よっぽど貴明には知られたくないのだろう。
さすがの珊瑚も、ここではそれ以上何も言わなかった。
「珊瑚ちゃん、イルファさんは居ないの?」
「今日の昼まで、おっちゃんの所でメンテしとるから、あかんねん。代わ
りにみっちゃん呼ぼうか思たら、瑠璃ちゃん嫌がってな。」
「・・・あー、なるほど。」
 イルファが『ミルファは相当乱暴者』と言ってしまう位だから、能力的
に問題は無くても瑠璃と衝突する部分が多々あるのだろう。元々メイドロ
ボに自分の居場所を取られるのではないかと不安がっていたのだから、イ
ルファのような控え目の性格ならともかく、乱暴者という事では余計に瑠
璃と合わない。
 そういう部分を察してか、貴明はそれ以上の言及を避けた。
「まぁ、本人が行くって言うのを無理に止める事も無いか。風邪薬は飲ん
だ?」
「・・・学校行って、保険の先生に貰う。」
「あー、その方が安全かも。」
 おそらく常備薬は無く、珊瑚に風邪薬を買いに走らせようかとも思った
が諦めた、というのが瑠璃の表情からも読み取れた。


 二時間目の終了後、美術の授業で教室を移動する際に貴明は一年のクラ
スを覗いた。瑠璃と珊瑚の事が気になったからである。だが、どこの教室
を見回しても姿が見当たらない。
「・・・あっ、タカくん。どうしたの?」
 貴明の姿を見つけたこのみが寄ってくる。
「おう、このみ。瑠璃ちゃんと珊瑚ちゃん、どこに居るか知ってるか?」
「たぶん教室じゃなくて、保健室だと思う。授業中、廊下で二人の声が聞
こえたし。」
「そうか。わかった、ありがとう。」
 保健室まで行こうか迷った貴明だったが、美術室までの距離を考えて諦
める事にした。美術の時間は貴明にとって貴重な睡眠時間、あるいは内職
の時間であり、ギリギリで行くといい席が確保できないからだ。
 結局、授業を終えてすぐに貴明は保健室に走った。だが、部屋の中には
保健の教諭のみで、ベッドに誰か寝ているような気配も無い。
「あのー、さっき瑠璃ちゃ・・・、いや姫百合さんが来ませんでしたか?」
「具合が悪そうだから、珊瑚ちゃんと一緒に家に帰したわよ。何か用?」
「いえ、朝会った時、具合が悪そうだから、気になったもんで。」
「じゃ、帰りにお見舞いの一つでも持っていったら?ボーイフレンドの河
野くん。」
 保健教諭の何気ない一言だったが、つい貴明は顔を赤らめてしまった。
 教師がそう見る位だから、周囲は既にそう見ているだろうという事に、
今頃になって気付いたのだ。


 二人が既に帰宅しているのでコンピュータ室に行っても意味は無く、午
後の授業が終わると貴明は素直に帰る事にした。だが、正面玄関の所で呼
び止める声がする。
「タカ坊、今帰り?」
「た、タマ姉。帰るは帰るけど、商店街に寄ってからになるぞ。」
「少し待ってなさい。このみも来るから。」
「いや、悪いけど先に帰る。今日中に寄りたい所があるんだ。」
「・・・だから、少し待ってなさいって言ったでしょ。第一、お見舞いの
時の礼儀作法とか知ってるの?缶詰買ってビニール袋に入れたまま持って
行けば良いって物じゃないのよ?」
 貴明の表情が、見事なまでにひきつった。まさに、今から商店街で買お
うとしていた物である。
「タマお姉ちゃん、おまたせ・・・って、タカくんも今帰りなんだ。」
「このみ、お前タマ姉に何を吹き込んだ?」
「えっ?わ、私、何も言ってないよ?」
「・・・そんなにコソコソするような事じゃないでしょう。人として当然
の事をするんだから、堂々とやりなさい堂々と。」
 そう言いながらも、環はどこか嬉しそうに微笑んだ。まるで、オモチャ
を見つけて喜ぶ犬か猫のようである。
「ところでこのみ、果物の缶詰と野菜を買うとしたら、どこに行くかしら?」
「え、えっと・・・。買う種類にもよるんだけど、駅前のスーパーかな。」
「駅前の? 缶詰なら商店街の方が安いだろ。」 
「安いけど種類が無いから、目当ての物が無かったら二度手間だよ。」
「缶詰は・・・白桃かパイナップル。野菜は、ネギね。鍋物にするんじゃ
ないから、少し細めの方が良いわ。」
「じゃ、やっぱり駅前。白桃なら、おいしいの知ってるから。」
「あら。良かったじゃない、タカ坊。」
「・・・へーへー。」
 結局、三人で駅前のスーパーに行く事となった。


 スーパーに到着すると、このみお薦めの白桃の缶詰を手に取る。その一
方で環は食料品コーナーでネギを選び始めた。 
「白桃の缶詰は判るけど、お見舞いにネギってのが判らん。どうするんだ
よ、タマ姉。」
「風邪をひいた時は、ネギを手拭かタオルにくるんで、首に巻くと良いの。
ヘタな風邪薬より、よっぽど効くわよ。」
 いわゆる民間療法だが、ネギのツンという匂いの元になるアリシンとい
う成分が粘膜の炎症を抑え、鼻の通りを良くしてくれるのだ。また薬味の
ように刻んだネギをガーゼで包み喉に巻くと、ネギに含まれる硫化アリル
が喉を温めて痛みを和らげる作用を果たす。古くから伝わる療法というの
は、伊達ではないのだ。
「風邪なら生姜湯も良いんだけど、作るとなると面倒だから、ネギが一番。」
「・・・はちみつレモンは?」
「相性が良くてビタミンCが豊富、はちみつの糖分は疲労回復に良いわね。
でもどちらも意外に料理に使わないものだから、ハニートーストとかロシ
アンティーとか好きな人ならともかく、結構持て余してしまいがちなの。
はちみつが嫌いって人も居るし。」
 祖母の手で育てられた期間の長い環は、結果として『おばあちゃんの知
恵』のような事を良く知るようになった。それは、取りも直さず、自分が
そうして風邪を治したという事を意味している。
「うちは、熱が上がるとネギを・・・」
「貴明様。」
 このみが何かを言いかけた所で、誰かが呼び止める声が聞こえてくる。
それに振り向くと、買い物袋を手にしたイルファが居た。
「あぁ、イルファさんか。メンテナンスが終わったんだね。」
「珊瑚様から話を聞いて、先に買い物をしてからと思いまして。でも、私
たちメイドロボは『風邪をひく』という事を知識としては持っていますが、
実際に風邪をひく事はありませんので、どう対処していいか判らない所が
あります。」
 ロボットには、根本的に病気という概念は無い。故障なら直すし、異常
なら修理、という話になるからだ。
「・・・誰? タカ坊。」
「イルファさん。確か、HMXー17、珊瑚ちゃんの作ったメイドロボ。」
「あ、ほんとだ。耳の所、センサがある。」
 環もこのみも、メイドロボというものの存在を知っているし、街中で見
かける事もある。だが、実際に会話をするのはこれが初めてだ。よほど珍
しいのか、このみはイルファの周囲をついじろじろと見回してしまう。
「貴明様、こちらは?」
「あぁ、うん。向坂環と柚原このみ、どっちも幼馴染。このみは珊瑚ちゃ
ん瑠璃ちゃんと同じ学年で、タマ姉は俺より年上。」
「初めまして。私はイルファと申します。正式名称はHMXー17、来栖
川エレクトロニクス製の、皆さんがご存知のメイドロボの次世代機です。」
 唐突に、せせこましいスーパーの食料品コーナーで挨拶が始まった。だ
が環は、挨拶もそこそこにイルファの持つ買い物袋の中身を気にしている。
「・・・なるほど。それで、夕飯の買出しってわけね。ちなみに今日の献
立は?」
「瑠璃様には、消化の良い物という事できつねうどん、ほうれん草の胡麻
和え、卵豆腐という所で考えております。それと珊瑚さまの好みに合わせ
て一口大のハンバーグをお出ししようかと。」
「んー、一手間欲しい所ね。うどんには蒲鉾を入れて、油揚げの代わりに
豆腐を茹でて薄口の醤油で作った餡をかける、という所かな。」
「豆腐、醤油、あん・・・揚げ出し豆腐ですね。」
「揚げ出し豆腐は作るのに時間が掛かるから、豆腐は茹でるだけにして、
餡に凝った方が良いわ。卵豆腐も悪くは無いけど、できあいの物を盛るだ
けだから少し味気ない感じがするし。」
 絶妙なおかずの作り方に、このみだけでなく貴明も感心している。イル
ファはサテライトシステム経由でレシピの検索を掛けたようだが、レシピ
の通りにしか作れないという致命的な欠点がある。まだ一手間加える・応
用を利かせるという事まではイルファには学習できていないようだ。
「では、早速試してみます。ありがとうございました。」
「風邪の一番の特効薬は、親の愛情なんだけどね。こればっかりは、誰も
が持ち得る物じゃないから。」
「・・・なぜ、それが薬になるんでしょうか?」
「判りやすく言えば、風邪っていうのは日常のちょっとした事で起こる不
具合、という所かしら。ロボットであれば、センサの所にゴミが付いて
データがおかしくなったり、データの欠けが自己修復機能で対応しきれな
くなった、とか。だから見逃しやすいし、なかなか治りにくいの。それで
も面倒を見る人が愛情を持って隅々まで見れば判るはずよ。愛情が大事な
のは人もロボットも一緒、なんてね。」
「そう言われれば、私も理解できます。大事ですね、そういう事は。」
 貴明も今日ばかりは環に感謝した。自分ではここまで明確かつ論理的に
答えられないと思ったからである。
「・・・ところで、貴明様の買い物の方は宜しいのですか?」
「あ、あぁ。瑠璃ちゃんにお見舞いと思ったんだけど、イルファさんが居
るなら、持って行って貰うかな。」
「それは構いませんが、白桃の缶詰と・・・ネギですか?」
「ネギを首に巻いて一晩寝ると、喉や鼻が楽になるの。直接肌に触れない
ように、タオルでくるんでね。」
 さすがに民間療法は検索を掛けてもなかなか見つからないようで、イル
ファがそれに反応するまでに暫しの時間を必要とした。
「・・・理由は判りましたが、環様、これは本当に効果があるのでしょう
か?」
「人間にはプラシーボ効果と言ってね、本当は効果が無い物でも『効果が
ある』と言われて信じると、身体の免疫効果が高まったりして本当に効果
があったように身体を治してしまう事があるの。効果も重要だけど、信じ
る事も重要なのよ。」
「・・・あぁ、ガマの油な。信じてえらい目に遭ったっけ。」
「なによタカ坊、その目は。」
「やっぱり忘れてやがったか。どっかで手に入れてきて、俺と雄二に塗り
まくったよな。傷口洗いもせずにそのまま塗ったから、膿んで暫く治らな
かったんだ。」
 ぎくっ、という擬音が出そうな位に驚きの表情を見せる環。どうやら貴
明に言われるまで完全に忘れていたようだ。
「それからね、イルファさん、ちょっと良いかな?」
 このみがイルファに耳を貸せ、という仕草をする。何かこっそりと耳打
ちするような事があるようだ。
「メイドロボに耳貸せって、意味無いぞ、このみ。」
「良いの、気分の問題なんだから。」
 貴明のツッコミも意に介さず、このみはイルファ相手に耳打ちを始める。
「・・・た時は、ネギ・・・・・と、・・・・るの。」
 イルファが最初は微笑んで聞いていたのだが、内容を全て聞いたとたん
に表情が曇る。
「このみ様、それは、本当に効くんでしょうか?」
「効くんだけど、ちょっと、自分ではやりたくない、かな。熱が高い時も、
一晩で下がるんだよ。」
 瞬間的に、イルファの動作が止まる。またしても検索機能を使っている
ようだ。
「・・・た、確かに、民間療法の一つとして情報はありますが、効果があ
ると信じられない所があります。」
「だから、自分ではやりたくないの。でも、熱が高い時は効くんだよ。」
「試された事がおありですか?」
「・・・うん。」
 顔を真っ赤にしてうつむくこのみ。イルファもそれ以上は言いにくいの
か、困惑した表情をしている。
「・・・何の話だ?」
 何の事なのか判らない貴明はこのみに尋ねるが、何も教えてはくれない。
「あぁ、そういう事ね。ネギには確かに、そういう使い方もあるわね。」
 どうやら環は気付いたようだ。このみがイルファに何を教えたのか、そ
してイルファがなぜ困惑しているのかも。
「タマ姉、何の話だよ、教えろよ。」
「春香おばさまに聞けば判るわ。ねぇ、このみ?」
「わーっ!タマお姉ちゃん、しーっ!しーっ!」
 このみにとって、よほどこの話題は知られたくないのだろう。スーパー
の中という事も忘れ、このみは大声で環の言葉を打ち消そうとした。


 スーパーからの帰り道、必然的に話はメイドロボであるイルファの話に
なる。
「来栖川のメイドロボって、話は聞いていたけど、本当に人間そっくりな
のね。」
「あぁ。ボディは借り物だけど、システムは珊瑚ちゃんが作ったんだそう
だ。だ、ダイナミック・インテリジェンス・アーキテクチャ、とかなんと
か。」
「大並み、インテリ飽きてく茶?」
 このみが盛大なボケをかました事で、貴明と環が思わず吹き出してしま
った。だが、さすがの環もその言葉が何を指し示すのか想像するのに時間
が掛かっている。
「うーん、『ダイナミックな知性の構築』だから、飛躍的な知識の蓄積と
言った方が良いのかしらね。何でもかんでも知識を溜め込むんじゃなくて、
必要な事だけ覚える、のかな。」
「タマ姉、正解。好き嫌いでより分けて、後でその理屈を足していくんだ
とさ。人の赤ちゃんと同じで、好きな事だけ覚えていくんだけど、後でな
ぜそれが好きか嫌いかって情報を追加して、バランスを取るんだって言っ
てた。」
「そうね・・・。ロボットだからと言って、何でも知っているべきという
考え方が間違いだってわけね。人が万能でないように、ロボットも万能で
はない、か。」
「だから、イルファの次にできた、人間で言うと妹に当たるシルファって
のがいるらしいけど、結構乱暴者なんだとか。育ち方の違いだってさ。」
「えっ?ロボットにも育ち方ってあるの?」
「それが、最近珊瑚ちゃんが来栖川で研究してる事だ。このみみたいに朝
寝坊なロボットもできるかも知れないぞ。使う側がそれを許せば、だけど。」
「そ、そんなの、なんかイヤ・・・。」
「より人間らしくなる為には、そういう事も覚えて悪くはない、ってわけ
だ。だから当然、タマ姉みたいに乱暴な・・・いててっ!」
 貴明が何を言おうとしたのかを察知した環は、左手を伸ばして貴明の顔
面を捉え、ミシミシという音が聞こえそうな位に力を込めた。
「私みたいに、なに?」
「あだだだっ! いてぇ!いてぇ!割れる、割れるってばタマ姉!」
「・・・あ、あ、あはははっ。」
 いつもは雄二が食らっている技だが、今日は貴明が食らっている。どう
にも止めようのないこのみは、ただ苦笑いするのみだった。 



 そして翌朝、通学路。
「るー☆」
 いつも通りの通学の風景。だが昨日の今日なので、珊瑚のみで瑠璃は居
ない。
「瑠璃ちゃん、どう?」
「熱も下がって、だいぶよおなってる。明日は来れるよ。でも・・・」
 貴明に何か言いたそうな珊瑚だったが、頬を染めて照れた笑いを浮かべ
ている。
「・・・ん?」
「やっぱり、貴明、えっちぃや。」
「な、何の話だ?」
 訳がわからず問い質す貴明だったが、珊瑚はそれ以上何も答えてはくれ
なかった。
「ところでな、貴明。いっちゃん、お見舞いのお返しや言うてお弁当作っ
てくれてん。お昼一緒に食べよ?」
「俺に?」
「それと、白桃の缶詰、美味しかった〜。」
「そ、そうか。それはよかった。」
 瑠璃だけでなく珊瑚にも好評だった事で、嬉しいと同時にこのみへの感
謝の気持ちを持った貴明だった。
「貴明、いっちゃんのお弁当、要らんか?」
「ありがたく、頂く事にするよ。」
「やたー。ほな、お昼に屋上でな。」
 しかし、教室に到着した所で、貴明はふと気づいた。
「あれ? 珊瑚ちゃん、弁当なんか持ってたか?」


 昼休みに突入すると、食堂にダッシュの雄二を尻目に貴明は屋上に向か
った。弁当があるのか、という一抹の不安を募らせながら。
「貴明〜。」
 屋上では、既に珊瑚が待ち受けていた。丁寧に、行楽用のビニールシー
トなど敷いて。
「・・・え?」
 そして、その脇には弁当箱を二つ抱えたイルファの姿があった。
「お待ちしておりました、貴明様。」
「が、学校まで、持って来たの?」
「えぇ。作りたての方が美味しいかと思いまして。」
「・・・瑠璃ちゃんは?」
「まだ、寝ていると思います。これをお届けしてから、瑠璃様の昼食の用
意をしようと思いまして。」
 明らかに周囲の奇異の視線が二人に向いている。貴明はそれに気付いた
が、珊瑚は気付いていないしイルファも気付いていながらそれを完全に無
視していた。むしろ、『邪魔したらタダじゃおきませんよ』という雰囲気
すらも感じる位だ。
「・・・さて、どうしたものかしらね。」
「タマお姉ちゃん、今日は花壇の所で食べようよ。」 
「あら。タカ坊の事、気にならないの?」
「気にはなるけど、イルファさん居るし・・・。」
 屋上に出る昇降口の所で、扉の隙間からこのみと環がその光景を覗いて
いた。二人とも、屋上で弁当を食べようと上がってきたが、すっかり貴明
達の世界が出来上がってしまった為に出づらくなったようである。
「大丈夫よ、そろそろ帰るでしょうから。」
「・・・や、やっぱり、邪魔しちゃまずいよ。」
「あら、そう?じゃ、そういう事にしましょうか。」
 結局、二人は階段を下りて日当たりの良い花壇の所で弁当箱を広げる事
にした。
「お? タマ姉、このみ、なんでこんな所でメシ食ってるんだよ。」
 丁度そこに、雄二が通り掛かる。どうにかして購買の熾烈なパン争奪戦
を勝ち抜き、目当ての物を確保できたようだ。
「・・・雄二、テーブルの所に置いておいたお弁当、 どうしたの?」
「美味かったぜ。朝飯食わずに出てきたから、先に休み時間に・・・」

 がしっ! 

 その瞬間、環の左手が雄二の顔面を捉えた。まるでもう慣れた、とでも
言わんばかりにがっちり捉えると、ぎりぎりと締め上げていく。
「いてぇ! いてぇ! 割れる割れる割れる!」
「・・・いっぺん、割ってみようかしらね。」
「冗談でも止めろっての姉貴! あだだだだだっ!マヂで割れる!割れる
ってば!」 
 雄二の悲鳴が周囲に響き渡るが、それでも環の手は締め付けを緩めない。
ようやく環が手を離した頃には、雄二は気絶寸前だった。相当癪に障った
ようだ。
「まったく、お昼まで待ちきれないなんて、あさましいというか、情けな
いというか・・・。」
「・・・あーいてぇ。育ち盛りの男には、あれ位の弁当じゃ足らねぇって
の。」
「じゃ、明日から、自分の分は自分で作って貰おうかしら。あんたが何時
に寝ようが、五時半には起こしてあげるから、覚悟するのね。」
「五時半?たぶん、殴られても起きねぇぞ、そんな時間じゃ。」
「・・・じゃ、起きるまで殴ってあげるわ。それとも、二度と起きなくな
るのと、どっちがいい?」
 環の目は、真剣そのものだった。明らかにシャレで言っている話ではな
い。雄二もそれに気付いたのか、顔から血の気が引いている。
「・・・可能な限り、善処します。お姉さま。」
「まったく、育ち盛りだっていうのなら、このみだってそうよ。あんたよ
りも年下なのに、お腹が空いてもお昼になるまでしっかり待ってたのよ。
少しは見習いなさい。」
「あ、あはっ、あははっ・・・。」
 環の凄まじい剣幕に、実は私も休み時間にちょっとだけ・・・とは言わ
ないでおこう、と苦笑いでごまかすこのみであった。
 

 そんな事が起こっているとは知る由も無い貴明は、あいも変わらず屋上
で弁当を食べている。
「ところで、瑠璃ちゃんどうして風邪ひいたの?時期外れだし、変じゃな
いか。」
「あれは、瑠璃ちゃん悪いねんけど、そう言うと怒るやろな・・・。」
 珊瑚は少しだけ困惑した表情で、ちらりとイルファの顔を見る。イルフ
ァも思い当たる事があるらしく、その視線で何となく気付いたようだ。
「珊瑚様、もしかして、その・・・ミルファちゃんが何かした、という事
でしょうか?」
「三人ともメンテやっとって、瑠璃ちゃんヒマやから噴水の所で遊んでた
ら、コケておっこちてん。」
 珊瑚の話を要約すると、来栖川のラボに二人で行ったものの、珊瑚がイ
ルファ達のメンテナンスに掛かりっきりになった為、暇を持て余した瑠璃
が入り口にある噴水の所で遊んでいたら落ちてしまったらしい。
「乾かそうにも代わりに着るもん無いし、おっちゃんらの部屋にあったタ
オルも臭い言うて借りんから、瑠璃ちゃん濡れたまま一時間以上待ってて
んで。」
「・・・あぁ、そりゃ風邪ひくわ。」
「昨日、瑠璃様の言葉が冷たかったのも、それが原因だった、という事な
のでしょうか?」
「たぶんな。いっちゃんはともかく、みっちゃんまた胸大きいせぇ言うて
メンテ始めるのゴネよったから、帰るの遅うなってもうたし。」
「・・・珊瑚様、私、そろそろ戻ります。瑠璃様の昼食を作らないといけ
ませんし。」
 イルファは立ち上がると、周囲を片付け始めた。それを見て、貴明も慌
てて弁当を食べ終える。
「あ、あぁ、イルファさん、ごちそうさまでした。」
「いいえ、実はお見舞いに頂いた白桃、瑠璃様がすっかり気に入られまし
て、これからもう一缶買いに行こうと思っているんですよ。」
「やたー、今夜も桃缶食べられるー。」
 それが誰の為の物なのか、すっかり忘れて喜んでいる珊瑚だった。
 次の日の朝も、いつも通りの通学風景・・・になるはずだった。学校ま
での道を環、このみ、雄二と一緒になって歩いている。
「タカ坊、瑠璃ちゃんの様子はどうなの?」
「今日は来れそうだ、とは聞いてる。来れなきゃ、帰りにお見舞いに行く
予定。」
「おーおー、すっかり恋人みてぇだな。」
「病人の見舞いに行くのに、なにが恋人だよ。」
「ねぇタカくん、結局、瑠璃ちゃんどうして風邪ひいたの?」
「いや、それは本人に直接聞いたほうが・・・。」
 話は既に珊瑚から聞いているが、内容が内容だけに、貴明は言葉を濁し
た。どうせ聞くのなら、当事者から直接聞けという。
「このみ、人にはなかなか言いにくい事があるんだから、あとでこっそり
瑠璃ちゃんに聞きなさい。タカ坊が言いにくそうにしてるってことは、多
分恥ずかしい理由なのよ。」
 環の指摘は、的確かつ容赦の無いものだった。このみも、環の言葉に従
ってそれ以上貴明に何も聞かない。


 やがて、いつもの路地。今日は珊瑚だけでなく、瑠璃も顔を現すはずだ。
「るー☆」
「おう、おはよう。」
 珊瑚の行動は、やはりいつもと変わらなかった。
だが、

「こらあっ!貴明!」

  げしっ!

 瑠璃は顔を合わせるなり、いきなり貴明に強烈なケリを食らわせた。突
然の事で、貴明はもんどり打って倒れる。
「いてえっ!」
「あんた、イルファになに教えてん! えっちいにも程があるやろ!」
「・・・な、何の話だ?」
「イルファが、ごっつ太いネギを、うちの・・・」
 途中まで言いかけたものの、瑠璃は赤面してうつむいてしまう。
「あ? ネギが何だって?」
「ネギをうちの、お、おし・・・アホぉ! なに言わすねん!」

  げしっ!

 朝から二発目のケリである。しかも一発目より更に勢いが増している。
「あ、あははは・・・。イルファさん、やっちゃったんだ。」
 その状況から何があったのかを察したこのみが、苦笑している。
「あいたたた・・・。なんなんだよ、まったく。」
「タカくん、あのね・・・。」
 痛みに耐えかねて地に伏している貴明に、このみがそっと耳打ちした。
ネギは首に巻いたり、刻んで喉に貼ったりする他に、別の使い方をすれば
下熱効果も有るという事を。そしてその方法は、他人から見れば、かなり
恥ずかしい事だという事も。
「ば、ば・・・バカか、このみ! お前、それをイルファさんに教えたの
か?」
「だ、だって、本当に効くんだもん。痛いし、恥ずかしいけど。」
「だからって、なにもイルファさんに教える事は無いだろう! ネギを尻
に・・・」
「アホぉっ! こんなとこで言うな!」

  げしっ!
 
 再び、瑠璃のケリが貴明に命中する。

「でも、ネギのおかげで琉璃ちゃんの熱さがってん。貴明がえっちぃなお
かげで、瑠璃ちゃんの風邪治ってんで〜。」
「ちゃう! 絶対にあれは、貴明の陰謀や! うちが具合悪いの知って、
仕返ししたんや!」
「・・・嫌よ嫌よも好きのうち、かしら。ラブラブね、タカ坊。」

 その瞬間、環は微妙に含みのある笑い方をした。暫く貴明をいじるネタ
ができて嬉しいとでも言わんばかりだ。

「貴明、やっぱり瑠璃ちゃんとらぶらぶや〜。」
「さんちゃん! 全然ちゃう! なんでうちと貴明がらぶらぶやねん!」
「おおっ、ついに貴明にも、春の季節が到来か?」
 雄二にまでからかわれた事で、怒り半分、恥ずかしさ半分、貴明は逃げ
る雄二を追い回している。その一方で、やはり同様に逃げ回る珊瑚を琉璃
が追い掛け回していた。


 らぶらぶという言葉を繰り返す珊瑚と、それを徹底的に否定しようとす
る瑠璃。そしてそのとばっちりを受けてケリを食らう貴明。そして三人を
時に呆れつつも傍観しているこのみと環、雄二。

 結局、少しばかり違う所もあるが、いつもの朝の通学風景に戻ったよう
である。



 ・・・貴明と瑠璃がどう感じているかは別にして。


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