誰が為に歯車は回る

【誰が為に歯車は回る】




 
 世界のよき歯車となれ。
 だが歯車は大きくても小さくてもいけない。望み望まれる大きさであれ
ば、それは必ず人の役に立つ。望まず望まれない大きさの物は、逆に世界
を歪める。


「・・・理樹。クド公、見送りに行かねぇのか?」
 そろそろ夕食の時間。筋トレを切り上げて部屋に帰ってきた真人だった
が、理樹がそこに居る事に意外だという表情をする。
「えっ?」
「あれ、知らねぇのか?今、表で黒服の男達と会ってたぜ。」
「まさか、そんな!」
 不意にイヤな感覚に囚われる理樹。気付けば部屋を飛び出し、寮の玄関
を駆け抜けていた。
「クド!」
 その姿を見つけたのは、校門の外だった。だがクドは理樹のかけた声に
気付かず、黒服の男に促されるままに車に乗り込む。必至に追いかけるが、
車は無情にも勢い良く走り去ってしまった。

 追いかける術も無く、仕方無しに食堂で夕食を摂る理樹。だがクドの事
が気になって、手は動く事よりも止まる事の方が多くなる。
「どうした理樹、食べないのか。」
「あ、うん。そういうわけじゃないんだけど。」
「食べないと真人に食われるぞ。」
「誰が食うかっ!」
「さっきから理樹の皿を見てる。自分の皿だけ見て食え。」
 箸が進まない理樹を気にしてか、鈴が声をかけてくる。だがそういう気
遣いも今の理樹には通じない。
「おい理樹、醤油取ってくれ。」
「うん・・・。」
「理樹、たくあん一切れくれ。」
「うん・・・。」
「理樹、その肉一切れ・・・」

 ズビシッ!

 いきなり、鈴のハイキックが真人に炸裂する。
「うぉぅっ!」
「言ったそばから横取りするなぼけーっ!」
「本人がうんって言ってるんだから良いだろうが!」
「ふかーっ!」
 そんな激しいやり取りも、今の理樹には関心が無い様子だ。
「理樹、気になる事でもあるのか。」
「うん・・・。」
「クドの事か。」
「うん。さっき黒服の男達と一緒にどこかに行った。」
「心配するな。よほどの大事なら、伝言なりあるはずだ。クドもまだ状況
を把握していないんだろう。何があったかすぐに言ってくるだろうから、
今は黙って待っていろ。」
 恭介の言葉は恐らく正しい。だが理樹の心にある不安感は、なかなか消
えない。一分一秒が、まるで百倍にも引き伸ばされたかのように長く感じ
る。

 食事を終えて一旦は部屋に戻る理樹だったが、やはり落ち着いていられ
ず寮の前で待つ事にした。まるで娘の遅い帰宅を待つ父親のようである。
「・・・わふー、リキ、どうしたですか?」
 消灯にはまだ充分に早い時間に、あっさりとクドは帰ってきた。心配で
待っていた理樹の行動は徒労だと言わんばかりに。
「黒い服の男達と車に乗っていったから・・・心配で・・・。」
「わふー、やっぱりあれはリキでしたか。もしかして、と思ったのですが。」
「また・・・何かあったの?」
「何もないです。今日は私にご用でした。」
「クドに用って、何の?」
「世界の歯車になる為のお仕事、です。でも、テヴアの人からは、要らな
いって言われちゃいました。」

 どこかでゆっくりと話を、と思った理樹だが、食堂は既に鍵が閉じられ
中に入る事はできない。
「・・・リキ、明日にしませんか。」
「できれば、今聞いておきたいんだ。」
「では、お茶を飲みながら話をしましょう。」
 結局、クドが持っている鍵で家庭科部の和室に入り、そこでお茶を飲み
ながらという事になった。いつもなら心地いいはずの緑茶の匂いも、今日
はやけに鼻につく。
「テヴアの人からは、要らないって言われたって・・・」
「もう、テヴアの人は、私を他所の子だと思っているようです。肌の色も
違う、言葉も違う、だから心の中にあるものも違う、と。」
「でも、そんなの関係ない・・・」
「おとうさんと、おかあさん、どっちもテヴアには要らないものを持ち込
んだ、だからその子供も要らない、だそうです。」
「そんな事を言う連中が、クドに何の用だったの?」
「テヴアの人達ではないのです。私を呼んだのは、おじいさまのお友達で
ある、グラフコスモスの人達だったのです。私を、テヴアからの答礼使節
団に加えるべきだ、と。でも、テヴアの人からは要らないって言われて・・・。」

 クドの両親が参加していた、テヴアにあるノーヴィ・バイコヌール基地
からのロケット打ち上げ失敗。失敗そのものよりも、落ちたロケットが推
進剤として用いていたヒドラジンを周囲にばら撒いた事が大きな問題にな
っていた。ヒドラジンはロケットの液体燃料としては一般的なものだが、
人間にとっては吸って危険、触って危険という有害な物質である。
 日本政府がテヴアに対して復興支援込みの緊急ODAを申し出てくれた
事もあり、テヴアは思ったよりも早く治安が回復し国民生活の不安も取り
除かれつつある。テヴァの政府はそれに対する答礼使節団を結成したが、
グラフコスモス、つまりロシアの宇宙開発者達はその使節団にクドを入れ
るよう進言、テヴァ側はそれを拒否した、というものだった。
「テヴア生まれで、オーシャンランチコーポレーションの関係者で、日本
語に堪能って、メンバーとしては一番な選択って気がするんだけど。」
「・・・テヴアの人は、オーシャンランチコーポレーションって名前がま
た出てくるのがイヤなんだそうです。」
「それにしても、答礼使節団って初めて聞くけど、何をするのかな。」
「おじい様が言ってました。関東大震災の時、日本は援助をしてくれた米
国に女性ばかりの使節団を送ってお礼のスピーチを英語でやったんだ、と。
だから、今回もテヴアの人が日本語でお礼を言うのが大事なのですよ。」
「尚更、クドがやるべきだと思うんだけど。」
「わふー・・・でも、私はテヴアの公用語は、あまり喋れないのですよ。」
「そういえば、テヴアの公用語って?」
「キリバス語と英語です。」
「でも、テヴアで生まれたんだよね?喋れないってのは・・・」
「喋らないから、忘れたのです。おじいさんも、おかあさんも、私には日
本語で喋っていましたから。」
「あぁ、そういう事か。」
 実に単純な事だった。普段から喋っていなければ、言葉などすぐに忘れ
るのだ。幼い頃の記憶というのは大脳皮質の奥に眠っていて、取り出す事
も難しいし、それをすぐに現在の生活に活かせるかというとやはり難しい。
車の運転などを例に出すまでもなく、やらなければ人というのはすぐに忘
れる。定期的に思い出していない限り、それは不要な記憶として仕舞った
事すらも忘れてしまうのだ。
「せっかくの機会だから、なんとかしたいけど・・・」
「おかあさんの言っていた、世界の歯車になるというのは、こういう事を
言うのだと思うんです。テヴアの人、日本の人、オーシャンランチコーポ
レーションの人、グラフコスモスの人、みんなが歯車になっていて、普段
は別々に動いていて、そこに誰かが歯車になると、一緒に動くのです。」
「僕も、そう思うよ。そうなれればいい、と思う。」
「今回は無理でしたが、諦めてはいけないのです。頑張りますよ、リキ。」
「そうだね、明日は必ず来るから、諦めちゃいけないよ。」
「・・・今日はもう寝ましょう。リキ、待っていてくれて嬉しかったです。」
「いいんだ。えーと・・・スパコイナィ、ノーチだっけか。」
「はい、すぱーこーいない・のーちー、リキ。」
 部屋の灯りを消し、鍵を閉めると、二人は寮に戻る。理樹には、クドの
背中から、なんとなく寂しそうな気配を感じていた。

「・・・おう理樹、思ったより早かったな。」
「うん。」
 部屋では真人が筋トレを続けていた。だが何かを期待している目と共に、
その動きを止める。
「な、なんだよその目は。何も無いってば。」
「なぁんだ。何もねぇのか。ちょっとだけ期待してたんだがな、軽くつま
める甘いものとか。」
「・・・ひょっとして、お菓子?」
「あぁ。それ以外に何かあるのか?」
 やはり、真人は脳味噌まで筋肉になっているのだろう。
「ねぇ真人、例えばだけど、自分の筋肉に、お前要らないって言われたら、
どうする?」
「な、なにっ?なんだって?」
「自分の筋肉に、お前要らないって言われたら、だよ。」
「うーん・・・寝る。」
 タオルで汗を拭くと、真人は無表情でベッドに潜り込んだ。回答を諦め
たというよりも、回答に至るまで脳が活動するのを無意識に止めたようだ。
「なんとかしたいけど・・・」
 とは言え、理樹も良いアイデアは浮かばない。失意と焦りを感じつつ、
理樹も布団に潜り込んだ。


 その数日後、食堂のテレビからはテヴアの使節団来日のニュースが流れ
た。来日中の日程も公表されている。
「わふー、思っていたよりも早いです。」
「・・・ん、思っていたよりも?」
「なんでもないのですよ、リキ。」
 その場をごまかすように、クドは足早に席を立った。勢いはあるが、明
らかに不自然な歩き方で。
「んふふっ、どうしたのかな、同志理樹?」
「・・・な、なんだ、葉流佳か。それに、その同志理樹って、どういう意
味なのさ。」
「同志は同志なのですヨ?アジーン、ドヴァー、トリー、チェトイリェ、
ビャーチ、シェースチ・・・ヤー・ルブリュー・ティビャー、トヴァリッ
シュ・リキ!」
「それ、何言ってるか、わけわかんないから。」
「おやおや、理樹くんもおとぼけが上手ですねぇ。では同志理樹、スパコ
イナィ、ノーチー!」
 クドとは別の意味で勢い良く食堂を出て行く葉流佳。追いかける間も無
いが、理樹には葉流佳の残した言葉が引っかかっていた。
「スパコイナィ、ノーチって、ロシア語だよな。ヤー・ルブリューなんた
らってのもクドから聞いた気がする。たぶんトヴァリッシュは同志って意
味なんだろうな。結局、葉流佳は何を言いたかったんだ?」
「理樹。そろそろ授業だぞ。」
「あ、あぁ。うん、すぐ行くよ、同志鈴。」
「・・・なんかイヤだ、その言い方。」
 鈴はあからさまな不快感を示す。これはやはり親しい間柄で使う言葉で
はないと思う理樹だが、なぜ葉流佳が『同志』という言葉を使ったのかは、
判らずじまいだった。

 休み時間に朝の事の真意を聞こうと、理樹はクドに声をかける。
「わ、わふー。ちょっと待って下さい、リキ。」
 手元を見ると、クドは指に絆創膏を貼ろうとしていた。何か鋭利な刃物
で指を切ってしまったようだ。
「・・・血は出てない?」
「止まったのですが、また出てくるかも知れないので、貼っているのです。」
「あぁそうそう、朝の事だけど・・・」
「・・・同志理樹、英語の辞書を貸してくれたまえ!」
 背後から、ぶつかりながら葉流佳が声をかけてくる。その勢いに、思わ
ず床に倒れそうになった。
「な、なんだよいきなり。それに、その同志って、どういう意味だよ。」
「いや、だから、同志は同志ですヨ?それより、英語の辞書。」
「答えたら貸してやる。」
「深い意味は無いってば。同志は同志、それだけの意味ですヨ?」
 葉流佳はニヤニヤとした笑いを浮かべている。意味は確かにそれだけな
のかも知れないが、別の意味を乗せているというのは表情からバレバレで
ある。
「・・・葉流佳さん、その同志というのは、とぶぁりっしゅの意味ですか?」
「うん。クド公も意味は判るよね?」
「でも、あまり使わない方がいいのです。上から下へ呼びかける時の言葉
なので、友達同士には良くないのですよ。」
「・・・まったく、ちょっと教えたらすぐ使おうとするんだから。」
「ありゃりゃ、同志加奈多ではありませんか。」
「・・・誰が同志よ、誰が。」
 葉流佳の更に背後に、加奈多が立っていた。相変わらずクリムゾンレッ
ドの腕章を付けてはいるが、以前ほどの威圧感は消えている。
「能美・クドリャフカさん。放課後で構わないので、生徒会室へ。部室使
用の件で生徒会から質問があるそうです。」
「はい、わかりましたです。」
 用件を伝えると、加奈多は教室を出ていった。途端に廊下が騒がしくな
る。
「・・・ばかー、はなせー、相手取るぞー!」
「あんたの教室はこっちでしょうが!」
 葉流佳の制服の襟首を掴んで、引きずるように出ていったのだ。
「クド、いったい何を・・・」
 話を聞こうとする理樹だったが、加奈多達と入れ替わりのように教師が
教室へ入ってくる。指の傷の事も含め、詳しい話は結局聞けずじまいだっ
た。


 結局、生徒会に呼び出された理由も含めて、クドの口が開かれる事は無
かった。まるで理樹を避けるように、クドはその口をつぐみ、できる限り
で理樹の追求から逃れようとする。
 勿論、クドは普通に授業を受けている。だが日を重ねるにつれ、その表
情は暗く体調的にも辛そうになっていった。ようやく立ち話の機会を得て
も、そのガードは固く、全てを語ろうとはしない。
「・・・クド、何か心配事でもあるの?」
「そうではないのです。ただ、ちょっとでも、お役に立とうと思いまして。」
「何の役に?こっそりテヴアに一人で行くなんて事は、無いよね?」
「リキ、それは無いです。私は、たぶんテヴアには二度と入国できないで
すから。」
「どうして?生まれた国なのに?」
「命の保障がされないから、です。テヴアの人にもそう言われました。」

 ロケット打ち上げ失敗と、それに伴う国家の破綻、暴動の発生。そこで
少なからず、家族を、そして家財道具を失った人が居る。そしてその人達
は、やはり少なからずオーシャンランチコーポレーションを恨んでいる。
クドが関係者の子供だと知れば、問答無用で襲う者が居るだろう。テヴア
政府として、充分に護る事のできる状態ではないから入国は許可できない、
というわけだ。

 理樹ははふと、クドの指先に目をやる。いつしか指に貼られている絆創
膏の数が増えていた。
「・・・なに、その指先。」
「わふー、リキに見つかってしまいました。でも、まだナイショなのです。」
「もしかして、疲れてるように見えるのは、そのせい?」
「そんな事はないのです。」
 強がりを言っているように見えるクド。だが、明らかに睡眠不足を無理
に紛らわしているというのが表情から窺えた。

「・・・どうした少年。困った事があるなら私に相談するがいい。」
 考えあぐねながら中庭の自販機に向かうと、いつも通りの姿の唯湖が脇
のベンチに腰掛けていた。
「あ、まぁ。クドが何かを隠してるっぽいんですが、無理に聞きだすのも
良くないしなー、と。」
「そういえば、いつだったか、彼女が生徒会室から出てくるのを見たな。」
「部室の利用の件で、生徒会から質問があったんだそうで。」
「ならば話は早いだろう。使ってはいけない時間、使ってはいけない理由
で部室を使ったという嫌疑が掛かったから、呼び出されたのではないのか?
部活動に関係の無い利用ならば、部室の鍵を取り上げるぞ、と。」
「あぁ、なるほど。」
「これで疑問は解決したな。少年、私につき合え。」
「・・・謹んで辞退します。」
「却下だ。無理に逃げ出そうものなら、学内で誰彼構わず質問をぶつける
ぞ。君とコマリマックス、二人はチョコレートが溶けるほどの長い時間、
屋上で何をしていたのか、誰か知る者は居らんか、とな。」
「判りました。お供します。」
「うむ。物分りの良い者は重用されるぞ。」
 結局、唯湖の都合のいいように玩ばれてしまった理樹。だがそのおかげ
で疑問の一つが氷解した。どうやら、クドが深夜に家庭科部の部室として
鍵を預けられた和室で何かをしているらしいという事が。


「・・・というわけで、恭介に相談に来たんだけど。」
「本人が言い出すまで、そっとしておいてやれ。その方が良いだろう。」
 結局、放課後に理樹は恭介の部屋を訪ねた。だが、恭介はクドのやって
いる事を知ってか知らずか、そのまま見守る事を勧めてくる。
「もしかして、恭介は何か知ってるの?」
「いいや。でも、世界の歯車になる為の仕事って言ってたよな。それはつ
まり、人と人との橋渡しって事だ。本人のやる気が無ければできない。言
葉も文化も違う二つの国の人を繋ぐんだからな。大変な仕事だと思うし、
だからこそ時間も掛かるし指がボロボロにもなるんだろう。手伝って欲し
いといわれるまでは、本人の好きなようにやらせてあげるべきだ。」
「逆にさ、僕達ができること、何か無いかな。」
 ふむ、と一言呟くと、恭也は口元に手を当てて何かを考え始める。勿論
理樹も考えてはいるが、一度考えて名案が浮かばなかっただけに、恭介を
どうしてもアテにしたくなる。
「・・・あると言えば、あるな。俺とお前だけではできないが。」
「誰が居れば、できるのさ。」
「小毬と葉流佳・・・というより加奈多の二人だな。」
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 この続きは、今はまだ本の方で。いずれ全部公開します。


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