水瀬さんちは今日もお天気】

 

 季節は巡り、再び春がやってきた。

 相沢祐一、水瀬名雪の2人はいよいよ3年生となり、受験か就職かの選択を迫られる年となった。

  「はぁ〜、どうするかな。なりたい職業は特に無いけど…。」

 春の陽射しの中、祐一は学校からの帰り道、悩んでいた。

 大学に行くか、それとも就職するか、多くの人が一度は通る道ではあるが、自分の人生にとって

は大きな転機である。悩まないわけはない。

 香里は『あたしは就職。病気抱えた妹が家にいるのに大学へ行かせてもらえるほど家は裕福じゃ

ないし、推薦貰える程勉強もしてないしね。』とあっさりしているし、北川は『俺は家が商売してる

から、受験はするけど、落ちたら即就職だ。』とこっちも呑気に構えている。

 名雪は昨年の陸上大会の成績でスポーツ推薦がほぼ決まったと言っている為、4人の中で進路が

決まっていないのは実質祐一だけだった。

 そんな祐一が水瀬家の前の通りに出ると、家の前に秋子と背広姿の男2人が立っているのを見た。

滅多に来客のない水瀬家には珍しい光景だった。

  「珍しいな、お客さんなんて…。」

 といいつつ歩いていくと、話し声が聞こえてくる。

  「…我々はお待ちしておりますので。」

  「待つのなら、あの人を待っていて下さい。私も待ち続けていますので。」

  「…はぁ。では、いつも通り企画の件はお願いします。」

 そう言うと、男2人は会釈をして歩いていく。秋子も軽く会釈をして見送る。

  「…あら、祐一さん、お帰りなさい。」

 秋子が祐一の姿を見つけて声を掛ける。

  「ただいま。お客さんだったんですか?」

  「勤め先の人達です。仕事の件で、いつもは電話で済ませるんですが…。」

 そう言われて、祐一は歩いていった2人の方を見る。しかし、2人のどちらの手にも、

書類など仕事に必要な物を持っている様子はなかった。

  「前から気にはしていたんですけど、秋子さんの仕事って、自宅でできる仕事なんですね。

それにしても、わざわざ会社の人が家まで来るなんて、凄いですね。」

  「私としては、あまり嬉しくないお客さんではあるんですけどね…。」

 秋子の顔がやや暗く沈むのを見て、祐一はどう言葉を掛けたら良いか判らず、そのまま黙ってしまった。

 

 

  「ねぇ、祐一、祐一…。」

 その日の夕方、名雪が部活から帰ってくるなり、祐一の部屋に飛び込んでくる。

  「うわ、名雪…お前、せめて着替えてこいよ。」

 そう言って振り返った祐一。しかし、名雪の顔がいつもと違った。

 ぽっと顔を赤らめつつ、やや下を向いている。

  「どうした…。」

  「あ、あのね…。 で、できちゃったかも…。」

  「な、何が。」

  「あの、 あ、あれが…。」

  「だからあれって何だよ。」

  「あ… 赤ちゃん。」

 名雪が聞こえるか聞こえないか位の声でそう言う。

  「そうか、赤ちゃんか…。   な、なにぃ! 赤ちゃんだとぉ!」

 一瞬さらっと聞き流した祐一だったが、事の重大さに気付いて思わず大声をあげる。

  「しーっ! 祐一、声大きい!」

 名雪は慌てて祐一の口を塞ぐ。

  「しかし、なんでまた、判った?」

  「来るはずのものが、来ないんだよ…。もう1週間位。」

  「…医者には行ったのか?」

  「行けるわけないじゃない!」

 名雪が顔を真っ赤にして言う。世間体を考えても、おいそれと行けるわけは無い。

  「…いや、病気って事もある。とにかく行って来い。あっさり決め付けるな。」

  「でも、もし本当だったらどうしよう…。」

  「その時は、俺がお父さんに、お前がお母さんになるだけだ。心配はするな。とにかく明日、

産婦人科に行って調べてもらってこい。」

  「…わかったよ。祐一、付き合ってくれる?」

  「構わんが、変な噂は立てたくないから、学校は別々に出て、どこかで待ち合わせよう。

 …とにかくお前、着替えて来い。まだ制服のままだろう。」

  「ありがとう、祐一。」

 こう言うと、名雪は自分の部屋に戻った。

  「しかしまぁ、なんて時に…。 元を正せば、俺のせいだけどな。」

 祐一はベッドに寝転がり、天井を見つめる。

 

 夕食はそれぞれがそれぞれに秘密を抱えた形となり、なんとなく落ち着かないものとなった。

名雪がおとなしいので秋子も気にはなっていたようだが、特に言葉は掛けなかったようだ。

 祐一がTVを見ている間、名雪はいつも通りに風呂に入った後、寝てしまう。

 秋子が台所を片付け、居間にやってきた所で祐一が切り出す。

  「秋子さん、ちょっと大事な話があるんですが、良いですか?」

  「はい、なんでしょう?」

  「実は、俺と名雪の事なんですが…。」

  「ケンカでもしたんでしょうか?」

  「その逆です。 …いつになるか判らないけど、結婚しようと思ってます。」

 

 突然の話に、秋子は真剣な顔をして、祐一に向き合う。

 

  「…本当に大事な話ですね。」

  「はい。」

 秋子の真剣な顔を見るまでもなく、祐一は覚悟を決めていた。

  「名雪は言い出せなかったようですけど、明日、名雪を産婦人科に連れていきます。」

  「あぁ…。あの子が静かだったのは、そのせいなのね。」

  「もし仮定が現実になった時、俺は…名雪を幸せにしてやらなきゃいけませんから。」

  「でも、まだハッキリとはしていないんでしょう?」

  「たぶん、遅かれ早かれこういう事にはなっていたと思います。もし仮定が仮定のままだった

としても、いつかはこう言う話をしているはずですから。」

 祐一の真剣な顔に、秋子は姿勢を正した。

  「…そうでしたか。 じゃ、正直に答えてください。

   名雪を選んで、後悔したり、別の女性の事で悩んだりしませんね?」

  「はい。俺には、名雪じゃなきゃダメです。悩みも後悔もありません。」

  「それでは…。 了承です。」

 

秋子がにっこりと笑った。祐一も、秋子の顔を見て、にっこりと笑った。

 

  「これで、私も『おばあちゃん』になるんですかね…。」

 秋子がやや翳りのある顔で、ぼそっと言う。

  「そういえば、おじいさんおばあさんってご存命なんですか?まだ気が早いですけど、子供が

できたら見せに行ったり…」

  「もう、私達だけですから、気にしなくても大丈夫ですよ。」

 秋子にそう言われて、祐一はびくっとした。確かに今、祐一は水瀬家に居候しているが、秋子と

名雪の事以外は何も知らないに等しいからだ。特に、名雪の父、秋子さんの旦那さんになる人の事

を…。

  「もう半年近く居候させてもらっているのに、聞く機会が無かったんで、今聞かせて下さい。

名雪のお父さん、つまり秋子さんの旦那さんは、今どちらに?」

  「海の向こう、海外に出張中です。 生きていれば、ですけど。」

  「えっ? 生きていれば…?」

 聞き返して、それが余計な質問であった事に気付き祐一は後悔した。

 しかし、秋子はふっと息をつくと、祐一に対して語り出した。

 水瀬家の事、そして、自分の主人である人の事を。

  「実は、今日来ていたのは、私と司さん…私の主人で、名雪の父です…2人の勤めている会社

の人です。」

  「勤めて、いる?…お2人で?」

  「私の中では、まだ司さんは生きてますから…。」

 祐一の心の中で、“このまま聞き続けていいのだろうか?”という気持ちが起こっていた。

 しかし、秋子は言葉を続ける。

  「司さんは食品会社で資材調達をしていて、そこに短大卒で入ったのが私でした。お互いに惹

かれるものがあって、すぐに結婚という話になりました。でも司さんにはもう家族はいなく

て、私も母だけでしたから、司さんに水瀬家に入り婿になってもらう事にしたんです。」

  「でも、名雪も、俺も、司さん…叔父さんの事は全然記憶に無いんです。」

 名雪も言っていたが、司の顔を見た記憶は、祐一には無かった。

 いつもこの広い家に、秋子さんと名雪だけ、その記憶だけであった。

  「結婚と共に、私は企画課に配置換えになって…企画課って、会社で売り出す製品の企画を出

すのが仕事で、極端な話を言えば、月1回の企画会議に出ればあとは自宅で仕事をしていて

も良いんです。名雪の事もあって、その方が都合が良かったし…、母と交代で名雪の世話を

しながら仕事をしてました。

   そんな時、司さんがヨーロッパの方に出張をすることになったんです。

   頑張って仕事を早く片付けて、予定より一日早く帰れるからとタイ経由の飛行機に乗って…。」

 祐一もなんとなく覚えていた。生まれた頃、飛行機が落ちた事、それを両親から何度となく聞か

された事を…。

  「そうか、うちの親が言っていたのは、司さんの事だったんだ…。」

  「でも、今でも飛行機は行方不明のままなんです。それに、飛行機の乗員名簿には司さんらし

き人の名前が無かったんです…。」

  「じゃ、もしかして司さんは…。」

  「会社のエージェントの人が、タイ行きの飛行機に乗った所までは見ているんですけど、そこ

から先が…。だから、明日にも“今から帰るから”って連絡が入るって信じて、母と待って

いたんですが、その母も名雪が幼稚園に上がる頃に亡くなって、司さんを待つのは、私達2

人だけになってしまいました。」

 祐一は古い記憶を掘り起こす。小学校に上がる前にこの家に来た事、そしてその時に初めて名雪

に会った事を。

 しばらくして、祐一は思い出した。

 その時着ていたのが当時お気に入りの服ではなく、黒っぽい服だった事を。

  「私は、待っています。司さんが既に亡くなっていたとしても、それがハッキリと判るまでは、

この家で待ち続けます。幸いにして、住む所はあるし、母の遺産と私の収入でなんとかここ

までこれました。名雪は賢い子だから、『スポーツ推薦が決まればお母さんに苦労掛けなく

て済むよ』なんて言ってます。」

 その言葉を聞いて、祐一が少し悔いのある表情をする。

  「でも、俺がその名雪の夢を壊してしまうかもしれない…。」

  「先程お聞きしましたよね?『名雪を選んで、後悔しないか?』と。」

 秋子はそう言って、祐一の態度を問い直す。

 その瞬間の顔は、いつもの温和な秋子ではなかった。そこには親としての威厳を持った、秋子が

いた。

  「…勿論です。ただ、名雪の可能性を失わせるような事をした事、それだけは後悔をしていま

す。」

  「多分、大丈夫ですよ。私の子ですから。それに、名雪ならきっと、自分の事より祐一さんの

事を選ぶと思いますよ。」

 祐一は姿勢を正し、改めて秋子の顔を見据える。

  「秋子さん…。 改めてお聞きします。名雪と一緒になっても宜しいですか?」

  「了承。こちらこそ、宜しくお願いしますね。あんなお寝坊さんの奥さんだと、祐一さんの方

が大変なんじゃないですか?」

 秋子がそう言って微笑む。既に顔つきはいつもの秋子に戻っていた。

  「たぶん、大丈夫ですよ。たぶん、秋子さんも一緒だと思いますから。」

  「あら、まぁ…。」

 祐一と秋子、2人が共に笑った。

 秋子だけが、うっすらと目に涙を浮かべながら。

 

 

  “そうか、ずっと待ち続けているのか…。”

 祐一は、ベッドに横になり、天井を見つめていた。

  “…あゆは、無くした物をずっと探し続けて、『見つけた』って言ってたっけ。探したくても

海の向こうで、しかも好きになった人が死んだ事を確認するだけの探し物をするくらいな

ら、いつまでも信じて待っていた方が良いよな…。“

 つい数ヶ月前、名雪は奇跡を願った。事故に巻き込まれた秋子が無事であるようにと。

 そう名雪に願われた秋子もまた、奇跡を願っていたのだ。

 叶う事は無いと、心のどこかで諦めていながら…。

  “俺も、名雪にそこまで好きになられるようにしないといけないな。名雪の為、そして秋子

さんの為にも…。“

 

 

  「…祐一、祐一ってば。」

 翌朝、祐一が目を覚ますと、そこには名雪の姿があった。

  「…ん? 名雪、お前が俺を起こしにくるなんて、何か天変地異でも起こりそうだな。」

  「良かった、良かったよ…。祐一…。」

 名雪が涙目になりながら祐一の身体をゆする。

  「どうした?」

  「来たんだよ…。」

  「…何が来たんだ?」

 まだ寝起きで頭が回っていない祐一は、名雪の言葉を十分に理解できなかった。

  「あれが、来たんだよ…。 やっと、今朝…。」

  「……なに?!」

 名雪の聞こえるか聞こえないかの言葉に祐一は一瞬悩んだが、その言葉の意味を理解し

たとたん、飛び起きた。

  「来たのか! そうか、良かったな!」

  「しーっ! 祐一、声が大きいよ!」

 突然の大声に、慌てて名雪は祐一の口を塞ぐ。

 

  「あらあら、今日は名雪も祐一さんも早いんですね。」

 台所で朝食の支度をしていた秋子が、2人が降りてくるのを見てそう言う。

  「名雪に起こされまして、天変地異が来るんじゃないかと心配で…。」

  「祐一〜。それはひどいよ…。」

  「もうすぐおかずができますから、パンを焼いておきますね。」

  「…名雪、先に顔洗って来い。」

 祐一が名雪にそう促す。名雪が洗面台に向かうと、祐一は台所に向かう。

  「秋子さん…。名雪に、来たそうです。月のものが。それで起されました。」

 祐一は頭をかき苦笑しながら、秋子に今朝の経緯を説明する。

  「…そうですか。じゃ、これで祐一さんが後悔することも無くなりましたね。」

 秋子はそう言って微笑む。

  「はい。これで、俺も決まりました。」

  「なにが、ですか?」

  「俺の進むべき道です。」

 祐一は秋子に力強くそう答えた。

 

  「…名雪、もし俺が行方不明になったらどうする?」

 学校までの道の途中、不意に祐一は名雪に尋ねる。

  「…どうしたの、祐一?突然、そんな話して…。」

  「もし、そうなったらの話だ。どうする?」

  「探すよ。祐一が居なくなったら、困るもの。」

  「探しても、見つからない時は?」

  「…待ってるよ。祐一が帰ってくるのを、ずっと。」

  「もし俺が死んでたとしても、か?」

  「この目でそれを見るまでは、帰ってくるって信じて待ってるよ。」

  「10年でも20年でも、ずっとか?」

  「…待ってるのが1人から2人に増えるだけだから、どうって事はないよ。お母さんと待ち続

けてるんだもん、ずっと前から。」

 名雪の言葉に、祐一はびっくりする。

  「お前…知ってたのか?」

  「そりゃ、家族の事だもん。知ってるよ。お母さんが隠してたとしても、別の所から判るって

事も、世の中にはあるんだよ。」

  「そうか…。判った。」

 祐一は再び前を向いて、黙って歩き続ける。

 正門の前で、祐一は不意に立ち止まった。

  「名雪。」

 祐一を追い越していた名雪は振りかえる。

  「なに?祐一。」

 祐一は空を見上げていた。

  「…今日も、良い天気だな。」

  「何かヘンだよ、祐一。どうしたの?」

  「お前が朝俺を起こしに来るなんて珍しい事をするから、ヘンになったかもな。」

  「まだそういう事を言う〜。」

 そんな所に、香里と北川がやってくる。

  「あら、名雪。あなたが私より先に来てるなんて珍しいわね。」

  「なんてこった。水瀬と相沢が、2人揃って俺より先に来てるとは。天変地異の前触れか?」

  「う〜、2人ともひどいよ〜。」

 名雪がぷっと顔を膨らませている。

  「さぁ、予鈴の鳴らないうちに教室に行こうぜ。」

 そう言って校舎に向かおうとした祐一は、一瞬立ち止まって空を見上げる。

 そこには、澄んだ青い空が広がっていた。

  「空も心も澄み渡る、って感じだな。 さぁ、いってみようか!」

 

 

 

 

 『数年後』

 

  「良いんですか?祐一さん。」

  「そうさせて下さい。俺の気持ちでもあります。」

  「…ありがとうございます。」

 秋子は祐一に頭を下げた。

  「そんな、やめて下さいよ、『お義母さん』。」

  「…ふふふっ。でも、私もついに『おばあちゃん』なんですね。」

 秋子がいつものように笑う。祐一はなんとも言えず、頭をかいて苦笑していた。

 

 その祐一の手には、水瀬家の新しい表札があった。

 

  「名雪、こんなもんでいいかな。」

  「右に少し傾いてるよ。」

 名雪と祐一は、玄関でその新しい表札を掛け替えようとしていた。

  「…こんなもんでどうだ。」

  「うん、いいね。 でも、お父さんの名前、入れなくても良かったかも…。」

  「いつかは、帰ってくるんだろ?だったら、名前は入れるべきだ。ここは、司さんの家なんだ

から。」

  「そうだね。でも…、今はもう、祐一の家でもあるんだよ。」

  「あぁ、そうだな。 まぁ、願掛けみたいなもんだ。こうしておこう。」

 やがて、家の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。

  「…名雪、ゆーちゃんが泣いてるわよ。」

 家の中から、秋子が名雪を呼ぶ。

  「はーい、今行く。」

 

 

 掛け替えたばかりの新しい表札には、5人の名前が刻まれていた。

 

  “水瀬 祐一   名雪

      祐司   

      司    秋子“

 

 

 その日もまた、穏やかな日差しが辺りを照らしていた。

 道行く人が挨拶を交す。

  「今日も良いお天気ですね。」

 と…。

 

 

 

 【END】

 

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